ビター・スウィート・ビターシティ   作:パンダ2世

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とある依頼

 午前二時十五分。

 

 通りを照らす街灯と街の中心の時計台を除き、バレーヌの街から光が消えていた。

 人々が寝静まり、昼間の活気が夢だったのかと思えるほど、静かな時間が流れている。

 

 はじめから無理だとわかっていたが、ライは結局十分な情報を集めきれなかった。

 本当に最低限しか集められていない。

 

 ライはロイズ商会長が寝ている建物の裏手に身を潜めていた。

 黒のコートを纏っているため、暗闇に上手く溶け込んでいる。

 今から人を殺そうという人間に、常識的という言葉は不適切かもしれない。

 しかしそれでも、エクレアと比べると裏の仕事をこなす者として、ライは極めて常識的な服装をしていた。

 

「そろそろだな……」

 

 二日という短い時間、ライはずっとこの建物の前を張っていた。

 主に入り口を守る護衛が、いつ交代するのかを調べるためだ。 

 いつもと違ってできるだけ無駄な情報をそぎ落とす必要があったので、ライはその一点だけに集中していた。

 

 その結果いろいろ見えてきた。

 

 護衛はロイズ商会長と同じ建物に泊まっているわけではなく、別の場所からやってきており、エクレアの言うほどべったりではないこと。

 

 夜は三時間おきに護衛が交代すること。

 

 夜中の護衛はかなりの怠慢で、あくびをしたり時々眠りかけて慌てて起きたりと緊張感を持っていないこと。

 

 その中でも特に、十二時から三時までの護衛が怠惰であること。

 

 もはや護衛として機能しているかも怪しい。そんな印象を受ける。

 

 これらの点から、ライは午前二時半頃に建物に侵入することに決めた。

 暗殺対象に護衛がいる場合、難しいのは対象の暗殺よりも、いかに建物に侵入できるかだ。

 今いる護衛が一番眠いだろうタイミング、そして次の護衛が来るのにまだ少し時間があるタイミングが最適である。

 そう考えたとき、午前二時半がいちばん成功の可能性が高い。ライはそう結論付けた。

 

 しかし、あくまでも可能性が高いというだけだ。

 

 ライは暗殺を請け負ってはいるが、ものすごく強いというわけでも、気配を完全に消せるというわけでもない。

 

 流石に一般人には負けないし、並みの護衛にも負けることはない。

 ただ二対一だと、ぎりぎり勝てるか勝てないかというレベルだ。

 

 ロイズ商会の護衛は幸いにも一人だが、今入り口に立っている一見怠惰にしか見えない護衛の実力が並みである保障はどこにもない。

 ごくまれに戦わずして相手の実力がわかるような人がいるらしいが、ライにはそんなことはできないのだ。

 

 ゆえに、ライは依頼の前はいつも緊張している。

 今回も例外ではない。

 無事に終わってくれよと祈り、懐に隠し持った短剣を握りしめた。

 

 午前二時二十五分。

 バレーヌの中央にそびえたつ大きな時計台が、正確に時刻を知らせてくれる。

 

 ライはコートの内ポケットから一枚の紙を取り出した。

 どこから手に入れたのか不明だが、エクレアが先日渡してきた建物の図面だ。

 準備期間がおそろしく短かったため、ライは建物の内部を実際に視認できていない。

 その状態で暗殺を実行しようとするのは本来ならありえないが、今回ばかりは仕方ない。

 ライは最終確認として図面をざっと読み込んだ。

 

 エクレアの性格はライにとって狂気的だが、仕事ぶりは信用している。

 この図面は頼りにしていいだろう。

 というより、他に頼りにできるものがない。

 間違いがあれば、面倒なことになるのは避けられない。

 しかしもしそうなったら、エクレアに次会った時に、彼女が大事にしている服にコーヒーをぶちまければいいと考えることにした。

 

 図面をしまい、入り口に目を向けると護衛は下を向いていた。

 眠っているらしい。

 ありがたいことに、今日も怠惰を発揮してくれたようである。

 ロイズ商会長は危機管理能力はあったようだが、人を見る目はなかったらしい。

 

 この侵入の大きなチャンスを無駄にしないためにも、ライは早速行動を開始した。

 

 音を立てないように細心の注意を払いつつ、入り口に近づく。

 起きるな、と強く念じながら、慌てずに一歩ずつ進む。

 心臓が早鐘を打つ。この瞬間はいつも緊張する。護衛はもう目の前だ。

 ここまでくれば、侵入はほぼ成功といってもいい。

 

 ライは護衛に向き直り、躊躇なく短剣でその喉を切り裂いた。

 護衛は一瞬目を見張り何か叫ぼうとしたが、声が出るはずもなく、ただ血を吐くだけに留まる。

 血の一部はライのコートにもかかるが、もとのコートの色と暗闇に紛れて消えてしまった。

 

 すぐに護衛は動かなくなった。

 確実に死んだことを確認し、建物に入る。

 別に護衛を殺す必要はなかったかもしれない。

 それでも、起きた護衛に背後から襲われる危険を考慮すると、ライは殺す選択を取る。

 

 護衛の交代まであと三十分以上ある。

 商会長を殺して、この場から離れるには十分な時間だ。

 ライは倒れている護衛を一瞥する。

 

「…………」

 

 ライは暗殺者だが機械ではない。

 人を殺した回数は優に二桁を超すけれど、人を殺す感覚に慣れることはなかった。

 そして今回も例にもれず、最悪な気分になるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 建物に侵入した後も特に障害はなく、依頼は速やかに達成された。

 

 翌日の夜、路地裏のひっそりとしたバーで、ライはエクレアと合流していた。

 エクレアは赤ワインの入ったグラスをかかげ、乾杯の意味を込め小さく傾けた。

 こういう時、彼女はいつも度数が強い酒を一、二杯飲む。

 かなりの強さらしいが、ライは一度もエクレアが酔っているのを見たことがない。

 対してライはコーヒーを飲む。

 以前酒で失敗した際、エクレアに散々いじられたのが原因だ。

 人はここまで鬱陶しい存在になり下がれるのかと戦慄できるほどのいじりようだった。

 もちろん、コーヒーはカップの中におさまっており、エクレアの服の染みにはなっていない。

 

「お疲れ。ご苦労だったね。生きていて何よりだよ」

「運がよかっただけだ。ちゃんとした護衛がついていたらこうはいかなかった。今後はこんな急な依頼はなしで頼む」

「理解したよ」

「了解してくれ」

「おや、気づかれてしまったか」

「何度その手に騙されたと思ってる」

「約束はしかねるね。面白そうな話があれば受けてしまうかもしれない」

「子供じゃないんだからそれぐらい我慢してくれ」

「子供の純粋さを失わずに成長したということだよ」

「屁理屈をこねるのは一丁前みたいだけどな」

 

 エクレアはグラスに口をつけ、ワインを少量口に含んだ。

 悪くないと頷き、小さく笑う。

 その横顔は普段の胡散臭い笑顔とは違っていて、純粋なものに見えた。

 コーヒーに口をつけ、エクレアから視線を切る。

 ほのかな苦みが広がり、飲んだ後も舌の上に残った。

 

「いつも思うけれど、こんな時間にコーヒーを飲むのはやめたほうがいい。眠りつけなくなってしまうよ」

「問題ない」

「昼間になっても一向に起きられないことは問題ではないのかい」

 

 ライは無言でコーヒーカップを見つめた。

 コーヒーに映った自分の顔が、図星をつかれてばつが悪い顔をしている。

 

 エクレアの方へ向き直ると、普段の腹の立つにやけ顔と目が合った。

 先ほどの表情は気のせいだったらしい。

 ライは大げさに頭を振り、残ったコーヒーを一気に飲み干した。

 

「やはり君は行動がいちいち面白いね。見ていてまったく退屈しないよ。だから──」

 

 ぞわり、となにか嫌なものが背筋を走り抜ける。

 その瞬間、ライはエクレアの雰囲気が変わったことに気が付いた。

 普段のものとも、気のせいだった先ほどのものとも違う笑顔。

 楽しみで仕方ないと言わんばかりの満面の凶悪な笑み。

 

 この数秒で一体何があったのか、それはライが初めて見るエクレアの一面だった。

 グラスをカウンターに置き、エクレアが話の間をとる。

 こほん、とわざとらしく咳払いをした。

 

「──そんな君に、新しい依頼があるよ」

 

 ────なぜだろうか、聞きなれた言葉であるはずなのに、ライはその言葉をずっと昔から待ちわびていた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 依頼の説明を終え、エクレアは珍しくバーに一人残っていた。

 

 グラスの中身はすでに空である。

 エクレアは特に何かをするわけでもなく、カウンターに肘をつき、足を組んで座っていた。

 その表情は随分とご機嫌であり、顔に添えられた右手の人差し指がトントンとリズムを刻んでいる。

 ライの様子を思い出す。

 

『イアニッツ家の屋敷の地下へ侵入しろだと? 馬鹿も休み休み言え』

 

 仕事の内容を話すと、ライは冗談だろというかのように片方の眉を上げた。

 それもそうだろう、とエクレアは予想通りの反応に笑った。

 

 イアニッツ家といえば、五大貴族の一つを担う名家だ。

 

 オルデマイン王国の中で、王家を除き最も権威ある家、それが五大貴族である。

 

 評判著しいチャーリントン家。

 あまり表には姿を見せないヨルマイアー家。

 そのヨルマイアー家をある一件から執拗に敵視するヨーデライ家。

 武力の優れた逸材を定期的に排出するエルンノーツ家。

 その家々と並ぶのがイアニッツ家である。

 

 オルデマインの民なら知らぬ者はいない。

 それだけ有名で、権力のある貴族なのだ。

 

 当然屋敷の守りも一人や二人なはずがなく、一人一人の実力も洗練されているだろう。

 

 はっきりいって、ライが侵入できるような家ではない。

 無理だ、絶対やらないと強い拒否の姿勢をみせたライを説得するのには時間がかかった。

 まだ完全に納得できていないようだが、なんだかんだ彼は受け入れることをエクレアは知っている。

 ライという男は、無茶を振っても文句を言いつつ最終的には了承してくれるのだ。

 

 それならば初めからすんなり受け入れてほしいと考えるエクレアだが、実際は彼女が絶対に折れないがゆえに、ライが毎度苦汁をなめて決断しているだけである。

 

 少し時間をくれと残し、寝床に戻っていった彼を見送ってから一時間ほど経つ。

 エクレアがこれほど長時間どこかに留まっているのは珍しいが、もちろんそうしているのには理由があった。

 

「遅くなってすまない」

 

 カランカランとバーに人が入ってきた知らせが鳴る。

 音の元を見やると、スーツをしっかりと着込んだ四十代ぐらいの男がバーの入り口に立っていた。

 少し髭を生やしているが、不潔という印象は全く受けない。

 目元が見えるかどうかというところまで帽子を深めに被っている。

 男はそのままエクレアの隣の席に腰を落とし、白ワインを一杯注文した。

 

「別に気にしていないよ。一人の時間を堪能していたところさ」

「それならよかった」

 

 バーのマスターが男の前に白ワインを置く。

 男はそれを手に取り、手首を利用してグラスの中のワインを回した。

 香りを確かめ、優雅に口をつける。

 

「君ぐらいだと、こんな路地裏のバーの酒よりいいものを毎日飲んでいるのだろう? それなのにどうして毎回それをやるのか理解に苦しむね」

「たしかにそうだが、これは酒を飲む際の私の儀式だ。私は儀式を軽んじない。こうしてどんな酒でも礼儀を払って飲んでいる」

「へー、面倒くさいね」

 

 男はわずかに目を細めたが、何も言い返さず、再びグラスに口をつける。

 バーのマスターは表情すら変えず、グラスを丁寧に磨いていた。

 

「今回の件、ご苦労だった。ロイズは金を集めていく上で邪魔だったので助かった」

「私にはそこそこ優秀な従者がいるからね。あ、もちろん君にはあげないよ」

「興味がないから安心してほしい」

「それで、なぜあれほど急ぎの依頼だったんだい? 君にしては珍しい」

「詮索はやめてくれ」

「それぐらいいいじゃないか」

「こちらには込み入った事情がある」

「君の『能力(アノマリー)』があっても切羽つまることがあるとは意外だった」

 

 男はエクレアを睨みつけた。

 

「ああ、すまない。このことは口にしてはいけないんだったね」

「気をつけてくれ」

「理解したよ」

 

 エクレアは飄々とした態度を崩さない。

 男は表情にこそ出さないが、そんなエクレアに呆れていた。

 男が口を開く。

 

「それで、呼び出した理由はなんだ」

「君には申し訳ないが、しばらく依頼を受けられそうにないんだ。それを伝えようと思って」

 

 エクレアは口ぶりとは裏腹に、申し訳なさの欠片も感じられない顔をして、空のグラスをこつんと爪で弾いた。

 男はそんな彼女の目を覗き込んだ。

 

「なぜだ」

「面白いことを始めようと思って」

 

 エクレアは男の目をじっと見つめ返す。

 

「心配しなくてもいい。単純に私が興味あることに時間を使うだけさ。君に敵意はない。むしろ応援しているよ」

「…………なるほど」

 

 そういうと、男はしばらく無言で白ワインを味わった。

 その間、エクレアはずっとにやにやと気味の悪い笑みを浮かべていた。

 グラスが空になったタイミングで男が席を立つ。

 

「ではそろそろ帰ることにしよう」

「もうかい? もっと付き合ってくれてもいいんだよ」

「君とは違って私は忙しい身なんだ」

「なるほど。ではしばらくは依頼を受けられないから、そこだけはよろしく頼むよ」

「ああ。ではまたいずれ」

「こちらの件が片付いたら私から連絡するよ。また会おう。五大貴族のガレット・チャーリントン君」

 

 エクレアはにやりと笑った。

 それを受けて男は深々とため息をつき、

 

「その名前も外で口にするのはやめてくれ。それに名前を出されたら君も困るだろう? エクレア・ヨルマイアー君」

 

 ライも知らない、エクレアのフルネームを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男がバーから立ち去ったあと、エクレアはもう一杯だけ、赤ワインを頼んだ。

 ついさっき見た男の儀式を真似してみてから、一口含む。

 

 エクレアは八年も前の記憶を思い出していた。

 

「いよいよ時が来た。こんなにわくわくするのは初めてだ。もし本当に『君』の言う通りなら、さぞ素敵なショーがみられるかもしれないね」

 

 あははと続けたあとで、乾杯と呟き、今度は記憶の『君』に感謝を込めて彼女はグラスを傾けた。

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