ビター・スウィート・ビターシティ   作:パンダ2世

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間話『8年前』

 少年が目を覚ますと、そこは見覚えのない場所だった。

 

 まだ大人と呼ぶには少し早い、幼さをたずさえた顔つきの、くすんだ青髪の少年だ。

 廃れた背の高い建物に挟まれた道の端で、ボロボロのゴミ箱にもたれかかるように少年は倒れていた。

 

 見上げた空は紅く染まっており、じきに本格的な闇があたりを包むだろう。

 少年は直前の記憶をたどってみたが、なぜだかうまく思い出せなかった。

 

 身体を起こし、服についた汚れを払う。

 ぼろきれのみすぼらしい服を払うことに意味があるとはいえないが、それは少年が無意識に行った動作だった。

 

 少年はひとまず状況を確認することにした。

 おそらくここは、どこかの路地裏だろう。

 漂う悪臭と、錆びれた建物の感じからして、街の中心部といった様子ではない。

 

 身体を動かしてみる。

 右手、左手、右足、左足、どこも問題なく動く。

 ところどころ擦り傷や打撲痕があるが、そこまで目立った傷もない。

 

 少年は顎に手をやり、これは一体何事かと考えた。

 目覚めたら知らない場所、それはもうどうでもいい。

 身体に異常はない、結構なことだ。

 しかし少年にはどうしても見過ごせない大きな問題に直面していた。

 

「記憶が全くない……」

 

 そう、少年は直前の記憶どころか、自分の家族や友人、さらには自分の名前といったすべての記憶が抜け落ちていたのだ。

 

 少年は焦った。

 この状況はまずい。

 衣食住のすべてが揃っていない。

 衣と住はなくとも死にはしないが、食べ物のあてがないのは死に直結する。

 このままだと生存という人間としての最低限の目標すら達成できそうにない。

 

 食べ物のことを意識したら、途端に胃が空腹を主張し始めた。

 少年はもう一度周囲を確認してみる。

 

 一体ここはどこなのだろうか。

 廃れた雰囲気をまとった細道が、まっすぐと伸びている。

 

 少ししか経っていないのに、先ほどよりも明確に夜の存在を感じられる。

 道の正面にたたずむ太陽は、その半身をすでに隠していた。

 少年の足元から伸びる影がじわりじわりと長くなり、薄くなる。

 

 ここに留まっていても何も変わらない。

 少年はまずは足を動かすことにした。

 

 人を求め、道を駆ける。ここはどこなのか。情報が必要だ。

 運が良ければ食料もめぐんでくれる人がいるかもしれない。

 

 日が落ちる前に誰かと出会いたい。

 夜になれば探す難易度が跳ねあがる。

 知らない土地を暗闇の中歩いたところで、期待はできまい。

 

 少年はしばらくあたりを探し続けたが、結局誰にも遭遇できなかった。

 それどころか人の気配がまったくしなかった。

 

 最悪の可能性が浮かんでくる。

 少年の影はその輪郭をぼやけさせ、闇とまざりつつあった。

 それがどうにも自分の未来を暗示しているような気がして、自分の影から目をそらす。

 

 少年は足を止めた。

 いよいよ夜の到来らしい。

 あたりを闇が覆い、色彩が奪われる。

 動き回ったせいで余計にお腹がすいた。

 

 暗い中これ以上探すのは体力の無駄だと判断し、少年は朝が来るのを待つことにした。

 錆びれた建物の入り口にある石畳の上に腰を下ろす。

 頭上には早くも一番星が灯っていた。

 それをなんとなく眺めながら、少年はこれからのことを考える。

 

 体力的に、明後日あたりが限界だろう。

 今はまだこうして思考を巡らせることができるが、はたしてこの状態がいつまで保つことができるのか。

 喉も渇いた。

 少年の中で不安がどんどん膨れ上がる。

 いつの間にか夜空を無数の星が覆っていた。

 少年の暗い青の瞳には、それらがどうしようもなく美しく見えた。

 

 手を頭の後ろで組んで横になる。

 少年の苦悩も知らないで呑気に輝く星を眺め、少年は自嘲した。

 感傷に浸ったところで何も変わらない。

 少年は目をつぶり、朝を待つ。

 しかし何度振り払っても不安が湧き上がり、眠りにつくことを許さない。

 閉じられた視界に広がる闇が、心にまで影を差していた。

 

 その時、目を閉じているにも関わらず、少年の視界が赤く染まった。

 何事かと思い目を開ける。

 そこには興味深そうに自分を見つめる女がいた。

 右手にランタンを握っており、眼前に掲げている。

 この光が視界の色を変えた原因らしい。

 

 少年は慌てて起き上がった。

 人だ。目覚めてから探し回っていたがようやく出会えた。

 まさか自分から探さなくとも向こうから来てくれるとは思わなかった。

 僥倖である。

 

 少年は口を開こうとした。

 だがその前に女が口を開いた。

 

「おや、こんなところに人がいるとは予想外だった。君はどうしてこんなところに?」

 

 女は少し楽し気な様子だ。

 ランタンに照らされた銀髪がゆらゆらと揺れている。

 少年は今の自分の状況を話した。

 そして最後に一言、助けてほしい、と。

 女は笑った。その笑顔が少し胡散臭く感じたが、少年は女に頼るほかなかった。

 

「面白い。いいね、君を助けてあげよう」

 

 女はあっさりと了承した。

 少年はほっと息をつく。

 

「私の名前はエクレア。少年、君は記憶がないとのことだけど、名前がないのは流石に不便だ。だから私が勝手に名付けてもいいかい?」

 

 少年は女、エクレアの言うことに頷いた。

 エクレアは顎に手をあてて少し悩むような仕草をする。

 少年はどうせ仮の名前だし名前などなんでもいいのだが、それは口に出さなかった。

 

「よし、決めた。今日から君の名前はライだ。よろしくね、ライ」

 

 笑顔で手を差し伸べてくるエクレアに、悩んだ割にありきたりな名前だなと思いながら、少年、ライは手を握り返した──

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