私の名は、有栖川魔莉愛。
出身は日本。
『有栖川家』は伝統的な奇跡論の大家であり、その歴史は数百年に及ぶ。とはいえ没落して長い。私はその有栖川家に生まれた長女であり、実のところ日系下級悪魔であった母親と人間のハーフだ。
『魔法や魔術では誰も救えない。"奇跡論”は現実に根付いているからこそ、人々を救える素晴らしい力なんだ』
それが父親の口癖だった。厳しかったけれど優しく偉大な父親の事が、魔莉愛は大好きだった。
『いつかお父さんみたいに、奇跡論でみんなを救えるようになろうね!』
『うん! 僕もそうなりたい!』
毎日のように、弟と話した。
杖を振って、努力して、立ち向かって。
だから──両親が所属していた『組織』の任務に失敗して死んで、それを伝えられた時は、心底世界に絶望した。
その時知った。
両親の仕事は奇跡論を使った殺し屋で、私たちの生活は、両親の築いた死体の山で成り立っていた事に。
「……ッ!」
なんという事だろう。
人を救いたいと思っていたやつの親は殺し屋で、誰かが叫んでいる間にも、私たちはのうのうと暮らしていたのだ。
やりきれない怒りと悲しみが襲ってきた。全てを台無しにされた気分だった。
(ふざけるな……ふざけるなふざけるなッ!!)
『奇跡論』は、人殺しの道具でしかなかった。
許せなかった。両親の死体をばらばらにでもしてやりたかった。
でも、弟はまだ幼くて。
『お姉ちゃん……?』
『──』
可愛い私の弟。
何が起きたのか理解できなくて、ただ私の顔が暗いから不安になって手を握っている。
まだこの子は、親が死んだことにさえ気づけていない。どこか遠くへ行ったのだと思っている。
(お金、稼がなきゃ……)
ここは日本だが、私たちみたいな異端に触れた者が野に放り出されれば、大体辿る末路はモルモットだ。
両親の残したお金はとてもではないが余裕がある訳じゃない。
このままでは、生きていけない。
子供がお金を稼ぐ手段は、身売りか、盗みか、大体はどちらかだろう。
「───」
でも私には、力があった。
素晴らしくも、魔法でもない。あまつさえ、『奇跡』とも呼べないような、くそったれな人殺しの力が。
ある夜、弟を寝かしつけた後、私は父親の使っていたローブを羽織り、『組織』に乗り込んだ。
『私を雇ってください。──"奇跡論"なら、使えます』
当時、有栖川魔莉愛。
十一歳の事だった。
■
そこからは、人殺しの日々だった。
最も憧れたはずの力で、最も忌避したはずの行為を繰り返す。
繰り返せば、馴染んで違和感がなくなる。
『姉さん!!』
それは、そんな生活が三年ぐらい続いた時の事だった。
『組織』から大きな依頼が舞い込んできた。それは敵対組織の壊滅で、それを果たせば、少なくとも十年ぐらいはくいっぱぐれないぐらいの大金が手に入る。
『行かないで、姉さん!!』
『ごめんね……ごめんね』
もう三日もおもちしか食べていなかった。お米は買えないから。
野草はもうあらかた刈ってしまった。
"奇跡論"じゃあお腹さえ膨れない。
『ごめんね……姉ちゃん、行ってくるね』
『行かないでっ、行かないでよ!!』
勝ち目がない事は分かっていた。
でも、お金は支払われるって言われたんだ。
『組織』は勝てないから逃げ出したいらしい。
だから隙が必要で、犠牲が必要だった。
『いってきます。帰ったら……お肉を食べようね』
こうして私は敵対組織に立ち向かった。
夢も希望もない、くそったれな力だったけれど。
最後に、大切な人のために使えたのなら、悪くもなかったかもしれない、なんて。
そうして。
──何の因果か、私は生き残ってしまったのだ。
■
偶然だった。血塗れになりながらも、何とか逃げだせた。
私は天才だった。"奇跡論"の分野においては、誰も勝てないほどに。
『はると…………………はるとォ………!』
死にかけながら、私は家へ帰る。
依頼をこなしたのだから、もういいはずだ。仕事は果たした。
ただ、弟に会いたくて。
傍にいたくて。
だから、ざわつく心臓を抑えて、帰って。
帰って、帰って、帰って、帰って。
────燃え盛る、私たちの家にたどり着いた。
「………ぅ”ううううううううううううううウウううッ!!!!!!!!!!!」
弟は灰になっていた。
『組織』にお金を払う余裕などなくなっていた。
敵対組織に逃走を選んだ時点で、嫌な予感はしていた。
"奇跡論"の素質を持つ子供なんて、『組織』にとっては邪魔でしかない。だから消したのだ。
(ああ、そうか)
そして私は悟った。
("奇跡論"は、"奇跡論"なんて物は──どうしようもなく腐った、ゴミクズたちの持つ力なんだ)
人殺しによって生計を立てていた両親も。
保身のために小さな子さえ殺した『組織』も。
弟の傍にいてあげるべきだったのに、現実から逃げようとした私も。
等しく平等で、等しく死に絶えるべきだ。
「あ”ああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
──"奇跡論"じゃ、誰も救えない。
その事実だけが、私を焦がし続けていた。
■
"奇跡論"を使おうとする度に全身が震えて、仕事が出来なくなった。
何かをしようとする度に弟の顔が過って、その度に吐き気を催した。
一般的な生活に戻れず、歩いている時に私を補導しようとする大人たちから逃げ続けた。
死ぬ事は怖くなかったけれど、また家族と顔を合わせる事になるのが怖かった。
何も出来なかった、ゴミクズだと罵倒されるのではないかと。
そうしているうちに私は、おそらく十四歳か十五歳ぐらいになっていて、屍のように生き続けていた。
『──』
それは、公園のベンチで理由もなく座っていた時の事だ。
『はーはっは! あくとうめ、せいばいしてやる!』
小さな男の子が一人でいて、なんとなく弟に似ている気がしたから見ていた。というより、視界に映ったから、視線を逸らすのも面倒で納め続けていただけだけれど。
その子は、なにか正義の味方みたいな動きで遊んでいた。多分、当時流行っていたニチアサとかのキャラクターだろう。
(あの子も、生きていたらあんな風に……いや、もっと大きいか)
『あぅっ!』
子供が転んだ。
派手に動き回っていたから、当然だった。
『うっ……うぇええええん!』
そして泣き出した。
どうやら膝を擦りむいたみたいだ。子供は一人で遊びに来ていたようで、誰も彼を助ける人はいない。
『……大丈夫?』
なんとなく、声をかけていた。目の前で転ばれたから、見て見ぬふりをするのもなんだか違うと思った程度で。
『ひざがいたいよぉ!!! うぇえええん!!』
『──じっとしてて』
私は彼の膝に掌を翳した。
なんて事のない、"奇跡論"と呼ぶにも初歩的過ぎる、簡単な治療術だ。掠り傷ぐらいしか治せない、それこそ一桁の子供が学ぶような。それぐらいならば、今の私にだって出来た。
『っ、なにこれ!』
ただ、小さな男の子は私の掌から発せられた光を見て、痛みさえ忘れるほどに目を輝かせていた。
やがて男の子の膝は跡が残らないほど綺麗に塞がった。
『──すごい』
男の子はぽつりと呟いた。
『すごいすごい! おねえさんはまほうつかいなの!?』
『ううん。魔法使いなんかじゃないよ……これは、"奇跡論"っていうあんまり良くない力なんだ』
私は乾いた笑みを浮かべた。
あまりに歪で、男の子は少しだけ驚いたように口を開けていたけれど、すぐに目を輝かせた。
『じゃあおねえさんは"きせき"をつかえるんだね! すごい! かっこいい! まるで──』
『────』
『──まるでアニメのヒーローみたいだ!』
『……………………ぇ』
その時の衝撃を、私は生涯忘れる事はない。
何も知らない子供が、"奇跡論"を見て、喜んでくれた。
たったそれだけ。それだけの、この広い世界のどこにもあるような平凡な一場面。
子供が放った、幼げで拙い言葉。
だけど、たったそれだけで、私は救われていた。
『あれ、おねえさん、ないてるの……?』
『な、泣いて、ない……泣いてなんか、ない……!』
意味もなく強がって、男の子はどうしていいか分からずにあわあわとしていた。
その様子がなんだかおかしくって、興味が湧いて。
男の子の事を、もっと知りたいと思って。
『……君、名前は?』
『ぼく? ぼくはゆづき! 「さくらこうじ ゆづき」!』
『ゆづ、き』
──私は、この時、自分の命の使い方を決めたのだ。
唯月はきっと、この事を覚えていないだろう。
それはそうだ。人間と私のような悪魔の時間の感覚は違う。あの時の『お姉さん』と私が同一人物だとは、きっと思っていない。
だが、それでいいのだ。
あの子が、唯月が自分の願いを遂げられるのなら。
「瓜生!! 反動が来たら、アンタの弾丸で消して!!」
『瞳子』たちが飛び掛かって来る。
それでも、私は毅然と胸を張って、杖を突き出した。
長い間、攻撃的な"奇跡論"を扱おうとすると吐き気が止まらなかった。今でさえ、普通に"奇跡論"を使おうとしたら体調が悪くなることだってある。
それでも日常的に使わず長いスパンが空けば、再度使う度にもっと苦しくなる。
嫌な事ばかりだ。
本当なら、こんな力なくなった方が良いのかもしれない。
──それでも。
(
再び生きる気力をくれた男の子の!
私を慕ってくれる女の子の!
「私自身が、"奇跡"になるんだ───!」
杖が、業火を纏った。