あれから約束の一週間が経過した。
今日は博麗神社で、改めて意思を確認する約束の日だ。
ここに残るのか、それとも外の世界に帰るのか。
それを霊夢に伝える為に、俺は朝から博麗神社に来ていた。
……しかも今日は何故かナズーリンだけではなく、聖以下命蓮寺勢まで伴って。
着いてきたのは聖、その護衛の一輪と村紗、ナズーリンだ。
最初に来た時よりメンバーが異常に豪華になっている。っていうか俺一人のためにこんな大勢出てくる必要があるのか……?
「あの……たかが俺程度のことに、わざわざ聖様まで出てくる必要はないのでは……?」
「あら、たかがではありませんよ? うちで面倒を見ている大事な弟子のことですから、私が付き添いに来るのは当然のことです」
「別にあなたが特別ということではありません。聖様は誰にでもお優しいのです。勘違いなさらぬように」
聖の言葉に、外行き用の一輪がそう補足する。
あれ、俺いつの間にか命蓮寺に弟子入りしてる!?
聖が誰にでも優しいのはそうだろうが、わざわざ日中のお勤めを休んでまですることか?
「ふう……私一人で十分だと言ったんだがね。まあ聖に言われてはどうしようもない」
「ふふふ、久々の皆での外出ですからね。留守番の星には悪いですが、付き添いにかこつけての息抜きのようなものですよ」
呆れたようなナズーリンと、純粋に外出を楽しんでる村紗がそう続く。
なんだか微妙に居心地の悪い思いをしながらも、俺は博麗神社に降り立つ。
今回は前回の反省を踏まえ、一輪の付き添いで来ていた雲山が俺を階段の上まで運んでくれた。
雲山とは話したことがないのだが、おにぎり食べさせてもらったり何気に結構世話になっている。
少し話してみたいのだが、雲山自体がかなり無口なのと、ほぼ一輪としか一緒にいないのでコミュニケーションを取る機会がまずない。
ともかく、あの心臓破りの階段を登らなくて済んだのはありがたい。
「……なんだか今日は随分と大勢でゾロゾロやって来たわね。白蓮、あんたまで出て来たの?」
神社の境内では、前回来たときと同じ、霊夢が箒を片手に掃き掃除をしながら出迎えた。
「久しぶりですね、霊夢。ええ、一応うちの者の大事な人生の分かれ道ですから。住職たる私が見届けるのは当然のことです」
「……外来人一人になんだか随分仰々しいことね。大勢で来てもお茶なんか出さないわよ」
「一応今回お世話になるので、幾ばくかの心付けも用意したのですが……」
「あうんちゃーん! お客様にお茶お出ししてあげてー! 人数分ね!」
霊夢は秒で掌を返して、神社の建物に向かって声を上げる。
そしてそのまま、ニコニコ顔で全員を本殿に誘った。
* * *
「――さて、それじゃあ改めて確認するけど、もう今日までに結論が出たってことでいいのよね?」
「はい」
俺は正面に座る霊夢に返事をしたあと、後ろに控える聖に目配せして、軽く頷き合う。
すぐ近くでは二体のあうんちゃんが、全員にお茶を配りながらせかせかと動き回っている。
それにちょっと感動しつつ、俺は霊夢に向かってはっきりこう宣言した。
「俺はここ、幻想郷の住人として生きていこうと思います」
その瞬間――俺の人生のレールがカチリと確かに切り替わったような感覚がした。
一瞬、それでいいのか? という疑問が頭を過ぎるが、しかしこれに関しては、昨日の夜から聖と相談して既に決めていたことだ。
最初は迷ったが、やはり命蓮寺の中で自分の居場所を感じられたのが決め手だったように思う。
向こうではネットの中に俺の居場所はあっても、現実世界にはなかった。
学校にも家にも将来にも何も見出だせなかったからだ。
今にして思えば親父も最低限の親としての勤めは果たしてくれてたし、感謝している部分もある。
親父が無関心な仕事人間だったこともあるが、俺自身がギターに逃げて親父にまともに向き合ってこなかったことが悔いと言えば悔いか。
一言別れを言いたい所だが、まあそれも未練というものだろう。
せめてこの遥か東方の地から親父の健康を祈ろう。
「…………そう、分かったわ。なら
「禊、ですか?」
俺はそのまま聞き返す。
「そう、外界との縁を切って、幻想郷の住人として生きていくための禊。これを済ませたら、もう完全にこちら側の住人になってしまうから、外に戻ろうとしても戻れなくなってしまうわ。少なくとも、ただの人間の力では無理ね」
「…………! お、お願いします」
俺は少し緊張しながらも、そう答える。
これを済ませたら、俺は完全にもう後戻り出来なくなる。
外界の文明、続きの読みたかった漫画、俺が育ててきたチャンネル、分かり合えなかった親父、色んなものや人がフラッシュバックしたが、俺はそれらよりやはり幻想郷を選んだ。
「準備するからちょっと待ってて頂戴」
霊夢はそう言って奥へと引っ込んでいく。
奥からドタドタと走り回る音と、「あうんちゃーん」という声も聞こえてくるが、俺は緊張したまま待ち続ける。
――しばらくすると、奥からいつものライトな巫女服ではない、リボンは付けたままに、少し本格的な巫女装束に身を包んだ霊夢が現れる。
うおおお!? 別衣装バージョンだ!
これはかなりレアかも知れない! 今のうちに目に焼き付けて置かなければ……!
そう興奮する俺を他所に、霊夢は俺の前に立ったあと言う。
「それじゃ、始めるわよ。ちょっとこれ持ってなさい」
「えっ?」
そう言って、霊夢は俺にコップ一杯分の水を手渡す。
「まだ飲んじゃダメよ。そうやって両手で大事に持ってて」
霊夢はそう言うと、シャン、と一度神楽鈴を鳴らしたあと、目を閉じたまま、まるで紅白の蝶のように長袖を振り回してゆらゆらと揺れ始める。
「――高天原に神留坐す、神魯岐、神魯美の命以て」
「…………!」
俺はその普段のやる気のない姿とは全然違う、厳かで静謐で、どこか侵しがたい神秘的な姿に言葉を失う。
本殿は霊夢の纏う神聖な気配が漂い、この世のものではないような幻想的な空気に包まれる。
「筑紫の日向の、橘の小戸の阿波岐原に――」
再びシャン、と鈴を鳴らしたあと、今度は霊夢は独特の歩法で、俺の周りをゆっくり回り始める。
その優雅さに見入るも、俺は儀式中によそ見しては行けないと思い、ぐっと前に集中する。
「――天之斑馬の耳振立て、聞食せと、恐み恐み白す」
やがて全ての祝詞を唱え終えたあと、霊夢はシャン、と一度鈴を鳴らした。
「はい、もう飲んでいいわよ」
「え、は、はい」
俺は霊夢に言われるがままに、コップの水を飲み干す。
コップの水は既に俺の体温でぬるくなっており、何か特殊な水なのかと思ったが、特になんてことなく普通の味しかしなかった。
「はー、久々に本気出して疲れたわ! ったくなんでこんな面倒な儀式しなければならないのかしら」
霊夢はその場にどかっと座り込んだあと、パタパタと手で首元を仰ぐ。
さっきまで清楚な巫女様の雰囲気だったのに一気に台無しだ。だが、これぞ霊夢という感じがする。
「ふふふ、お疲れ様でした。流石は博麗の巫女と言ったところですね。儀式の終盤はかなりの霊気の高まりを感じましたよ」
聖がそう手放しで褒める。
俺も霊気がどうとかは分からないが、何かゾクッとするような冷たい空気が流れているのは感じた。
もしかしたらあれが霊気なのかも知れない。
「ありがと。あんたみたいな奴にそう言われるとちょっとは自信になるわね」
「霊夢さん、お水持ってきました!」
「あうんちゃんもありがとね」
霊夢はあうんちゃんから水を受け取ったあと、ゴクリとそれを一気に飲み干す。
そして、改めて俺に向き合った。
「お疲れさま。これであんたは正式に幻想郷の住人よ。あとは今後の身の振り方だけど……そのまま白蓮のとこで世話になるか、私から里長に言って人里の空き家を割り振ってあげることも出来るけど、どうする?」
「…………!」
来た! と内心で思う。
俺にとっては重要な選択肢だ。
正直、このまま聖のとこで世話になると言っても何の問題もなく受け入れてくれる気がする。
というか、俺の自惚れじゃなければ、聖からは、もう既に俺がそちらを選ぶ前提で話が進んでいるように見える。
普通なら選択肢すら与えられずに、人里一択であることを考えると、俺はかなり恵まれてるんだろうなと思う。
だが俺は――
「ひ、人里の物件を紹介してください!」
「…………!」
――その瞬間、俺の背後ではっと息を呑む音が聞こえ、背中からの圧力が増大する。
全身が震え上がるほどの恐怖を覚えるが、それでも俺はこれを曲げる訳にはいかなかった。
「それは構わないけど……いいの? 何か後ろの奴からトンデモない圧を感じるんだけど……」
「…………」
霊夢の言葉を受けて、俺はすぐさま後ろに振り返って、聖に向かって土下座した。
「い、今まで本当にお世話になりました! 俺みたいななんの力も持たない外来人を暖かく迎え入れ、居心地よく過ごさせて下さった聖様と命蓮寺の皆様には感謝しかありません!」
俺はそう心から感謝を述べるも、向こうからは何も返ってこない。
それどころか、背中にチクチクと冷たい視線が刺さっている気さえする。
そのまましばらく無言の時間が続くと、聖がポツリとこう言った。
「命蓮寺の生活が嫌になったのですか?」
「……! そ、そんなことは決して! 最初はお勤めは大変でしたが、皆様や聖のご指導で多くを学び、俺も命蓮寺の生活にも楽しさと充実感を感じていました! 命蓮寺に保護して頂けたのは、俺にとって最大の幸運でした!」
「でしたら、何故――」
そう聖が言い終わる前に、俺は床に頭を叩き付けて言った。
「ですが俺、音楽を諦めきれません!! 命蓮寺は昼間は多くの信徒さんが集まられて経文を読んでますし、夜は皆さんお休みになられているので、楽器を練習する時間がありません! 俺にはそれが、何ものにも代えがたくキツイです! 未熟な俺では、まだそれを諦め切れるほど仏門の道を歩む覚悟が出来てません!」
「…………」
俺がそうまくし立てると、聖はじっと黙り込む。
顔を床に擦り付けているので聖の顔が伺い知れないが、一体今どんな顔をしているだろう?
怒っているだろうか、それとも失望しているだろうか?
どちらにせよ俺は、聖の優しさを蹴った裏切り者だ。どのように罵倒されても文句は言えない。
だがもし可能なら、俺は楽器も命蓮寺の皆との繋がりも失いたくない……!
「で、ですが……もし聖様にお許し頂けるなら、今後は在家の信徒として、通いでお勤めを果たさせて頂きたいです! ま、毎日は楽器の練習があるので無理ですが、週に何日かなら……!」
「…………!」
「何を言ってるの! そんな都合の良い話が許される訳ないでしょう!? 聖の善意を踏みにじっておいて今更何を虫のいいことを……!」
「一輪」
そう俺を罵倒する一輪を、聖が落ち着いた声で制止する。
場の空気が一層重くなったのを感じつつも、俺はなおも言葉を絞り出した。
「お、俺は命蓮寺も、皆さんのことも本当に大好きなんです! 一輪さんの言う通り、裏切っておいて今更と思うかもしれませんが……俺は楽器を極める夢も、皆さんと得た繋がりも、どちらも失いたくありません!」
「――分かりました」
俺の独白を、聖がぴしゃりとした声で差し止める。
それ以上は俺も何も言えずに、黙ったまま聖の裁定を待つ。
やがて無限とも言える時間が過ぎ去ると、聖が感情を見せぬ、淡々と落ち着いた声で言った。
「――では週三日、命蓮寺でお勤めを果たしなさい。その際は通いではなく泊まりがけで来るように。今充てがっている部屋はそのまま使って構いませんから」
「……ええっ!?」
「ひ、聖!?」
その裁定にびっくりしたのか、俺だけでなく一輪も声を上げる。
思わず顔を上げると、聖はいつも通りのニコニコと慈悲深い笑みを浮かべて言った。
「あなたは既に命蓮寺の内弟子のようなもの。未熟が故に俗世の未練を断ち切れないのは仕方ないことですが……寺のお勤めを通いなどという中途半端な形でやられては困ります。なので週に三日は必ず命蓮寺に
そうニッコリと笑う聖の笑顔には、言い知れぬ圧が込められているように感じられた。
まるで顔に、「逃がしませんよ?」と書かれているような……。
だがその申し出は俺にとって余りに都合が良すぎる。
もはや命蓮寺は俺にとっては第二の実家と言っていい場所になった。
身内も家族も誰もいないこの幻想郷で、帰ってこいと言われる場所があることの何と幸せなことか。
ギターも命蓮寺も両方失いたくないという俺のワガママな夢を聖が叶えてくれたのだ。
なら、俺の取るべき選択肢は一つ――
「ありがとうございます! これからもご指導のほど、よろしくお願いします!」
そう頭を下げる俺に、聖は笑顔のまま頷いた。