赤みがかった日差しが水平に二人の顔を照らしている。夕刻だ。
ライはこの夕焼けの色とよく似た色を、最近別のところで見た気がした。
それがどうも心の隅に引っ掛かる。
ライは隣に身を潜めるミルフィに視線を向けた。
彼女はこれから起こるかもしれない事態にわずかに頬を固くし、眉を寄せている。
その眉の下に心に引っ掛かった正体を見つけて、ライは一人納得した。
橙にくすんだ瞳が、光を反射してわずかに白く光っている。
夕焼けとミルフィの瞳は、パレットの染みとキャンバスの絵具のようだった。
些細な違いはあれど、同じ画家によって作られた非常によく似た色だ。
鮮やかとはいえないその色は、淡い陰りをみせている。
ライは疑問に答えを得たにも関わらず、全くすっきりしなかった。
あまり気分がいいものではないなと思う。
彼女の瞳は今まさに沈みゆく夕陽のように、徐々にその陰りを濃くしていくとでもいうのだろうか。
パレットに残る染みのように、やがて風化して気にもとめなくなるのだろうか。
そこまで考えたところでライは自嘲する。
所詮は昨日会ったばかりの少女のことだ。
一時的に行動をともにするとはいえ、ミルフィの将来などライには関係ない。
キベルについたらエクレアの邪魔もないことだし、はぐれたことにして撒いてしまえばいい。自分が生き残るにはそれが最善だ。
──だが、それはできない。
ライの理性の囁きを、ライの感情が封じ込める。
「ねえ」
「なんだ」
「そんな風に険しい顔で私を睨まないでほしいのだけれど」
「睨んでない。考え事をしていただけだ」
「考え事? 今更何か考えたって意味なんてないわ。それより気を抜かないで」
「ここらの地理に関して、俺はお前の何十倍も詳しい。だからまだ大丈夫だ」
二人は現在、スラム街から普通の住宅街に差し掛かる手前の廃墟に身を潜めている。
ミルフィの視線の先には、街の中央にそびえたつ大きな時計塔があった。
現在地から視認はできないが、バレーヌ駅はその時計塔の傍に建っている。
普通に歩けば三十分ほどで到着するだろう。
しかし、指名手配中の二人は人目を忍んで移動しなければならないため、その倍、いや三倍はかかる。
時計塔を睨むミルフィの目つきには険しいものがあった。
ライも無駄な思考を止め、集中力を高めていった。
「いいか。ここからはスラムの外に出る。つまり今までのように楽にはいかないってことだ」
「『まだ大丈夫』じゃなかったのかしら」
「スラムは俺の庭だし、そもそも人が寄り付かない。道端に転がっていた奴らは世情に疎いのばっかりだ。だからここまでは何も問題なくこられた」
ライはミルフィに注意をするように人差し指を伸ばし、彼女の前に出す。
「だがここからの住宅街はそうはいかない。道行く人は全員俺たちの敵だと考えたほうがいい」
「さすがに市民は私たちの顔まではわからないはずよ」
「だとしてもだ。俺たちは疑いを持たれたら終わりなんだ。慎重すぎるにこしたことはない」
「それは、そうね。でも人に見つからないように日が沈むのを待っていたわけだから、列車の出発まで時間があまりないわ」
「慎重に急ぐしかない」
「矛盾という言葉を教えてあげたいけれど、本当にそうするしかないのが辛いところね」
ミルフィは幼さの残る顔にしわをよせて、右手でこめかみのあたりに触れた。
胸元の黄色のリボンが揺れる。
ミルフィはエクレアの用意した市民の服装に着替えていた。
もともと地下室に幽閉されていたせいで汚かったおかげで、ミルフィは少し貧しい家の子供といった様子だ。
違和感なくなじんでいる。
これで彼女が五大貴族の者だと疑う者は少ないだろう。
「ジロジロと見ないでと言っているでしょう」
「それだけ服装に違和感がないのを見ると、本当にお前がイアニッツの人間なのか怪しくなってきた」
「その話はさっきも聞いたわ。みすぼらしい格好が似合うだなんて失礼ね」
「いや、俺としてはそっちの方が親近感が湧いて助かる」
「スラム住まいの人間に言われたら、いよいよおしまいね」
ミルフィはやれやれといった様子で、胸元のリボンを引っ張った。
リボンは結ばれた形を変えずに引っ張られた方に動く。
その動きはリボンが本物ではなく、服と一体型のおもちゃのようなものだと示していた。
端を持っているにも関わらず、ほどけないで服自体が引っ張られる様は安っぽさを感じさせ、ますますライの親近感が高まった。
「冗談はほどほどにして、そろそろ行動を始めてもいいんじゃない。人がいなくなったわ」
「そうだな、もう少し待ったら行くぞ」
外を確認すると、周囲に人気がなくなっていた。
先ほどまでは数人組がスラムの入り口付近で駄弁っていたのだ。
その数人組の様子をうかがったところ、ちょうどイアニッツ当主が殺されたという話をしていたので、渋々身を隠していたのである。
顔まではばれていなくとも、スラムから指名手配犯と似た風貌の男が歩いてきていたら、軽率に犯人と結び付けられる可能性がある。実際そうであるので仕方ない。
さすがに街中だったら、ライと似た人物くらい大勢いるので素通りするところだが、スラムの入り口という一般人からするといかにも胡散臭い場所だと話が変わるのだ。
数人組がいなくなってから一分ほど待って、完全に大丈夫だと確信してから、ライはミルフィに声をかけ、街の中心にあるバレーヌ駅を目指して歩み始めた。
住宅街に入って最初のうちは、まだスラムと近いということもあって、全体的に閑散とした雰囲気に包まれていた。
中心街が最も発達しているバレーヌは、街の外周に近づくほど活気がなくなっていく。
その最果てが東のスラムなので、住宅街に入ってもすぐに世界が変わるということはない。
だが、言い換えれば中心街は世界が違う。
ライとミルフィが正体をばれずに中心街を抜けるのは至難の業だろう。
なるべく人がいなそうな裏道を使いながら、二人は少しずつバレーヌ駅へと近づく。
目的の列車が出発するまで二時間ほどだ。
高くにそびえる巨大な時計が、七時五分を指していた。
その時計の短針が左の九を、長針が天を指す刻に、二人は列車に乗っている必要がある。
あまり時間はない。
歪な放射環状路型のこの街は、大通りを使えばまっすぐ駅まで向かうことはできる。
しかし、その分人目に晒される機会が増えてしまう。
二人は騎士団には顔が割れているので、見張りが多そうな道は選択できない。
無論、今二人が進んでいるような細かい道も騎士団は捜索しているだろう。
だが危険を減らすという目的において、間違った選択ではない。
たまに人とすれ違いながらも、まだ二人が件の事件の張本人であると感づかれることはなかった。
そのまま暫く進み、人とすれ違う回数が徐々に増えてきたころ、ミルフィがライの裾を引いた。
ライが振り返ると、ミルフィは建物を指さし、あれ、と小さい声で呟いた。
ライは彼女になんだと問いかけようとしたところで、視界の中のあるものに気づき、遅れて彼女の言うことを理解した。
ミルフィが指をさしていたのは建物ではなく、その壁に貼ってある一枚の紙だった。
「手配書か……」
赤い文字で大きく、イアニッツ家当主が殺されたと綴るその紙は、自分たちを探すための手配書だった。
急いで貼ったのだろう、斜めに大きくずれて貼られていた。
そこにはライの体格や身なりについてざっくりと書かれている。
昨日の出来事であるのに、中心街と離れたこの付近まで手配書が貼られていることに、ライは危機感を増した。
想像よりも騎士団や衛兵隊の動きがずっと早い。
ライの脳裏に副団長がよぎった。
苦虫を噛み潰したような顔をし、ライは頭を振る。
手配書が街中に貼られていることくらいわかっていたが、実際に目にすると焦りが生まれてくる。当たり前のことだ。
ミルフィがそんなライの横顔を不安げにみつめていた。
その表情を見て、ライは少し冷静を取り戻す。
「ねえ、どうするの」
「どうするもなにもないだろ。やることは変わらない」
「大丈夫そう?」
「もとからが大丈夫じゃない。だから大丈夫だ」
「そう。ならいいわ」
「行くぞ」
ライは手配書から視線を切り、スラムから次第に栄えてきた街の様子に意識を戻した。
ミルフィは頷いて、何も言わずにライについていく。
日はすっかり沈んでしまったというのに、人の数は減るどころか数を増していった。
とはいえ、日中と比べるとかなり少ないだろう。
街灯が増え、夜が更けるにつれ明るくなってきた。
フードをかぶり、自身の特徴的な青髪を隠しているとはいっても、手配書を見てから人とすれ違うたびに、ばれるのではないかと冷汗をかく。
それはライに限らず、ミルフィにも同じことが言えた。
無意識に安っぽいリボンもどきをつまみながら歩いている。
手配書も度々目についた。
見かける度に、すぐそこまで追手がやってきているような気がして、ライは不自然にならないように気を張りながら周囲を確認した。
進むほどに街は栄え、人が増え、喧噪に包まれていく。
そうして進んでいくうちに、目の前に川が現れた。
昨日飛び込んだ川の下流だ。
下流とはいってもバレーヌは広い平野の上の街なので、水流や川幅はあまり変わらない。
そして川が現れたことが意味するのは、スラムの入り口からバレーヌ駅までの約半分を進んだということだ。
近づいたことでより存在感を放つ時計塔は、七時四十五分を指していた。
キベル行きの列車の出発まで残り一時間十五分。
ここまで来るのに四十分かかったことを考えると、急がないと間に合わない。
ここからの残り半分、この川を渡った先はバレーヌの中心街だ。
巨大な建物が並び、多くの明かりが街を照らす。そして多くの人がいる。
ここまで運よく騎士団や衛兵隊とは出くわさなかったが、中心街だとそうはいくまい。
進むのに倍近い時間がかかるだろう。
一秒も緊張の糸を切ってはならない。
一つのミスが分岐器を動かし、二人の人生を真の終点まで運ぶことになる。
周囲より少しだけ暗い道から顔を出し、ライは中心街の様子をうかがう。
ライは深呼吸をした。真似てミルフィも深呼吸をする。
「そこの橋を渡れば中心街だ。ここからは確実にどこかで騎士団か衛兵隊と鉢合わせる。ばれないのが理想だが、もしばれたら全力で逃げろ。俺が何人か引き付ける」
「……いいの?」
ミルフィはきょとんとした顔でライを見た後、不思議そうに尋ねた。
「私とあなたの関係はそこまでしてくれるほど深いものじゃないでしょう」
「ああ。だからお前も何人か引き付けてくれ」
「……そういうこと。ごめんなさい、あなたの避雷針にはならないわ」
「冗談だ。できるだけ俺が対処する。そもそも指名手配は俺なんだからな」
「随分と面白くない冗談を言うのね」
そう言ってミルフィはふふっと笑った。
緊張の糸を切らすのが死に直結するとはいえ、緊張のし過ぎも同じことだ。
ライはミルフィの緊張がほどよくほぐれたのを感じ、自分の緊張もほぐすことに成功した。
そして再び気を引き締める。
「心の準備ができたら言ってくれ。すぐにでも行くぞ」
「私はいつでも大丈夫よ」
「よし」
ライが細道から橋へと続く明るい道に出る。遅れてミルフィも姿を見せた。
路地裏などの建物に囲まれた目立たない道を歩いていた二人は、スラムを出て初めて視界が開けた。
前と後ろさえ気にしていればよかった先ほどまでとは打って変わって、全方位に神経を張り巡らせる。
はやる気持ちを押し殺して、ゆっくりと歩みを進めていく。
ここを急いで、誰かに不信感を抱かれれば終わりだ。
騎士団がいないか確認するために、もう一度ぐるりと周囲を見回したいところだが、理性が駄目だと制止をかける。
道行く人々にさっさといなくなってくれと願っても、無駄な願いであった。
流石は首都の中心街。
橋の向こうからやってくる人々は、背筋を伸ばして自信に満ち溢れているように見えた。
同じ都市の中にあのスラムが存在しているとは思えない。
前から歩いてくるスーツ姿の男が、すれ違う時にちょうど咳き込んだ。
気を張っていたミルフィが、きゃあと過剰に驚く。
その声に周囲の注目が集まるのを感じ、二人の背中に冷たいものが流れた。
心臓が早鐘をうつ。
咳き込んだ男は、ミルフィにごめんねと謝ってそのまま二人の逆方向へ歩いて行った。
たいしたことない日常の風景。
集まった注目もすぐに離散し、人々は自分の世界に帰っていく。
しかし、そんなちっぽけな日常すら二人の精神を確実にすり減らす。
いつばれるかわからない不安の気持ちを必死に騙して警戒し続ける二人は、些細な出来事に対しても過敏になっていた。
「気を張っているのはわかるが、もう少し耐えてくれ」
「ええ……わかったわ」
ライとミルフィは視線を合わせず、小さな声で短くやり取りをする。
日常に紛れるべく、表情を取り繕いながら。
橋に差し掛かり、いよいよ二人は中心街へと踏み込んだ。
長さは家五軒分ほどの短い橋だが、その後と先とでは大きな変化がある。
踏みつける橋は、以前も使ったことがあるはずなのに、足の裏に返ってくる感触がいつもより固いような気がした。
この橋はこんなに長かっただろうかと、警戒に染まるライの脳に訝しさが浮かび上がる。
向こう側までたどり着くまで一分以上歩いた気がした。
ミルフィが唾を呑む。
見上げるほど高い建物たちが、厳かに二人を待ち構えている。
普段ならば、ライは依頼でよく中心街に立ち入り、ミルフィはイアニッツ家の令嬢であるので、見上げる程度の建物に今更驚くこともないし、気にすることもない。
だが、その見慣れた光景は、日常という大きな色眼鏡越しの景色でしかなかった。
いざ外してみると、引き返せといわんばかりに威圧感を放つ巨大な存在が目に映る。
二人は橋の先端を踏み越えた。
距離にしてたったの数十メートルしか違わないが、橋を渡る前と後で明らかに雰囲気が変わったのを肌で感じる。
橋前は人目につくので、すぐに建物の下に移動した。
中心街の厄介な点として、裏道らしい裏道がない。
巨大なコンクリートの塊が規則正しく整列しているせいで、どこもかしこも人目がある。
建物の傍を歩くことで、できる限り死角を減らすことしかできない。
「橋に繋がる大通りは人が多い。道路を一本横に移動するぞ」
ライの言葉にミルフィは静かに頷いた。すぐに行動に移す。
三十メートルほど直線に進み、ライはすぐに左に曲がった。慌ててミルフィも続く。
ミルフィが曲がって視線を前に向けると、前を歩くライが一瞬止まった。
その間に彼の隣に立ち、ミルフィはライが止まったわけを知る。
衛兵だ。
二人はなんでもないように振る舞うため、すぐさま歩き始めた。
ここで立ち止まるのはあまりに不自然だ。
衛兵隊はこの国の治安機関の下に位置する。つまり、騎士団の部下的な立ち位置だ。
衛兵は金属で身を固める騎士とは違って上半身を赤色、下半身を黒で統一した隊服を着ているので、非常にわかりやすい。
衛兵は二人から数メートル先にある建物に何かを貼っているようだった。
それがこれまで散々見た手配書であることは明らかだ。
幸い、二人のことを特段気に留めた様子もなく、衛兵は面倒くさそうに己の仕事をこなしていた。
ライとミルフィは衛兵に視線を合わせないようにしながら、衛兵の横を通り過ぎる。
昨日イアニッツ家でパーティーがあったとき、その場に衛兵はいなく、ライが顔を見られたのは騎士団の人間とイアニッツ家の私兵である。
そのため、この衛兵がライの正体をすぐに看破することはできないはずだ。
己に言い聞かせ、二人は振り返らずに距離を取っていく。
現れた十字路をすぐに右に曲がる。
これで先ほどの衛兵の視界には絶対に入らないだろう。
しかし、やりすごしたことを喜ぶ余裕は二人にはない。
中心街に入ってすぐに衛兵と遭遇したことから、このまますんなりと上手くいくわけがないということを再認識する。
舌打ちをしたい気持ちをこらえ、ライは曲がったばかりの十字路をちらっと振り返る。
ミルフィは速まる鼓動を落ち着けようと、胸に手をあてた。
そんな二人の近くを歩く人々は、特にライたちのことを見ていなかった。
二人が思うより、人は他人のことを気にしない生き物らしい。
その大きさのせいで近くにあるように感じられた時計塔が、急に遠い存在に思えてくる。
時計塔のある方角に向き直ったライは、数十メートル先で、横道から出てきた赤い隊服に気づいた。
夜にも関わらず数十メートル先を見据えることができるほど明るい中心街を恨むべきか、感謝すべきか。敵を認知しやすく、認知されやすい。
ミルフィの腕を軽く叩いて、ライは新しい衛兵の存在を知らせる。
ミルフィの身体が一瞬強張ったのがわかった。
ライはそのまま進み出す。
今来た道を引き返したところで、さっきの衛兵と嬉しくない再会をするだけだ。
正面に見える衛兵もこちらの姿は視界に入っているだろう。
急に引き返すと奇妙に捉えられかねない。
足を踏み出したライを見て、ミルフィはぎょっとした。
咄嗟にライのあとを追うが、内心焦りが生まれていた。
落ち着けたばかりの心臓が再びその速度を上げ始めたのを感じる。
ミルフィは胸元のリボンもどきに手を伸ばした。
緊張した表情から、それが無意識の行動であることが察せられる。
「落ち着け」
ライが前を見たまま、表情を変えずに小さな声で言った。
しかし昨日まで赤の他人だった人間の声一つで鎮められるほどの動機ではない。
緊張で汗がにじむ。リボンもどきを掴む力が強まる。
いくら達観しているとはいえ、ミルフィはまだ子供なのだ。無理もないだろう。
横目でミルフィの様子を確認したライにも、まずい、と焦りが生まれる。
衛兵との距離が縮まってくる。
顔の輪郭までくっきりわかるほどの距離だ。
俯きがちに歩くミルフィ。フードを深くかぶり直すライ。
衛兵の注意が二人に向いた。
眉をひそめて、近寄ってくる。
──まずい、ばれたか。
ライは逃げるために走り出す準備をする。
いつでも駆けだせるように、無造作にミルフィの手を握った。
ライと衛兵の視線がかち合う。
走り出そうとしたところで、衛兵が表情を変えた。
「おいお前、こんな時間に子供を連れまわすもんじゃない。近頃は物騒だから早く帰りな。嬢ちゃんも怯えてるじゃないか」
その言葉にライは出しかけた足を止める。
ミルフィはずっと地面を見つめていた。
衛兵は二人の繋いだ手を見る。
「いいか、その手を離すんじゃないぞ。何があるかわからんからな」
「……ああ、そうしよう」
衛兵はライに注意をし、そのまま去っていった。
ライは安堵したが、一つ危機を凌いだだけで、状況は何も改善されていない。
まだまだバレーヌ駅までは遠いのだ。
ライは咄嗟に掴んだミルフィの手を離そうとした。
しかし、ミルフィがいまだ力強く握っている。
「おい、衛兵は行ったぞ」
ライが声をかけても、離す気配がなかった。
小さな体が小刻みに震えている。
ライはまだミルフィについて全然知らないが、こうも怯えるとは予想外だった。
ライのミルフィへの印象は、冷静で達観しているというもの。
こんなに子供らしい一面があったのは意外であり、悪い知らせだった。
片手が使えなくなるのはまずい。
悪いとは思いつつも、少し強引に腕を振りほどく。
「痛っ!」
「悪いがここで足踏みしてる場合じゃない」
「…………」
罪悪感を覚えつつも、深刻そうな顔でライが言った。
ミルフィは振り払われた手に触れ、呆気にとられた様子だ。
正気に戻ったのか、申し訳なさそうに肩を縮める。
「ごめんなさい。でも、もうちょっと優しくできなかったのかしら」
「すまん。気遣う余裕があればそうしてる。行くぞ」
無言で歩き出す二人。
その姿を真上から照らす街灯が、少し距離が離れた二人の影を地面にそっと映し出す。
小さいほうの影が大きい方の影に手を伸ばし、短い躊躇いのあとに引っ込められた。
大きい影はそれに気づかなかった。