「ひ、聖様、さすがにこれは恥ずかしいというか……」
「あら、何も恥ずかしがる事はありませんよ? それと、二人きりの時は姉さん、と呼んでくださいと言ったはずです」
今俺は、本堂で何故か聖に膝枕されていた。
三日間の人里での生活を終えて、命蓮寺に帰宅したある日のこと。
俺が聖に挨拶を済ませて自室に戻ろうとすると、突如として呼び止められた。
そしてそのまま、何故か本堂で膝枕をされる流れになってしまったのだ。
なんでこうなってしまったかって? 俺も分からん!
「まったく……霧夜はぬえや響子とはよく話してるみたいですけど、私には全然話しかけてきてくれませんよね? こうでもしないとゆっくりお話も出来ませんから、少し強引な手を使わせて頂きました」
「す、すいません、俺なんかが聖の、い、いや姉さんの邪魔をして良いのか迷ってしまって……。聖は俺にとって高嶺の花のような存在というか……」
「ふふふ、姉弟でそんな遠慮は無用ですよ? 仮にとは言え霧夜は私の弟なのですから、姉に甘えるのに距離を感じる必要はありません。いつでも私の部屋を訪ねてやって欲しいことを言えば良いのです」
聖はそう言って、俺の顔を覗き込みながら優しい声を響かせる。
俺の目の前には、二つの大きなお山とその間から覗く聖の顔。
髪から漂ってくるお香の匂いに混じって、ほんのり甘い香りが漂ってくるのがなんとも悩ましい。
なんだこのとてつもない幸せ空間は……!
帰還の報告で本堂で二人きりになった際に聖から、「そばにおいでなさい」と言われ近付くと、そのまま手を掴んで引っ張り込まれ、膝の上にすっぽり収納されてしまったのだ。
そのままなし崩し的に膝枕が始まって今に至る。
聖は俺に、自分の弟である命蓮さんにしてあげられなかったことをやりたいらしい。
代償行為というか、愛情を持て余しているのだろう。
なんで俺がその対象になったのかはよく分からないが……。少なくとも俺に出来ることは、精一杯聖に甘えて姉としての役割を果たさせてあげることだけだ!
これは決してスケベ心などではなく、純粋に聖に対する奉仕なのである。
「えっと、じゃあ……聖、じゃなくて姉さん、頭を撫でてくれると嬉しいかな〜なんて……」
「まあ! ふふふ、霧夜は甘えん坊さんですね。もちろん良いですよ」
そう言って、聖は俺の頭を撫で始める。
やべえ……自分で要求しといてなんだけど、なんか泣きそうになってきた。
俺は母親の顔なんかもうほとんど覚えてないが、小学校に上る前の頃から両親が喧嘩ばっかしていたのはよく覚えている。
そして母親は俺が小学校上がる頃に他所に男を作って出ていってしまった。
そんな家庭環境だったので、俺は母親に母親らしいことをしてもらった記憶もほとんどない。
だからというか、聖にこういう風に甘やかしてもらうと、なんかこうぐっときてしまう。
「ふふふ、このまま寝かせてあげたいのは山々なのですが、一応帰ってきた時は人里で起きたことを報告して下さいね? 門弟の生活ぶりを把握するのも住職として、そして姉としての務めでもありますので」
「あ、そ、そうですね、すいません」
俺はそう応えたあと、聖に人里でのことを報告する。
今週も今週で色々あったが、聖に特段相談するほどの大きな事は起きていない。
まあいつも通り騒がしい日常と言う奴だ。
あのドタバタの毎日を日常と感じられる辺り、俺もすっかり幻想郷に馴染んだということなのだろう。
「ふむ……しかしそのマミという女性、どことなく私の知る人物とよく似ているような気がしますね。まさかとは思いますが……」
聖は俺の頭を撫でながら、思案げにそう呟く。
まあそれはそうだろう。だってマミゾウは本来この命蓮寺に居候している身だしな。
子分を抱えて別の場所に拠点を構えたのか、最近はあまり顔を出していないようだが、元々ここに住んでいたのだから聖が知っているのも当然だ。
「ええと、まあその、はい。まさかと言いますか……あれは二ッ岩マミゾウさんですね。人間に化けて良く人里で呑み歩いているようです」
俺は端的にそう明かす。
基本的に俺は、幻想郷の住人に対してあまり自分がファンであったり、予備知識を持っていることを明かしたりはしない。
そんなことしても変に警戒されたり気味悪がられたりしそうだからだ。
だけど聖は初日に俺が幻想郷に妙に詳しいことを説明しているし、ファンであることも知られているので問題ない。
「まあ! やはりそうなんですか? まったく仕方ありませんね、あの人は……。ですが、マミゾウさんは命蓮寺の門弟ではありませんし、ぬえが連れてきたただの居候ですから私もあまり強くは言えません。それに、最近はあまりこちらに帰ってくることもなくなりましたし」
「マミゾウさんは何時ごろから命蓮寺に帰ってこなくなったんですか?」
「霧夜がこちらに入ってくる少し前ですね。毎晩お酒の匂いを漂わせながら帰ってくるので、他の者の手前さすがに少し控えるよう注意したら、それから帰ってこなくなってしまいました。一応部屋はそのままにしておいてあるのですが……」
聖はため息混じりに言う。
「はあ……よほどお酒が好きなんでしょうね。鯨呑亭……いや、人里の飲み屋でもほぼ毎日通う常連って自分で言ってましたし」
「仕方がありませんね。仏の道を望まぬ者に戒律を強制は出来ませんので。……ちなみに、霧夜は人里で呑み歩いたりしてませんよね? よく飲み屋を楽器片手に渡り歩いていると聞きましたが……」
そう言って、聖はぐぐぐ、と俺の肩を掴んで抑えつける。
「い、いやいやいや! 呑んでませんって! そりゃ、たまにお客さんから勧められることはありますけど、指先の感覚が鈍くなるので毎回断ってます! それに、俺自身酒を美味いと思ったことは一度もありませんし……」
俺は必死にそう弁解する。
ちなみに一滴も飲んでないのは本当だ。
ギター弾きとして指先のパフォーマンスが落ちることはできる限り避けたい。
往年のロックスターのように、ライブ中に酒飲んだりドラッグキメたりでハイになって演奏する人らもいるが、そういうのも大抵素面の時よりパフォーマンスが落ちている場合がほとんどだ。
少なくとも酒とドラッグでパーになって良い演奏をしているアーティストを一人も見たことがない。
あと中坊の一番荒れていた時期に、年齢確認がガバガバなコンビニで酒を買って飲んでみて、一口で吐き出したことも原因な気がする。
単純に酒は不味すぎる。わざわざ飲む気にならない。コーラで十分だ。
「ふふふ、冗談ですよ。霧夜はとてもいい子ですから。あなたに限っては滅多なことはしないと思っています」
「ははは……ありがとうございます」
聖はそう言うと、肩から手を離して再び頭を撫でるのを再開する。
どうやら南無三されるのは回避したらしい……。
俺自身、酒なんかより聖に褒められてナデナデされるほうがキマるので、多分これからも自らの意思で酒を飲むことはないだろう。
まあ、俺が飲みたくなくても無理やり飲まされる可能性はなくはないが……。
俺がそんなことを考えながら聖のナデナデを堪能していると――
『聖、今少しよろしいですか?』
突如として、トントン、と本堂の戸を叩く音とともにその向こうから声が聞こえてくる。
この声は……村紗船長か?
「水蜜ですか? 入って構いませんよ」
「えっ!?」
俺は聖が入室を許可したことに驚きながら飛び起きる。
いやいや! さすがに膝枕をされているところを聖以外には見られたくない!
俺にも一応メンツというか、男の子のプライドみたいなものがある。さすがにガッツリ甘えている姿を他の女性に見せたくはない。
まさか普通に聖が入室を許可するとは……。
「失礼します」
そこから間髪入れずに船長が入ってくる。
村紗は俺と聖の姿を交互に見て目をぱちくりさせたあと、何かを察したのかニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「ははあ、これはこれは……どうやらお楽しみのところをお邪魔してしまったようで」
「あらあら、ふふふ、そんな大層なことではありませんよ。少しお話をしていただけです。それで、何かあったのですか?」
居住まいを正す俺を他所に、聖はニコニコと柔和な顔で答える。
「はい、実は……先ほどあの狸の先触れが来まして、今日久しぶりに命蓮寺に帰るので、寝床を貸して欲しいとのことです。それと、少し聖と話がしたいので時間を取ってほしいと」
「あらあら……噂をすれば影ということですね。分かりました。では寝る前に少し時間を取ることにしましょう」
「それと、その際にはぜひ小僧……即ちそこの霧夜も同席させて欲しい、とのことです」
「えっ、俺ですか?」
村紗の言葉に、俺は思わず自分を指さして聞き返す。
一体なんだろう、別に命蓮寺でマミゾウに呼び出される謂れはないが……。
「霧夜ですか? それは本人が良いというのなら構いませんが……」
聖は不思議そうな顔でこちらを見やる。
「俺も別に構いませんけど……一体何でしょう?」
「用件までは言いませんでしたが、何やら今後に関わる重要な話とのことです。……それでは、私は確かに伝えましたので」
「ええ、ありがとう水蜜。霧夜も、その時はお呼びしますので、今は彼女を迎える準備を致しましょう。何せ久々の帰宅ですから、しっかり掃き清めて出迎えてあげませんと」
「分かりました」
聖の言葉に頷いたあと、俺は村紗と一緒に本堂を出る。
どうやらこれから掃き掃除らしい。命蓮寺は基本毎日掃除しているが、重要な来客の時などは念入りにやることもある。
ただ元々綺麗にしているのでそこまで時間は掛からないはずだ。
「ふふふ、じゃあ霧夜は私と一緒のところを掃除しましょうか。先ほどまで聖と一体何をやっていたのか、しっかり吐いてもらいますよ?」
「ええ……」
そう言って、村紗はがしっ、と俺の腕を自分の腕と絡めてズルズルと連行していく。
……前言撤回、これは長くなりそうだ。
俺はため息をつきながら、その力に抗えるはずもなくなすがままに村紗に連行されていった。