「ねえ唯月?」
桜小路班、班室───通称、『桜屋敷』
それは彼らに与えられた、主に会議や準備を行う建物。
学園の森の奥に存在し、元々は大人数で会議をする際などに使われていた建物だが、新しい基地が出来た事で意味を失った。現在では桜小路班が使用しているのと、時々祝い事で大広間を使うぐらいである。
鈴代獅乃が初日に訪れた場所こそが、ここだ。
有栖川魔莉愛は、ソファで足を組む桜小路唯月の上から顔を覗かせた。
「アンタ、ちょっとしののんに厳しすぎない? 結構頑張ってると思うんだけど~」
「そうだな。努力はしていると思っている」
突然上に現れた顔に驚かず、童顔に似合わない力強い声で唯月は答えた。
「逆に聞くが、お前は入れ込みすぎではないか? 随分と仲がいいじゃないか」
「アタシとしののんはもう普通に先輩後輩だもん~。今度服買いに行くし!」
「私情を挟むのはどうなんだ」
「私情ってほどじゃないわよ。ただ、アンタが厳しい分、一人ぐらいは味方がいなきゃでしょ?」
自分が特段厳しい自覚はあるのだろう。唯月は返事をしなかった。
「何も甘くしろって言ってるんじゃなくて、何を求めているかぐらいは教えてあげてもいいんじゃない? 相手は新入生よ」
「新入生だからといって優しくする理由はない。この学園にやって来る者の事情は千差万別だ。であるならば、一介の高校生として扱う方がむしろ不適当だろう」
「でも新人候補には変わりないわ」
「そこで折れるのならばその程度だったという事だ」
「えぇ~?」
不服そうに口を開いて、魔莉愛は唯月の耳を引っ張る。
煩わしそうにそれを払うと、唯月は部屋にいるもう一人の人物へ声をかけた。
「斑鳩。お前はどう考えている」
「私の意見などどうでもいいでしょう。この件は二階堂エデンから唯月さんが請け負った案件のはず。そこに
妙にそこを強調した瓜生に対し、魔莉愛は目を細めた。
「……何が言いたいのよ」
「"奇跡論"なんていうトンチキな技術を扱う女は、頭が軽そうでいいなと思っただけだ。暇なら勉強の一つでもしたらどうだ」
「アンタだって銃弄ってるだけじゃない!」
胡坐をかいた瓜生の足元。シートの上には銃の部品が並べられていた。
ガシャガシャと音を立てる。
「俺は自分の仕事道具を弄っているだけだ。そういうお前は役に立たない棒きれの手入れはいいのか(笑)」
「むき~~~~!!」
「やめないかお前ら」
唯月の静止が入り、二人は一旦にらみ合い程度に落ち着いた。
「斑鳩。言いたい事は分かるが、俺はアドバイスを必要としている。それは魔莉愛の意見も一理あると感じているからこそだ。だからこそ、同じ班員としてお前の意見も聞きたい」
「……唯月さんがそうおっしゃるのであれば」
「うわっ、出た。唯月大好き男」
瓜生はその言葉を無視して、考えるように目を閉じる。
「意見を求められてなんですが、これ以外言えません。……有用なら良い。無能なら無しです。その点でいえば、鈴代獅乃は無能ではない。『異能』も成長すれば稀に見るレベルで強力になるでしょう」
「精神性についてはどうだ」
「管轄外ですね。知っているでしょう、唯月さん。──俺の価値判断基準は、
瓜生斑鳩はリアリストである。
必要なのは感情論ではなく、研ぎ澄まされた合理性。地に足付けた確立された理論と現実を愛する。
その点が強すぎるからこそ、現実の反対である空想──その象徴であるような、『
「性格や感情は二の次です。それを判断するのは俺ではなく、鈴代獅乃の精神性を危惧している唯月さんでしょう。誰かに意見を求める事ではないと思いますが」
「……そうだな。お前の意見はもっともだ」
「アタシは全然いいと思うけどね!」
「有栖川の意見も間違ってはない。そも、これは正解のない問いだ」
重要なのは、桜小路唯月が納得できるかどうか。
「鈴代獅乃は、
唯月は魔莉愛を親指で指した。
「見ろ。緩そうに見えて全然ガードの硬い有栖川がもうこのざまだ」
「なるほど、確かに」
「え。いま罵倒した?」
「人とすぐに仲良くなり、心を救ってしまうあいつは、まるでライトノベルの主人公だ。きっとアイツはこの先もそれを貫き続ける」
内容は明るくとも、そう語る唯月の表情は、暗い。
「だが俺は知っている。
転ぶのなら、軽い転び方を。
理想を貫いて、貫いて、貫いて貫いて貫いて貫いて──その先に待っていたのが深い絶望だとしたら、行く末は死か、死よりも恐ろしい絶望だ。
「それに、折れなければ、いつかアイツは────」
その言葉を聞いて、魔莉愛は分かっていたように視線を逸らし、瓜生は目を見開いた。
「あぁ……なるほど。確かにそう考えた方が合理的だ」
「否定できない。そうなった人間たちを、私たちは何度も見てきたもの」
彼らは銀狼隊。
学生だとしても、何度も生死の境を彷徨ってきた者たち。
「エデン先輩はその辺を併せのんでいるみたいだが、俺はそうなるぐらいならば事前に防ぐ」
唯月は立ち上がり、拳を握る。
その瞳が、赤く輝いていた。
「とはいえ、鈴代獅乃はそう簡単に変わらんだろう。だから、
「
「ああ。……出来る事なら、後者を望みたいが、どうだろうな」
「多分前者でしょう。ああいう|質(たち)は直面しなければどうにも」
「だろうな。だが、生半可ならば認めん」
有栖川魔莉愛は、その言葉に半分呆れながら笑った。
瓜生斑鳩は無表情のまま、それでも言葉を肯定して。
最後に、桜小路唯月は目を細める。
「──我が一番、強さを貫く事の難しさを知っている。故に、我がその判決を下さなければならぬのだ」
■
桜小路唯月は、北海道出身の少年だ。
身長は同年代に比べて低く、また童顔である事もあってか、中学生の頃は小学生だと勘違いされていた。
親は一人だけ。
ギャンブル中毒だった父親は死んで、母親はまだ父親の事を忘れられず、常に幻覚を見ながら過ごしている。生活は祖父の残した遺産だより。
そんな彼は、内気な性格もあいまってか、小さい頃から虐められがちだった。
「──何これw」
「あっ」
中学校からの帰り道。
唯月は読んでいたライトノベルを、クラスの虐めっ子たちに取り上げられた。
「うわ! すげえ恰好! 変態じゃん!」
「こんなの読んでんの!?」
「お前キモっ!」
挿絵を開きながらの罵倒。この年齢の少年たちにとっては、ライトノベルの挿絵というのは刺激が強かった。
でも、間違いなく唯月はそれが好きだった。笑ってしまうような空想が好きだった。
「ぁ……うん、へへ。そう、だね。読むのやめるよ……」
でも、唯月は笑って同調した。
抵抗するのは怖かった。殴られたり罵声を浴びせられるのが嫌いだった。
「……なんだよつまんねェ」
「いっ”つッ!」
手に持ったライトノベルで叩かれた。
乾いた音がして、唯月は雪の中に転がる。
「おい、もういこうぜ!」
いじめっ子たちは興味を失って、ライトノベルを雪の中へ放り込んだ。
さくりと音を立てたライトノベル。
「はは……は」
こうして抵抗しなければ、必要最低限の怪我で済む。だから唯月にとってにへらと笑うのは癖みたいなもので。
唯月は、静かにライトノベルを拾い上げる。
雪のせいで湿っていて、乱暴に扱われたせいか紙は所々千切れていた。
「ごめんね……ごめんね……」
唯月に出来るのは、ただ本に謝る事ばかりだった。
「た、ただいま……」
唯月は家に帰った。あまりいたくはないけれど、外は雪で寒くて死んでしまうから、仕方なく帰ってきた。
「唯月! 帰ったの!! 帰ったら早くお父さんに挨拶しなさいッ!!」
家の奥から怒号が飛んでくる。
体が縮こまって、手が震えるのが分かった。でもそのままにしていたらもっと酷くなるから、唯月は家の奥へ進む。
「お、お父さんただいま! 今日も学校楽しかったよ!」
唯月が声をかけたのは、誰もいないからっぽ居間だ。
でもまるでいるかのように、今日あった事を話していく。そうしないと、母親に殴られるから。
すると、母親が唯月の顔の痣に気づいた。
「唯月、アンタ怪我したのかい?」
「っ、えっと」
「どんくさい子だねッ! アンタが悪いんだから自分で治療しな!」
「……はい」
頭上から降る怒号。だから唯月は、ライトノベルを握り締めて頷くばかり。
「ほらお父さん。唯月が色々話してくれてますよ~」
返ってくる言葉はない。
──ドギャッ!
「あガッ……!」
「アンタの話がつまらないからお父さん返事をしないじゃない!! 謝りなさい!!」
「ご、ごめんなさっ」
「ほらもっと!! そんなの持ってる場合じゃないでしょ!!」
「あっ!!」
手を払われて、ライトノベルがぐしゃりと転がった。
思わず視線がそっちに向いて、それが癪に障ったのか母親は唯月の髪を掴む。
「いたいッ、痛いよぉッ!!!」
「うるさい! ほらこうしなさい! 土下座ァ!!」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
無理矢理床に叩きつけられて、唯月は謝った。
何が悪いのか、誰が悪いのか、何をすればいいのかも分からないままに。
ただ唯月は、転がったライトノベルだけが気がかりだった。
「捨ててきなさい! そんな物があるからアンタは駄目になるのよ!」
■
ライトノベルを読んでる時だけは、嫌な事を忘れられた。
ライトノベルは全てを教えてくれた。
夢も希望も、理想も非現実も、全部全部ライトノベルが教えてくれた。
「いいな……凄いなぁ」
そのとき読んでいたのは、突然右腕に獣が宿った主人公が最強になる話だ。中学生だった唯月にはとても魅力的で、素晴らしくて、本当に夢中だった。
「でも、こんなのやめなくちゃ……じゃないとまた怒られる……それに殴られる……」
『好き』を貫くと、現実が立ち向かってくる。
強くはいられない。それは、とても勇気のいる行動だから。
「こんなの意味ない。いらない」
唯月はゴミ箱にライトノベルを捨てた。
そのままその場を勢いよく走り去っていく。
カランと、音がした。
「────」
後から来た人が、ゴミ箱にコーヒー缶を捨てた。
中身がまだ残っていて、ライトノベルを汚していく。
じくじくと、汚れていく。
好きな物が。大切な感情が。
「ひ、っぐ……ぅ……うぅ……」
───捨てる事なんて出来なかった。
黒く染まったライトノベルを一生懸命ティッシュで拭いたけど、完全には取り切れなくて。むしろ表紙は剥がれてしまって。
唯月は座りながら、必死にライトノベルを抱きしめていた。
「いやだ……もう嫌だよ……」
このままじゃ帰れない。捨てなければ怒られる。
でも、手放せない。手放したくない。これだけは。これだけは、これだけは。
弱い。
変わる事も出来なくて。
何より、好きな物を否定されて、黙っている自分が大嫌いで。
「こんなのっ、死んでじまえばいい”のにッ……!」
吐き棄てた言葉は、惨めな自分への罵声だった。
「───あれ、桜小路くんじゃん」
「……!」
声をかけられて、前を向く。
そこにいたのは、いじめっ子たちだった。
「うぇ、何もってんだよそれ!」
「きったねぇ!」
「あっ!」
コーヒーで汚れたライトノベルは奪われて、いじめっ子たちはそれを地面に捨てる。雪と砂利に混じった地面は、汚かった。
「うぇいうぇ~い!」
「捨てちまえよこんなの!」
蹴られて、潰されて、ライトノベルがぼろぼろになっていく。
好きな物が貶されていく。
「っ……あぁあああああああ!!!」
限界だった。
唯月はいじめっ子に突進して、精一杯突き飛ばす。
「いやだ、いやだああああああああ!!!!」
「っ、なんだこいつ!」
それでも彼は非力で、いじめっ子は小さく転んだだけ。
むしろ少し抵抗しただけで、唯月は息が上がっていた。
「は? 何コイツ」
「やっちまおうぜ」
「さんせー」
「っ……!」
ライトノベルを拾い上げた唯月に、いじめっ子たちは向かってくる。
(嫌だ! 怖いのは嫌だ! 逃げだしたい! 苦しくなりたくない!)
足が震えて動けない。腕も力が入らない。
このままじゃ、またやられてしまう。
(こんな時───
浮かんだのは、ライトノベルの主人公。
せめて、そうなれたら、勇気が。
「は」
間抜けな空気が出た。
「はーーはっはっはっは!!! ぼ、わ、我は冥王アルシファルス!!」
「はぁ?」
「んだそれ」
「右腕に獣を宿せし者! 大切な物を踏みにじるのなら、我が相手にっ、なるぞ!! うがぁああああ!!」
唯月は叫んで、華奢な体で立ち向かった。
拳を振って、噛みついて。それでも相手は複数で、ぼこぼこにされて。
「テメッ、きもいんだよ!!」
「死ね死ね死ね!!」
「っ……! ッ……!!」
いつの間にか、唯月はその場にうずくまって、母親に土下座するときみたいな恰好で攻撃を受け続けていた。
痛い。背中も、腹も、頭も痛い。傷が何個も出来てる感じがする。
それでもライトノベルは腕の中にあった。
(離さない……! 絶対に、絶対に!)
それでも歯を食いしばって、必死に耐える。
それが長い間続いて、やがていじめっ子たちは疲れたのか退いた。
「はぁ、はぁ……なんだこいつ、全然動かねえ!」
「め、めんどくせぇ。もういいだろ!」
「汚ねぇままうずくまってろ!」
最後に唾を吐き棄てて、いじめっ子たちは去っていく。
それを音だけで感じながら、唯月は地面を見つめていた。
雪と砂利の地面に、水分が混ざり始める。
「フ、フフ……あ、あくは屈したようだな……我の威光の、前に……っ」
口が痛い。血が出ている。背中はずっと蹴られ続けてるみたいに痛い。
髪もぼさぼさだ。多分千切れたりしてる。
でも、ライトノベルは唯月の手の中にあって。
「ふ……ぐっ……ぐす……」
ライトノベルを抱きしめる。
降り始めた雪を全身に浴びながら、唯月は叫ぶ。
「強くならないと……もう、もうっ、好きな物を踏みにじられるのは嫌だ……!」
弱き少年は、強さを貫く事の過酷さを知った。
「なるんだ……強く、つよく……なるんだ……!!」
────ぐしゃぐしゃになったライトノベルの主人公が、笑っている気がした。