一度周囲を確認してから、現れた階段を下る。
ずらした本棚は下からでは戻せないため、ここからはより迅速に行動しなければならない。
もし誰かが部屋に入ってきたら、侵入者がいると容易にわかるからだ。
一撃で周囲を吹き飛ばすという武器の設計図。
それを見つけたら素早く屋敷を去る。
やることは単純だ。
ライはやるべきことを反芻し、眼前に広がった薄暗い部屋を一瞥する。
ここがエクレアの言っていた地下室であることは間違いないだろう。
想像より何倍も広いが、想像より何倍も汚い。
埃っぽく、かび臭い。
イアニッツ家の屋敷の中だというのに、ここだけバレーヌの端にあるスラムのようだった。
もっとも、ライはそのスラムに住む人間なので、嫌悪感よりも居心地の良さを強く感じた。
ボロボロな家具が乱立し、床には雑多なものが散らばっている。
しかし腐ってもさすがは五大貴族というべきか、その中には金製の花を模した装飾品や、精巧な時計など一目で高価だとわかるものが混じっていた。
今は少しでも身軽な恰好をする必要があり、余計なものを持つ余裕はないため、ライは後ろ髪を引かれながらもその品々を手に取らないように努める。
例の設計図を見つけて早く帰ろうと、行動を開始する。
しかし本当にこの汚い地下室に、そんな重要そうな書類が保管されているのだろうか。
疑問が浮かび上がる。
首を傾げながら、ライは机の上に散らばった本を手に取り、ぱらぱらめくった。
何の変哲もない、ただの絵本だ。
「どうしてここにお父様以外の人がいるのかしら」
絵本を置き、次の本を手に取った時、ライの後ろから声がかけられた。
心臓が跳ねる。
まずい。しまった。見つかった。
ここにきて注意を怠った。
ライは慌てて振り返る。
そこには少女がいた。
壁にもたれかかるようにして、長い金髪の少女が座っていた。
年齢は十代前半から中盤だろうか。
破れたドレスに身を包み、くすんだ橙色の瞳がライをじっと見つめている。
ライは服の中に隠し持つ短剣に手を伸ばす。
騒がれる前に殺すしかない。
幸いにも相手は幼い少女だ。
手間取ることはないだろう。
「私を殺すの?」
「ああ」
「そう」
服の中に手を入れたライを見て、少女は己の末路を悟る。
少女は命乞いをせず、影の差した瞳を閉じ、自分の運命を受け入れたようだった。
少女は幼いにも関わらず、非常に冷静だった。
冷静に、己の最期を理解していた。
ライはそんな少女を見て、早くこの時間を終わらせようと思い、短剣を抜いた。
短剣を抜いて、少女の首筋にそれをあてがった。
あとはそれを横に引けば終わりだ。
少女は終わり、ライは最悪な気分を味わう。
それだけの話だ。
「……やるなら早くしてくれない? それともあれかしら。人が怯えているのを見て楽しむ、頭がおかしい種類の人?」
「…………」
「そうじゃないなら、私を拷問して情報を吐くだけ吐かせてから殺そうなんて腹積もり? 残念だけれど私はイアニッツ家のことなんてほとんど知らないわ。やるだけ時間の無駄よ」
「……お前」
「なによ」
震えた声で聞き返す少女。
死を受け入れてはいるが、やはり怖いのだろう。
当然だ。子供でなくとも死は怖い。
「なんで縛られているんだ」
「……あなたに関係ある?」
ライは短剣を引き抜こうとする直前、少女の両手が鎖で縛られていることに気づいた。
そしてそのまま壁につながれていることにも。
「私が囚われの存在であろうとなかろうと、あなたは私を殺すでしょ。だって私の事情なんてあなたには関係ない。見られたからには、私が誰かに言う前に口を封じるしかないもの。生かすデメリットはあってもメリットなんて存在しない」
「…………」
少女は淡々と述べる。
ライに反論できる要素などない。
見られたら殺す。今までもそうやってきたではないか。
対象が可哀そうな少女に変わっただけで、何も躊躇うことはない。
躊躇ってはいけない。
「………………見なかったことにする」
「え?」
「俺はお前に気づかなかった。それだけだ」
「……そう、意外と優しいのね。あなた向いてないわよ」
「わかってる」
最初から自覚していたことだ。
ライはこの道に向いていない。
ではなぜこの道にいるのか。それはこの道しかなかったからだ。
エクレアにも甘い甘いと言われ続けてきた。
否定できない。
ライは短剣を懐に戻し、武器の設計図を探す作業に戻った。
「ねえあなた」
「なんだ」
「私を殺さないのなら、この鎖外してくれないかしら」
「……それはできないな」
「どうして?」
「それこそ俺にメリットがない」
「なるほど。でも外さないデメリットならあるわよ」
「どういうことだ」
「外してくれないと私、ここで大声を出すかもしれないわ」
「……」
ライは無言で少女を見る。
少女はその華奢な身体を抱えるように、両手を胸の前に持ってきた。
鎖の音がチャリンと地下室に響く。
「やっぱり私を殺す? いいわよ。私は無理に生きたいわけじゃない。といっても別に死にたいわけでもないわ。ただこのまま一生ここに囚われているよりかは、死んだ方がいいって思っているだけ」
「……」
「死ぬのはちょっと怖いけれど、でも見たところあなたは私をいたぶるような趣味もないでしょうし、痛みも最小限で済ませてくれるって信じているわ」
少女は再び瞳を閉じる。
殺すならどうぞと、その態度で語っている。
少女は子供とは思えないほど達観していた。
そして、少女の考え方はライの考え方に非常によく似ていた。
何かを諦めているかのようなその目は、ライも見たことがあるものだった。
ライは何も言わないまま、少女に近づく。
鎖は厳重に結ばれていたが、時間をかければなんとかほどけそうだった。
試しに短剣で鎖を切り付けてみたが、とても切断できそうにない。
ライが短剣を取り出した際、うっすらと目を開けていた少女は、びくりと身体をはねさせた。
ライはそれに気づき、哀しい気持ちで鎖をほどく。
少女は小さく、ごめんなさい、ありがとうと呟いた。
ほんの少しだけ鮮やかになった橙色の瞳から、久方ぶりの雨が一滴落ちていった。
「これでいいだろ」
「ええ。助かったわ、ありがとう」
ライはなんとか少女を鎖から解放することに成功した。
ほどくのにそれなりの時間がかかると推測していたが、見かけに反してそれほど手間はかからなかった。
時間の価値が非常に重い状況のため、不幸中の幸いである。
ライはすぐに設計図を探す作業に戻る。
「そういえば、見たところあなたは侵入者のようだけれど、わざわざこの部屋まで見つけ出して、一体何を探しているの」
「それを知ってどうする」
「別に。ちょっと興味があっただけ」
「悪いが今はお前の興味に付き合ってる時間はない」
「そう」
囚われていた少女相手とはいえ、情報を外部に出すのは後に自身の危険に繫がる可能性がある。
ライはわざわざ自分の首を絞めるような真似はしない。
少女が設計図の在処を知っているなら話は別だが、彼女は囚われていた身だ。とても知っているとは思えない。
そこまで考えたところで、ライは気づいた。
──新たな武器の設計図などという重要な書類が、少女を監禁するのと同じ場所に隠されているだろうか。
絶対とはいえないが、そんなはずがない。
ブラウニーとの遭遇や、過ぎ去る時間、そしてイアニッツ家の屋敷に侵入しているという事実が与える緊張感が、ライの注意力を削り、この当たり前のことに気づくのを遅らせた。
ライは自分の頭の回転の遅さに舌打ちをする。
ここを探しても得られる成果はない。
すぐに場所を移さなければ。
「一つ助言をしてあげるけれど、ここにはあなたが求めるようなものはないと思うわ」
急に顔をしかめたライの姿を見て、少女は口を開いた。
助けてくれた礼を兼ねての助言だ。
少女はこの地下室に囚われてから随分と経つ。
そのためこの部屋にあるものを熟知していた。
ここにはわざわざイアニッツ家に侵入するリスクを負ってまで、盗む価値のあるものは存在しない。
しかしその情報はすでにライの中で既知となったものだ。
「……だろうな。俺はすぐにここから出る。ここから逃げるなら、お前はしばらく時間をおいてからにしろ」
「私が見つかれば、必然的にあなたの存在が露見してしまうから?」
「ああ。だから二時間、いや三時間はここにいてくれ。幸い今日は屋敷の西側で上流貴族のパーティーをやっている。見張りは薄い。運が良ければお前のような少女でも逃げられるかもしれない」
可能性は低いが、とライは心の中で付け加えておく。
場慣れしているライですら、イアニッツ家からの脱出は難しいのだ。
とても少女一人が逃げられるとは思えない。
「あなた今、私に嘘をついたでしょう」
「……パーティーをやっているのは本当だ」
「そこじゃなくて、運が良ければ逃げられるというところ。私はあなたよりもこの家について詳しい自信がある。その私から言わせてもらえば、たとえパーティーで見張りが薄くなっていても、かよわい女の子一人でここから上手く逃げ出すのは不可能よ。それぐらいあなたもわかっているのでしょう?」
「さっきはイアニッツ家のことなんてほとんど知らないって言ってなかったか」
「あんなの嘘に決まっているでしょう」
少女は顔色を変えずに、淡々と述べる。
幼い外見に見合わないほど冷静で、そして聡明だった。
ライはこのあと少女が何を言うのかを察し、少女を殺せない自分の甘さを呪った。
「あなたについていっていいかしら。もちろん、拒否するのはあなたの自由だけれど、私が急に大声を出すかもしれないのは変わらないわ」
「……」
「申し訳ないとは思っているの。でも私がここから逃げるにはこうするしかない」
ライは無言で立ち尽くした。
打開策を必死に考えてみるものの、これといった策は思い浮かばない。
はっきり言って、少女を連れながら屋敷を漁るのは不可能だ。
ライ一人なら迅速に対応できることも、対応できなくなる。
それに貴族に変装しているため、ライ一人なら万が一誰かに見つかっても迷っただけだと言い訳ができる。
そこに、地下室に囚われていたためお世辞にも綺麗とは言えない少女が加わったら、その言い訳もできなくなってしまう。
少女を連れるということは、実質任務の失敗を意味するのだ。
依頼主に顔が割れているライとしては、任務失敗は最も恐れる事態である。
後で始末されるのは想像に難くない。
しかし、ここで少女を無視していったとしても結果は変わらない。
少ししか会話をしていないが、この少女がはったりをきかせているわけではないことくらい、ライでもわかった。
置いていこうとした瞬間、少女は間違いなく大声をあげるだろう。
ライの額に冷汗が流れる。
少女は何も言わず、ライの答えを待っているようだった。
その瞳の中で、少しの罪悪感が下向きに小さく反射している。
意志はあまり感じられず、ライがどちらの選択をしても別にかまわないといっているかのようだ。
ライはしばらくの間、状況を無言で分析し続け、そして悟った。
これは「詰み」である、と。
少女を連れて行っても駄目、置いていっても駄目。
状況はいたって単純だ。
つまり、ライはここで終わりなのだ。
本当はライだって気づいている。
少女をここで殺せば解決だと。
しかしライは一度彼女を殺すことをやめ、会話し、そのおおよその性格まで知ってしまった。
自分のあずかり知らぬところで少女が命を落とすのならいざ知らず、もうライには直接少女を殺すことはできない。
それがライの人間らしいところであり、甘いところである。
少女はそこを見通して、このような手段に出たのだろう。
ライは少女をここで見捨てる選択肢を取れないのだ。
「もう少し子供らしくあってほしかったな」
「ごめんなさい。私、そんなに馬鹿じゃないの」
少女が目を合わせずに答えた。
ライは大げさにため息をつく。
そして覚悟を決めた。
右手を腰に当て、まいったというように小さく苦笑する。
「お前のせいで俺の人生はおそらく終わりだ」
「安心して。目の前にいる少女もあなたのお仲間だから」
「お前が無理やりそっち側に引っ張り込んだんだろ」
「そうね」
「わかった、お前を外に連れ出そう。ついてこい」
「いいの?」
「お仲間の頼みだから仕方ない」
ライに残った選択肢はこれしかない。
任務を諦めて少女を連れ出すしかないのだ。
ライの脳裏に依頼者のことがよぎる。
すべてが終わったら、依頼主の手が届かない場所に逃げるとしよう。
最低でも国外になるだろうが、なんとかするしかない。
エクレアの手を借りよう。
彼女なら本当になんとかできるかもしれない。
と、そこまで考えたところで、ライは思考を切り替えた。
まずはこのイアニッツ家の屋敷から脱出することが先だ。
未来のことを考えるよりも、まずは現状をどうにかしなければならない。
任務を諦めたところで、少女を連れて逃げ出すという難易度は高いままなのだ。
ライは少女に絶対に声を出さないように伝え、二人で地下室から出た。
ここからはさらに慎重な行動が求められる。
ライは気合を入れなおした。
無理して生きる理由もないが、死にたいわけでもないのだから。