皇暦2017年の初頭から、その殆どが廃墟で構成されるシンジュクゲットーに、トラックと高級車が混在する妙な車列が食糧物資とともにやって来ることが増えた。慈善団体を名乗る彼らは、無償で炊き出しなどをしてシンジュクゲットーの人々へ奉仕活動を繰り返した。
彼らのほとんどがブリタニア人であったこと、バックに企業の影がチラつくなどのことが要因で、当初はゲットーに住む人々の多くは施しを忌避していたが、それも時間と飢えによって簡単に溶けてしまい、一ヶ月もすればゲットーの住民の殆どがその慈善団体の恩恵を享受するようになっていた。
半ば談笑すら繰り広げられるようになった彼らだが、住民たちは黒い制服を身にまとった彼らの素性を知らないままだった。なぜ、自分たちに施しをするのか、彼らの裏には何がいるのか。わかっているのは政庁に許諾を貰った上で、善意の支援を行っているということだけ。
住民の中には懐疑的な視線を向ける者もいたが、その声は他の住民たちの前ではあまりにもか細すぎた。
宥和政策を掲げながら、ゲットーに住む非名誉ブリタニア人への弾圧を強めるクロヴィス政権下において、正体不明と言えども直接的な支援を行っている彼らを、強い形で拒絶する者など現れることもなく。最終的には、懐疑的であった者達も彼らの施しを頼るしか無くなった。
そしてオオサカにて爆破テロが起こされた二日後、とあるレジスタンスたちがクロヴィスの弱点を強奪した運命の日。
まるで、最初から全てを知っていたような顔で彼らはいつものようにゲットーへとやって来て、住民の殆どを貼り付けたような笑顔で回収していってしまった。曰く貴方たちのためなのです、と。抵抗する者は居なかったという。
その日、シンジュクゲットーから人が消えた。
*
「何があろうともナイト・オブ・トゥエルブの介入を許すな。 この件が父上に伝われば、私は廃嫡。貴様は処刑だろうよ、バトレー」
「しょ、承知致しましたッ!」
「ふん……」
G-1ベースの司令室にて、クロヴィスは苛立ちをどうにか表に出さないように盤面を俯瞰した。それは、彼が敬愛しつつも畏怖する兄シュナイゼルに倣っての姿勢だったが、自分に向かない在り方であることを心のどこかで自覚していた。
ルルーシュやナナリーへの手向けとして始めた為政者としての生き方は、クロヴィスに多くの苦悩を与えた。己が推し進めている宥和政策も、結局は書物から表面だけを模倣した張りぼてに過ぎないことは自分でも理解していた。
道化で在り続けるには賢しすぎ、王で在り続けるには愚かすぎたのだ。自身が嗜む演劇に登場するような、愚かな王が鏡の向こうにいるのを彼は毎朝叫びたくなる気持ちを抑えながら、自信に満ち満ちた皇子としての自分を演じる。
だがそれも、限界を迎えつつある。だからだろうか、彼がシンジュクに住む者たちの虐殺をあっさりと命じたのは。クロヴィスは美を愛する芸術家ではあるが、牧歌的な世界を信仰する聖者などではない。ナンバーズに対しても、それ相応の軽蔑心を持ち合わせている。
だがそれでも、虐殺を是とする程には彼の感受性は麻痺していない。いや、麻痺していなかったはずだった。平民出身の皇妃を敬愛し、その子たちを真に兄として愛した彼がここまで残酷になってしまったのは、ブリタニアの皇子として過ごした時間による、腐敗に近い進化に依拠する物だ。
高い司令室から、外の廃墟街を見渡す。
瓦礫と今にも崩れ落ちそうなコンクリート群によって構成される世界は、ほんの十年前まではまだこの辺りが大都市の中枢だったとは思えないほどに荒れ果てていた。
「KMF部隊、並びに歩兵部隊がシンジュクゲットーに投下されたようです!」
己の失態を取り戻すのに必死なバトレーは直々に各部隊の指揮を執っている。文官だった彼を重用したのは、一重に彼の能力がクロヴィス好みであったからだ。自身と同様に考古学や美術の尊さを熟知しているが故に、使えると判断して将軍の地位にまで昇進させた。
実際、彼は件の実験体と各地の遺跡の研究に関して、十分以上の働きを見せてくれた。だが、それが将軍として優れているかというのはまた別の話。どこまで行っても、将としての彼は凡庸だったのだ。
結局は、クロヴィスもバトレーも向いていなかった。何に。ブリタニアという国是の元で生きることに、だ。
「……まだ見つからんのかッ!?」
痺れを切らしたクロヴィスが身を乗り出してバトレーを叱責する。バトレーはやや躊躇した後に、答える。
「それがその……テロリストどころかシンジュクゲットーにいるはずのイレブンたちが一切見当たらないと…」
「………なに?」
情報によれば決して少なくない程度のイレブンがゲットーに居を構えているはずだった。無論、彼らに戸籍などは存在しないので正確な数を把握している訳では無いが。
「そんな訳があるかッ!」
この数時間で、危機を察知してもぬけの殻にする程までに速やかに集団で避難する。それは、戦略に疎いクロヴィスからしても無理筋であることは分かりきっていた。或いは件の盗賊が用意周到だったか。
思考の迷路から脱出する答えを導いてくれるほど、クロヴィスの能力は高くなかった。かと言って気休め程度のまやかしで思考停止することも出来ない。
気がつけば、己の親指の爪を齧っていた。それは幼い頃に母ガブリエッラから矯正された悪癖だった。
────嗚呼、あの時はマリアンヌ様も、ルルーシュもナナリーも生きていたというのに。
だが状況はクロヴィスが郷愁に浸ることを許さず、さらに新たな展開を齎す。
「ど、同士討ち!? 何が起きている!!」
バトレーのその一言をきっかけに、盤面は一気に傾くこととなる。不可解な同士討ちや、魔女の失踪。そして極めつけは、藤堂を想起させるような正体不明の敵の指揮官。
特派の乱入による純白の嚮導兵器投下が行われるまで、その一方的な蹂躙は続いた。その間、一体どうすれば良かったのだという問いが、クロヴィスの中で何度も反響されていた。
*
「お久しぶりです。兄さん」
─────その答えがこれか。
死んだと思っていた弟に銃を突きつけられながら、クロヴィスは己を自嘲した。きっとこの一幕を演劇の脚本に組み込むのであれば、ある種の喜劇として観客から受け止められるだろう。
現実を直視できずに、情けのない声が漏れる。
ルルーシュが生きていたことへの歓喜、己の敵として現れたことへの困惑、これまで自分がしてきたことへの徒労感。その全てが、彼を襲った。
なぜ、この場に至ったか。それを語るルルーシュは誰の目にも復讐者として映ることだろう。そういった物語も芸術家の端くれとして嗜むクロヴィスからすれば、彼という存在の文脈を正確に理解することはさして難しいことではなかった。問題は、最初に打ち倒される悪役が自分であることくらいだろうか。
視界の端で、モニカ・クルシェフスキーから贈られた復讐の女神の胸像が映る。なんとも、示唆的ではないか。彼の中でモニカ・クルシェフスキーへの評価が上がった。案外、解る女だったのかもしれない。
「い、生きていて嬉しいよルルーシュ。 どうだい、このまま私と本国に」
己でも白々しく感じる誘いを、ルルーシュはあっさりと切り捨てる。
「黙れ。 また俺たちを政治の道具にするつもりか」
「───ッ!」
「お前は何故、俺たちが道具にされたか忘れたようだな」
ルルーシュたちが政治の道具としてかつて日本と呼ばれていたこの地に売り飛ばされたことを、クロヴィスは知っていた。そして、その上で彼は己の無力を悔いたのだ。もっと自分に力があれば、ルルーシュたちが政治に圧殺されることは無かったのに、と。
「母さんが殺されたからだ…!」
「私ではない! 私は殺してなど……!」
「ならば知っていることを話せ……!」
だがきっと、そんな葛藤は目の前の復讐者には些事でしかないだろう。気がつけばルルーシュの左目には鳥の紋様が浮かび上がっていた。あれは、バトレーの研究でも何度か見かけた────
「……なっ!?」
そして自我を取り戻した時には、眼に鳥の紋章を浮かべたルルーシュが忌々しげに立っていた。無論、銃口を向けたまま。今、自分は何を口走っていた?
「違う、私じゃない!!! 頼む、腹違いとはいえ実の兄だぞッ!!」
必死に、弟に懇願する。
命惜しさに。それもあるが、それ以上にルルーシュたちのために自分がやってきたことを知って欲しかったのだ。でないと、これまでの自分の人生は一体なんだったのか。
「綺麗事で、世界は変えられないから」
こちらの懇願など知ったことでは無いルルーシュは、残忍な笑顔で引き金を引こうとする、刹那──────
────胸像を起点として強烈な閃光と破裂音が、部屋を包み込んだ。
「ぐぅあああ……!!」
「なっ!? クロヴィス、貴様まさかっ!?」
焼けるような目の痛みに悶えるクロヴィスに、ルルーシュが怒鳴りつけるように問い掛ける。しかし、クロヴィスは答えも答える術も持ち合わせていなかった。
何が起きているか分からずに、蹲っていると誰かがクロヴィスを持ち上げた。
「失礼、殿下。 しばしの間、無礼をお許しください」
クロヴィスにのみ聞こえる声で、己を抱える誰かが囁いた。クロヴィスは最早、身を任せる以外の選択肢はなかった。
*
視界と聴力を取り戻したルルーシュの目の前には、既にクロヴィスの姿は消えていた。当然だろう。
「クソッ…!! 不味い! 不味すぎる!!」
ルルーシュは直ぐにG-1ベースを事前に決めていたルートを辿って脱出を敢行する。最悪、この脱出ルートすらクロヴィスの想定範囲内ではないかと考えていたため、無事に外に出られたときには胸を撫で下ろしてしまった。しかし、すぐにナナリーの存在に思い至り、情けなく息を切らしながらも走り出す。
────クソ…完全に誤算だった…! まさかクロヴィスがあそこまでやるとは…!!
思えば、上手く行きすぎだったのだ。都合よく他者を従わせる力を手に入れて、都合よく動かせる手駒がいて、都合よくシンジュクゲットーがもぬけの殻で……
それらの偶然が全て、クロヴィスという男の掌で準備された舞台だったのでは無いか。ルルーシュは己の素性を晒してしまったことを激しく後悔した。
或いは、全てを知った上で泳がされていたのかもしれない。考えてみれば、あのタイミングでスザクと再会できたのも不自然だ。自分はあの男が誂えた悪趣味な舞台の上のキャラクターとして踊らされていただけでは?
最悪な想定が、優れた頭脳によって次々に導き出される。ルルーシュは自傷的に焦燥を加速させながら、ひとつの高級車の前に飛び出す。高性能化されたその車は、ルルーシュという物体を察知して、容易に停車して見せた。
「おい、死にてぇのかガキ!!」
「アッシュフォード学園まで俺を送れッ!! 迅速にッ!!!!」
「ああ!?…………わかった」
ルルーシュに命じられた運転手は、まるで夢を見ているかのような穏やかさで、ルルーシュを車内に招いた。
快適性を極限まで求めた内装は、追い詰められたルルーシュに安寧を齎すことが出来ず、彼の目はずっと景色とナビゲーション画面に釘付けになっていた。
─────早く、ナナリーの元へ……!
今すぐにでもナナリーへ電話を掛けたい気持ちに駆られたが、傍受されている可能性が高い今、それは悪手でしかない。とにかく、アッシュフォードへ辿り着いたらナナリーを連れてエリア11を後にしないと。
大丈夫だ。国内脱出のための手筈も準備している。いやしかし、クロヴィスなら────
「着いたぞ」
運転手の声により、ようやく現実に戻る。早く降りないとギアスの効力が切れて面倒なことになると判断したルルーシュは、一瞥もせずに車から降りて、ナナリーの元へと向かう。
G-1ベースから脱出する前に服は着替えた。傍から見ればただの学生にしか見えない。
ならば、あとはナナリーを連れて脱出するだけ。ルルーシュは自分たちの家へと繋がる扉を開くとそこには──────
「遅かったですね、ルルーシュ」
「モ……ニカ、先輩?」
いつもそうしているように、ナナリーと戯れるモニカ・クルシェフスキーが、そこに居た。だが、その装いはいつもの学生としての彼女ではなく、軍人としてのそれで。
「………まさか」
クロヴィスが、モニカをここに向かわせたのか? 自分の心を折るのに、最適な登場人物として。
だとしたらどうする? この力を使うか? いや、駄目だ。生徒会のメンバーには使いたくない。それをすれば自分は決定的に堕ちてしまう。それ以前にナナリーの前で使うべきではない。
「お兄様、無事だったのですね!」
ナナリーは無邪気に自分の帰りを喜んでいる。ということは、まだ知らされていない? いや、これからなのか? そもそも、なぜモニカ一人がここにいる?
「まったく、あまりナナリーを心配させないでください」
モニカは、いつもの態度をルルーシュに向けた。軍服を着ている以外は、本当にいつもの彼女だ。少なくとも、テロリストを捕まえに来たようには見えない。
「モニカ先輩……なぜ、ここに貴方が」
「モニカさんは私を守ってくれていたんです」
モニカの代わりに、ナナリーが嬉しそうに答えた。守る、何から。
「私も詳しくは知らないんですが、シンジュクで戦闘が起きたようなのです。 テロリストも関与しているという話を聞いたので、思わず軍服のままここに駆けつけちゃいました」
「……」
本当に、詳しく知らないのか? ナイト・オブ・ラウンズが? そんなことが、有り得るのか?
「私はクロヴィス殿下から嫌われてますからね。 今回の件も、絶対に干渉してくるなと釘を刺されてしまいました。 あ、これは軍事機密なのでオフレコでお願いします」
そう言って、モニカはテレビを点けた。信じていいのか。いや仮にそれが本当だとしても、クロヴィスと、彼を救出した何者かに顔を見られたのだ。ここに兵が至るのは時間の問題で……
『えー…ただいま、政庁からクロヴィス殿下の薨去が確認されたとの発表がありました。 殿下の御遺体は、卑劣なテロリストによってシンジュクゲットーの道端に打ち捨てられており…』
「──────は?」
ルルーシュはそこでようやく、自分を俯瞰している何かが、クロヴィスでは無い何者かであることを悟った。