オランジェットはブラウニーの唯一といってもいい友だった。
その彼の訃報はブラウニーに大きな心的損傷を与えた。
何故、どうしてと疑問ばかりが頭を巡り、ブラウニーの精神を蝕んだ。
しかし、彼はブラウニー・エルンノーツだった。
幼き日より溢れ続ける才能は、彼の停滞をよしとしなかった。
すり減った精神は次第に回復し、友を亡くした痛みにしがみついていたいのに、才能はそれを許さなかった。
周囲にはすぐに立ち直ったように見えるだろう。実際、そうなのだ。
ブラウニーは立ち直れてしまった。
満足に悲観に暮れることができなかった。
だから、彼は怒りに燃えた。
エクレア・ヨルマイアーを絶対に許さないと。
ブラウニーの心中は真っ赤だった。
聞けば、エクレアはオランジェットを殺したことをチャーリントン家の当主に話したあと、姿をくらませたらしい。
ヨルマイアー家とヨーデライ家には同じ内容の書き置きだけが残されていたそうだ。
オランジェットの死体は見つかっていない。
ブラウニーははじめ、そこに希望を見出した。
仲が良かったといっていいのかは不明だが、エクレアとオランジェットはそれなりに親しかった。
最期に会った時も、殺し殺される関係だとは夢にも思わなかった。
きっと質の悪い冗談に違いない。あのろくでもない女はやりかねない。
そんな信頼がまだブラウニーには残っていた。
しかし、その希望は早々に打ち砕かれた。
ブラウニーはその時初めて知ったのだが、チャーリントン家の当主ガレットは『嘘か誠かわかる
五大貴族の中でしか知られていない秘密事項であることを、ブラウニーの父は教えてくれた。
それはつまり、エクレアが確実にオランジェットを殺したことを意味する。
なにせガレットが嘘を吐く理由がない。
エクレアも五大貴族の身だ。
ガレットの能力を知っていて、彼にだけ真実を伝えればいいと踏んだのだろう。
ブラウニーはエクレアの姿を追った。
必ずこの手で捕らえると誓った。それが死した友へできる唯一のことだ。
オランジェットとエクレアの一件は世間には秘密にされた。
社会に与える衝撃と混乱が大きすぎる。
ヨーデライ家は無理にでも公でヨルマイアー家を非難したかったが、別派閥からの圧力と王命によって封じられたらしい。
代わりにヨルマイアー家とヨーデライ家の関係は最悪になったといっていい。
当然の流れだ。市井は知る由もないが、オルデマインは危機的状況にあった。
その間ブラウニーは鍛錬を積み、騎士団に入団して、エクレアの行方を追った。
実力はオルデマイン一と断言できるほどまでに、ブラウニーは昇りつめた。
それもこれもすべて、あの飄々とした女を捕まえるためだ。
騎士団にいれば多くの情報が自然に集まってくる。
エクレアの情報もあるはずだ。
ブラウニーほどの才能に恵まれた男ならすぐに彼女を見つけ出せるだろう。
事件を知る五大貴族の者たちは皆そう思った。
しかし、ブラウニーはいつまで経ってもエクレアを捕まえることができずにいた。
たまに足取りは掴めるのだ。だが、それだけだ。その先がない。
ブラウニーは身を焦がすほどの怒りをずっと燃やし続けていた。
騎士団副団長に就任して忙しくなった仕事をこなしつつも、彼はエクレアを追い続けた。
気が付いたら、あの知らせを聞いてもう八年も経っていた。
突然友を奪われた怒りはいまだ消える気配を見せない。
その日、ブラウニーはイアニッツ家の主催するパーティーに招待された。
エルンノーツ家とイアニッツ家の派閥は違うが、騎士団副団長に就任したブラウニーと一度会って話をしたいのだろう。
騎士団副団長として、そしてエルンノーツ家次期当主として、将来の国のことを思うなら断ることはできなかった。
イアニッツ家当主のことは昔からどうも苦手で、ブラウニーとしてはあまり気乗りしなかった。無論、それを表情に出すことは決してない。
イアニッツ家の門番に上流貴族のバッジを見せ、案内に従ってパーティー会場に向かう。
「おや?」
パーティー会場の扉から慌てた様子で、青髪の男が出てきた。
その貴族らしからぬ所作にブラウニーは怪訝な表情を浮かべた。
案内の人にもう大丈夫だと告げ、ブラウニーは男に近づく。
「そんなに慌ててどうしたんですか?」
男はひどい顔色をしていた。
トイレに行くと言って、すぐにどこかに行ってしまった。
ブラウニーの騎士団としての勘が、男が嘘を吐いていると告げる。
それに男の顔にはどこか既視感があった。
重大な犯罪者かもしれない。
ブラウニーは男の動向に気をつけることにした。
パーティーが始まって暫く経っても、男は姿を現さなかった。
ブラウニーは何か事件が起こる気配を感じ取り、他の貴族との挨拶もそこそこに会場を後にした。
最低限イアニッツ家当主とだけは話をしたあとだ。
ブラウニーは正門に向かい、そこで待機することにした。
屋敷の出入口はここしかない。
五大貴族の屋敷というのは、こういう時などのために出入口は一か所しかないのだ。
己の勘が正しければ、あの男はここに来る。
一時間ほど経過したとき、ブラウニーの予想通りに男は姿を見せた。
見知らぬ少女の手を引き、イアニッツ家の私兵に追われている。
ブラウニーはやはりこうなったかとため息をついた。
血気盛んに自分に向かって吠える男を軽くいなし、簡単に制圧をする。
あとの仕事は屋敷の中で何が起こったのか把握するだけだ。
遠くから聞こえる騒ぎの大きさからして、ろくでもないことが起こったに違いない。
勘弁してくれよ、とブラウニーは男のことを見た。
自分にはエクレア・ヨルマイアーを捕まえる使命があるのだ。
こういうことに時間を奪われるのはごめんだ。
ブラウニーは自分のことを睨みつける青い瞳と目があった。
「そんなに怖い顔をしないでください。睨んでも何も変わりませッ……」
その瞬間、ブラウニーの身を強烈な既視感が襲った。
その青い視線は、かつて何度も経験した友の視線と瓜二つ、いや完全に同じものだった。
ブラウニーが動揺している間に、男は拘束から逃れ、屋敷の外へと逃げ出した。
ブラウニーは彼を追うことができなかった。
心の奥底が、くすんだ青髪の男をオランジェットであると断定している。
生まれた瞬間からずっと完璧であったブラウニーが、生涯唯一の友を見間違うだろうか。
「いや……でも、まさか……そんなはずはない……だとすると彼女は……?」
エクレアは果たして何を考えているのか。
彼女の考えは昔から何一つわからなかった。
だから、オランジェットを殺したのも彼女にとって急な出来事ではなかったのかもしれない。そう思っていた。
しかし、オランジェットは生きていた。
確証はなくとも、ブラウニーの中の何かが、先ほどの男こそがオランジェット・ヨーデライであると、どうしようもないほどに認めていた。
だが、もしそうだったなら、『嘘か誠かわかる』というガレット・チャーリントンの発言は嘘だったのか。
そんなはずはない。
ブラウニーはこの数年の間に何度もガレットの元を訪れ、彼に話を聞いた。
ブラウニーにガレットのような能力はないが、騎士団で長年働いてきた経験から、ガレットは嘘を吐いていないと判断していたのだ。
これは一種の勘でしかないが、ブラウニーの勘はほとんど外れないことで有名だった。
何度ガレットに話を聞いても、一度たりとも彼が嘘を言っているとは思えなかった。
ならば一体、何が起こっているのだろうか。
青髪の男はブラウニーのことを知っているようだったが、面識はないという反応だった。
まさか、オランジェットがブラウニーのことを忘れてしまった……?
それこそありえない。
かつての二人は誰が見ても親友と呼べる仲だった。八年程度で忘れるわけがない。
逃げていった青髪の男のことを思い返す。
彼の所作はとても貴族とは思えない、野蛮なものだった。
ブラウニーの記憶の中のオランジェットとは似ても似つかない。
オランジェットは生意気な子供だったが、貴族らしさを感じさせるくらいには丁寧な所作を身につけていたはずだ。
ブラウニーの中で様々な思考が飛び交う。
聡明なブラウニーはまもなく一つの可能性に気が付いた。
これならすべてに合点がいく。だが、やはり肝心の動機が少しもわからない。
誰も知らないエクレアの
「『記憶を消す能力者』……」
ブラウニーは己の後方でほくそ笑む存在に気づかない。
冷静さを取り戻したブラウニーは、何が起こったのかを把握するため、屋敷に戻った。
そこにはイアニッツの私兵一人とイアニッツ家の当主がこと切れた状態で地面に倒れていた。
ブラウニーに冷たい汗が流れる。
五大貴族が殺された。オルデマイン史に残る大事件だ。
それに加え、これをやったのが自分の親友かもしれないときた。
ブラウニーは眩暈がした。
騎士団副団長としては、すぐにでも隊を編成して男を追うべきだ。
オランジェットが殺されたときとは違い、今回は目撃者があまりにも多すぎる。
貴族内で隠し通すのは無理がある。
大々的に指名手配にするべきだ。理性はすでに結論を出している。
しかし、ブラウニーの感情が邪魔をする。
親友を指名手配することを心が拒絶していた。
人の死を身近に見て、恐怖で騒ぎ立てる貴族たちが自分に助けを求める声が鬱陶しい。
落ち着いてください、大丈夫ですと宥めても効果はなかった。
ブラウニーの心情を知りもしないで狂乱する貴族たちはいっそ滑稽である。
どこの貴族の子供だろうか、泣きながらブラウニーにしがみついた。
怖い、助けてとブラウニーに必死に訴える子供を見て、ブラウニーは心を決めた。
たとえあの男がかつての親友だったとしても、今は犯罪者であることに変わりはない。
躊躇いを捨て、ブラウニーは青髪の男と金髪の少女を指名手配にすることに決めた。
貴族たちの相手をしていると、騒ぎを聞きつけた騎士団が集まってきた。
倒れる貴族の男を見て、皆顔を強張らせる。
イアニッツ家の中で貴族が殺されているのだ。全員が重大事件の気配を感じ取っていた。
ブラウニーは騎士団団員たちの視線が自分に集まるのがわかった。
覚悟を決める。
「見てわかる通り、イアニッツ家の当主が殺されました。犯人は青髪のやや痩せた男です。金髪の幼い少女を連れています。男は短剣を武器に使います。懐に二本目を隠しているので接触したら注意してください。まだそんなに遠くには行っていないはずです。急いで探して下さい」
騎士団の部下たちが頼もしい返事をし、すぐにバレーヌ中へと散っていった。
これが正しいはずだ。
ブラウニーは自分に言い聞かせるように頭の中で何度も繰り返した。
そこにイアニッツ家の長男が慌てた様子でやってきた。
「父上っ!」
ブラウニーは目を背けたい気持ちでいっぱいだったが、己の義務として事のあらすじを隠さずに伝えた。
イアニッツ家の長男は肉親が殺された悲しみに叫んだ。
数分ほどその場にうずくまっていたが、ブラウニーもそろそろ行動をしなければならない。犯人の特徴を伝え必ず捕まえると誓ってから、そっとその場を後にしようとした。
はたして長男が聞いているのかどうかはわからなかったが、金髪の少女のことが耳に入ると、急にばっと顔をあげた。
「指名手配にするのは、男だけにしてください! ミルフィは我が家とチャ……我が家だけで捜索します。しかしもし彼女を見つけた場合はすぐに連絡してください!」
その慌て方はブラウニーには異様に思えた。父親を失ったばかりだというのに、そのことがすっかり頭から抜け落ちているようだった。
だが、五大貴族の頼みは簡単に無視できない。
ブラウニー自身もエルンノーツ家の人間であるが、今は騎士団としての肩書が優先される。
任務中は五大貴族の肩書は消えるのだ。
ブラウニーには長男の申し出を断る術がないので、すぐに騎士を走らせて、金髪の少女は指名手配にはしない旨を各地の騎士に周知させる。
すぐに男を見つけられるだろう。
いくら隠れたところで、バレーヌが総出で探せば水泡に帰す。
ブラウニーは奥歯を噛み締めながらも、落ち着いて待つことにした。
しかし、一晩経っても、男と少女は見つからなかった。
そう遠くへは行けないはずなのに、川に飛び込んだ後から忽然と姿を消していたのだ。
溺れ死んだのかとも思われたが、死体は上がっていない。
ブラウニーは今まで何度も経験したことのある嫌な予感がした。
背筋を蛞蝓がゆっくりと這うような気味の悪い予感。
エクレアを追っているときに感じるものと一緒だ。
この感じがした時は、決まってそれ以上の足取りを追えなくなる。
ブラウニーは目を細め、拳を強く握りこんだ。
何も得るものがなく、時間は無駄に流れていく。
バレーヌは衝撃の知らせと指名手配犯についての話題で持ちきりだ。
だというのに、それらしい証言は入ってこない。
時が進むにつれて、犯罪者に身を落とした親友をこの手で裁くという思いがブラウニーの中で強くなってきた。
ブラウニーは騎士団の詰所で騎士たちに的確に指示を与えながら、蘇る旧友との記憶を拒まずに懐かしんでいた。
「副団長、事件について重要な話があるという女がやって来ています」
騎士団の部下の一人がブラウニーに声をかける。
ブラウニーは大して期待せずに腰を上げた。
これで十二回目だ。にもかかわらず、今のところめぼしい情報がないことから、報酬金目当てで嘘をでっちあげる輩が多いのは明白だった。
詰所の応接間に向かう。
扉を開くと、はたしてそこには一人の女が座っていた。
タキシードに赤いネクタイ、シルクハットという少々奇抜な姿をした女性が、にやりと笑った。
「久しぶりだね、エル」
「おまッ……貴方がッ、どうしてここに!」
長年探し続けてきた相手が突然目の前に現れて、ブラウニーの視界は一瞬で真っ赤になった。
身体の内側で消えることのなかった怒りの炎が噴き出したのだ。
しかし、ブラウニーはどこまでも完璧な男だ。
エクレアが今ここに現れた理由くらい察することができた。
それに、今は部下の前だ。普段見せないブラウニーの一面を見て、萎縮してしまっている。
「ふ、副団長……」
「すみません。少し席を外してもらっていいですか」
「わかりました……」
ブラウニーは炎を鎮め、エクレアに目を向けた。
八年前と変わらずに、彼女のにやけ面は健在だった。
「へえ、驚いた。君ってそんな風に人を睨みつけることができたんだね」
「貴方のおかげです」
「私がライを殺したと聞いたとき、さぞ君は怒ったのだろうね」
「いまでも怒っていますよ」
「でもその怒りが見当違いのものだと、今の君は理解できているのではないかな」
「…………」
「聡明な君のことだ、すでに私の能力の正体に気づいているんだろう?」
「…………『記憶を消す能力』」
「その通り」
エクレアはぱちぱちと手を鳴らし、ブラウニーを誉めた。
ブラウニーの目つきは依然として鋭いままだ。
爪が食い込んで血が滲むほど、拳を強く握りこむ。
ここで激高しないのが、ブラウニーがブラウニー・エルンノーツである所以だ。
「貴方があんな真似をした理由を聞いても?」
「もちろんさ。でも話せば長くなるよ」
「構いません」
「そうだね、ならまずはここから話をしよう。オランジェット・ヨーデライが実は
──エクレア・ヨルマイアーはこの日始めて、舞台の上の役者を観客席に引き抜いた。
「──では、そういうわけだからよろしく頼むよ。また会おう、エル」
エクレアは手をひらひらと振って、詰所から出ていった。
ブラウニーは彼女の姿が見えなくなるのをじっと見ていた。
深くため息をつく。
「……次会うのは一体いつになるのでしょうね」
彼女のことだ。また八年後でもおかしくない。ひょっとするとそれ以上かもしれない。
エクレアとの会話で、ブラウニーは多くの情報を得た。
彼女が話した内容がまるまる真実だとは思わない。
しかしすべてが嘘というわけではなかったのを、ブラウニーは直感していた。
ブラウニーは部下の騎士を呼び出した。そして指示を与える。
「事件の犯人は西の住宅街にいる可能性が高いです。すぐに騎士たちを西へ向かわせてください」
「え、いいんですか。中心街はもちろん、東の住宅街やスラムにも潜伏していそうなところはたくさんありますよ」
「構いません。全員を西に集めてください」
「わ、わかりました!」
ブラウニーは複雑な心境で、これでよしと小さく呟いた。