ー銀狼隊”戦闘部”入隊試験 二日前 昼過ぎー
「ふぅーー……よし!」
息を整え、真剣を鞘に収める。
私───餅月ここあは、翌日の入隊試験本番に備えた最後の鍛錬を終えた。
調子は上々。体調管理もばっちりだし、体の痛みも全くない。万全の状態で翌日を迎えられそうだ。
学園の訓練場は多くの人数が収容できる広々とした体育館のような場所と、申請することで貸し切れる個室で分かれている。私は汗を拭きながら、個室を後にした。
様々な人が行きかう施設の廊下を歩く。この中の何人かも戦闘部志望者なのだと思うと、身が引き締まる気分だ。
ふと、人のいない訓練場の中心に佇む人影を見つけた。
私は思わずそちらに視線を向ける。
「あれ、雨ノ宮……?」
そこにいたのは、友人の雨ノ宮燐世だった。
小さく声を出すが、気づいていない。それもそのはずで、彼は異能の行使に集中していた。
その証拠が───彼の周囲に広がる、鮮血で編まれた像たちだ。訓練場を埋めるようにして展開されるそれらは、人を模した物、野生動物を模した物など、まるで博物館に飾られる銅像のようだった。
彼は手足から垂れ続ける血液で、全ての造形を保っていた。
「……見事な物ね」
「ん、やぁ、餅月さん」
私の声に気づいた雨ノ宮が指先を動かすと、垂れる血液と像の繋がりが解除された。濡れた表面が急速に乾き、像が照りを失う。どうやら造形を保ち続けるのではなく、孤立する形態に切り替えたらしい。
軽く触れようとしてみたら汚れるからと止められた。
「普段から訓練に誘っても来ないと思ってたら、こんなところでやってるとはね。水臭いじゃない」
「あまり努力は人に見せない主義なんだ。誘うならフェアがいるだろう?」
「あー、アルテンブルクなら返事がないの」
私は切っていたスマホの電源を付けると、メッセージアプリを確認する。朝送ったメッセージは訓練への誘いだが、昼を過ぎた今でも返事はなかった。
「注意しといてちょうだい。スマホぐらい見なさいって」
「そうか、前日だからか……アイツ、意外に緊張する質だから、こういう前日とかは精神統一してるんだよね。許してやってよ餅月さん」
「そういう事ならまぁ……気持ちはわかるわね」
私も部屋に戻った後は気持ちを整理しようと思っていたぐらいだ。どうも何かがある前は気持ちが昂りすぎてしまう。
「……不安だね」
「不安? 試験がかしら」
雨ノ宮は、微妙に首を傾けつつ笑う。
「いいや、『銀狼隊』としての活動さ」
その言葉に私は首を傾げる。
合格宣言だろうか? 自分が心配すべきは試験ではないという? いや、そんな風には聞こえなかった。
「もちろん試験も緊張してるけどね。でもさ。多分、考えるべきってその先だと思うんだ」
雨ノ宮は血液で作った椅子に腰を下ろしながら、空を見上げる。
「『銀狼隊』の活動は多岐に渡る。犯罪者との殺し合いも、救済も、最悪も全部経験する」
「でも、それは堪えるしかないわよ。例え何が起きても、必死に足掻くの」
「
「───」
雨ノ宮の表情は、酷く澄んだ水面みたいだった。
落ち込んでいるようにも、達観しているようにも見えて。少なくとも、今までの関係性で見えた事のない顔だ。
「僕たちはきっとこれから、異能を構成する心が崩れたり、あるいは変わってしまったりする、数多くの───
私は返事さえしなかったけれど、その言葉の重みを理解していた。
思い出すのは先日の『三合会』事件。二階堂先輩が来てくれなければ、私たちは殺されていた。
けれどあれは、まだ序の口だ。
生死だけで決着のつかない戦いがあるだろう。
個人で左右出来ない戦いがあるだろう。
足掻いても、届かない戦いがあるだろう。
「フェアの言葉を借りる訳じゃないけど、『覚悟』がなければ到底やっていけない事だ。僕はそれが、不安で仕方ない」
彼は仰いでいた視線を、ゆっくりと、私へ下ろした。
その瞳に、光はない。
反射的に理解した。
ここから先は、
「多分、君の抱えている秘密だっていつか暴かれるよ」
「───アンタッ……!」
雨ノ宮の声に、反射で右手が剣柄へと伸びる。
刹那、抜き放たれる寸前、左手を動かし手首を掴んだ。
刀身が微かに姿を現すが、左手の制止によって戻っていく。
「はぁ……っ、はぁ……!!」
全身の血が沸騰し、本能が火花のように弾ける直前だった。
理性が微かに勝ったけれど、それが間に合わなければ、私は刃を雨ノ宮へ向けていただろう。
彼の今の言葉には、それだけの力があった。
「……どういう、つもりよ。何を知っているというの?」
「おいおい、勘弁してくれ。冗談だよ」
片目を閉じて笑みが漂うばかりだけれど、その額には汗が流れていた。
「鎌をかけたんだけど、当たっていたかな。ま、みんな秘密の一つや二つは抱えているものだからね。餅月さんは
「……はぁ」
ゆっくりと刃を引っ込める。
(……むかつく。これじゃあ、自分で隙を晒したような物じゃない)
どうやら試験前日で気が
「……って事は、アンタも秘密があるの? 隠し事みたいな」
「あるよ。誰にも言えない……それこそ、フェアにさえ言えない事がね」
その笑みは、乾いていた。
「個人的に、餅月さんには親近感を抱いているんだ。この学園の人たちはみんな綺麗な人たちばかりだから、僕と同じようにどうしようもない奴がいるって思うと、酷く安心する」
「凄い物言いね。引っぱたかれたいのかしら」
「でも、否定しないんでしょ?」
私は雨ノ宮にデコピンした。
「いでっ!?」
「ムカつくわね! ……意外だわ。アンタがそんな事を言うなんて」
「いてて……いやいや、君だからこそさ」
彼はおでこに手を当てながら、地面を見て、ぽつりと呟く。
「───鈴代さんも、フェアも、いい人だからなぁ……」
「……」
「あはは。僕とした事が、緊張のあまり似合わない話しちゃったかな?」
その笑みには、身に余るほどの自虐が含まれていた。
確かに、雨ノ宮には合わない話だ。彼はもっと明るくて、キザなイケメンであるべきだろうから。
(こんな時、獅乃なら『いい人になろうよ』なんて言うのかしら。あるいは、『雨ノ宮くんはいい人だよ』って)
あの子は真っすぐだから、多分否定しない。例え本人がマイナスを抱いていても、それを肯定してあげられる子だ。
(でも、
この空気の違う会話は、気の迷いのようなもの。私もちょっと、さらけ出し過ぎた。
けれど含まれている内容は確かな事実で、感情は生傷みたいに敏感だ。
(私たちは、正しく在りたいだなんて、思ってない)
今はその共通項が理解できていれば、それでいい。
それでいいのだ。
「……合格するわよ、私たち」
「うん」
雨ノ宮は、唇を嚙みしめた。
「餅月さん」
「何よ」
「
「いいのよ」
私は、ようやく収まった尻尾を開放しながら、力強く笑った。
「友達でしょ、私たち」
例え互いが汚れていたとしても。
その間に存在する友情だけは、本物なのだ。