誇れる物など、何一つなかった。
勉強も運動も上手くいかず、友人付き合いすらまともに出来ない。人前に出る事など恥ずかしく、励まず親に何も言えない毎日。
──始まりは、電子音だった。
学校にも行けなくなり、自分の愚かさを幼くも呪った何百回目の夜。
妙に寝付けなくて、リビングから漏れる音に導かれた。
寝落ちした父親がつけていたテレビの光。荒い画質の世界。上手くは思い出せないけど、多分音楽番組かなにか。
そこに映っていたのは、確かグループだったと思う。
笑顔で歌い、見事な踊りで魅了して、みんなを幸せな気持ちにする女の子。
ぶわりと鳥肌が立って、思わず涙を流していた。
目が離せなかった。
今にして思えば、それはアングラ系だったのだろうけれど、初めて出会ったあまりにも繊細な存在に、私は心を奪われた。
私の人生は一変した。
一歩踏み出せば、それが大きな前進を生み出す。
私は幸せ者だ。
こんなにも熱中できる事が出来た。
だから、今度は私の番。
少しだけ明るくて、でもまだまだ暗い世界を、なんとか照らそう。
私に光を灯したあの女の子たちのように、私も音を奏でてみよう。
例えいつの日か枯れ果てるとしても、己の全盛期を削ってステージの上で歌い踊り、尊い光を放つ。流れ星のように、誰もがその軌跡を追いたいと思ってしまう。
───そんな
■
*LuSsiqの翼は、その精神性の顕れだ。
七の色彩は彼女の瞳に映る世界の色であり、空を駆けるその形は世界を巡るための手段である。
その翼が大きく躍動する瞬間。
それは、彼女の力の解放を意味した。
「っ、退かないというのなら、押し通るッ!! はあぁッ!!」
同時に、携えられた矢が放たれた。
火炎を纏ったその先端は大気を焦がしながら、*LuSsiqへ迫る。
「───奇跡ならもう目の前にある~♪」
旋律が響く。
マイクを握った、他の誰よりも純粋に『音』を『楽』しむ少女の声が。
七色の光が包み込んで、火炎を食い止めた。
(そうだ、私は助けたいんだ。他の誰にも出来ない、この
少女は歌い、踊る。
彼女は振り返れない。異能を止めれば、すぐにやられてしまうから。だから後は見えないけれど、それでも歌う。
(生きることは劇的で、毎日は楽しくて。でもそこには抱えきれないほどの困難が降り注ぐ。だからこそ、思わず笑ってしまうほどの何かが必要なんだ)
たとえ苦しくても、笑えるように。
たとえ悲しくても、前を向けるように。
(現実と向き合うのは、結局はその人次第。──なら私は、そのきっかけを作りたい。私が歌うのは、明日もきっと良い事があると思えるような歌!)
それが出来るのなら、きっと、それは──
■
「……なんだ、これ……涙、急に……!」
旋律が、染み込んでいく。
虹色に導かれるようにして浮かんできたのは、かつての記憶だった。
けれどそれは、自分の愚かさに絶望した日々ではなく、ましてや脳裏から離れない叫びの声でもない。
───虐げられていた子供たちとも、楽しい思い出だ。
(……そっか。遊んだ事あった……まだ院長がマシだった頃に家を遊んだんだ)
染み込んだミルクの匂いがする孤児院だった。床にばら撒かれた積み木は種類もバラバラで、屋根が妙に小さかったり一部の色が違ったりしたけど、一緒に何時間もかけて家を作った。
(なんでだよ。どうしてだよ……っ、過去を思い出すのなら、俺が浮かべるべきはあん時の悲劇だろうが……ッ!!)
あの時子供たちを見捨てた神威に、そんな思い出は相応しくない。
だからどうか、苦しませてくれ。痛みを与えてくれ。
(俺に、幸せなんて駄目だろうが!!)
そこまで思って、ハッとした。
(なんで、こんな言葉。……そうか)
一度認識すれば、事実があまりに簡単に入ってくる。
どうしようもない人間から脱却したいとか、人を救える自分になりたいとか、そういう事を思える次元にいなかった。
そう。
彼は、最初から。
(──俺は、自分を救いたいだなんて思ってなかったんだ)
ヘッドフォンで耳を塞いだのは、他者と向き合う現実を拒絶するため。
過去を悔み続けたのは、過去にしがみつけば楽だったから。苦しみ続ければ、今と対峙せずにいられたから。
(……クズが)
腐った根っこは変わらない。でも、少しだけその構成要素が変わった気がする。
じゃあ。
自衛と保身は、本音でなかったとして。
それでも神威が銀狼隊を志したのはなぜだ。今まで散々行動してこなかったのに、今になって動き出した理由はなんだ。
自分を変えるため? ───違う。
分水嶺にちょうどよかったから? ───違う。
最後のあがき? ───違う。
『■■■■』
(っ───!)
再び、いつものノイズが響き始めた。
ずっと誰かが泣いている。子供のような、泣き声。
神威はそれを、ずっと自分だと思っていた。過去の自分が、今の自分に泣きついているのだと。けれど違う。
ノイズと記憶が重なっていく。神威はこんな風に泣かない。こんな声ではなかった。
孤児院の子供だ。
『■■け■』
(そうか。……そうか、そうか!)
『た■け■』
自覚する。
(異能は精神を映す鏡だって愛染先生は言ってた。つまり俺の精神も異能もずっと未完成……きっと、
意識が、芽生える。
(俺が本当にしたい事は……! あの時、するべきだったのは!! 立ち向かう事でもなく、耳を塞ぐ事でもなくッ!!)
『たすけて』
(───あの子に、ヘッドフォンを差し出す事だったッ!)
七色が、散った。
「……ぁっ!?」
脳裏の光景と、現実の音が重なる。
自分が幻を見ていたと気づいて、神威は前を見た。
それは一つの決着だ。
翼を破られた*LuSsiqが地に沈み、火炎が波状してくる。力勝負に負けたのだろう。流石の*LuSsiqといえど、かの朱雀には敵わなかった。
「───」
体が鉛のように重い。何年も動かしていなかった腕を動かすような気分だ。
ぼんやりと、揺らいだ*LuSsiqが神威を見た。今にも閉じてしまいそうな瞳。揺れて、唇が微かに震える。
なんとなく、何を言われるか分かっていた。
だから神威は、軋む体を無視して立ち上がって。
「たすけて──」
「───任せろ」
彼女を、抱き留めて。
神威の全身が、銀色に光り出した。