『キョウカスクエア』の一部が崩壊したことによる被害者は、ほとんど零だった。それは迅速に動いた桜小路先輩たちと、支援部の人たちによる避難誘導の結果が大きい。
「───聞こえるかな」
新卿華市に作られた銀郎隊所有の建物。
その一室で、斜森凛と名乗った女子高生は、対異能者用の特殊な拘束具によって椅子に拘束されていた。
弾丸は、埋め込まれたまま。
あまり健全とは言えない状態の中で、声に反応した斜森さんは顔を上げる。
『はい……聞こえてます』
瓜生先輩の『
「ではもう一度、君の事を聞かせてくれ」
『……私は、斜森凛と申します。かつて旧卿華市に起きた「相転移災害事件」の被害者です』
「まずは聞かせてくれ。なぜ、その被害者である君は生きている」
『そのためにはまず、相転移事件の顛末を教えないといけません』
桜小路先輩先輩は少し考えてから、マイクの電源を押した。
「よし、頼む」
『───数十年前、相転移炉によって、「旧卿華市」は次元の狭間に落ちたんです』
「次元の狭間……? それは例の『平行世界』ではなくて、か?」
例の平行世界。
それはつまり、相転移炉が利用していた、『異能の力が強い世界』の事だ。
だが、斜森さんは首を横に振った。
『いいえ。事故によって平行世界が現実と重なった結果、旧卿華市そのものは、その二つの狭間に弾き落されました。平行世界が現実に現れるためには、その分のスペースが必要だったんです』
「旧卿華市が消え失せたのは……」
『次元の狭間に丸ごと落っこちたからです。空間そのものが移動したと捉えてください』
新しい家具を家に置くためには内装を開ける必要がある。だからそのために、家の内装を丸ごと引っ越しさせたようなものなのだろう。
『狭間に落ちた旧卿華市からは、更地になった卿華市跡だけが、まるで空に浮かぶ映画みたいに見えていました。だから最初は元に戻る方法を探していましたが……次元の狭間はあまりにもおかしな空間で、時空間がぐちゃぐちゃだったんです。市から出る事も出来なければ、都市も取る事も出来ないし、生理現象すら存在しません』
「だから二十年が経っても、斜森さんは女子高生のままなんですね……」
『二十年……? まだ、二十年だったんですか? てっきり、五十年は経っている……ものかと』
「……体感時間が実際の時間間隔とずれていたんだな。長い時間密室に閉じ込められているのと同じようなものだ。無理はない」
桜小路先輩は一度、マイクに電源を入れず私たちにだけ聞こえるように言った。
そして次の言葉からは、しっかりと電源を入れる。
「制服すら綺麗なままなのだから、本当に変化が起きない世界だったのだろう。……変化が許されていない、と捉えるべきか」
『どれだけ高い所から落ちても怪我さえしないし、病気なんてもってのほかです。ただ思考と体だけが動いていました』
「なるほど。ではなぜ、君はさっき『キョウカスクエア』の側にいた? それに『キョウカスクエア』に突き刺さった建物はなんだ?」
『数年前の事です』
そこまで言って、斜森さんは曖昧に首を振った。
『いえ……正直時間の感覚が死んでるので、本当に数年前かは分からないんですけど、それぐらい前から、ふと気が付くと時々「新卿華市」にいるんです。でも誰からも見えてないみたいで、時々見える人がいても、叫んで逃げで行くだけで』
「……! 新卿華市の幽霊!」
「ああ。時々現れる彼女が、その正体なのだろう」
パンフレットにも載っている女子高生の幽霊。やっぱりそれは、数年前から現れ始めた斜森さんだったのだ。
「だから私、助けを求めていました。この現状をどうにかしたくて、どうにもならなくて……」
そこで斜森さんは、私を見た。
「鈴代さん。もしかして貴方、何か誰かからの干渉を弾くような異能を持ってませんか?」
「えっ?」
思わず驚いて声を上げてしまった。
だが、それに心当たりはある。
「……あります。『自分の行動を絶対に貫く』異能が」
「やっぱり。貴方が私を認識できたのは、その異能が理由だと思います」
「そういう事か」
代わりに理解したのは、桜小路先輩だった。
彼は振り返り、私に伝えてくる。
「
「自動的にですか? 私の異能、そんな力が……」
「もしくは、無意識に違和感を弾こうとお前が思ったのかもしれん。異能は意志を反映する。芽生えたばかりのうちは勝手に発動してもおかしくはない」
思い返せば、新卿華市に入った途端、私の心臓は不整脈のような症状を訴えた。異能を発動した事の代償だと考えれば、納得できる。
「じゃあ、次元の狭間に落ちた旧卿華市を認識しようとして、私の『
「納得できる理由があったのなら、それが正解だと思います。建物の衝突は……正直、私にはわかりません」
「───『ハイゼンベルクの第三原則』だよ」
口を挟んだのは、まりちゃんだ。
彼女は普段とは違う鋭い目つきのまま、斜森さんを見ている。
「『ハイゼンベルクの第三原則』……『観測は現実を変える』。奇跡論ではよくある事だけど、観測した瞬間、その観測したという結果そのものが現実に影響に及ぼすんだよね。おそらくしののんが斜森さんを認識した瞬間、次元の狭間におちた旧卿華市が
「観測した事で、次元の狭間のずれを強引に直そうとする機能が働いたのか」
「どちらかといえば、斜森さんを認識するためには『旧卿華市』を認識する過程を経るんだと思う」
「……つまり、私の異能は斜森さんを絶対に認識する。だからその過程に存在する世界を先に認識して、その結果『旧卿華市』が『新卿華市』と重なった、って事ですね」
これは連鎖的に起きた事なのだ。
異能と、法則と、存在とが偶然が重なり、起こってしまった、事故。
それを私たちが理解して、斜森さんは目を細めた。
『私が「新卿華市」に出現するようになった理由。それは──
「待ってくれ。相転移炉は旧卿華市に存在していた。更地になった時に一緒に次元の狭間に落ちたのではないのか?」
『相転移炉の本体は地下深くに存在していました。外部に公開されていた情報の半分は嘘です。それは私が、旧卿華市の科学者の人と共に、この二十年で調べました。恐らくその相転移炉が起動している時だけ、私は鈴代さんに認識された時と同じように、強制的に新卿華市に引っ張られるんです』
斜森さんの額に脂汗が滲む。
待って──なんだか様子が。
『そうです。誰かが、相転移炉を利用しようとしている。あれだけの事件が過去に起きて、
「……斜森さん?」
『ごめんなさい。これから少し早くします。──私、
斜森さんを包んでいた、不思議なブレが大きくなる。
その笑顔は歪だった。
綺麗で、最後を受け入れた薄氷みたいな笑み。
「斜森さ──」
『お願いがあるんです……ッ』
荒い息を抑えて、斜森さんが顔を跳ね上げる。
『貴方たちが何者かは正直分かりません……! でも、もし叶うのなら、この町を終わらせてくださいッ……旧卿華市を、私たちが生きた街を……!』
必死だった。命を使って、斜森さんは抗っていた。
『「相転移炉」が誰の手にも渡らなくなれば、「旧卿華市」が重なる事はないありません……! もう誰も傷つかずに済む!』
「
『他の人なんて……もう、いません』
斜森さんは、精一杯笑った。
『──みんな死んでしまったの。二十年は長くて、耐えられなくて。子供すら生まれないし、何も出来ないから……私が看取ったの。死体を埋めて、お墓を立てて……ごめんって言いながら、みんな、みんな……』
「……ッ」
桜小路先輩は唇を嚙んだ。
嫌な予感はしていたのだろう。斜森さんの表情は、とても尋常ではなかったから。
「……一つ、聞かせてくれ」
だからこそ、聞かなければならなかった。
声を震わせながら、桜小路先輩は訪ねる。
「斜森凛さん……なぜ貴方は……生きていた……? 誰もが亡くなったというのに、何十年も生き続けて……こうして現れて……なぜ市の終わりを望むんだ? その果てに、貴方は死んでしまうというのに……」
『許せなかった、から……』
斜森凛さんは、突然現れた次元の狭間の存在ではなくて、どこにでもいる女子高生のように、泣いていた。
『高校近くのクレープ屋に……寄ったの……初恋の……人と……公園で、遊んだの……。市から出ても、いつかみんなと……集まろ……う……約束をして……タイムカプセルを埋めて……でももう掘り返しにいけない……っ』
ブレが激しくなる。
それは、異物を追い出すような、酷く歪んだノイズみたいで。
斜森さんは、自分が消える事が分かっていた。
それでも私たちの前に出てきて、弾丸を喰らいながら、私たちに説明をしてくれた。
私──ただ、涙を流す事をやめられなかった。
「なんで……その為だけに、ここまで……」
斜森さんは、震える体で、力強く。
『──だって、故郷だもの』
それは、執念だ。
それは愛だ。
斜森凛という、誇り高き意志を突き通した人の──たった一つの願い。
『お願いします……どうか………………私の故郷を、家族を……終わらせて……次元の狭間なんて形じゃなくて……ちゃんと、正しい形で……』
姿が消えていく。
それは次元の狭間への回帰ではない。異物を消そうとする世界による、完全なる消滅。
桜小路先輩はマイクを強く握った。
「最後に教えてくれッ!! 『相転移炉』を利用している者の居場所はどこだ!!」
『相転移研究所……現キョウカスクエアの……地下三階……です』
斜森凛の旅路の終わり。
私の知らない物語の、終幕。
ならば、せめて、せめて。
「斜森さんッ!!」
『
マイクも握らずに、硝子越しに、強く。
「──
『────』
斜森さんは答えなかった。
ただ最後に、微かに目尻が上がった気がして。
彼女はいとも容易く、消滅した。
役目を終えた拘束具が、からんと落下する。
「──聞いていたな、お前たち」
桜小路唯月は振り返る。
願いを遂げるために。託された荷物を運ぶために。
「目標はキョウカスクエア、地下三階。早急に準備を始めろ」
「「「はい!!」」」
私たちは動き出す。
一度だけ、斜森さんの痕跡に振り返って。最後の表情を忘れないと、強く胸に刻んで。
──涙を拭って、前へ踏み出す。