「おーい、ライ、生きているかい? ひょっとして死んだかな?」
スラム街にあるぼろ小屋の中で、エクレアは横たわるライの前でしゃがみ込んでいた。
退屈そうにライの顔をつっついたり叩いたりしている。よほど暇なのか、あくびをした。
ぺちぺちと頬を襲う感覚によって、ライの意識が徐々に覚醒する。
気怠さを感じながらも、ライはその瞼をゆっくりと開いた。
「あ、生きてた」
視界の真ん中に見慣れた顔が映ったのを確認し、そっと瞼を閉じる。
「死んだ」
エクレアは冷静に分析し、頬を叩く右手の力を強めた。
ライは少し悩んでから目を開く。叩かれている頬が少し赤くなっていた。
二人の視線が合い、エクレアはにやりと笑う。
「おはよう」
「……まずは叩く手を止めろ」
「失礼。君が依頼を失敗したと聞いてね」
エクレアはわざとらしくやれやれと肩をすくめてみせた。
一瞬ライは怪訝な表情を浮かべたが、すぐに依頼のことを思い出す。
はっと表情を変え、身を乗り出そうとした。
その瞬間全身に痛みが走り、動きが中断される。
「おっと、あまり動かない方がいい。致命傷はないにせよ、傷だらけだ」
「……あいつは? 金髪の……」
「彼女は無事だよ。さっき目を覚ましたところだ。怪我もほとんどなかった。今は隣の部屋にいる」
「…………そうか」
「無事なのは君のおかげ……と言いたいところだけど、私のおかげさ。私が手配していた子たちが君たちを川から引っ張りあげなければ、今頃二人とも死んでいたよ」
どうだい褒めてくれたまえと胸を張るエクレアを無視し、ライはほっと息をついた。
その際にも少し身体が痛んだが、それに勝る安堵感がライの身を包んだ。
しかし、エクレアはライの様子を見て目を細めた。
口元は相変わらず笑っているが、愉快気といった雰囲気ではない。
もちろんライだってその理由に気づいている。
先ほどエクレアが言ったことだ。
「安心している場合ではないよ。君は依頼を失敗したんだ」
「……依頼者が俺やあんたを消しにくるってことか」
ライは顔をしかめた。
エクレアの話だと、ライの顔は依頼者に割れている。面倒なことになったと改めて思った。
「いや、それは私が君に依頼を受けさせるために適当に吐いた嘘だから問題ない」
「…………」
「問題なのは君がイアニッツ家の当主を殺害し、その娘を連れ帰ってきたことだ。普通に考えたらわかるだろう。まあ、あの男は私も嫌いだから、やりたくなるのもわかる。いや、むしろよくやったと褒めるべきかもしれない」
「…………あれはああするしかなかった。というより、やっぱりあの男はイアニッツ家の当主だったのか。薄々そんな気はしていたが……」
「知らずに殺したのかい?」
「仕方なかった」
「五大貴族が仕方なくで殺される日が来るなんて思わなかった。いいね、面白い」
「それで、俺は指名手配でもされたのか」
「その通り。バレーヌ中はその話でもちきりさ。懸賞金もかかっているよ。よかったね、ライ。たった一日で有名人だ」
「何もよくない」
エクレアはわざとらしくぱちぱちと手を叩いた。
状況は深刻なのに、一切悲壮感を感じさせない。むしろ彼女は楽しんでいるように見える。
ライはエクレアの変わらない姿を見て、苦笑した。
それでほんの少しだけ心が軽くなったのを自覚し、ライは自分が思った以上に不安に気押されていたことに気づいた。
エクレアによって気づかされたのが癪だったが、事実なので何も言えない。
「とはいえこうなった以上、君は一刻も早くバレーヌから距離をとるべきだ。今日にでも逃げた方がいい。私としては、君がバレーヌに残って兵と戦いながら日々を過ごす姿を見たいところだけど」
「断る」
「それは残念」
エクレアは全く残念ではなさそうに肩をすくめた。
「今日はやけに聞き分けがいいんだな」
「不思議な発言だね。まるで普段の私は聞き分けが悪いみたいな言い方だ」
「気のせいだった」
「そうだろう」
「そういうところを言っているんだけどな」
ライはため息をついた。
エクレアと話すときは、どうしてもため息が多くなる。
しかしこうしている間にも、ライは徐々にいつも通りの調子に戻っていることを感じた。
国から指名手配されたという事実は、現実に重く鎮座している。
その事実から押し寄せる不安感というものは、案外こういうくだらないやり取りで緩和できるものらしい。
それを知ってか知らずか、無駄口に付き合うエクレアはライにとって大きな役割を果たしていた。
絶対に知らずだと、ライは確信する。
「さて、軽口はいつでも叩けるのだから、そろそろ真面目に話をしようか」
「あんたから真面目なんて言葉が聞ける日が来るとはな」
「ライ」
「…………」
エクレアをぱちんと両手を合わせ、仕切り直しをする。
突然真剣な雰囲気を纏ったエクレアにライは言葉を詰まらせた。
「私は今日という日を焦がれていたんだ。君との話は愉快だが、私も出演者として演じなければならない役割というものがある」
「どういうことだ」
「君はわからなくていい。わからないことこそが正解だ」
エクレアはいつも通り、その顔を笑みで染め上げた。
彼女の瞳に映し出された眉を顰めるライの姿は、またエクレアの意味が分からない話が始まったなと、露骨に面倒くさそうな顔をした。
「五大貴族の一翼、イアニッツを殺め、その娘を攫ってきた君は、オルデマイン王国を敵に回したといえるだろう」
「ちょっと待て。さっきも気になったが、イアニッツの娘っていうのはまさかあの子供のことか」
「それすらも知らなかったのかい? いかにも、彼女はイアニッツの血を引く少女だよ」
「待て、あいつは地下で鎖に縛られていた。それがイアニッツの娘? 冗談だろう」
ライは頭を抱えた。少女の姿を思い出す。
彼女の身なりはお世辞にも綺麗とは言えない状態だった。
とてもオルデマインの中枢を担う五大貴族の血を引く人間には思えない。
「そんなつまらない冗談は言わないよ。正真正銘彼女は五大貴族の人間だ。立ち振る舞いから察することはできなかったかい?」
「スラムに住む人間が上品さなんてわかるわけがないだろう」
「ははは、そうだったね。『君』と違って君はそちら側の人間だった。君を見ていると、いまだに『君』のことを思い出してしまうからつい、ね」
エクレアはまたしても解読不能の独自言語を操り出す。
ライは遠い眼をして、聞き流す態勢に入った。
エクレアの言うことに適当に相槌を打つ。
しばらく聞き流していると、隣の部屋からこちらに向かって誰かが歩いてくる音が聞こえた。
古びた扉がギーと不快気な音を立てて開く。
「騒がしいと思ったら、もう目が覚めたのね。よかった、あれで死なれたら寝覚めが悪いわ」
ライとエクレアの二人の声しかなかった空間に、新たな声が一つ混じった。
つい先ほど、イアニッツ家の娘と判明した金髪の少女だ。
「お前、イアニッツの人間だっていうのは本当か」
「……どうしてそのことを知っているの」
ライは視線を隣に向ける。
その視線を追った少女は、にやけ面のエクレアと目が合った。
「あなたに私の生まれを話したつもりはないのだけれど」
「君が寝ぼけて話してくれたんだよ」
「嘘ね。私はそんな愚かな真似はしないわ」
「おや、そうだったかな」
「話す気はないのね」
二人の会話を聞いて、ライは困惑していた。
どうやら、エクレアは少女から直接出自を聞いたわけではないらしい。
てっきり、自分が目覚める前に本人から情報を得たのだと思っていた。
だがよくよく考えてみると、エクレアの情報網はとてつもなく広い。
独自に答えにたどり着いていてもなんら不思議はなかった。
それだけの信頼が彼女にはある。
少女は橙の瞳でエクレア睨む。
その眼光は、本当のことを言えとエクレアを脅しているかのようだ。
しかしライは知っている。エクレアにとってそれは無意味であると。
少女とは短い時間だが、会話し、生死をともにした仲であるため、彼女が普通の子供とは違って達観していることは理解している。
理解しているが、ライはずっと前からもっと常識外れの女を知っているのだ。
「そんなに怖い顔をしないでほしい。可愛いお顔にしわがついてしまうよ」
「……はぐらかさないで」
「単純に疑問なのだが、私が君の正体を知っていて何か不都合があるのかい? 君はイアニッツ家の屋敷の地下で囚われていた存在だ。そしてそこから救い出したのは主に私だ」
「主に俺だろ」
「君はまだ子供だ。今後生きていく上で、大人の助けは必ず必要となるだろう。その時、一番頼りになるのは事情を知っている私たちのはずだ。それなら隠し事はしない方が賢明だろう?」
「それは……そうね。でも今私が訊いているのは、なぜあなたが私のことを知っているのかということよ」
「ふむ、もう一度同じ説明をした方がいいかな?」
「だから、そうじゃなくて!」
「やめておけ。こいつの言うことは誰も理解できない。話が通じない時は、野生動物の方が頭がいいと思う時があるくらいだ。時間の無駄だぞ」
「君、今かなり失礼なことを言った自覚があるかな」
「事実だ」
少女がなおもエクレアに食って掛かろうとするのをライは静止する。
横腹をつねってくる野生動物を軽くあしらいながら、少女に諦めるように告げた。
「……はあ、まあいいわ」
「わかってくれたようでなによりだよ」
「わかったんじゃなくて諦めたんだぞ」
的外れなことを言うエクレアにライが食って掛かる。
少女は二人のやり取りを無視して話し始めた。
「それじゃあ、今後のことについて話し合いましょう」
「切り替えが早いのは美点だね」
「あんたはいちいち口を挟まないと死ぬのか」
「それはお互い様だろう」
「一緒にしないでくれ」
「…………話が進まないから関係ないことは喋らないでくれるかしら」
「これは申し訳ない」
「こいつは反省してないぞ」
「あなたもよ」
「…………」
少女はわずかに声を荒げた。
ライは反省して軽く頭を下げ、エクレアは肩をすくめてみせた。
少女の長い金髪が揺れる。
少女は呆れたといわんばかりに大げさに息を吐き、二人の顔を見た。
「まず最初にあなたたちの名前を教えてくれないかしら。人間関係の基本はそこからでしょう」
「人に名前を尋ねるときは自分から名乗るものではないかな、ミルフィちゃん」
「やはりあなたは私の名前を知っているんじゃない。無駄なことはしたくないのよ」
「貴族なら礼儀というものの大切さくらい理解しているだろう」
「申し訳ないけれど、私はそんなものが大切だなんて微塵も思わないわ」
「ははは、面白いね。私も同意見だ」
「それならいちいち話の腰を折るのはやめてくれないかしら。無駄なことは嫌いって言ったばかりよね」
「どうやらそこの意見は異なるようだね……おっとすまない。私語はこれくらいにしておくよ。私の名前はエクレアだ」
「ライだ。お前はミルフィ・イアニッツという名前であっているか?」
「ええ」
「本当に五大貴族の一員なんだな……」
ライはいまだ脳の処理が追いついていない様子だ。
五大貴族と目の前のみすぼらしい少女がどうしても結びつかない。
どちらかと言えば、ライのような社会からあぶれた者の雰囲気を感じる。
少女、ミルフィは出会ったばかりのエクレアのことを苦手に感じ始めているらしい。
エクレア……と呟いたあと、露骨に嫌そうな顔で彼女を一瞥した。
「とりあえず屋敷から逃げ出せたことには感謝しているわ。でもまだ手伝ってもらいたいことがあるの」
「待て、これ以上は手伝えない。俺は今日中にこの都市から離れるんだ」
「まあまあ落ち着きな、ライ。ミルフィちゃんの話を聞いてみようじゃないか」
エクレアは笑顔を張り付けたまま、冷静な声を出す。
それに反論しようとしたライを手で制し、ミルフィに続きを促している。
ライはエクレアの態度に小さな怒りを覚えた。
ライの置かれた状況は極めて深刻だ。
とてもミルフィの手伝いとやらをする余裕はない。
そんなことはわかりきっているだろうに。
「手伝ってほしいというのは少し語弊があったわね。あなたがお父様を殺したから、指名手配にされたのはわかっているわ。だからすぐにでもこのバレーヌから離れたいことも。私の願いはそれに私も連れて行ってほしいということよ」
「は?」
「驚くことじゃないでしょう。私が囚われていたのはあなたも知っているわよね。そこから逃げ出したということは、当然追手が出るということ。というより、普通にあなたといるところをイアニッツ家の私兵だけじゃなくて、騎士団の副団長に見られてしまっているでしょう」
「……」
「まあ私はイアニッツ家の圧で指名手配にはされていないでしょうけど。彼らにとって、私の存在が外部に漏れたら厄介なことになるの。だけど独自で私を追おうとするはず。だから私もバレーヌに残るのは危険なのよ」
「道理だね」
エクレアが相槌を打つ。ミルフィはまた嫌そうな顔をした。
「……話はわかったが、俺と一緒に来る方が危険だぞ。俺はオルデマインの国民全員から追われる立場で、お前はイアニッツ家の追手だけだろう。別れた方が賢明だ」
「そうでもないのよ。私を追っているのはたぶんイアニッツ家だけじゃない。チャーリントン家もよ」
「チャーリントンってあの……」
「今一番勢いに乗っている五大貴族だね。列車の開発が大きかったみたいだ。下手したら王宮の抱える資産以上のお金を持っているといわれている」
そういった後、一瞬だけエクレアの目が細められた。
その口角はかつてないほどに上がっていた。
ライとミルフィは、そのわずかな瞬間の変貌に気づかなかったらしい。
その笑みが何を意味していたのか知る人は、きっとエクレアを含めて世界にまだ二人しかいない。
「チャーリントン家が追手を出すなら規模は相当なものだろうね。ライとミルフィはどちらも巨大な敵を得たというわけだ」
「一人でいるよりも、たとえ指名手配されているとしてもあなたと行動を共にした方が、私の逃げられる可能性が高いと思わない?」
「そうすることで俺の逃げられる可能性が低くなることに気づいての発言なのか」
「当たり前でしょう」
「断ったら俺の妨害をするつもりだな」
「そうよ」
「エクレア、あんたがミルフィを押さえておいてくれ。その間に俺はこの都市を離れる」
「もちろん断るよ。それだと面白くないじゃないか」
「くそッ」
何を言い出すんだと驚いた顔で、エクレアはライの頼みを拒否した。
ミルフィは意外そうにエクレアを見つめ、ほっと息をついた。
「申し訳ないとは思っているの」
「二回目となるとその言葉の信憑性はかなり低くなったぞ」
「私もいつも君には申し訳ないと思っているよ」
「安心しろ。その言葉は随分と昔から信憑性は皆無だ」
エクレアは手を広げて心外だと表現する。
ミルフィも頷いて異議があることを表明した。
その二人の姿からどこか似た雰囲気を感じ取ったが、ライはあえて言葉にしなかった。
「今日中にバレーヌから離れるなら、やっぱり列車を使うのがいいと思うわ。管理はチャーリントン家がやっているから危険は大きいけれど、列車に忍び込むことができたらすぐにこの都市から遠くまでいけるはずよ」
「いくらなんでも危険すぎないか」
「仕方ないでしょう。あなたがいる限り、どの道を通っても危険が大きいわ。それなら、危険を無視して一番利益が大きい選択を取るべきよ」
「ふむ。私はミルフィちゃんの意見に賛成だよ。列車を使えば、乗り込んだ時点で目的はほとんど達成したといっていい。しかし、馬車なんて使おうものなら、ずっと気を張っていなければならない。徒歩ならなおさらさ」
「列車なら噂が広まる前に、次の街まで行くことができる。それにチャーリントン家が管理しているからといって、彼らがずっと目を光らせているわけではないわ。あれは平民の乗り物だもの。作るだけ作って、あとは放置してお金だけ吸い上げているのよ」
ミルフィの言うことに賛成し、捕捉するエクレア。
しかしミルフィはエクレアに視線を向けず、ライに対して説明を続けた。
「随分と詳しいな」
「貴族なら他家のこともある程度把握しているものよ」
「だがお前は囚われの身だっただろ。よくそこまで知っているな」
「いろいろあったのよ」
色々とはなんだと聞きたいところだが、面倒くさそうなミルフィの表情を見て、ライは出かかった言葉をぐっと堪える。
エクレアはそんなライに気づき、体の正面で一度手を叩いた。
「まあまあ、詮索なんてしないでもいいだろう。今はそんなことはどうでもいいじゃないか」
「あなたも随分と詳しそうね」
「さて、それはどうかな」
ははは、とエクレアの笑い声が部屋に響く。
その姿をミルフィは思案げに眺めていた。疑念が橙の瞳に渦巻いている。
ライは彼女のその表情に気づいたが、なぜ彼女が疑い深げにエクレアを見るのか、その理由を掴みかねていた。
というのも、ミルフィの横顔は単にエクレアの情報網が広いのを怪しんでいるようには見えなかったからだ。疑念だけでなく、警戒の色が混じっている。
「今日中にバレーヌから抜け出して別の街に行く。それはいいとして、そのあとはどうするつもりだい。鉄道は便利だが、まだ新しい技術だ。オルデマインの大きな街にしか通っていないのはわかっているだろう」
「ええ。だからそのあとは馬か徒歩での移動ね。できれば噂も届かないような辺境の田舎町にでも行きたいわ。しばらくはそこに滞在するの」
「そうだな」
具体的にどうするかはこれから決めていけばいい。
今は将来を考えるより先にやるべきことがある。見つかる前にここから離れることだ。
思考を整理していると、エクレアが手で顎を触り、何かつぶやきだした。
それは彼女が何かを思い出そうとしていたり、考え事をしていたりする時の癖であるとライは知っている。
エクレアは数秒の間そうした後、顔を上げた。
「たしか今夜九時に、バレーヌ駅からキベル行きの貨物列車が出る。それに乗り込むのがいちばんいいだろうね。乗客はいないし、日も沈んでいるから見つかりづらいだろう」
「第三都市か。悪くないな。あそこの周辺には農村が散在しているって聞いたことがある」
「随分と私たちにうってつけの列車ね。罠じゃないでしょうね」
「この列車は定期的に出ていて、今日発車の予定は一週間以上前から決まっていた。だからそれはないはずさ。安心してほしい」
「信じて大丈夫なのかしら」
「人としては信用できないが、こいつの情報は信用していい」
「何を言う。私ほど誠実な人間はそういないよ」
「不安ね……」
「気持ちはわかる」
ライとミルフィは同じ考えに至ったようで、二人同時にため息をついた。
「それじゃあ、その列車に忍び込むってことで決まりだ。私はそろそろ行くよ。その時間に合わせて、騎士団を攪乱しないといけないからね」
「助かる」
「それじゃあまたね、ライ、ミルフィ。次会うのが牢屋じゃないことを願っているよ」
「そうなったらそうなったで面白いとか思っているだろ」
「ははは、たしかにそれも面白いかもね。でも、今回は本気でそうならないことを願っているさ。なんせ私の長年の仕事がかかっているからね」
そう言い残して、エクレアは部屋から出ていった。
ライは今や五大貴族を殺めて国全体を敵に回した身だ。今後の生活は自由が利かなくなることも多いだろう。
そうなれば、エクレアと次会うことができるのはいつになるかわからない。
意外とすぐかもしれないし、何年もあとかもしれない。
エクレアとの思い出が蘇ってきたが、碌なものがなかったのでライは真顔になった。
「あの女のこと、本当に信じて大丈夫なの」
「ああ。さっきも言ったがあいつの情報は……」
「そうではなくて、だってあの女はおそらく……」
「なんだ、どうかしたのか」
「……いいえ、やっぱりなんでもないわ」
なんでもないわけがないだろう。
ライの口から出かかったその言葉は、それ以上踏み込んでほしくないと訴える少女の顔を前にして、音を立てずに消えていった。
代わりに、ライはミルフィに会ってからずっと訊きたかったことを尋ねることにした。
「なあ」
「なによ」
「そもそもお前はなんで地下に閉じ込められていたんだ」
「…………」
イアニッツ家の血を引く少女が、あんな扱いを受ける理由がわからない。
仮に本妻でなく妾の子どもだったならあるいはと思ったが、そうだとしてもどうも納得がいかない。
あのような人目がつかない場所で縛っておくなら、殺してしまえばいいように思える。
そうなっていないあたり、ミルフィには何か特別な事情があるのだろう。
質問に対して口をつぐむミルフィの様子を見て、ライは己の予想が正しいものだと確信した。
「言いたくないなら言わなくてもいい」
「別に言いたくないわけじゃないの。いいわ、教えてあげる。私があそこに囚われていたのは、私が
「
ライは目を丸くしてミルフィのことを見た。
その視線を鬱陶しそうに、ミルフィは手を宙で二回払った。
「そんな反応になるわよね。今まで言わなかったのは、そんな風に珍しがられるのが嫌だったのよ。まるで珍獣を見るような目」
「それはすまなかった。
「たぶん……?」
「ああ、俺は八年前より前の記憶がない」
「なにそれ、記憶喪失? なんだ、あなたも負けず劣らず珍しい人種じゃない」
「いわれてみれば確かにそうかもな」
「私は正真正銘初めて見たわ」
「その目を見たらわかる。たしかに気分がいいものじゃないな」
「あら、ごめんなさい」
「別にいい。お互い様だしな。けど本当によかったのか、
「何も問題ないわ。知られて困るのはイアニッツとチャーリントンの人間だもの。私はやつらが嫌いなの。それにさっきエクレアも言っていたでしょう。隠し事はしない方がいいみたいなことを」
「あいつの言うことは真に受けない方がいいぞ」
「まったく真に受けていないから安心して」
ミルフィは真面目な顔をして答えた。
そのエクレアへの辛辣な姿勢を面白いと思いつつも、ライは再び疑問を覚える。
何故ミルフィはエクレアに対してこれほど当たりが強いのか。
二人で川に飛び込んだあと、エクレアが川から拾い上げてくれたようなものなので、ミルフィにとって彼女は恩人であるはずなのだが、頑なに心を閉ざしている印象を受ける。
一応感謝の気持ちは持っているようだが、それが好意的な態度につながるには至っていない。
エクレアとの付き合いが長いライから言わせてもらえば、ミルフィの態度は正解だ。
しかし、その正解に瞬時にたどり着くのははたして可能なのだろうか。
「ミルフィ、お前エクレアと以前会ったことがあるのか」
「ないわよ」
「じゃあなんでそんな態度をとる。それが正解ではあるが」
「別に……あなたが知らないならそれでいいわ」
「隠し事はしないって言ってなかったか」
「エクレアのいうことは真に受けないとも言ったわ。それと、言いたくないなら言わなくてもいい、これはあなたの言葉よ」
「参った、これ以上追及はしない」
ライは両手をあげて、降参の意を示す。
それを見たミルフィはふんと鼻を鳴らしたのだった。