僕──桜小路唯月は、ひたすら前に進んでいた。
(体が重い。『虚代獣』を使いすぎてる)
それに、刺された腕が痛い。思ったより深く傷が刻まれている。
アティカとの交戦は、思った以上に強く負担を与えていた。
(でも、立ち止まる訳にはいかない)
前を向く。
空は、未だに黄金を放っていた。
(伝わってくる。あれは、本当の厄災だ)
立ちはだかるのは、アティカの暴走によって生まれた超ド級の一撃、『
間違いなく今までで最大の敵で、まさに世界を破壊しつくす──ライトノベルの敵みたいなやつ。
地平線が歪んで、どこからともなく強風が吹き荒れていた。それは、市をまるごとを飲み込もうとしている証だ。
触れてすらいないのに、体が捻られているみたいに苦しい。
(不思議な気分だ)
怖い。
震えが止まらないし、嫌だ。今すぐにも逃げ出したい。あんな強い奴に立ち向かうだなんて、一人じゃ無理に決まっている。
弱い人間なんだ僕は。
背が小さいから誰かに虐められるし、『異能』がなかったら今だって教室の隅で怯えていたかもしれない。『中二病』なんて仮面をかぶらなければ他人とまともに話せないような、ちっぽけでどうしようもないやつ。
(でも、僕は背負うと決めた)
有栖川さんも、斑鳩も、鈴代さんだって、怪我をしている。
僕だって万全とは言えないけれど、その中で一番強いのは僕だ。
だったら、僕がその役目を果たす。
気力が溢れている。
やってやろうって気概がある。
そうして僕は、市の中で一番高い場所──小高い丘の頂点にたどり着いた。
「───!」
太陽を覆い隠すほどに巨大な瞳が、僕を見つめていた。
僕が近づいたのもあるけれど、『異界天亡』は確実に大地へ落ちてきている。
「出し惜しみは無しだ」
僕は踏ん張ると、『異能』を開放した。
右腕が漆黒を纏う。次いで、全身に漆黒を回す。
「……いくよ!」
地面を強く蹴って跳んだ。
凄まじい推進力を経て、僕の肉体はあっという間に上昇。
ほど近かった『異界天亡』が、より巨大になっていく。
数秒も経たないで、瞳は文字通り手が届く位置にまで近づいた。
「喰らい付け──『虚代獣』ッ!!」
漆黒が獣を象る。
顎のように研ぎ澄まされた右腕は──とうとう、その瞳に触れた。
「ぐっ、っぅ……ぁああああああああああアアァアアあああぁあッッ!!!!」
その瞬間、体がバラバラに引き裂かれるような痛みに襲われた。肉体を繋ぎとめようとしている細胞一つ一つが、別々の方向に引っ張られているような感覚。
人間が味わっていい痛みではない。この世界に存在していい痛覚じゃない。
異形の法。異界の律。
あきらかに、常軌を逸している。
「ッッッ”ウ!!!!! ぁああ”ぁあああああああッ!!!!」
衝突が轟音を奏でている。
黄金と漆黒が周囲にばら撒かれて、世界を汚していく。
感覚で理解してしまう。
これは、人の手に負えるような代物じゃない。僕が今やっている事は、地殻変動を野に咲くたんぽぽが止めようとしている感じだ。到底、敵う訳がない。
「負ける、かぁああああああ!!!!」
叫んで、気力を奮い立たせて、抗って、抗って。
でも限界が近い。勇気や根性だけじゃ現実はどうしようもない。必死に『虚代獣』によって抑えつけている均衡が、僕の肉体と共に崩れていく。
(あ……これ無理だ)
砕けていく。
意志も、肉体も。
これが最も成功率の高い選択だったのは言うまでもない。僕以外の誰かが立ち向かったところで、きっと負けていた。
でも、このざまだ。
抗ってみても、僕にはどうしようもなかった。例え強くなっても、本質だけは変わってくれない。
その時僕の脳裏に過ぎったのは、かつての自分だった。
───『なるんだ……強く、つよく……なるんだ……!!』
ちょっとだけ、力が籠った。
「ッ────嫌だァああああああああ!!!!」
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
僕はもう、無力なあの頃の僕じゃない!!
好きな物すら自慢できない、どうしようもない僕じゃない!!
雪の中でライトノベルを抱きしめていた子供じゃない!!
(あの日から、僕は変わった!)
体に力を籠める。
崩れかけていた漆黒を、なんとか繋ぎとめる。
足りなくたっていい。抑えろ。
至らなくたっていい。継ぎ接げ。
(でも、まだ足りない!)
僕は臆病だから、まだ、自分を信じ切れない。
どうしようもない僕だから、一人じゃ、立ち上がり切れない。
──唯月!
(
──唯月!!
先輩が、いた。
初対面の時から馴れ馴れしくて、距離感が近くて困った人だった。でもそれが誰にでもじゃない事を知って、ちょっと嬉しくなったりして、それでも仮面を貫き続けた。
───唯月さん!!
同級生が、いた。
同級生なのに自分の事をさん付けするし、敬語も使う変な奴だった。合理性を追求するところを他の人は機械みたいだと言うけれど、誰よりも強く在ろうとするその姿は、むしろ人間らしく見えて仕方がなかった。
───班長!!
後輩が、
どうしようもないぐらい大馬鹿で、どうしようもないぐらい頑固で、どうしようもないぐらい理想的な人。危うく感じるけど、同じぐらい夢を抱かざる負えない、とんでもない人。
(そうだ。そうなんだよ)
先輩になった。
後輩が出来た。
(背中はもう、みんなに押されてたんだ)
重みを感じる。
でもそれは、後ろ指を指される重圧じゃなくて、期待と信頼の賜物。
(ありがとう)
僕は、ただ笑って。
───『仮面』を脱ぎ捨てた。
■
『異能』とは、人間の強い感情や経験を反映する鏡だ。
その存在理由は一つ──所有者の願いを叶えること。
即ち、現実に抗う事。
その精神の絶望と向き合い、乗り越えた時──『異能』は本領を迎える。
それはまるで、誰かが信じた『
「『
──桜小路唯月
─────『覚醒』
先輩に、友人に、後輩に、過去の自分に報いるために。
唯月は至った。
「──」
視線を上げる。
依然として迫る、巨大な瞳。
「────ッ!!」
全身に纏っていた漆黒が、
それらは代わりに全身へ巡りながら、雪のような純白が混ざり始める。
執念と後悔、二つの色彩が織り込まれて、体の中心から途轍もないエネルギーが迸った。
「もう一度勝負だ──絶望!!」
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【
『過去を喰らう』異能。右腕が触れた対象に不可逆の性質を付与する。付与された対象は二度と同じ状態に戻る事はなく、どんな事になろうとも未来へ進み続ける。
全てを背負って前へ行くという、桜小路唯月の覚悟の顕れ。
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覚醒者には、その異能の性質強化や、時として新たな力が与えられる。
唯月の発現させた力は、『不可逆』の付与。
白銀が、右腕から瞳に流れ込み、巨大な全身を包み込む。
『不可逆』の性質が、瞳に与えられた。
「はぁあああああああああ!!」
右腕を突き出す。
今や、桜小路唯月が支配するエネルギーは瞳にも劣らない。次元すら破壊してしまいそうなエネルギーを携えて、瞳を殴りつける。
──衝突。
火花が散って、再び唯月の肉体は引き裂かれそうになった。
「ぐ、っぅ……!」
脳の血管が千切れそうだ。鼻血が出てきた。
それでも、腕は徐々に瞳を破壊し始める。
瞳は、唯月の腕を跳ね返せない。呑み込みもしない。
ただ少し、傷が入ったのなら、向かうのは破滅のみ。
(お前はもう──
相手がどんなに強大であろうとも。冷たく、暗い現実であろうとも。
桜小路唯月の拳は───絶望を砕くッ!!
「────!!」
声にならない叫びが木霊して。
ぱちん、と。
何かが割れる。
それは、巨大な瞳に亀裂が入る音だった。
最初は小さかった罅も、加速度的に大きくなっていく。
巨大な瞳が、その大きさに見合うだけの時間、砕けていく。
地割れみたいに瞳を駆け巡って──最後に、ばらばらになった。
「ぁ……」
宝石みたいに破片が散って、黄金の空が祝福のように晴れた。
青空だ。
歪んでいた地平線が、元の輪郭を取り戻していく。
それを認識した瞬間、唯月の肉体から力が抜けていく。
上空から、少年は落下を始めた。
(やった、んだ……倒せたんだ……)
体が冷えていく。
貧血だ。血を流し過ぎている。
(あんなの倒せるなんて……はは、大した奴じゃん、僕)
痛くて、辛くて、苦しい事ばかりだった。
一年間戦ってきたけれど、その中でとびっきり大変だった。
もう二度とこんな目に遭いたくなんかない。
そもそも唯月という少年は、痛い事が嫌いだ。苦しい事に耐性なんか持ってない。
──それでも。
「唯月っ!!」
「────」
ふわりと、優しく誰かに抱き留められた。
聞き慣れた桜みたいな声。出会った日に耳元で聞いてから、忘れた事なんてない。
「有栖川、さん……」
「魔莉愛だよ……魔莉愛でいいよ……!!」
「魔莉愛さん」
「唯月さん!!」「班長!!」
遠くから走って来る二人が見える。
「……はは」
なんだか、笑ってしまった。
──そうだ。
唯月は、苦しい事なんか嫌いだ。痛い事だって嫌だ。
それでも。
「みんなが無事で、よかった」
ただ、みんなが幸せであるのなら、その甲斐があった。
そう思える仲間が出来た事が、桜小路唯月にとって、何よりの幸福だったのだ。