――俺には音楽しかなかった。
子供の頃、家の中で俺の居場所はなかった。
父親は仕事でほとんど家に帰って来ず、母親は俺が小学校の時に、男を作って家を出ていったきり音信不通。
そんな中で、俺はほとんど両親に放置されて育ってきた。
そんな環境で性格が暗くなってしまった故か、俺は学校でも友達を作ることができずに孤立していた。
底意地の悪い奴に目をつけられ、虐められてすらいた。
そんな生活の中で、唯一俺の心を癒してくれたのは、音楽だった。
"上海アリス幻樂団"――元々は動画投稿サイトでたまたま聴いたそのゲーム音楽に俺はいっぺんに心を奪われ、そしてそこからそのゲームそのものとストーリーやキャラクターにも興味を持ち出して、暗い日常を忘れて熱中した。
そして俺自身も、その偉大な原作者に憧れて、楽器を練習するようになっていた。
手に取ったのはギターだった。
原作者様のようにピアノやトランペットなども試してはみたが、一番しっくり来たのがエレキギターだったのだ。
まあ、誰かと上海アリス幻樂団のアレンジバンドをやりたいという願望もあった為、そう言った意味でギターが一番取っつき易かったのもある。
そんなこんなで俺はほとんど無人の家の中で、大半の時間をギターに触れて過ごした。
毎日5時間以上、上海アリス幻樂団の楽曲をギターアレンジしながら弾きまくった。
友達もおらず、親もほとんど家に帰ってこないため、青春の時間をほとんどそれに注ぎ込んだと言っていい。
親は金だけはまともに入れてくれたので、ギターとアンプはその小遣いから買ってボロボロになるまで使い込んだ。
やがて俺の中にむくむくと承認欲求が芽生え始め、動画投稿サイトに上海アリス幻樂団の楽曲アレンジしたものを投稿し始めた。
それが上手くハマって万バズ! とはいかないまでも平均的に一万再生は回るくらいのそこそこのチャンネルに成長した。
特にU.N.オーエンなどの超人気楽曲のいくつかは十万再生を超えて、コメントも百件以上来ていた。
やがてそれが大手の目に留まり、界隈で有名な同人サークルとコラボの話が舞い込んできた。
俺は得意の絶頂だった。
学校のくそなクラスメート共も空気な親もどうでもいい。
俺には音楽があり、そして人生を変えてくれた上海アリス幻樂団がある。
それに沿ってこれまで通り進んでいけばきっと大丈夫だと、未来に希望を持てた矢先のことであった――。
「はえ?」
見知らぬ天井だ、とベタなことを思いながら俺は目を覚ました。
天井は和のテイストの板張りで、うちの家の洋室とも似ても似つかない。
それどころか俺は、今日は大手同人サークル『境界サテライト』さんとのコラボ配信の当日だったはずだ。
なんで俺はこんな所で、よく分からない和室で寝コケているんだろう。
「やっっっべッ!!」
俺は激焦りで布団を蹴飛ばして起き上がったあと、大急ぎでポケットの中のスマホに電源を入れる。
約束の時間は一時からだったはず。そこで打ち合わせとか、軽く音合わせとかして、そして午後の七時から生配信の予定だった。
そのはずなのに、スマホの時計を見るとPM20:00過ぎ。しかも圏外で、連絡すら取れない有様。
「は? は? はぁぁぁぁぁぁ!? 嘘だろ! おい、勘弁してくれよッ!! こんなチャンスもう二度と無いかも知れねえんだぞ! この配信で万バズって、有名になれるはずだったのにッ!!」
思わずスマホをぶん投げて絶叫する。
終わった――心の底からそう思った。
これまでコツコツ積み重ねてようやく掴んだ万バズチャンス。だと言うのに棒に振った挙句、配信者としての信用も失墜。
コラボ先の有名サークル『境界サテライト』さんには土下座して謝るつもりだが、恐らくもう一度コラボやり直そうという話にはならないだろう。
しかも両側のチャンネルで俺がゲストとして出ることも告知してしまっている。
ドタキャンして向こう側のサークルさんの顔も潰してしまった形だ。知らない間に時間すっぽかしてました、ごめんちゃいで済む問題ではない。
「なんなんだよ俺の人生……俺が何したってんだ」
そう絶望感から呟く。もはやここがどこだとかも気にする余裕もなく、明日の謝罪の文面をどうしようという思考で頭がいっぱいになっていた。
もしかしたらXもチャンネルも炎上しているかも知れない、そんなマイナスな想像が脳裏を過ったその時、ふと襖の向こうから少女の声が響く。
『あ、目が覚めましたか? 少しお話をしたいのですが入っても構いませんか?』
「へ? え、ええと、はい」
俺は、突然かけられた少女の声に、相手が誰だろうと考える暇もなく返事をする。
すると、スッ、と襖が開き、奥から二人の少女が姿を現した。
片方の少女は、少し潰れた帽子に白い水兵の服と、穴の開いた柄杓を持っている。
まるで透き通るような白い肌が、どことなく生気を薄く感じさせた。
そしてもう一人の少女は、尼僧のような服装をしており、頭巾の隙間から淡い青色の髪を二重に垂れ下げていた。
二人ともアイドル顔負けの美貌であり、街を歩けばそこらの男子の視線を総ナメにすることは想像に難くなかった。
しかし俺は――それ以上にその二人の姿に見覚えがあった。
「無事に目が覚めたようで何よりです。あなたは無縁塚で倒れていたようなので、もしかしたらそのまま目が覚めないかと心配していましたが――」
「えっ、村紗と一輪?」
俺は、水兵服の少女(どう見ても村紗船長)が話している途中で思わずそう口にしてしまう。
そして次の瞬間――俺の頭にガツンと衝撃が走る。
「痛った!!」
「いきなり人を指差さして呼び捨てとは何事か! 親しき仲にも礼儀あり、ましてや私たちは知り合いですらないでしょうに」
「ちょっ、一輪! 相手は人間だって! 間違えて死んじゃったりしたらどうするの!」
「大丈夫よ、ちゃーんと手加減したんだから」
「ぐおおお……!」
ガンガンと響く頭を抑えながら、俺はようやく現実に理解が追いつく。
は? 目の前に一輪と村紗がいるんだけど。俺の憧れの東方キャラがいるんだけど、一体どういうこと?
すわコスプレか? とも思ったがコスプレにしては手が込みすぎている。というか、こんな綺麗なコスプレイヤーさんたちに囲まれるような覚えがまるでない。
しかしその時――俺はある一つの可能性に思い至る。
もしかしてこれ、生配信の為の衣装だったのか?
「あああ!? す、すいません! もしかして、『境界サテライト』のメンバーさんですかね!? 今日のことは本っ当に申し訳ありませんでした! す、すっぽかすつもりは全然なくて……生配信って、もう終わっちゃいましたかね……?」
「……これはまだ意識が朦朧としてるみたいね。聖に直接話して貰いましょうか」
「あれ? そんな強く殴った覚えはないんだけどなぁ」
俺の渾身のジャンピング土下座を前に、二人は微妙な顔をする。
その何とも言えない反応に俺自身も困惑しながら、とりあえず促されるまま寝床から起きて、村紗に案内されて奥の間へと通された。