ノーランド・フォン・リューネベルク。或いは皇帝陛下シャルル・ジ・ブリタニアの為に造られた肉の器。
人類種を生理的に嫌悪する怪物は、やはり殺意的な嫌悪と共に私の前に立ち塞がった。
私はアーニャにしばらく別の場所で時間を潰してくるよう、駄賃とともに言い含め、ノーランドと対峙する。邂逅する二人のラウンズに、気圧されたのか市場を賑わせていた人集りは露のように消えていた。
「カークウェインの件はお前の入れ知恵だな」
「入れ知恵? ナイト・オブ・ラウンズとして為すべき働きを遂行しただけですが」
「ホッカイドウはお前の領分の外にある。 出すぎた真似をするな」
「貴方の領分でもないでしょう。この地の領主は皇重護氏であり、カークウェインの君主もまたあの御方です。そこに貴方が介在する余地などありません」
「この地を統治しているのはあの男だけでは無い。領地の一角の主として少なくともお前よりは今回の件に口を出す権利がある」
「カークウェインの兄弟の凶行は貴方の領地で起きたことではありません。介入する口実も義務もやはり無いのでは。 それに私は口を出したのではなく、あくまでお伝えすべきことをそのままお伝えしただけです」
「どう言い繕おうが越権行為だ。そもそも貴様、どうやって証拠を揃えた? 間諜でも放ったか」
この時期から彼はカークウェイン兄弟に目を付けていたのだろう。短絡的かつ衝動的。その上で残虐な彼らはノーランドにとって最適な捨て駒と言える。現時点でどこまであの計画を練っているのかは不明だが、ここで出張ってきたことを鑑みるに、己の目的のために皇家から領主の座を簒奪するくらいのことは既に考えていそうだ。
「さぁどうでしょう。 なにか後ろ暗いことでも?」
「人の土地で幼稚な政治ごっこは止めろと言っている。 目障りだ」
「政治ごっこと言われても、見ての通り観光をしているだけなのですが」
「この市場に金を出しているのが誰か知らんと見える。滑稽だな」
「あら、それは失敬」
成程。この市場にリューネベルクはスポンサーとして関わってるらしい。であるのならば、キャサリンを襲ったあの人攫いの出処も途端に怪しくなるが、それは流石に穿ちすぎか。
確かなのは、自分の縄張りに入ってきた私に釘を刺しに来たということ。カークウェインという駒を盤面から消されたことが余程不快だったらしい。
「なんにせよ、領民に危害を加える不埒な輩が消えたのです。喜ぶべきことでは?」
「皇帝の騎士がイレブンに肩入れする気か?」
「この地にてイレブンたちの自由が許されているのは皇帝陛下のお慈悲故です。それを反故にすることこそ、ラウンズとして許すまじき背信行為でしょう」
「詭弁だな。 皇帝はこのような些事に心を割かん。……いや、己が剣であるラウンズの新参が、惰弱な精神の持ち主であることは不快に思うかもしれんな」
無表情で嘲る目の前の男に、私は強い不快感を覚えた。 そして、そんな自分に違和感を抱く。物語の登場人物にこんな感情を抱くことは初めての事だった。
彼らと関わって喜びや悲しみ、或いは憤りを感じることはあっても、ノーランドに対するような嫌悪を抱いたことはなかった。私はなぜここまでノーランドに対して負の感情を抱いているのか。
とにかく、目の前の男を否定したい。そんな気持ちを抑えられなかったせいか、口から挑発がこぼれ落ちる。
「随分と陛下の心の在り処をお気になさるのですね」
「……何が言いたい」
「私も貴方も、その間の諍いすらも陛下からすれば些事でしょう」
「……」
あの人の関心領域は彼が統べる世界の広大さに反して、あまりにも狭い。そしてその中に、私も、あの人の複製物であるノーランドも存在していない。私も彼も、あの人にとっては等しく駒でしかなく、いくらでも替えの効くどうでも良いものでしかないのだ。
そんなことは私以上に理解している筈の彼が、陛下がどう考えるかを述べる様は、私には酷く滑稽で憐れに見えた。
「まるで、飼い主に構われるのを待っている
「───────」
─────刹那、時間すら凍てつかせるような強い殺意と憎悪が私を襲った。だが、それすらも私にとっては彼に対する嫌悪の根拠にしかならなかった。
「言葉が過ぎるぞ、小娘」
声は至って平坦。 表情は仮面に覆われて何も読み取れない。だが、確かに彼は私の発言に、強い負の感情を抱いている。
「図星だからお怒りになってるのでは、などと幼稚なことは言いません。しかし、それ程までに感情を露にしてしまうと仮面の意味がなくなってしまいますよ?」
全くもって滑稽だ。人類種を嫌悪しておきながらその実、自身が産まれた理由であるシャルル・ジ・ブリタニアという男に、血縁らしい何かを求めているなんて。ああ、前世の私はそんな彼にどこか同情的だったはずなのだが、なぜここまで心の底から加虐心が湧いてくるのか。
いつの間にか降り始めた雪が頬を撫でる。己すら凍てつかせるような嫌悪は、氷雪の冷たさを忘れさせた。
「……くだらん挑発だな。 決闘を所望しているのか?」
「いえ、まさか。 私は貴方に好感を抱いているのですよ? だって」
─────とっても人間的じゃありませんか。
私がそう嗤うのと、彼の一対の剣が鞘から抜かれるのはほぼ同時だった。鋭い斬撃が、私という存在を否定せんと放たれる。
私もそれに応えるように、剣の鞘でそれを受け止め、しばしの均衡ののち、押し返す。剣を振るってから理性を取り戻したのか、ノーランドが力を僅かに抜いたために、押し返すのは簡単だった。ノーランドが間合いの外まで退いたのを確認してから、私は剣を抜く。
朧月が照らす雪華の中、ノーランドと私は抜き身の殺意を互いに向けあった。そこには騎士としての高潔さなど皆無であり、目の前の嫌悪対象を完全否定せんという、原始的で稚拙な殺意が在るのみ。
ナイト・オブ・ワンから半ば強制的に受けた、剣術の研鑽の記憶を何度も反芻させながら、目の前の男を最も効率的かつ確実に
ラウンズ同士で殺意とともに刃を交えるということは、何方かが死ぬということである。私はそれを容認するどころか歓迎していた。どちらにせよ目の前の生き物は死ななければならない。私は構え、悍ましい生き物に切り掛る。ノーランドが動いたのもそれとほぼ同時だった。
この男を、私は絶対に殺す。世界のため、違う。私はこの男が────
「──────そこまでにしとけぇ、ラウンズども」
心底から気怠そうな声とともに放たれた二本の短剣は、互いの身体を今切り裂かんとしていた剣を弾いた。ノーランドにはまだ剣が残っている。私は直ぐに飛び退き、ノーランドから離れて短剣の持ち主を見る。
「なんでお前さんたちは市場でチャンバラやっておるんだ、ええ?」
波立つ灰色の髪。痩せ型。骸骨を想起させるような顔立ちは、彼の年齢を推測させにくくするのに役立っていた。
「クリストフ・シザーマンですか」
「…ほぉ? これは光栄だ。是非とも俺を知った切っ掛けを聞かせて頂きたいものだが」
一瞬、クリストフは動揺した。汚れ仕事ばかりで表に出ていない自分の名前を知っていたことが予想外だったのだろう。この手の狡猾な人間はこうしてやれば深読みに陥る。勝手に勘繰り続ければいい。
「見事な腕前ですね」
「おいおい、技術畑の人間を煽ててくれるな」
「ですが、的を間違えたのでは? それとも翻意でも抱きましたか、この人でなしに」
そう言って、ノーランドの方を見る。彼は既に持っていた片方の剣を鞘に収めていた。
「おいおい散々な言われようだなぁ、ノーランド」
何したんだ?と揶揄うクリストフに答えず、ノーランドはもう片方の剣も拾って、やはり鞘に収めた。仕方ないので、それに倣い私も矛を収める。
「別に的は間違えておらんさ。 阿呆どもの喧嘩で失職したくないんでなァ」
「なるほど。貴方とは気が合いそうですね」
「……言っておくが、阿呆には嬢ちゃんも含まれておるわけだが」
「聞かなかったことにしておきましょう」
気づけばクリストフは、ノーランドの盾になるように移動していた。巧妙な視点誘導と、無音の足運び。これが手練の暗殺者か。
クリストフにノーランドに対するような嫌悪感を抱いていない自分を俯瞰した。残虐性で言えば彼も大概なのに、物語の通りに飄々としているクリストフという男に僅かながらも好感すら抱いている。だと言うのに、なぜノーランドに対してはここまで嫌悪が沸き立つのか。
考えている間も、今すぐにでもノーランドという存在を否定したい気持ちを抑えきれなくなりそうだった。
「……さっさと去れ、トゥエルブ」
興味は失せた、とでも言いたげに背を向けるノーランドに思わず失笑してしまう。彼の中はきっとどうやって私を秘密裏に駆除するかの思考でいっぱいいっぱいだろうに。
「という訳だ、トゥエルブのお嬢ちゃん。 悪いがパーティーは終わりだ。さっさと家に帰んな。ここで意味も無く斬りあったことを問題にして、困るのはお嬢ちゃんもだろう。そもそもの発端はお前さんの挑発なんだしな。
……なに、ウチの領民たちは品行方正だ。くだらん噂話で身を危うくするような愚か者はおらんだろう?」
クリストフはわざとらしく大きな声で言いながら、群衆に目をやる。それは暗に、野次馬である彼らへの牽制でもあるようで、口封じであることを察した彼らは何も見ていない、とアピールするように目を逸らして、市場活動を再開した。
「取り計らい感謝いたします。 それでは」
私もやはり、ノーランドという嫌悪対象をどう物語から消そうかを考えながら、その場を後にした。一体、私の中で何が起きているのだろうか。
*
「お前さんらしくないじゃないか? ええ?」
クリストフは雪に濡れた短剣を拭いながら、何も言わずに夜空を見上げるノーランドに問いかけた。
ノーランドと古い付き合いであるクリストフにとって、今回の彼の行動は予想外のものだった。癇癪とすら表現できるノーランドの暴挙は、下手をすれば自分たちの立場を危うくするようなもので、普段の合理的な彼からは想像できない様なものだったからだ。
仮に自分たちが行っている暗躍の数々が白日の元に晒されることになれば、皇帝陛下は湿気たマッチを捨てるかの如く、簡単にノーランドと、その麾下を切り捨てるだろう。自分たちなんて所詮その程度の存在でしかない。
「あんな小娘の挑発に乗せられるなんてなぁ。 お前も焼きが回ったか?」
「……モニカ・クルシェフスキー」
「……」
仮面に大部分を覆い隠された主の表情を見て、クリストフは事の異常さの本質を漸く理解した。モニカ・クルシェフスキーという個人に、ノーランドは強い関心を抱いている。一人の人間として。
「なるほど、これはよっぽどだ」
ノーランドの心境など知ったことでは無いし、知りたくもないクリストフだが、その価値観に関しては薄々察しが付いていた。ノーランドは他者を判別しない。あるのは自身に有益か、或いは有害かの大雑把な区別のみであり、そのどちらであっても他者という生き物をノーランドは嫌悪していた。
いや、より正確に言えば気色悪がっていた。例えるなら人が地を這う虫を見て、顔を顰めるように、ノーランドは人類を五感で捉えることを強く拒絶していた。そこに美醜や老若男女といった人間的な区別はなく、可能であれば彼は地球上から人類を例外なく駆除することを選ぶだろう。
故にクリストフ個人の半ば趣味的な、倫理を踏み躙るような研究もある程度自由に出来ている。 それすらもノーランドからすれば不快害虫が不快害虫を甚振っているようにしか見えていないのだろうが。
不快害虫を嫌悪する者はあれど、不快害虫個々を判別してその上で個別に嫌悪するような者は居ない。ノーランドもまた、その例に漏れることはない。そう思っていた。
「あの嬢ちゃんのどこが癪に障ったのか。 俺には見当もつかんが…」
既に小さくなったモニカ・クルシェフスキーの背中を、じっと見つめるノーランドに、クリストフは嘆息した。
「モニカ・クルシェフスキーについて調べろ」
「そう来ると思っておったよ。 それで? 俺は何を調べればいいのだ?」
「全てだ」
「……あぁ?」
「奴の生い立ちから現在、家族の経歴や私的な交友関係。 それらを全て洗い出せ。 その上で奴を潰せる汚点を見つけ出せ」
「……いつまでに?」
「おそらく奴はあと二週間はホッカイドウに滞在する。 それが仕事のタイムリミットだ」
「…………………承知した」
大声で悪態を吐きたい気持ちになったが、どうにか堪える。今それをやれば、きっと自分も駆除されてしまうだろうから。そう確信できるほどに、目の前の男は殺意と憎悪に満ち満ちていた。
去り際、クリストフは主に問いかけた。
「……ノーランド」
「なんだ」
「お前さん、今の自分について説明できるか?」
「下らん問いだな。己についてお前を説き伏せてなんの意味がある? さっさと仕事に取り掛かれ」
「わかったわかった。 それじゃあな」
言って、内心ではノーランドが下らないと吐き捨て、答えなかった問いに思いを馳せた。今のノーランドが陥っている嫌悪の名前を、クリストフは知っている。
───そりゃ、
世界に異物として生きることを強いられた二人のラウンズ。その間に挟まれた男は、これから待ち受ける仕事量に頭を掻きむしりながら雑踏に消えた。
地味に掴みづらい鋏男の口調。そろそろ反逆のルルーシュ範囲に入る予定です。