──夢追人、アティカ。
年齢は二十六歳。出身はイギリス、サマセット州グラストンベリー町。中学生の頃に飛び級し、エクセター大学では『魔術とオカルト科学』を専攻。
アティカは幼い頃、グラストンベリーの農家の家に生まれ、幼い頃よりアーサー王伝説を子守唄として育ってきた。
(つまらない)
『神童』、『百年に一人の天才』ともてはやされていた彼女には、現実世界がとても退屈に思えていた。少し努力すれば全てが上手くいく。いや、努力とすら呼べない。彼女が繰り返していたのは、ゴールが見えている過程を試行するだけの作業だ。
(こんな世界にいたら息苦しくて死んでしまう。こことは違う場所──そうだ、『異世界』にいかなければ)
そう思い立って、彼女は大学卒業後、すぐに世界中を旅した。
異能者と出会った。異種族と遭遇した。超常は日常に馴染み、世界の模様は変わった。
そして彼女自身も異能者となったが──それでも、『異世界』に対する関心はますます増えるばかりだった。
(友情、恋愛、冒険、奇跡……何を取っても、この世界は凡庸だ。それはきっとこの根底現実の基礎がつまらないからだろう)
それは、あるいは天才ゆえの孤独なのかもしれない。誰からも理解されないが故に、まだ見ぬ世界へ希望を抱いたのだ。
そしてアティカは、『相転移炉』の存在を知る。
『これなら……!』
『旧卿華市』を探った。跡地を調べ、情報を得た。
『新卿華市』を探った。活動のための拠点を手に入れ、飲食店を営んだ。その果てに、地の利を手に入れた。
そして数年の調査の末に、アティカは『相転移炉』の居場所を掴んだ。
(私は、異世界へ行く)
薄暗かりの中で、アティカは笑う。
汚れた理想を叶えるために。
■
(なるほど、女の子の方が隙を作るのか)
桜小路唯月と鈴代獅乃の会話。
その全てを、アティカはエネルギーを変換した『魔眼』───千里眼によって見ていた。会話の内容を理解したのは読唇術によってだ。
(ならば迎え撃とう。今の私ならば、全てを凌駕出来る!)
『相転移炉』の保有するエネルギーは絶大だ。
今、この瞬間も稼働して、アティカの異能を強化し続けている。
(もう少しだ。もう少し経てば、
視界の端を、黄金の光が過った。
「ようやく来たかい。おしゃべりはもういいのかな!」
『相転移炉』からの供給を受けた状態で、眼力を飛ばし衝撃波を放つ。
一撃が空間を駆け抜けて、少女の肉体を巻き込んだ。
「ッ……! まだァ!!」
少女が、再び黄金を纏って、衝撃波を超えた。同時に彼女の頬に、刃物のような傷が刻まれる。
(先ほどから確認できている『異能』の代償。内容はなんだ……? 『強引に行動を実行する』、そんなところか?)
分析をしながら、アティカは肉薄する。ナイフを真っすぐに振り下ろすが、少女は静かに吠えると、右腕によってその一撃を受け止めていた。
「ははっ! 素手でこの私の一撃を!」
「っ、らああぁあああああああ!!」
「先ほどの少年なら受け止められなかっただろうに、やるな君!!」
あまりの一撃に、地面が耐えられず足元が砕ける。それでも少女は右腕でナイフを受け止め続け、その度に黄金の光と傷の量は増えていく。
だからアティカは、奥の手を使う事にした。
「──
「……!!」
「っ! はは、やはりこれは消耗が激しいな……!」
ぐらりとアティカがふらついて、同時に少女の体が停止する。
それは、対象を石のように停止させる魔眼の力だ。それは石化というよりは、蛇睨みの超強化版のような代物。
だが、これでもう彼女は動けない。
この魔眼は一度発動すれば、鯨さえも動きを止める。
(何を考えているかは知らないが、その前に殺せば終わりだ)
「フフ、それじゃあね」
アティカは薄く笑みを浮かべて、ナイフを振り下ろす。
「『
「無駄さ。動き出すために、どれだけの──」
───目潰し。
「っ……!?」
ぞっとして、アティカは思わず上体を逸らしていた。その上を、少女の腕が通過する。
その腕は、血だらけだった。
(可愛い顔して、私の目玉を潰そうと……!?)
「だぁああああああ!!!」
「こいつっ……!」
少女が躍動して、アティカの右腕を掴んだ。そのまま万力のような力で捻り上げると、一瞬にしてアティカの腕は悲鳴を上げる。
「このっ、放せっ!!」
アティカの瞳が輝いた。
衝撃波が少女に向けて放たれる。
飛び出たそれは、今までよりも強力な放出だ。少女の胸あたりに直撃して、その肉体を激しく揺らすが───瞳は、死んでいない。
「
「……なら、これはどうかな!!」
アティカは左手を伸ばして、少女の首を締めあげた。
腕と首、互いに締め上げ合う泥仕合。
「
「ぐ……ぅ……!」
少女の顔が青くなっていく。
体に刻まれる傷も、増えている。これ以上続けば重症になりかねない。
(勝った!)
「……ぇ」
少女の、口が小さく動く。
「せん、ぱい──『相転移炉』ぉ……
「───は!?」
視界の端に、漆黒が滲む。
思わず振り返って、アティカは、右腕を『相転移炉』へ向けて振りかぶろうとしている桜小路唯月を見た。
(『相転移炉』を破壊!? それをすれば事故が起きかねないというのに、血迷ったの!?)
だが、現実は目の前に迫っている。
(認識を阻害する!? 眼力を飛ばす!?)
だが、その全てにアティカは否を突き付ける。
(止めなければ!)
アティカは肉薄して、桜小路唯月に向かって飛び掛かる。
「やめろ! それだけは───!」
「ああ、
「……は?」
くるりと、事も無げに桜小路唯月は振り返って、アティカへ握腕を向ける。
「代わりに受けてもらおう。──おかげで、途轍もない一撃が出来た」
漆黒の獣が、形を成して飛び出す。
(っ、なぜだ!! 確実に『相転移炉』に意識は向いていたはず!!)
だが。
(───ぁああああああ!! そういう事か!!!!)
遅れて、アティカは理解した。
(私がそう判断したのは、この少女を見ていたからだ!! 全部、演技だった!! この子、首を絞められながら、全身に傷を負いながら、致命傷に陥りながら───全てを偽っていた!!!!)
偏に、精神力の結晶。
その頑強さに、アティカは砕かれた。
漆黒の光が、アティカを一瞬にして染め上げる。
魔眼を働かせる余裕すらなく、彼女はその中に沈んで。
肉体はぼろぼろに砕かれた。
「───」
極光が晴れた頃、桜小路唯月は、彼女を見下ろす。
するとアティカは、顔を上げないままに呟いた。
「……ばけ、もの…………め」
「言いえて妙だな」
彼は次いで、体中の至る所に傷を作っている少女を抱き上げて、言い放つ。
「然り。
■
「ここか……!」「二人とも!!」
「……! 斑鳩、有栖川!」
アティカとの決着がついてすぐに、最奥の扉が開け放たれて、瓜生先輩とまりちゃんが入って来た。
二人は部屋の中を見渡し、状況を把握すると、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「外はどうなった」
「二人で殲滅しました。もちろんまだ残っていますが、直前に全ての『瞳子』は停止しました」
「っ、しののんッ!!?」
「ぁ……」
私は意識を朦朧とさせながら、抱き着いてくるまりちゃんの感触を感じていた。全身血塗れな事がなんだか恥ずかしい。
視線だけを送りながら、何とか笑いを浮かべる。
「ごめ……ん。無茶しちゃった……」
「一体どうしてこんなッ!! 唯月!?」
「事情は後にしろ。それに酷い有様だが、傷自体はどれも軽症だ。治療すれば十分に助かる」
「っ、あぁもう!! 私が言えた事じゃないけど無茶しすぎ!!」
まりちゃんは掌を翳して、"奇跡論"で少しずつ傷を治してくれる。もちろんすぐには塞がらないけれど、少しだけ痛みが和らいでいく感じがした。
「それで……そこに転がってるのは、アティカでいいんだよね」
「ああ」
「そっか。二人は、勝ったんだね」
「鈴代のおかげでな」
「ああっ……!」
まりちゃんは泣きそうな顔で、私を抱きしめてくれる。それが嬉しくって、なんだか眠ってしまいそうだった。
本当はそのまま眠ってしまいたかった。でも、その前に、私たちは、それを聞いてしまった。
「……フフ」
四人ではない、笑い声。
底冷えするようなうすら寒い声。
誰ともなく息を呑んで、アティカの方へ視線を向ける。
「噓でしょ……?」
床に倒れて。転がって。それでもなお、動く人間がいた。
「あれほどの攻撃を受けて、なお……」
「──お嬢ちゃん、"奇跡論"の使い手だろう」
「ぇ……?」
呼ばれたのは、まりちゃんだった。
「その服装……滅んだ『有栖川』家の物かなぁ……? そうか、だからそんなに……強いのか……」
「なんで……それを、知って」
「『ハイゼンベルクの第三法則』───『観測は現実を変える』。ひひ……私も『魔眼』を使う者として、『相転移炉』を利用する者として、そういった知識は入れておいたのさ……」
アティカの肩が、笑いに合わせて不気味に上下する。
「……まずい」
「
「止めないとっ、まずい!!!!」
「『相転移炉』を観測してくれたおかげで、『法則』が濃くなった」
桜小路先輩が駆け出す。
だけどそれよりも、アティカが懐から何かを取り出す速度の方が早い。
それは、私たちが追っていた、特殊精神薬が入った注射器だった。
「
首筋に薬品が撃ち込まれる。
同時に、『相転移炉』が今までにないほど脈動を始めた。
「さぁッ!!」
「───!」
突然、アティカが起き上がった。
そして──瞳のない、空洞を上へ向けた。
「"扉"を開く時だッ!!!!」
アティカの全身から、『黄金』を帯びた柱が立ち上る。同時に『相転移炉』を埋めていた液体が、根こそぎ消えていくのを私たちは確かに見た。
魂すら持っていかれるような凄まじい衝撃。
柱は天井を貫き、どこまでも、どこまでも伸びていく。
けれどその『黄金』は、私が纏う『黄金』とは全く違う───例えるのなら、神秘を纏ったような、異質な色彩だった。
「……! これは」
不意に地面が脈動を始める。
天井が揺れて、不安定な箇所が崩壊を始めた。
崩れ始めている。建物全体かは分からないけれど、少なくともこの空間が。
「斑鳩、アティカを背負え。ここで死なせる訳にはいかん」
「了解しました」
「光は空へ昇って行った。脱出するぞ。───外で何かが起きている」
私たちは、その場から走り出した。
■
「……うそ」
それは、誰の言葉だっただろうか。
私たち四人の言葉だったかもしれないし、空を眺めていた一般の方の呟きだったかもしれない。
少なくとも、たったいま、この瞬間、新卿華市にいた全ての人々が、空を見上げていた。
だって目を離せなかった。空に浮かぶ
いや、違った。目を離せなかったのは私たちじゃない。
──空に浮かぶ、
「なんで、空が黄金色に変わって───巨大な瞳が浮かんでるの……?」
青空は奪われた。
名状しがたい異物感を伴った黄金色が、新卿華市の空を汚染している。
その中央に浮かぶのは、幾何学模様を浮かべた巨大な一つの瞳。
──その瞳は、私たち全員を見つめ続けながら、ゆっくりと落下を始めていた。
瓜生先輩はそれを見つめながら、表情を苦し気に歪める。
「……やられました。スマホの連絡機能が使えない。というより恐らく、電波が通っていない」
「つまり、それって」
「今、新卿華市は外部の空間と隔離されている」
忌々しげに、瓜生先輩は呟いた。
「───あれがそのまま落ちれば、新卿華市はまた
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【『
〇性質───皆既天食・相転移災害・
〇詳細───夢追人アティカが特殊精神薬による暴走状態に入り、相転移炉に蓄えられたエネルギーの全てを消費する事で発動した相転移災害。新卿華市の上空全てを覆いつくし、最終的に市の全てを飲み込み異世界へと転移させる。
『異世界へとたどり着きたい』、そう願った者が辿り着いた、ありきたりな終着点。
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───市が、終わる。
旧卿華市も、新卿華市も、一緒くたに呑み込まれて、ここではないどこかの世界へ吹き飛ばされる。
「そん、な……そんな……!」
「しののん……!」
痛む体を強引に動かして、"奇跡論"によって運んでくれていたまりちゃんの手から離れる。
「
もっと晴れやかで、終わった後に誰もが笑顔になるような、そんな終わり方だったはずだ。
なのに、また市が吹き飛ぶだなんて、そんなのは悲劇でしかない。
「──止めなきゃ」
私はふらつきながら、しっかりと立ち上がる。
「止めなきゃ……! ここで立ち向かわないと、全てが無駄になる!」
斜森さんの努力も、まりちゃんと瓜生先輩が稼いでくれた時間も、桜小路先輩と切り開いた道も。
そんなの、絶対に許せないから。
私の肉体が、黄金を纏う。
「だったら私は、
「──大丈夫だよ」
一瞬、誰の言葉か分からなかった。
肩に手を置かれて、私は振り返る。
「
「班、長……?」
眼帯を取り去って、包帯も付けていなくて、軍服さえもなくて。
今までも聞いた事がないほどに穏やかな声色で、彼は言った。
「あとは、
「っ、班長!?」
私の声を無視して、桜小路先輩は高く跳ねると、キョウカスクエアを経由して建物の屋上を走っていく。
前へ、前へ、その姿はどんどん小さくなっていった。
「ちょっ……!」
「鈴代、いい」
「瓜生先輩、何で止めるんですか! 班長を追いかけないと──」
私は振り返って、言葉を失った。
「…………なんでそんなに、落ち着いてるんですか?」
その疑問は正しい筈だ。
空の色が変わって、恐ろしく巨大な瞳が空に現れて、それは市をまるごと滅ぼしてしまうほどの存在で。だったら焦るなんて次元を超えて、死に物狂いにならなければならないはずだ。
でも、二人はただ笑っていた。
「なに、簡単な事だ」
「そうそう。複雑な事なんて何もないよ」
「じゃあ、なんですかそれ。一体なんで……!」
「───唯月さんは、誰よりも強いからだ」
それは、確かにあまりにも単純で、簡単な回答だった。
「しののんや世間は二階堂エデンを『最強』だっていうかもしれない。でも、私達はあの子こそが『最強』だって思ってる」
「あの人は『全部任せろ』と言った」
「それに、見た? あの子、自分を強く見せるための仮面すら脱ぎ捨ててる。そんな物なくたって、私たちは変わらないのにね」
「全くだ。例えどうあろうとも──」
二人はもう一度、笑った。
「俺たちはあの人を、子どもみたいに、心の底から信じてるのさ」