キューエルの粛清未遂の翌日。私は何も無かったように、一学生として日常を過ごしていた。
ユーフェミアの介入により、あの日のいざこざも無かったことになったので、それも当然の事だろう。
故に生徒たちの関心は未だに、軍のつまらない派閥争いではなく、ゼロという仮面の反乱分子へ向いていた。
テロの活発化に漠然とした恐れを抱いている者、刺激的なやり口を面白がっている者、反応は様々ではあれど誰もが突如として現れた非日常に酩酊しているように見える。
そんな浮ついた教室の様相を、私は
「おはよぉ〜……ってなに、その大きな丸眼鏡。イメチェン?」
欠伸をしながら挨拶してきたミレイは、ぎょっとしたように私の顔を見ていた。私は態とらしく人差し指で眼鏡を直してみせる。
「気分転換。似合ってるでしょ?」
「まぁ、印象は凄く変わったけど。モニカのくせになんか真面目そう」
「私の真面目さは国民から定評がありますが?」
「ブリタニア軍の広報努力の賜物ね」
ミレイは苦笑いしながら、私の隣にある自身の席に座った。
いつもならそのまま談笑を続けるのだが、ミレイは鞄から何枚かの書類を取り出すと、それに難しい顔で向き合い始めた。
これは異常事態である。彼女が書類に向き合う時というのは大抵の場合、馬鹿騒ぎの企画書であり当然その際は難しい顔など浮かべない。
揶揄ってやろうと無音で立ち上がり、彼女の背中まで移動する。この教室内で一連の私の動きを認識出来ている者は皆無だろう。
ミレイの肩の上まで顔をやり、ショルダーハックを敢行する。すると、思いがけない…訳では無いが、目を見張る名前を見つけた。
「あら、枢木くん今日、ウチに転校してくるのね」
「えっ……うわっ!!?
ちょっと、その瞬間移動みたいなやつ止めてって前にも言ったわよね!?」
「ごめんなさい。珍しく難しい顔をしてるから何かと思って」
「珍しく……って失礼な。
もしかして、この彼と知り合い?」
「詳しくは言えないけど、仕事でね」
「ああ、そっか、軍人だものね。
同じく詳しくは言えないんだけど、ある人の手配で彼を受け入れることになったのよ」
「ああ、ユフィが無理を言ったのね。大変そう」
「……そことも知り合い? というか、あまり気軽に名前を出さないでよ」
ミレイは周りの目を気にしながら、私を睨みつけた。親友の貴族令嬢っぽいところを久しぶりに見てしまった私は、思わず笑ってしまう。
「ごめん、ごめん」
「何笑ってんのよ、もう。
それにしても、アダ名で呼ぶのを許されてるって随分と親しい間柄なのね?」
「ううん、私が一方的に呼んでるだけ。まぁ、特に拒絶もされなかったし大丈夫だと思う」
「え、私もしかして特大のスキャンダル握っちゃった?
卒業後はマスコミに就職しちゃおうかしら」
彼女は冗談めかしてそう言ったが、実際ミレイは紆余曲折を経てテレビ局に就職することになるのだからおかしな話だ。尤も、この世界でもそうなるとは限らない。
親友としては没落した貴族令嬢として家に縛られる生き方よりは、奔放に好きな事をやっている彼女の姿の方が好ましいので、この世界でもそうなって欲しいと心から望む。
「それにしても、心配ね。枢木くん」
「……ええ、そうね。色々とあったから」
我らが親愛なる生徒会長は心配げに顔を俯かせた。
人種による入学制限こそ存在しないアッシュフォード学園ではあるが、それでもやはり在校生は皆ブリタニア人だ。
つい先日まで皇族殺しとして報道されていた名誉ブリタニア人が歓迎されるような場所かというと、一生徒としては頷き難い。
というか、私は枢木スザクがこれから数時間後に受ける仕打ちを知っている。
心ない生徒から手酷い歓迎を受けることも、それに親友のルルーシュが心を傷めることも知っている。
だがこの件に私は介入をしない。明日起きるであろう、とある事件がきっかけで、少なくとも生徒会は彼を受け入れることを知っているからだ。
それに、私がやるべきことは他にある。それは──────
*
「だから私言ってやったんですよ、それは貴方のオレンジですって!」
「え〜、ほんとですか〜?」
「アハハッ、絶対盛ってるでしょそれ〜」
それは廊下で初対面の後輩たちと談笑することだった。
瞼裏の光景を元に探し出した彼女たちは、私が事前に予測していた通り、中庭に繋がる入口付近で談笑をしていた。
私はこれ幸いと彼女達の会話に割り込ませて貰ったのである。最初こそ怪訝な顔を向けられたが、貴族令嬢として生きる中で鍛えられた社交性により五分程度で、彼女達と仲良くなることに成功した。
「というか、モニカ先輩ってそんな髪型でしたっけ?」
「眼鏡もしてなかったような…」
「ああ、これですか。実はこれ…」
適当なでっち上げを彼女たちに吹き込もうとした刹那、私たちの横を仮面を被った黒猫が横切った。
「えっ、なになに?」
「あの仮面って…」
過ぎ去った猫を見て、ざわめく少女たちを傍目に私は顔を伏せた。
そして、少し遅れて一人の男子生徒が肩を激しく上下させながらやってきて、私たちの方に睨みつけるように振り向いた。
「見たなッ!?」
彼の目は、私たち3人を例外なく捉えた。
そして──────
「忘れろ、今見たことは!!」
彼の眼から放たれた赤い鳥が、私の中に入り込んで────────
*
「……モニカ、先輩?」
目の前には愕然とした表情のルルーシュ。
そしてほんの少しの、記憶の欠落。それらを認識した私は小さくガッツポーズをする。成功した。
「あれ、ルルーシュ? なんでここに……」
「それはこっちのセリフです!! というか、なんですかその格好は!?」
ルルーシュのギアスを無効化する絶好の機会。それを逃すまいと、撹乱のためにいつもと雰囲気を変えてみたのだ。眼鏡を掛けて髪型をポニーテールにしてみたが、どうやら効果覿面だったらしい。
ただでさえゼロの仮面を盗んだ猫を追いかけるのに必死だったルルーシュは、私を私だと認識する前にギアスを掛けてしまった。おかげで、ルルーシュのギアスの完全無効化に成功したというわけだ。
まぁそれはそれとして、普段はしないような格好をしてみると言うのは中々に楽しいもので。思えば、自分自身をコーディネートするというのは生まれて初めてのことかもしれない。
正直、ウィンドウショッピングの楽しさなど一切理解できなかったが、今だと何時間も服屋に滞在するミレイの気持ちが少しわかるような気がする。
こうなってくると、他人の感想も気になるな。特に異性からの。生まれて初めて抱く不思議な高揚感を抑えきれない。
「似合ってますか? たまにはイメチェンでもしようかと思ったのですが」
私はほんのすこし、褒め言葉を期待してルルーシュに感想を尋ねた。彼は一瞬、猫の行き先を気にしたあと、忌々しげに口を開いた。
「なんで今日に限ってそんな似合わない格好を、面倒な……っ!」
「─────は?」
「すみません! 急いでいるので、これで!!」
ルルーシュはそのまま脇目も振らずに、猫の追跡を再開した。
作戦は大成功。特に怪しまれることもなく、ルルーシュの絶対遵守の力を無効化することが出来た。だと言うのに、この胸から湧き上がる暗い感情はなんだろうか。
────今、あの男はなんと言った?
────似合わない、と言ったか?
怒りで、震えが止まらない。こんな屈辱は生まれて初めてだ。
「あ、あの〜…」
「えっと、モニカ先輩?」
私は眼鏡を外し、髪を結っていたゴムをポケットにしまいながら、後輩たちの方に向き直る。
「なんですか?」
「ひっ!?」
おかしいな。いつも通り、柔和な笑顔を浮かべているはずなのに彼女たちはなぜか私の顔を見て怯えている。
「似合ってます! 似合ってますから、怒らないで!」
「なんの事でしょうか。別に怒っていませんけど」
「ラ、ランペルージ君の目が腐ってるんですよ!」
「そ、そうです!! 物凄くお似合いでしたよ!?」
「……ありがとうございます」
彼女たちの褒め言葉も、何故だか全く私の怒りを癒さない。
社交的で居続けることに困難を感じた私は、挨拶もそこそこにその場を立ち去った。
この恨み、どうしてくれようか。
*
その後の経緯は、物語と同じ。
ミレイの乱痴気騒ぎを躱しながら、ルルーシュは鐘楼まで猫を追い詰めるも、あわや屋根から落ちそうになる。
そこをスザクが助け、それがきっかけで彼はアッシュフォード学園の一員として認められることになった。私はそれを一傍観者として眺めながらも、やはり熱いものを感じずには居られなかった。
親友と再会し、アッシュフォード学園生徒会という新たな居場所を手に入れた枢木スザク。しかし、彼が行こうとしている道の先はあまりにも険しく、あまりにも惨たらしい。そして、彼は最終的に平和のために己を捨てる。
彼が往く道に、路傍の石のように転がり込みあっさりと死ぬはずだった私にとっても、それは酷く胸が痛む未来だった。
生徒会メンバーと談笑していた彼が、私に気付く。スザクは襟を正すと、緊張したような足取りで私の前までやってきた。
「ご挨拶が遅れ申し訳ございません、クルシェフスキー卿。
クルシェフスキー卿が所属する生徒会、そこに恐れ多くも自分も所属することになりました!
何卒────」
「やめてください、枢木くん」
「────えっ」
そのまま敬礼をしようとする彼を制して、手を差し出す。
「この場では、私と貴方はあくまで先輩と後輩。上官と部下なんて言う、堅苦しい関係ではありません」
「いえ、しかし…」
「そうよね、ミレイ?」
後ろで眺めているミレイに問い掛けると、彼女は苦笑交じりに答えた。
「そうそう。学園に居る間はそういうつまんないのナシ。クルシェフスキー卿じゃなくて、モニカ先輩って呼ばなきゃ。これは生徒会命令」
そう言われたスザクは暫しの躊躇の後に、私の手を握った。力強い握手だったが、彼の手は少し震えている。
だが、それでも彼の強い眼差しはしっかりと私の目を捉えていた。
─────私は、もしかしたら彼に降り掛かる罪から守るために、別の世界の記憶を手に入れたのかもしれない。
そんな、どこか夢見がちな感想を抱いてしまうほどに、今日の私の感情はどこか不安定だった。だが、それは嫌悪感を伴うようなものでは、決してなかった。
「よろしくお願い、します。モニカ先輩」
「これからよろしくお願いします。
──────枢木スザク」
願わくば、私たちの行く末が血に塗れていないことを。