さて、今日は命蓮寺に帰宅を果たす日だ。
……ヤバい、マジで緊張してきた。
今更どの面下げて帰ればいい?
俺自身は自分の決断を後悔してはいない。ギターの練習はめちゃくちゃ大事だし、人里で得られる経験値も多かったからだ。
あのままでは命蓮寺の一門徒で終わってしまうという焦りもあった。
……だが、それを聖になんの事前相談もなくあの場で切り出したのは完全にやらかしたと思っている。
皆俺が命蓮寺に残る前提で話を進めていたから、なんか言い出し辛かったのだ。
あれだけ聖に世話になっておきながら、不誠実な対応をした俺がどう思われてるか。
……やべ、考えたら吐きそうになってきた。ちょっと入る前に一回どこかで休憩したほうがいいな。
うん、そうしよう。
「こら! ここまで来といて一体君は何処へ行くつもりだ? まさか今更顔を合わせづらくて帰れない、なんて言うつもりじゃないだろうね?」
そう言って、命蓮寺の目の前でウロウロしていた俺に声を掛けたのは、俺の命の恩人であるナズーリンであった。
「ナズーリンさん!?」
「全く君は呆れたやつだな……。私たちの前であんな大胆なことをしたと思えば、今度は気まずさのあまり命蓮寺に入れず門の前で立ち往生とは……。そんなに帰りづらいなら私が手伝ってやる。ほら、早く進むんだ!」
「痛っ! 痛いっすナズーリンさん! 勘弁してください!」
そう言って、ゲシゲシ足を蹴ってくるナズーリンに追い立てられるように、俺は命蓮寺に足を踏み入れる。
いや、ホント痛い! 手加減してくれてるんだろうけど、怪我しないギリギリの力加減で蹴ってきてる!
あの……ナズーリンさんもしかして怒ってます?
などと聞けるはずもなく中に進むと、石畳では響子ちゃんがいつも通り掃き掃除をしていた。
そして俺の姿を見るや、ぱあっと顔を明るくする。
「わっ、霧夜さん、帰ってきたんですね!?」
「あっ、うん。痛っ! 今日からまたここでお世話になるよ。痛い! いやもう自分で歩けますからっ!」
会話の途中でも容赦なく蹴ってくるナズーリンさんから逃げながら、俺は命蓮寺の建物に入る。
流石に中にまで入ると蹴ったりはしないのか、ナズーリンは俺の先を歩いて言った。
「ほら、まず第一に本堂にいる聖に挨拶に行きたまえ。全く、君が出ていったあとの聖はどこか心ここに在らずだったからな。妖怪は些細なことでも精神的な動揺で調子を崩すことがある。さっさと顔見せて安心させてやれ」
「は、はい!」
俺はナズーリンに言われ、本堂に向かう。
ええ……? あの偉大な聖が、たかが俺が出てったくらいでそんなことになるか?
そうは思うが、何故か心臓がバクバクするのが止まらない。
もしかして、俺が聖を傷付けた……!?
勝手に出ていっておいて、もし俺のせいで聖が不調なんてことになったりしたら!?
そう考えると、俺は居ても立ってもいられず廊下を急ぐ。
本堂の方に向かうと、そこには――俺を待ち構えるように、一輪と村紗が壁に背を預けて立っていた。
一輪は俺の顔を見るや、ツカツカとこちらに歩み寄って胸元にビシッと指先を突き付けて言った。
「あんたねえ! 一体どの面下げてノコノコと……聖があんたのことどれだけ気にかけてたか分かってんの!?」
「うっ、それは……」
「まあまあ一輪、お説教も分かりますが今はひとまず通してあげましょう。聖がお待ちですから」
そう一輪から詰められそうになっていた所を、村紗が文字通り助け舟を出してくれた。
「すいません! 先行かせてもらいます!」
「あっ、コラ!」
「まあまあ」
俺は二人に頭を下げたあと、その隙間を縫って本堂に向かう。
本堂の入り口の襖を開けると、そこには――広間の中心でじっと目をつむり、瞑想している聖の姿があった。
俺は慌ててその正面に駆け寄ると土下座した。
「も、申し訳ありませんでした!! これまでさんざん聖のお世話になっておきながら、事前に相談もせずに寺を飛び出して……本当に、どのようにお詫びをしたら良いか……!」
「…………」
そう床に額を擦り付けて謝罪するも、聖はピクリとも姿勢を崩さず黙って瞑想を続けている。
俺は謝罪の意を示す為に勝手に頭を上げてはならぬと思い、十分でも一時間でも土下座し続ける覚悟で待ち続ける。
――しかしそれから一分も経たぬ内に、聖はポツリと言った。
「……霧夜さん」
「は、はい……!」
俺は慌てて顔を上げて、聖の顔を見る。
聖は、いつもと同じ鈴が鳴るような可憐な声で言った。
「言うべきことが違いますよ」
「は……?」
「命蓮寺の戒律その一、挨拶は心のオアシス。霧夜さんならどう言えばいいか分かりますね?」
「…………!」
俺はその言葉にハッとする。
確かに、初日に食堂に入った時にも同じことを言われた。
この場合にかける適切な言葉は……こんにちは? いや、違う! こんばんわでもない!
そう、今言うべきは――
「た、ただいま戻りました、聖」
「はい、おかえりなさい」
そう言って、聖はにっこりと微笑む。
どうやら正解だったらしい。
俺はホッとすると同時に、改めて聖に頭を下げる。
「今回は本当に申し訳ありませんでした。聖様や命蓮寺の皆さんにあれほど世話になっておきながら、なんの相談もなく自分で勝手に人里入りを決めて……」
「確かにあれには驚きました。……ですが、ちゃんと事前に霧夜さんに意思確認をしなかったこちらの落ち度でもあります。霧夜さんが謝ることではありませんよ」
「いえ、それでも皆さんの好意に甘えてはっきり言い出せなかった自分に落ち度があります! 聖様や皆さんに余計なご心労をおかけしたことを心からお詫び致します!」
そう言って頭を下げると、聖はふう、とため息をついて言った。
「もうやめにしませんか? お互い自分が悪かったと言い合うのもそれはそれで詮無きことです。その話題はひとまず棚上げにして……人里で得た色んな経験や出来事を教えて下さい。私たち命蓮寺は普段人里にはあまり寄り付かないようにしていますので、その中の出来事はとても興味深いですね」
「は、はい!」
俺は聖に言われて、この三日間博麗神社や人里で過ごしてあったことに付いて事細かに話す。
妖怪の賢者にあって、自分のギターの秘密について教えられたこと。
博麗神社の宴会で皆の前で曲を披露して、めちゃくちゃ緊張したこと。
慧音先生に助けられて随分良くしてもらったこと、里の農作業が存外に楽しくて良いものも見れたこと。
夜の飲み屋に入って、自分のギターを使って金を稼いだこと。
美味しい団子屋を見つけたり、貸本屋でとんでもないものを見つけたこと。
それらの出来事を事細かく報告する間、聖は穏やかな笑顔を崩さず黙って聞き入ってくれた。
「あっ、それでその、人里の長老さんが命蓮寺のご在家の信者さんみたいで、俺がここでお世話になっていることを知って凄く親身に面倒を見てくれましたよ」
「まあ、そうなんですか! それはきっと弥兵衛さんですね。私からもお礼を言っておきますね」
「ありがとうございます。きっと喜ばれると思います」
俺がそう言って一通りの報告を終えると、互いに沈黙の時間が訪れる。
そのまま相対して、しばらく気まずい時間を過ごしていると――突然、聖の方から口を開いた。
「霧夜さん」
「……!? はい!」
そう名前を呼ばれ、俺は背筋をピンと伸ばして応答する。
一体なんだろうと身構えていると、聖は真面目な声色で言った。
「この三日間……ずっと考えていました。霧夜さんにとって何が最善の道なのか……。あなたは人間で、この命蓮寺はどう足掻いても妖怪側の寺なのです。理念として人妖の平等を掲げていますが、主に行っているのは力のない妖怪たちの保護と立場の向上。そんな中で純粋な人間で、なおかつ外来人であるあなたをここに縛り付けるのは本当に正しいことなのか……」
「…………!」
俺は聖の言葉にはっと息を呑む。
確かに命蓮寺は、元々は人間に追い立てられた力なき妖怪を保護するための寺だ。
人妖平等なので、人間も妖怪も決して粗末な扱いを受けることはないが、妖怪に対して人間が圧倒的少数なのは間違いない。
というより、命蓮寺の中で暮らしている人間は俺一人だ。
そんな中で、満足して暮らしていけるのかと言うことを聖は心配しているのだろう。
「あの時はここに週に三日は滞在しなさいと言いましたが……人里でも上手くやって行けているようですし、霧夜さんのことを考えるなら、いっそ人里で――」
「聖様!」
俺は聖が全てを言い終える前に、声を上げて続きを遮った。
これ以上何も言わずに居ると、なし崩し的に俺の行く末が決まってしまいそうに感じたからだ。
「その前に……少しだけ俺の話を聞いてもらって良いですか?」
「霧夜さんの話、ですか?」
「はい。俺が外の世界で暮らしていた頃の話です……」
そう前置きすると、俺は聖に自分のこれまでの半生を振り返って言った。
「俺は、あんまり親に愛されてこなかった子供でした。幻想郷では両親がいないなんて子も珍しくはないかも知れませんが……俺の母親は、俺がまだ十歳の時に父親とは別の男を作って出ていきました。父親は父親で、そんな家庭に愛想を尽かしたのか、仕事でほとんど家に帰ってこなくなりました。兄弟もいなかった俺は、家でずっと一人ぼっちで過ごしてきました」
「…………」
その独白に、聖は目を瞑って聞き入る。
「学校……いや、ここでは寺子屋ですかね? そこでも上手く馴染めず、友達も作れなかった俺は、いつも一人で過ごしていました。――そんな時に救いになったのが、楽器だったんです」
「楽器、ですか?」
聖の言葉に俺は軽く頷いて、持ってきていたギターをケースから取り出す。
「俺はこの楽器……ギターを鳴らすことで孤独を紛らわせていました。周りに誰もいなかったので、静かな中に音が響く感じが良かったのかも知れません。ずっとやってる内にどんどん上達して、俺のギターが良いって言ってくれる人も徐々に増えていってたんです」
「…………」
俺の言葉を、聖は黙って耳を傾ける。
「そんな最中に俺はこっちの世界に、いつの間にかやってきていました。いきなり現れた怪しい外来人の俺を、命蓮寺の人たちは助けてくれて、あまつさえ暖かく受け入れて仲間として扱って下さいました」
そう言って、俺はギターの弦を二、三本鳴らす。
「家族とまともに会話すらしてこなかった俺には、家族というものがよく分かりませんでした。だけど、俺はここに来て、聖の大きな優しさと、命蓮寺の皆さんの暖かさに触れて、ああ、家族っていうのは、こういう感じなんだなってようやく理解することが出来たんです」
「それは……」
聖が驚いたように口を抑えるのを他所に、俺はギターを置いたあと、再び床に頭を擦り付けて言った。
「だからお願いします……! もしご迷惑でなければ、俺をここに置いて下さい! 俺は聖のことを母親のように、そしてこの命蓮寺を実家のように大切に思っています! もしお許し頂けるなら、俺もここの一員に加わりたいです!」
「…………」
俺のその精一杯の言葉を、聖は瞑目したまま黙って受け止める。
そのまましばらく沈黙が続いたあと、ポツリと聖がこう言った。
「……違いますよ」
「えっ?」
俺が何を言われたのか分からず顔を上げると、聖はこちらに近付いて俺の顔を真っ直ぐ見ながら言う。
「母、というのは違いますよ。私は子を成したことがありませんから。……姉ということでしたら、あなたのことを受け入れます」
「そ、それじゃあ……むぐっ!」
しかし次の瞬間――聖は俺の顔を抱きすくめ、胸の中に埋もれさせる。
「今までとても辛かったのですね……。大丈夫、私はここに居ますよ。この命蓮寺があなたの帰る場所です」
「…………」
俺は聖の胸の中で鼓動を聴きながら、落ち着いて目を閉じる。
聖の胸に顔を埋めるなんて、普段ならとんでもない役得だと喜んだだろう。
だけど不思議と今はそんな気分になれない。ただただ、聖の暖かさに安心して身を委ねることが出来ていた。
「心の澱を溶かしておしまいなさい。あなたはもう命蓮寺の家族の一員です。例えあなたが出ていきたいと言っても、もう離しませんからね?」
「うっ……」
その言葉に、俺は安心感とこれまでのことが蘇り、思わず泣いてしまった。
聖はそれに何も言わず、俺が泣き止むまでずっと抱きして頭を撫で続けてくれた。