───毛並みを整える。
まずは耳だ。ぴんと張った柔らかい耳に、優しく専用のブラシを通す。ここを怠ると穴に毛が入ったりして後々に響いてしまう。
念入りに毛づくろいを終えると、今度は尻尾だ。
尻尾の調子が一日を大きく左右する。時々埃や異物が入り込んだ日は違和感が物凄くて敵わない。純血の人間にも伝わる様に言うのなら、奥歯に何かが挟まった状態。アレに似てる。
明確に体調が悪くなるとかではないけれど、あまりにも不快で全てが立ち行かなくなる感じ。
「よし」
剣を背負い、最後に鏡の前で前髪を整えれば、準備は完了。
私は息を浅く吐いて、寮の部屋を出た。
───今日は、銀狼隊の入隊試験日だ。
どうやら隊員は用事があるらしく、獅乃は私よりも早く出て行った。
『
その言葉は、あの子が出る前に残した言葉だ。
私は今日、それに報いなければならない。
寮から試験会場である銀狼隊基地本部へ向かう。
今日は日曜日で、休日ではあるがかなりの人数が歩いていた。だがその足取りは私とは微かに違う。基地と学園は、別の方向にあるためだ。
しかし、基地へ進むにつれて徐々に生徒の雰囲気が変わってくる。
笑顔を浮かべながら向かう人たちではなく、武器を持っていたりとどこか剣呑な人たちへと。
(確か、他の部の試験は時間が遅いはず)
戦闘部の試験は、銀狼隊入隊試験の中で最初に行われる。となれば、いま基地へ向かっている生徒は全員、隊員か志望者だろう。
(周りにいる人たちは、全員ライバル。……少し緊張してきたわね)
見たところ、明らかに上級生と思わしき人たちもいる。銀狼隊の入隊試験に学年の制限はない。中には、二年生で本格的に目指す人だっているだろう。
(でも、負けてられないわ)
そう思いつつ進む私の目の前に、巨大な建物が近づいてくる。
山には似合わぬ高層ビルの外見をした、超近代的な建物───『銀狼隊本部』だ。
「ここが、本部……」
「どけ」
「ああ、ごめんなさ───」
咄嗟に謝ろうとして、振り返り、私は目を見開いた。
無意識に剣へ手が伸びる。
「アンタ……!」
「アァ? ……テメェは」
現れたのは、三人組の男たちだった。
内の一人、残り二人を従えて歩く男に、私は見覚えがある。
「入学式の日、八千代に酷い事を言っていた上級生じゃない!」
「ハッ!! 被害者ぶんのはやめろよなァ。あれは事実を言ったまでだろ」
男は、白い翼を広げた。
それは異種族の証。『天使』と呼ばれる、希少種族の翼だ。
後ろの二人も同じ翼を持っている。どうやら、天使の三人組らしい。
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【天使】[異種族]
〇性質───飛行能力・強化身体・光操作能力
〇詳細───翼を持つ人型種族、通称『翼人』の一種。中でも数が少ない希少種族であり、絶滅危惧指定。性質から神の使いである『天使』と名称されているが、実際に『神』との関連性はそれぞれに拠る。『天使』の中にも『力天使』、『座天使』と独自の階級がある事が特徴。
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「俺たちは選ばれし神の使い、『天使』の末裔だ。白は高貴の証。他の翼を持つ種族……ましてや汚ねえ黒い翼を持つ奴なんか認められる訳ねえだろ!」
「|戯演(ぎえん)様の言うとおりです。『座天使』である戯演様の言葉は全て正しい」
「貴方、無礼ですよ。鴉人など捨ておきなさい」
「アンタら……ッ!!」
全身の毛が逆立つ。
背中へ伸びた手に力が籠った。
「それが『銀狼隊』に入ろうとするやつの発言!? ここはどんな異種族であろうと受け入れる学園でしょうがッ!! 差別を受けるいわれはないわ!」
「
戯演、そう呼ばれた男は嘲笑った。
顔を近づけ、吐き棄てる。
「人間の心は規則じゃ制限できない。『黒い翼』を不吉だと嫌うやつは間違いなくいるし、それは別の要素に置き換えても変わらねえ。差別される種族同士はそいつらで仲良くするし、人間は人間同士で仲良くする。お前の世界は随分と優しいみたいだが、そんなのは少数派だ」
「少数派だとしても、正しいのはこっちよ!」
「そうだなぁ! その方がいいかもなぁ!! でも───差別は、
「ッ……!!」
どこまでも神経を逆撫でする発言と言い方だ。差別を振りかざしていることは事実なのに、言葉を飾り付けて逃げようとしている。
友達をコケにされて黙っていられる私ではない。そうして刃を抜き去ろうとした時、ふと私たちの間に影が躍った。
「そこまでにしとけ、餅月」
フェアナンド・アルテンブルク。
私の友人である彼は、剣に伸ばした私の手を抑えた。
ぐるりと視線を回し、戯演を視界に収める。
「事情は知らねえが、やり合うんなら試験中にしろよ。噂じゃあ志願者同士での直接対決もあるって話だ」
「テメェ、突然入り込んできて何様のつもりだぁ? 正義の味方のつもりかよ。あんまふざけた事してっと───」
「それとも、なんだ」
アルテンブルクの髪が伸びる。
纏う雰囲気が一瞬、どこか中性的なそれになり、微かに風が吹いた。
「今ここで問題を起こして、挙句の果てにオレに潰されて失格になるか? あ”ぁ?」
「ッ……!?」
彼の覇気に押されたのか、飛び出しそうになった言葉を飲み込んで、戯演は一歩引いた。
「チッ……わぁったよ。決着は試験で付けてやる。お前たち行くぞ!」
「「はッ!」」
「テメェら三人、絶対に叩き潰してやる……!」
捨て台詞を残し、三人は踵を返して去っていく。
私はその言葉に違和感を抱いた。
「……三人?」
「あはは、それは僕のことだろうね」
「あぁ、雨ノ宮」
後ろから雨ノ宮がやってきた。どうやら近くにいたようだが、アルテンブルクの動向を見守っていたらしい。ちゃんと仲間だと認識されて目の敵になってしまったようだ。
「……はぁっ」
浅く息を吐いて、気持ちを落ち着ける。
危ないところだった。あのままじゃ、ここで乱闘を開始しして試験に影響を及ぼすところだっただろう。
周囲からも少し注目を集めてしまった。
それに対しては、雨ノ宮が手で追い払う事で対処してくれる。
「アルテンブルク、さっきは───!?」
私の顔に飛んできたのは、拳だった。
咄嗟に右手を突き出し、手首を弾いて軌道を逸らす。
「ッ、どういうつもりよ!」
「目ェ覚めたか? ……しっかりしろよ。お前はこんなところで躓くタマじゃねえだろうが」
「……それは、そうだけれど」
「因縁があるのかい?」
雨ノ宮の言葉に、私は無言で頷く。
大体事情を察したのか、二人が苦笑いでそれを受け入れた。
「いつもの正義感かよ……気持ちは分からなくもねェが、一度冷静になれ」
アルテンブルクが投げ渡してきたのは、冷えた水のペットボトルだった。
「ここで失格になっちゃ鈴代になんて言い訳すんだ。馬鹿な事してんじゃねェぞおい……やるなら試験でだ」
「……」
私は一口水を飲んだ。
「アンタ、いい奴ねぇ……」
「本当に大丈夫かお前」
心底意味が分からず気持ちが悪い、という風にアルテンブルクが引く。
真剣に心配されるのはこれが初めてかもしれない。
私はもう一杯水を飲むと、頬を叩いて気持ちを入れなおす。
「そうね、アンタの言うとおりだわ。───私の言い分は間違ってない。だから、正々堂々とぶつける事にする」
「おう」
「持ち直したかい? じゃあ、行こうか」
少し時間を消費してしまった。
ちらりと腕時計を確認すれば、時間は『9:42』と表示されている。
ビルの前には既に人だかりができていて、どうやら既に中へ入れるらしい。
入り口横には今日の予定表が貼ってあって、一番上にはこう書かれている。
『銀狼隊”戦闘部”入隊試験 10:00~』
時間はまだ余裕がある。
いつの間にか緊張はほぐれていた。
「よし───行くわよ!」
「おう」「うん」
二人と一緒に歩き出す。
私たちは、巨大な扉をくぐり、銀狼隊本部へと足を踏み入れた。