「いてて……くそっ。墓石ってあんな重いのかよ」
結局、その後小傘が蹴倒した墓石を全部俺が元通りに立て直す羽目になり、軽い筋肉痛に喘いでいた。
倒した下手人はと言うと、蹴倒した音を聞き付けてやってきた命蓮寺の者に見つかり、そのまま聖に担ぎ上げられてドナドナされていった。
人って笑顔に恐怖を覚えることが出来るんだな……まさか聖の優しい笑顔をあんなに恐ろしく感じるとは。
恐らく今ごろは南無三されているのだろう。くわばらくわばら……。
それはそうとしてもう夕暮れ時だ。
命蓮寺は基本的に一日二食。朝食と昼食のみで夜はナシだ。
いやきつ過ぎませんかね……? 俺まだ18よ?
中退したけど普通ならまだ高校行ってる年齢だからね。
そんな食べ盛りの人間が、肉魚卵全部駄目の粗食な上に、一日二食とか耐えられそうもない。
しかも今日肉体労働だったし……今晩腹減って眠れないんじゃないかな?
俺がそう絶望的な気分になっていた、その時――
コンコン、と襖を叩く音とともに、向こうから声が聞こえる。
『霧夜さん、入っても良いですか?』
おや? 村紗船長の声だ。
「はい、どうぞ」
俺がそう答えると、すっ、と襖が開いて、奥から船長と――そして仏頂面の一輪が現れる。
なんだなんだと身構えていると、船長の手には、お盆に乗った大量の握り飯と、お茶が置かれていた。
「聖からの心遣いです。霧夜さんはまだお若いので、ニ食では足りないでしょう。なので薬石を持って行ってあげなさい、と」
「おおおお、ありがとうございます!! って、薬石?」
俺は聞き慣れない単語にそう聞き返す。
「古来より僧侶は一日ニ食、午後の鐘が鳴ったあとは何も口にしないことを旨としていましたが、それでは身体が保ちません。なので、夕暮れ後にこっそり食べるご飯のことを、身体を養う薬として、薬石と呼ぶようになったのですよ」
「なるほど! 般若湯みたいなもんなんですね」
俺がそう答えると、一輪がピクリと片眉を上げる。
そのまま何か妙に緊張した空気が流れたあと、村紗がため息混じりに言った。
「一輪、考えすぎですよ。霧夜さんに他意はありません」
「えっ? な、なんかあったんですか?」
何かやたらと警戒している様子に、俺は若干不安になりながら尋ねる。
「なんでもありませんよ。こちらの話です。……とりあえず、そういう事なので、ついでに私たちもここでご相伴に預かって構いませんか? これは聖も了承していることですので」
「あ、そうなんですか? もちろんいいですよ。俺一人じゃこんなに食べ切れませんし」
そう言って、俺は村紗が持ってきたおにぎりと漬物に目をやる。
う〜ん、如何にもザ・夜食って感じがして美味そうだ。
ひとまず「いただきます」とあいさつを済ませてから、一つ頬張る。
塩をまぶしたおむすびの中に梅干し一つ、このシンプルさが空きっ腹に染み渡る。
「美味い……。ちなみにこれ、誰が握ったんですか?」
「雲山よ」
俺の若干の期待がこもった問いを、一輪が一言でバッサリ切り落とす。
「私たちは手が小さいので、あまり上手に握れないんですよね。その点雲山は自由に身体の大きさを変えられるので便利なんです。……あれ? もしかして私たちのどちらかじゃなくて残念だったりします?」
「い、いえ、そんなことは! いやぁ、雲山さんの握ったおにぎりは美味しいなぁ!」
そう言って俺はまた一つおにぎりを頬張る。
くそっ、小悪魔系め! 分かっててニヤニヤ嬉しそうに聞いてきやがって……。
分からせてやりたいが俺じゃあ溺死体が一つ増えるだけだ。だがこうして一緒に飯が食えるだけご褒美ということで我慢しよう、って……。
「えっ!? 何飲んでんすか、それ!?」
俺は、一輪が一升瓶から湯呑みにトクトク注いでるものを見て、思わず声を上げる。
「しー、声がでかいのよ! 姐さんに聴こえたらどうするの!」
「いや、どうするのって……」
「まあまあ、ひとまず落ち着いて乾杯といきましょう。霧夜さんにも分けてあげますから」
こいつら……人の部屋で酒盛りおっ始めやがった!
ここってお酒大丈夫なの? いや、そんな訳ないよね!?
公式資料でも命蓮寺は酒飲めないって書いてたもん!
この場合、バレたら俺も一緒に南無三されるパターンじゃないのか!?
「いや、俺はいいです! 酒飲めないんで!」
「酒が飲めないぃ? あんた、そんなんじゃ幻想郷でやってけないわよ! ここじゃ上から下までみーんな酒の付き合いが基本なんだから! 人里じゃ十歳の子供だって酒盛りに参加してるのに、あんたみたいな若い男が飲めないんじゃ笑い者になるだけよ!」
「うぐっ!」
一輪のアルハラ発言に、俺は地味にダメージを受ける。
確かに、言ってることはめちゃくちゃだが、幻想郷がアルコール社会なのは見たらなんとなく想像がつく。
何せ原作者の神主からして酒豪だし、霊夢や魔理沙も明らかに未成年なのにガンガン酒飲んでる描写がある。こっちでは年齢制限とか無いんだろう。
だからと言ってこの状況で呑むのはヤバい気しかしない……!
「まあまあ一輪、強制するのもなんですから私たちで楽しみましょう? その分霧夜さんには私たちに酒の肴を提供して頂くということで……」
「酒の肴って……」
「ナズーリンとの話ですよ。昨日どこに行って、どういうやりとりをしたとか……それで、お互いどう思ってるかとか、そういう話を聞きに来たんです」
「その話まだ終わってなかったんですか!?」
俺は思わず声を荒げる。
だからそんなんじゃねえってマジで! こっちはともかく向こうは俺なんか相手にしてないでしょ!
「当たり前でしょう? 昼間は他の目があったから深く追及するのはやめといたけど、こんな面白そうな話をそのままにしとく訳ないじゃない!」
「まさかあのネズ公が色気付くなんてねえ……。まあ、酒のお供にはいい話だわ。私も是非聞かせてもらいたいわね」
「ぐっ! こんなことして……聖にバレても知りませんよ」
俺はせめてもの抵抗として言った。
「ふふふ、心配ご無用です。この部屋はあなたが入る以前から、私たちが隠れてちょくちょく酒盛りしてたのよ。聖の寝室からはほどよく離れてるし、声も届かないわ。それに聖は日没と同時に床に入っちゃうから、今頃もうぐっすり眠ってる頃でしょうね」
そうしたり顔で村紗が言う。
聖寝るの早っ! お婆ちゃんかよ!
と言うことはこれ詰んでるんじゃないのか!?
ナズーリンさんの名誉のために余計なことを言いたくないが、この二人にしつこく尋問されて俺は口を滑らせない自信がない!
「ほらほら、諦めて吐いちゃいなさいな。なんであんたなんかがあの偏屈ネズミといい感じになれたのか、私たちお姉さんに話してみなさい」
「ふふふ、普段は色も素っ気もないお寺の生活だもの。こういう話は絶対に逃しませんよ。さあ、まだまだ夜は長いんです。じっくりと楽しみましょ――」
スパン!
そう全て言い終える前に、勢いよく襖が開かれ、そこにはニコニコ顔の聖が立っていた。
あっ……死んだわ。
途端、部屋の空気はピシリと凍り付き、背中にのしかかるような凄まじいプレッシャーが全身を襲う。
空間が歪むような威圧感を放ちながら、聖はいつも通りの涼やかな口調で言った。
「おや、水蜜は逃げましたか。相変わらず逃げ足の速い……。まああの子は後で良いでしょう――一輪?」
「あっ……かひゅ、ね、姐さん」
一輪は可哀想なほど動揺しており、顔中から冷や汗が吹き出して、恐怖のあまり呼吸すらままならない有様であった。
……っていうか、あれ、村紗は!?
あいつ、自分だけシンカーゴーストでどっかに逃げやがった!
「私は以前言いましたよね? 一度は見逃しますが、次また同じことがあれば、愛の鞭を受けて頂きますよ、と」
「は、はひ……」
笑顔で淡々と詰める聖に、一輪はオドオドと目を泳がせながら震え上がる。
そんなに怖いならこんなことやめときゃ良かったのに……。
「――一輪、痛みを受け入れなさい。これは罰ではありません。私からの愛です。痛みを受け入れ、そしてそれを乗り越えた時、あなたは更なる涅槃の境地に至ることが出来るでしょう」
「…………!」
一輪はそれを聞いた途端、立ち上がって脱兎のごとく逃げ出す。
しかし次の瞬間――
「……有情」
聖の姿が一瞬ブレたかと思うと、いつの間にか逃げ出した一輪の前に瞬間移動で回り込み、静かに背を向けていた。
そして聖がパン、と合掌した瞬間――一輪の全身のそこかしこが弾けたように跳ね回って、吐血しながら隣の部屋まで吹っ飛んでいく。
「がはぁっ……!!」
あっ……これあれだ。バトル漫画でよく見る、通り過ぎた後に遅れてダメージ入るやつだ。
俺はどこか冷静な頭でそう考える。
っていうか今ボソッと小さな声で有情……って言ったよね? なんなの、伝承者なの? ジョインジョインヒジリなの?
有情の割にはめちゃくちゃ痛そうなんだけどそれは大丈夫なんですかね……。
「残念ですよ、一輪。さあ、今から本堂で反省会をしましょうね。その前に――」
「…………!?」
再び聖の姿がブレたあと、今度は俺の目の前に瞬間移動で現れる。
「うわぁ!」
俺が思わず後ろに仰け反ると、聖は不思議そうな顔で首を傾げた。
「……あら? 霧夜さんからはお酒の匂いが一切しませんね。もしかしてご自身は飲んでらっしゃらないのかしら?」
「……!? は、はい! もちろんです! 酒は一滴たりとも口にしていません!」
誓って飲酒はやってません!
俺は必死に命乞いするようにそう訴えかけた。
いやだって、本当に飲んでないから!
むしろ部屋に押し掛けられて迷惑してた側なんだよこっちは!
「まあ、それは素晴らしいですわ! 甘い堕落に誘われてなお、己を見失わない克己心。霧夜さんは仏弟子ではありませんが、この命蓮寺にいる以上は戒律に従って頂きます。もし破ったら……と思っていたのですが、余計な心配だったようですね。この白蓮、頭が下がる思いです」
「は、はは……いえ、そんな大層なものでは……」
そう言って頭を下げる聖に、俺は引き攣った笑みでそう返す。
……危ねえええええっ!! さっきのアルハラに負けて一口でも飲んでたら、俺も一輪と同じ目に遭ってたのか!
なんという悪魔の罠!
「ふふふ、では私はこれで。霧夜さんはどうかそのままお休み下さい。お騒がせしました。ではまた明日――」
「はい、お休みなさい!」
俺がそう言って頭を下げると、聖は一輪と酒瓶を担いで手を振りながら部屋から出ていった。
危ねえ、本当に紙一重だったらしい。
とりあえず理不尽南無三は回避したが、今のでどっと疲れた……。
「もう寝るか……」
俺は残ったおにぎりを二、三個詰め込んで即席で腹を満たしたあと、そのまま日が落ちて間もない時間に床に着いた。