時間や社会に囚われず、幸福に空腹を満たすとき、つかの間、彼は自分勝手になり、自由になる。誰にも邪魔されず、気を遣わずものを食べるという孤高の行為。
この行為こそが、現代人に平等に与えられた最高の癒しと言えるので、ある。
■
───月桜学園一年C組、雨ノ宮燐世の朝は早い。
男子寮の隣、学園へと続く通路を部活の生徒たちが歩く音によって目覚める。
微かにカーテンを開け、隙間から外を眺める。
燐世は吸血鬼ではあるが、それは半分のみだ。むしろ気質のせいか朝方人間であり、当然太陽の下に出ても空想のように体が燃えることはない。
彼の祖母曰く、古の時代に実在した吸血鬼は太陽が弱点であったらしいが、現代の吸血鬼と呼ばれる存在はその限りではない。詳しい説明は省くにせよ、これは異種族たちが現代に適応した結果である。
本能的な感覚が鋭く、音に敏感な同居人を起こさないように細心の注意を払いつつ、彼はベッドを降りる。
昨日は随分と遅くまで同居人とゲームに勤しんでいたせいで部屋は散らかっている。睡眠時間が短くていい体質でなければ今頃も夢の中だっただろう。
築かれた残骸を避けつつバスルームへ。
「ふぅ……」
軽くシャワーを浴び、静音仕様のドライヤーで髪をセットする。いつも通りのセンターパートが完成すれば、次はフェイスケアだ。化粧水、導入液、乳液と欠かさずに塗り、汗をかきやすい関節部にも保湿剤を忘れない。
「ん……」
「お、起きたかい?」
「ア”ァ~……うす……」
寝起きが絶望的に悪い同居人が起床し、その後五分ほどかけて起き上がる。
彼もまた、慣れているせいか睡眠をあまり取らなくても活動できる質だった。
「じゃまァ~……」
「ごめんごめん」
洗面台へ来た同居人にスペースを半分譲り、仲良く隣同士で朝の準備をする。
あまり美意識は高くない同居人であり、特に朝シャワーを浴びるなんてことはしない。顔はお姉さん譲りで悪くないのだから気をつければ、とは毎日言っているのだが、恋路より戦闘と食事を愛する野生児に何を言っても無駄であった。
洗面台の端に置いたメイクポーチを手に取り、そこから各種道具を取り出す。
日焼け止めは先んじて塗っておいた。下地を塗り、ファンデーションと続く。彼が扱うクッションタイプはぺたぺたとするのが面倒で、ついサボリたくなるのだが、ここで疎かにすると出来上がりに大きく影響するため、苦行を耐える。
とはいえ、今日はナチュラルメイクに留めるつもりだ。
次いで目、唇と仕上げていく。
「ドライヤー取るぞ」
「あ、うん」
ささっと髪を整え、顔を洗う同居人を尻目に、燐世は保湿を終えると着替へと向かう。
春先を過ぎたばかりの温暖な気候だが、半吸血鬼である燐世はどちらかといえば体温が低めな方だ。故に五月半ばでもロングTにオーバーサイズのバニラ色パーカー。アーティストとブランドのコラボ品で、手首横に刺繍されたオリジナルマークがあるお気に入りだ。
合わせるのは黒のガウチョパンツ。オシャレの中に利便性があると嬉しいタイプなので、ポケットが計五つ付いている。
わざわざ購入した全身鏡の前に移動し、ターンを決めながらポーズ。
「やっぱり僕ってなんでも似合うよね」
「あ? あ~~~……いいんじゃ?」
「冷たいなぁ。鈴代さんに自撮り送っちゃお」
「アイツ顔良ければなんでも褒めるだろ」
切り捨て、同居人は最後にバッグを肩にかけると玄関へ向かっていく。
「昼には戻る」
「おっけ。じゃあ学食で食べてアプデ待とう」
「おう」
この日は二人がやっている格闘ゲームのアップデートの日であり、昼過ぎからはそれを一日中やる予定がある。
部屋を出て行く同居人を尻目に燐世は部屋を見回し、
散らかっている相部屋を粛々と片付け始める。本来なら準備を整う前にやるべきなのだが、同居人がいる状態で掃除する訳にもいかないため、ご愛敬だ。
そもそも二人で掃除するべきでは、とは言うなかれ。その掃除は───雨ノ宮燐世の持つルーティーンの一つなのだ。
散らかった部屋を片付けることで運気をためているのである。
「よし」
ものの数分で綺麗になった部屋を見回し、満足そうに呟くと、彼は最後の準備に取り掛かった。
化粧箱を取り出し、中からアクセサリを吟味すると、やがてネックレスを手に取る。先端に宇宙をイメージした小物のついたチェーンネックレスだ。鎖骨と胸の中間まで垂れ下がるそれを首にかければ、次はイヤリング。
ピアスではない。半吸血鬼として高い再生能力を持つ彼は、ピアスを開けることが難しい。出来ないことはないが、再生能力が働かなくなるぐらい性質を能動的に弱めるか、もしくは穴をドライアイスで塞がないように冷凍する手順を踏む必要がある。前者は体調も悪化してしまうし、後者は病院へ行かなければならない。本当にこだわりがなければ出来ない至難の業である。ならば燐世はイヤリングを選ぶ。
ネックレスは宇宙。となれば、イヤリングは星である。
ピアスに見える接続具を使用し、星の形をしたイヤリングを付けると、その確かな重量感に満足し、頷く。軟骨の辺りにも丸いフープ型と言われる物を三つ付ければ、完全に準備は完了だ。
「いいね」
自画自賛と自撮りを数枚。やっぱり十枚程度。
満足すれば、腕に時計を付ける。ポーチを手に取り、諸々のアイテムを詰めて肩にかければ、最後にヒールを履いて完了。
時間を確認。
ちょうど7時を回ったところだ。
「完璧」
───腹が、減った。
■
学園の所在地、『白月街』。
様々な路線が通り、他県からのアクセスも豊富な東京都の一都市だ。数十年前に起きた争いによって東京の有名都市の四割は様を変えてしまったため、新たに台頭した街の一つである。
何よりもこの街には、月桜学園がある。
日本最大の異種族・異能者を内包する学園は、その関連機関や人材も豊富だ。
人がいれば、その人々が生きるための環境が必要になる。
環境が必要になるという事は、所在する街に沢山の経済が発生するということ。
───それは即ち、文化の充実を意味する。
「流石は白月街。この時間でも人通りが多いなぁ」
雨ノ宮燐世の趣味はグルメである。
半吸血鬼の主養分は血液。しかし、彼は一身上の都合により血液を接種しない。純粋なる吸血鬼ならば危ういが、半分人間である彼は、普通の食事からも栄養を取る事が出来る。
しかし効率は悪く、また多くの食事を必要とする彼が辿り着いた領域は───美食を楽しむことであった。
家の近隣へ、時には遠出をして飲食店を探し、個人チェーン限らず食事を楽しむ。最も、その妙味を楽しむのは外食の時だけ。普段の食事では自重しているのだ。
いつしかそれは日課となり、ルールが増えていく。
『趣味を楽しむ時は一人で』、『外見はしっかりと手を抜かず』、『掃除をしてから家を出る』、etc……。ともかく、その全てを燐世は遵守してきた。
「よし、ここにしよう」
そして彼がこの日、辿り着いたのは───駅裏にあるひっそりとした定食屋、『炭火焼き定食屋このうえ』という店だった。
人類は『炭火焼き』という言葉に勝てない事を逆手に取った、見事なお店だと思う。
燐世は深々と感嘆を示しつつ、スライド式の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー!」
外の喧騒から逃れるようにして中へ入れば、威勢のいい店主と女将さんらしき人が声が飛ぶ。軽く会釈して前に進めば、女将さんの「こちらへどうぞ」という声に従い、カウンター席へ腰を下ろす。
その間、軽く見回せば、店内は四人掛けのテーブルが二つに後はカウンターが八席程度の、こじんまりとしたものだった。
メニュー表はカウンターにも置かれているが、壁を見れば昔ながらの木板による物もある。文字は全て手書きなのか達筆で、少しばかり見づらいけれど、これはこれで趣があって良い。
店内にいる客は燐世を合わせて四名ばかし。当然だが、若い客はいない。
「はいどうぞ」
小さな音と共に置かれたコップの中身は、琥珀色の液体だった。軽く会釈して唇を濡らせば、麦茶だと分かる。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございましたー!」
入れ替わるように店を出て行く客に、店主が声を飛ばす。ふと気になって手元を見れば、今まさに焼かれている物が目に入る。
(ほぉー、魚だけじゃなく、豚や牛も炭火焼にするのか……さて、と)
燐世はゆっくりと振り返り、壁にかかった木板に目を通し始める。
(鮭、ほっけ、牛……定食はご飯とお味噌汁と漬物がつくと。ほうほう)
「はい、ほっけ定食お待ちどうさま」
(うわぁー! 見事な開きだ)
つい他の客に提供された定食に目をやってしまった。しかし黒いお皿に乗っていたのは、ずばっと半分に開かれた大きなほっけだったのだ。
思わずほかほかのご飯と一緒に口へ運び、その脂を味噌汁で流し込む快楽を想像してしまった。
(いや……でも、まだ決めるのは早い……!)
そう誘惑を切り、メニュー表の最奥にまで目を通せば、ぴたりとその途中で止まった。
(鯖の……文化干し定食? 文化干しって、なんだ?)
天日干しなどは聞いたことはあるが、文化干しという単語は寡黙にして聞いたことがなかった。
気になってしまった以上は仕方がない。燐世は目の前を通った女将さんを捕まえた。
「あ、すいません」
「はいはい」
「鯖文化干しってなんですか?」
「ああ、文化干しっていうのは機械を使って乾かした物の名前なんですよ。あの、天日干しってあるでしょう。あれの反対ですわ」
「へぇ~……」
「脂がのっててとっても美味しいですよ。一番出てます」
「じゃあそれで。あ、ご飯は大盛でお願いします」
「はいっ、かしこまりました」
女将さんは笑顔でメモを取りつつ続けた。
「初めてですよね。学生さん?」
「あ、はい。そこの月桜学園です」
「あらそう。メニュー表にもかいてあるけど、学生さんはご飯お代わりと大盛無料だから、ご遠慮なくね」
「……! ありがとうございます」
燐世は思わず心の中でガッツポーズした。
(お代わりと大盛無料。一番好きな言葉だ)
この時ほど学生で良かったと実感できることはない。勉学に励むという理由で社会的地位に甘んじることができるこの年齢に感謝である。
───心地の良い脂の爆ぜる音と、かちゃかちゃとした食器の音が店内を木霊する。腹が鳴って仕方ないのに食べ物が来ず、仕方なく飲み物で体内を満たすこの時間も嫌いではない。
思わず麦茶を飲み干してしまい、お代わりを入れる。ピッチャーがカウンターに置いてあるタイプだ。よく水を飲む燐世には嬉しい設計である。
そして数分が経ち、ゆっくりと燐世の前にプレートが運ばれてくる。
「お待たせしました、鯖文化干し定食、ご飯大盛です」
「ありがとうございます」
軽く会釈して、燐世は定食を視界いっぱいに収める。
(おぉー、これかぁ)
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【鯖文化干し定食】[定食]
文化干しの文化は進歩の証。
人類の英知を召し上がれ。
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ご飯大盛とお味噌汁、付け合わせにはたくあんときゅうりの漬物。サバの脂が多いせいか皿はきらきらとひかり、端には大根おろしがこんもりと盛られていた。
「ごゆっくりお過ごしください」
「……いただきます」
戦いの火蓋が、切られる!
燐世は割り箸を颯爽と抜き放ち、綺麗に真っ二つにすると、構えた。
(いざ)
頭は取られているが丸ごと原形の残った鯖へ端を伸ばし、そのパリパリとした腹皮を割る。じゃくじゃくとした、見事な炭火の焦げが剝がれ、鼻孔をくすぐった。
(まずは、そのままで)
発掘した身を掴み、滴り落ちる脂と共に頬張る。
───じゅわぁっ……。
(んんんんんーーー!! うぅまい……! こんなに味がしっかりしてるのか)
一口目から、上質な魚の脂が口いっぱいに広がっていく。ぷりぷりの身は噛めば噛むほど塩味を解き放ち、口の中があっという間に洪水と化した。
同時に鼻を通り抜けるのは、炭火の香ばしさだ。
燐世は堪らずお茶碗を持ち上げると、湯気の立つ白米を掻きこんだ。
「はふっ、はふ……」
放熱して熱さを誤魔化しながら食べれば、口の中で米の甘さと塩味が溶け合っていく。まるでそれには、凹凸がかっちりとハマるかのような満足感と達成感があった。
口と、皿。
橋を行き来させる仕事が止まらない。何度口にしても一口目のような、がっつりとした破壊力を備えているのだ。
(あぁ……見事な組み合わせだ。白米至上主義の僕でもひれ伏す、魔性の塩鯖。いや、鯖文化干し)
掘り出した身を、大根おろしと共に頬張った。
口の中で微かに残る大根の食感と清涼感が、鯖と混ざり合い、脂の罪感を完全に浄化してしまう。
(ほんと、脂が多い食べ物と大根おろしを食べ始めた人は偉大だよなぁ……)
益体のない事を考えながら、今度は味噌汁の蓋を開けた。
(おぉ……!)
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【味噌汁】[汁物]
ご存じ日本人の魂。
具材の多さは、愛の多さ。
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(これは、もやし?)
かき混ぜてみれば、わかめや豆腐のほかに、細長く透明な野菜が入っている事に気づいた。間違いない、あのもやしだ。確かに味噌汁に入れる家庭もあると聞いたことはあるが、実際に遭遇したのは初めてである。
もやしを拾い、同時に汁をすする。口の中でシャキシャキとした食感が弾けて、なるほどこれは良い物だと燐世は頷いた。
(鯖のとぅるとぅる食感に、意外と合ってるなぁ。汁物が美味しいと幸せが二倍になる)
ご飯、鯖、味噌汁、そして漬物も忘れない。しっかりと酸味が効いた漬物をかじると、口の中がリセットされたようでまたご飯が進む。
「すいません、ご飯のお替りお願いします」
「はいよ」
一旦、お茶で口の中を冷却。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
再び、めくるめく炭火焼きの世界に戻っていく。
何度食べても熱は冷めず、鯖の身を口にする度に白米が抑えられない。
───いつの間にか皿の上からは、粗方の物が消え失せていた。
「ふぅ……」
元来の性格も相まって、魚の身を残すような真似はしない。可食部は全て食べ終え、後に残ったのは綺麗な尻尾だけだ。
(う~ん……まさか鯖だけでこんなに美味しいとは思わなかった。炭火焼き、恐るべし……よし)
燐世は手を上げて女将を呼ぶ。
「あ、すいません」
「はい」
「この、さわらの冷製茶漬けをください」
「あら、そんなに入ります? よかったら小もありますけど」
「じゃあそれでお願いします」
「あらそう。ならちょっとお待ちください」
思わず注文をしてしまった。
とはいえ、まだ腹は六分。半吸血鬼の彼は、エネルギーの変換効率が悪い。つまりは、大食いだ。燐世はまだいけると踏んだのである。
「はいおまたせしました、冷製茶漬けです」
「ありがとうございます。おぉ……」
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【さわらの冷製茶漬け】[茶漬け]
さわらの炭火焼きをお茶漬けの上にどーん!
熱いさわらに冷た~い冷や麦。
後は気ままに、どうぞ。
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お茶碗の半分を埋める程度のご飯、そして茶漬けの汁───頂点に君臨するは、堂々たるさわらの炭火焼きだ。その上、汁には氷が浮かんでいて、これは米が引き締まって美味しそうである。
小で足りるか、とも思ったが、なるほどちょうど良さそうな量をしている。
「最初は別々に食べて、さわらが半分ぐらいになったら崩してかっこむのがおすすめです」
「ありがとうございます」
一件難しそうだと思ったが、わざわざ食べ方の指南まで頂いてしまった。燐世はあらためて手を合わせると、さわらの熱い皮目を箸で割った。
───バリッ!
(おぉ……!)
さきほどの鯖と違って皮が厚いせいか、その分炭火焼きの破壊力も凄まじい。皮目が良い音を響かせると、中からふっくらとした身が姿を現す。
ゆっくりと口に運べば、広がるのは濃い魚の味だ。
鯖と打って変わって脂は少なく、どちらかといえば淡泊。けれど必要な要素は全て揃っており、むしろこっちの方が茶漬けの汁を侵食せずに済んでいるのだろう。
そしてすかさず、白米を汁と共に掻きこむ。
───ジュルっ。
さわらのザクザク感。そして、引き締まった事で際立つ米の粒感のマリアージュが心地いい。ほとんど二食目という事もあり、腹に溜まっていた重みさえも洗い流すかのような清涼感だ。
飲み物のようにするすると胃に収まってしまう。
(あ”ぁ~……これはやばい……)
二つ目にして最適解を引いたらしい。五月でこれなのだから、夏真っ盛りにこの冷や麦を食べたら昇天してしまうのではないだろうか。
じゃくっ、ジュルっ、バリ……あらゆる擬音が口の中で奏でられている。
まるで食べれるテーマパーク。ここは舞浜か此花区だっただろうか。
「……ふぅっ。最高だった」
そして、閉園を迎えるさわらの遊園地。
燐世はゆっくりと手を合わせ、軽く頭を下げて。
「ごちそうさまでした……───」
あとは残った余韻を、麦茶と共に流し込めば完了だ。
雨ノ宮燐世の朝食は、これにて終了。
彼はゆっくりと立ち上がれば、お会計を始める。
「お会計1250円です」
「現金でお願いします」
「はいよ、学生証ありますか?」
「はい。……あっ」
財布を漁り、ポケットをまさぐり、そして声を上げる。
(学生証、置いてきたな)
燐世はカード類を財布とは別の入れ物で持ち歩いている。今朝はあまりに朝食へ意識を注いでいたせいか、つい忘れてしまったらしい。
「どうかなさいましたか?」
「すいません、学生証忘れてきたみたいで……あの、お代わりと大盛の料金っていくらですか?」
「あらそう。ならいいですよ、その分は頂きません」
「えっ」
思わず目を見開いてしまった。
「いえ、そうはいきません。ちゃんと払いますよ」
そこは燐世にもプライドがある。権利は主張するが、一歩そこから外れたのなら、それは相応の対価を支払うのは当然だからだ。
しかし、女将さんは笑うばかりだった。
「貴方、一回来たことあるでしょう」
「え? ……いえ、ありませんけど」
「あらそう。じゃ、
燐世が何か言うよりも先に、女将さんはレジに1250円と入力してしまった。
その言い回し、そして申し訳なさを感じさせないやり方に、思わず顔を手で覆ってしまう。
(う、上手いなぁ……)
燐世は思わず笑ってしまった。
そして負けたと言わんばかりに丁度の料金を支払う。
「《《また》来ます》」
「はい、お待ちしております」
女将さんに見送られながら、燐世は大満足で『炭火焼き定食屋このうえ』を後にする。
───どうしてだろうか、あれだけ食べたというのに、既にまた来たくなってしまった。
「なんという恐るべきお店……そして女将さんだ」
賑わい始めた通りを歩きだし、燐世は定食屋を後にする。
その途中、ある店が開いていることに気づいた。
(お、このケーキ屋さん、不定期なのにやってるんだ)
いつも閉まっているケーキ屋が開いていて、また一つ良い事が起きた。
どうやら今日は運気が向いているらしい。
「今度は、
駅に向かう人々の群れに逆らいながら、独り言つ。
その表情は、自然と笑みを浮かべていた。
───雨ノ宮燐世の、グルメを楽しむ人生は、まだまだ続く。