モニカ転生   作:パッツンスキー枢機卿

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イユニリストの乱

 皇暦1999年3月23日。神聖ブリタニア帝国において、有数の名門と知られるギンツブルグ家が突如として蜂起を宣言した。

 

 皇帝の専制への反対と、その権力の分配。

 その開戦事由は当時の古参貴族たちの間で密かに流行していた『イユニリズム』を背景としたものであり、それを裏付けるようにこの叛乱を後世では『イユニリストの乱』と呼ぶ。

 

 長く、血に塗れた皇位継承争いを勝ち抜いたシャルル・ジ・ブリタニアはこの叛乱により、一つの岐路に立たされた。分権か、専制か。

 

 皇帝として即位したシャルルは、帝国の力を全て自身に帰結させるように動いていた。かつてブリタニアと同じく神聖を冠とした帝国のような諸侯の集まりとしての共同体ではなく、皇帝を絶対的な頂きを中心とする帝国を彼は至上としたのだ。

 

 故に、ギンツブルグ家はその野望の実現の第一、かつ最大の障壁であり、これに対する対処次第で以降の神聖ブリタニア帝国の在り方が決定されるのである。

 

 ギンツブルグ家は名門ではあれど、一門のみで帝国を打ち倒せるほどの力は有していない。しかし、その背後に同じく古参の貴族たちによって構成される大貴族連合があることは、誰の目にも明らかだった。

 

 ギンツブルグの蜂起も、彼らの共鳴を当てにしてのものだろうとシャルルは考えていた。

 

「でも、大貴族連合の誰もギンツブルグに協調してないみたいだけど?」

 

 蝋燭のみが照らすシャルルの私室で、鈴のような少年の声が響く。

 

「いつもの風見鶏でしょう、兄さん。戦況次第では同じように蜂起を始める腹積もりで静観を決め込んでいると見るべきです」

 

 既に壮年に差し掛かったシャルルが兄と呼んだ少年V.V.は、嘲るような表情で地図上のギンツブルグ家の紋章を撫で付けた。

 

「嗚呼、可哀想なギンツブルグ。リカルド大帝の代から帝国に仕えていた彼らも、今では使い捨ての試金石扱いだ」

 

 実際、このギンツブルグ家の蜂起は大貴族連合のみならず、シャルルら皇帝陣営からしてもある種の試金石であることは否定出来ない。

 ギンツブルグ家の末路次第で、その後の歴史が決定されるのだから。問題はどのような歴史になろうとも、ギンツブルグ家の存続は蝋燭の火よりも儚いこと。V.V.はそれを知って、露悪的な憐憫を彼らに向けたのだ。

 

「それで、その試金石を相手に随分な騎士を動かすわけは?」

 

 新たな声が、会話に割り込む。 シャルルのベッドに腰かけ、血のように赤いワインで喉を潤ませる。

 

「引退した君が現役の騎士に何か不安でも? マリアンヌ」

 

「あら、まさかそんな。ビスマルクはよくやってるわ」

 

 酔いに任せてマリアンヌはくつくつと笑った。それに快とも不快ともつかない複雑な表情を向けるV.V.。

 

「私が言ってるのはナイト・オブ・ワン様じゃなくて、可愛い貴方にソックリな器のことよ、シャルル」

 

 マリアンヌのその言葉に、V.V.は眉間に皺を寄せる。

 

「あれは一応は表立っては騎士として扱っているからね。叛徒の鎮圧に使うのは別におかしな話ではないだろう」

 

「そうかしら? あの子は存在そのものが私たちにとってのリスクよ。大貴族連合が動くとは思えない現状で、態々弱点を晒す必要があるかしら。

V.V.、貴方があの子を推したんでしょう? それはなぜ?」

 

「……それは君が知るべきことでは」

 

「ギンツブルグの令嬢。その胎の中に私……いや、わしの子供を宿している可能性があるからだよ、マリアンヌ」

 

 V.V.の言葉を遮り、シャルルがV.V.の意図の代弁をはじめる。

 

「あら、それは本当!?」

 

 マリアンヌは目を丸くして、驚いて見せた。だがその表情に、皇妃としての憤怒は微塵も含まれていなかった。まるで友人の失敗を面白がるかのように、どこか喜色すら見て取れる。

 

「ギンツブルグ家のお嬢さんとの事は少し前に聞かされていたけれど……だとするなら、運命的な話ね」

 

「運命的? ハッ、場にそぐわない言葉だね。それこそこの話にはリスクしかないよ。仮にシャルルの予想が当たっているとするなら、母親ごと秘密裏に消さないと風見鶏を回す暴風になりかねない」

 

「成程、漸く合点がいったわ。存在しないことになっている子供に、存在を知られていない子供を殺させようとしてるわけね?」

 

「……あれは、シャルルの子供ではないよ」

 

「あら、私はあの子をシャルルの子供の一人として愛おしく思っているけれど?」

 

 マリアンヌとV.V.の残虐な応酬に区切りがついたのを見計らって、シャルルが口を開く。

 

「わしとしては別に放っておいていいと考えている。が、兄さんの言葉にも一理あるが故にあれをビスマルクに貸し出したんだよ、マリアンヌ」

 

「ということはシャルルとしてはどちらに転んでも良いってこと?」

 

 頷くシャルルに、マリアンヌは暫く思考を反芻した後に、笑みとともに告げる。

 

「じゃあ、私がそのギンツブルグのお姫様を横取りしちゃっても良いかしら?」

 

「……は?」

 

 マリアンヌの言葉に、V.V.が苛立ちを隠さずに立ち上がる。

 

「何を言っているんだい。まさか邪魔立てをしようとでも」

 

「そういう訳ではないわ、V.V.。そうね、簡単に言えばイースターエッグのようなものよ。幸せの卵を見つけた者がその行く末を決めることができるの。別に貴方やあの子の邪魔をするつもりはないわ。そっちが先に見つけたなら、そのまま殺せばいいしそれを止めるつもりもない」

 

 嬉々としてゲームルールを吟じるマリアンヌ。そこに、人間的な同情や憐憫は無く、ただただ自分が面白いと思う方向へ事態が転ぶことを望んでいた。

 

「一体それになんの意味があるんだ」

 

「意味? 意味なんてないわよ。私たちの大願に比べたら、こんなこと些事でしかないでしょう? なら、暇つぶしとして愉しみましょうよ。

最近、アリエスの離宮に篭もりっきりで身体を動かせてなかったのもあるし、私は愉しませてもらうわよ?」

 

 マリアンヌはV.V.ではなく、シャルルに向かってそう宣言した。シャルルは少し困った顔をした後に、苦笑とともにマリアンヌに告げる。

 

「どうせ止めたところで意味は無いのだろう。お前の中で既に決まったことなのだから。好きにするといい」

 

「そう言うと思ったわ」

 

 結果、イユニリストの乱に未来のナイト・オブ・ラウンズと過去のナイト・オブ・ラウンズが投入されることが決定された。尤も、二人のどちらとも、参戦したという公式記録は何処にも残っていない。

 

 

 ギンツブルグが蜂起してから三日後。重い腰を動かしたがらない大貴族連合とは対照的に、皇帝側の動きはあまりに迅速だった。

 呼応するはずの大貴族連合の諸侯の動きを期待し続け、自領にて陣を構えていたギンツブルグはあっさりと、ナイト・オブ・ワンが率いる軍勢に包囲されることとなった。

 

 それは誰が見ても絶望的な状況だった。その認識を拒んだのはギンツブルグ家の当主ただ一人。彼は初老とは思えないような甲高い怒声で、ビスマルク・ヴァルトシュタインからの使者を悪罵をもってして追い返して見せた。

 

 一考の余地すらないその愚行の源には、大貴族連合の諸侯と交わした密約があり、彼は未だにそれが今すぐにでも履行されると信じていたのだ。

 

 だが後世の勢力図からも分かるように、この時の大貴族連合が彼の叛乱に付き合うことは無かった。皇帝側の動きが予想以上に早かったが故に静観を決めたのか、それとも最初から叛乱に加わる気などなかったのか。

 

 何にせよ、この時点でギンツブルグの滅びは確定していた。そんな憐れなかつての名門の領地を、陣を張った丘の上から見下ろしながらビスマルクはこれから起きるであろう蹂躙に思いを馳せていた。

 

「何と愚かな、ギンツブルグ。甘言に惑わされ、不相応な野心に身を焼かれ、その末に臣民を心中に巻き込むとは」

 

 最早ギンツブルグは断頭台に首を据えられた囚人に他ならず、騎乗したビスマルクが剣を振り下ろせば、精強なる軍勢によって首を刎ね飛ばされることになるだろう。

 

 

 ビスマルクは縫い付けられた片目を撫でた後に、傍につかせていた仮面の少年に告げる。

 

「……ノーランド、お前は好きに動くがいい。意図は分からんが、あの御方たちからの要請だ。無下にはできん」

 

「言われずとも私は貴様の剣ではない、ビスマルク・ヴァルトシュタイン」

 

「……そうか」

 

 騎士の頂点たるナイト・オブ・ワンに一切臆することなく、挑発に似た言葉を発する少年に、ビスマルクは一瞬だけ叱責すべきか迷った末に、静かにそれを認めた。

 V.V.が何処からか連れてきたノーランドという仮面の少年の本質を、ビスマルクは掴みかねていたのだ。

 

「若い子との接し方に難儀してるわね、ビスマルク」

 

 ノーランドが去ったのと入れ替わりに、白馬に乗った妖妃がビスマルクの傍らにやってきた。

 

「マ、マリアンヌ様!」

 

 ビスマルクは即座に下馬し、礼を尽くそうとするもマリアンヌがそれを笑みとともに制止する。

 

「騎士の頂点がそう簡単に馬から降りるべきではなくてよ? それとも、頂点から降りたいという意思表示?」

 

「い、いえ、とんでもございません! この席は本来マリアンヌ様が座す場所です! その座を貶めるような真似は…!」

 

「あははは、相変わらず揶揄い甲斐があるわね。別にもっと足蹴にしていいのよ。騎士としての私はもう引退したのだし」

 

「……しかし、こうしてまた貴女の騎士姿を見ることが出来るとは」

 

「ちょっとした暇つぶしよ。 私とあの子の目的は貴方の仕事のお手伝いではないのだから、無様を晒したとしても助けてあげられないわよ?」

 

「貴女の御前で剣を振るえるということだけで、私を奮い立たせるには十分です」

 

「あらそう? なら、楽しみにしてるわよ?」

 

「御意に」

 

 それまで憂鬱に染められていたビスマルクの顔に、そこでようやく獰猛な笑みが刻まれた。

 こうして、血に塗れた戦端が開かれた。

 

 

 神聖ブリタニア帝国の祖であるリカルド・ヴァン・ブリタニアがブリタニア公爵であった時から仕えていたギンツブルグ家。その屋敷にナイト・オブ・ワンの軍勢が押し寄せているその時、先祖代々ギンツブルグ家に仕えていた使用人一族の一人である侍女ノンナは戦場とはまた違う修羅場に身を置いていた。

 

「女の子、女の子です! ナターリャ様、お気を確かに!」

 

 分娩に使われた部屋には、母親であるナターリャと赤子、そしてそれを取上げたノンナ以外の何者も居なかった。それは、赤子の誕生を知るものが彼女達と書斎の中で死の足音に怯えるギンツブルグの当主以外に居ないことを意味していた。

 

 

 ノンナは、産まれたばかりの赤子を布に包み、ドアの向こうへと意識を向ける。外からは悲鳴や怒声が聞こえているが、幸いなことに迫り来る軍靴の音はまだ聞こえないでいた。

 

「ナターリャ様、 今すぐに逃げましょう! お待ちください、すぐに人を…」

 

「……ノンナ」

 

 部屋を出ようとするノンナの手を、ナターリャが横たわったまま握る。

 

「私に構わず、貴女はその子を連れて逃げなさい」

 

「ナターリャ様!? 一体何を…」

 

「私は動けません。そんな女を連れて逃げられるほど、彼らは甘くないでしょう。……人を、生命を産むというのはここまで大変なのですね」

 

「何をおっしゃいますか! だからこそ、人を呼んで…」

 

「その子のことを、これ以上誰かに漏らす訳にはいかないの。それに、私の顔はギンツブルグの令嬢として知れ渡っている。私はその子と逃げることは出来ないわ」

 

 ノンナの知る内気な貴族令嬢は、そこにはいなかった。

 

「大丈夫、ここから逃げ出すことさえ出来れば、なんとかなる。これを」

 

 ナターリャは衰弱により震える手をどうにか制御しながら、ノンナに書状を手渡した。

 

「クルシェフスキー卿を頼りなさい。お父様の言っていたことが確かなら、悪いようにはされないはずです」

 

「し、しかし…!」

 

 ノンナがどうにか説得しようと言葉を紡ぐ前に、轟音が屋敷を揺らした。それは、ギンツブルグを葬る処刑人が舞台上に上がった合図だった。

 

「時間はありません。 ……お願いだから、その子を…モニカを連れて逃げて」

 

 涙を目に溜めて懇願するナターリャを前にノンナは言葉を呑み込み、漸くその場を後にした。懐に隠すように、赤子を抱きながら。

 使用人たちが使うための裏口。ノンナはそこを目指し、走る。背後から聞こえてくる悲鳴や、足音、そして銃声を必死に聞かないようにしながら。

 

 あと少しで、裏口がある厨房につく。赤い廊下を走りながら、僅かに見えてきた希望に、ノンナは気を緩ませようとした。

 だが、それを否定するように廊下の突き当たりから血だらけの使用人仲間が転がってきた。ノンナは反射的に、近くのドアを開けて、その部屋に逃げ込む。

 

 それから直ぐに聞こえてきた同僚の断末魔に、身を震わせながら、声を上げないように、口を手で覆う。

 ノンナは出来る限り物音を立てないようにし、部屋の中にあったクローゼットの中に隠れる。クローゼットの扉の隙間から外を垣間見ることが出来た。

 

 同僚を殺した者の足音が、カツカツと廊下の方から鳴り響く。そして、その足音はノンナが居る部屋の前で止まった。

 ノンナは叫び出しそうになるのを必死に堪えながら、じっと部屋の扉の方を見つめる。そして、扉は開かれた。

 

 そこに居たのは、顔の上半分を仮面で覆い隠している少年だった。両手それぞれに握られた血に塗れた一対の剣は、ノンナの胸を激しく鼓動させる。心音で気付かれやしないかと、不安になる程に。

 

 仮面の少年は、剣に着いた血を振り払い、部屋の中に侵入した。クローゼットを真っ直ぐ目指すように。

 ノンナの頬を涙が伝い、仮面の少年の手がクローゼットの扉に触れたその時、冷徹な静謐を打ち破るかのように、大きな物音が部屋の隅で鳴り響いた。

 

「あっ、ひぃ…」

 

 本が大量に積み重なったテーブルの下に、ノンナとは別に使用人が隠れていたのだ。彼女は少年か、あるいはその背後のクローゼットに隠れているノンナに対してか、必死に命乞いをする。

 

「い、嫌。私は関係ない、関係ないから、殺さな…」

 

 その命乞いすら不愉快と言わんばかりに、少年は情け容赦なく使用人に剣を振り下ろす。埃の匂いばかりだった部屋に、血の匂いが充満する。

 切り伏せられても尚、息のある使用人は這うように廊下へと向かうが、それを少年が許す訳もなく、上半身が廊下に差し掛かったところで、首に剣が突き立てられ、その命は完全に失われた。

 

 この一連の流れにより、クローゼットに対する少年の興味は忘却されたようで、部屋に踵を返すこともなく、少年はその場を後にした。

 殺戮劇を見届けたノンナは、暫く放心してしまったが、懐の赤子が泣き始めたことによって、正気を取り戻す。

 

 ノンナはすぐにクローゼットから飛び出て、死体となってしまった使用人を飛び越え、厨房の裏口から外へと脱出する。幸いなことに、その裏口の周辺に敵は居なかった。

 

 厨房の裏口から出たノンナはそのまま森へと逃げ込む。

 先程まで居た屋敷では、火の手が上がっており、それがノンナを絶望的な気持ちにしようとするが、ノンナは赤子の温もりに集中することで、必死に心が折れないように努める。

 

 最早、自分が走り出して既にどれだけ経っているかも忘れ去るほどに、必死に、ノンナは森の不安定な道を駆けた。

 何度も転びそうになりながら、ノンナは何とか森の中に設置してある避難用の通路の入り口へとたどり着く。一部の使用人にしか伝えられていない、脱出用の地下通路。

 ナターリャの侍女であるノンナは、本来であればナターリャとともにここに来る筈だった。ノンナは一度涙を拭い、荒い息とともに、階段を駆け下りる。

 

 この通路さえ抜けることが出来るのならば、後はどうにでもなる。より明瞭になった希望を前に、ノンナの足も早くなる。

 

 だがその希望に向かうノンナたちを阻むように、道に立塞がる者たちがいた。地下通路の半ばで待ち受けている彼はノンナを見つけるなり、口を歪めた。

 

「やっぱり来たな、思った通りだ」

 

 懐中電灯を持った男たちが、そう軽薄に笑った。強い明かりに目を細めながら、ノンナは彼らの顔を見つめる。その何人かは見覚えがあった。やはり、屋敷の使用人たちだ。

 

「貴方、ここで一体何を……」

 

「お前と一緒さ、ノンナ。生き残るためにここにいる」

 

 男が近付きながら答える。

 

「ギンツブルグはもう終わりだ。貴族様たちはもちろん、使用人も皆殺しにされちまう。なら、選択肢は二つだろ。お前のように逃げるか…」

 

 懐から拳銃を取り出し、笑った。

 

「我らがギンツブルグの貴族様を皇帝陛下に差し出して助命してもらうかだよ。お前が仕えてたナターリャ様、妊娠してたんだってな。噂になってたぜ?」

 

「……ッ」

 

 ナターリャの妊娠は確かに伏せられていた。ギンツブルグ当主とその奥方、そしてナターリャ以外だと知っているのはノンナだけなはずだ。だが、それでもこれまで以上に表に出てこなくなった貴族令嬢と、妊娠が結び付けられることは決して不自然ではない。

 

 それでもあくまで真偽不確かな噂に過ぎないだろう。だが、そんな胡乱な話に縋りたくなる程に、事態は絶望的だったのだ。

 

「何を言っているのです…こんなことをしている暇があったら今すぐにでも逃げれば…」

 

「逃げてどこに行くんだよ? 叛徒のひとりとして認定されてるかもしれないのに、ただの平民に頼る当てなんてないよ。ああ、それともお前にはあるのかな? だって、託されてるんだもんな。 ……ナターリャ様の遺児を!」

 

 男はノンナの顔を殴りつけて、そのまま懐の布を奪い取った。そして、その布を取り除く。

 

「……は、ハハハ。マジかよ、半信半疑だったが縋ってみるもんだな」

 

 男たちも、本当にナターリャの遺児をノンナが連れているなど考えていなかったのだろう。

 突如として目の前に現れた生存の希望に、それぞれが震えていた。それと同時にノンナの希望は今にも消えようとしている。

 

「ダメ……その子を返して!!」

 

 ノンナは頬を腫らしながら、男たちに詰め寄るがあっさりと取り押さえられてしまう。

 

「うるせぇな……この子には悪いが、死ぬことが最大の公務ってやつだよ。俺たちの役に立ってもらう」

 

 男は乱暴に赤子を掴み上げて、笑った。漸く見え始めた希望は、あっさりと絶望に変わった。ノンナは絶望のままに、泣き叫ぶ。

 男たちは、その絶叫に顔を顰めて銃口をノンナへと向ける。彼らが生き残るためには、彼女の声が敵を誘い出すよりも早くに黙らせる必要がある。

 それは、少なくとも彼らの生存という目的の上では間違いなく正しい行いだった。────問題は、死神が既に傍らにいたということぐらいだろう。

 

「ねぇ、イースターエッグを参加者じゃない人が最初に見つけた場合って、どうすればいいと思う?」

 

「は? ─────!?」

 

 まるで、初めから居たかのように、男たちの中に一人の女が紛れ込んでいた。男たちが目にした事の無いほどに美しい女性。否、男たちはその女を、騎士服を身に纏った妖妃を確かに知っていた。

 

「マリ、アンヌ皇妃……」

 

「あら、閃光じゃなく皇妃として呼ばれるとは予想外ね。これが引退ということなのかしら」

 

 マリアンヌは悪戯っぽく笑うと、いつの間にか抜いていた剣を横に振り払った。それは、ほんの一瞬のことで、ノンナに銃口を向けていた男の首は痛みに気付くことなく、宙を舞い、そのまま胴とともに地面に転がった。

 それから僅か3秒で四人ほどいたはずの男たちは物言わぬ死体へと変貌する。狭い通路で行われた殺戮劇は、ノンナの腫れた頬を血で染めあげる。

 

 事を終えたマリアンヌは、いつの間にか確保していた赤子を優しく抱いたままノンナへと目を向ける。

 

「話を戻すのだけれど、このイースターエッグは誰の景品になるべきだと思う? この場に辿り着けなかったあの坊やは当然不適格として、貴女の泣き声をきっかけにここに来た私も自分で見つけたとは言えないわよね?」

 

 ノンナの頬についた血を、純白のハンカチで拭いながらマリアンヌは困ったように首を傾げる。

 

「私としては、別に貰っちゃってもいいのだけど。何も言わないってことはそれで…」

 

「…い、いえ、この子は…この子は私の…私の子です……」

 

 ノンナは、震えながらマリアンヌに告げる。それは少しでも赤子の生存率を上げようと捻り出した、言い回し。それが一歩間違えれば目の前の怪物の逆鱗に触れかねない、愚行であることをノンナは知らない。

 

「なら、このイースターエッグは貴女の物ね」

 

 幸いにして、マリアンヌが彼女の嘘に気を取られることはなかった。ほんの少し、彼女の言葉の受け取り方が違えば、それは嘘と認識され、ノンナの首は他の男たちと同様に胴と生き別れになっていたことだろう。そうならなかったのは、偏に幸運であったためでしかない。その幸運の持ち主は果たして、誰なのか。

 

 マリアンヌは赤子の目を一度見たあとに、ノンナに渡した。

 

「素敵な碧眼。男の子?」

 

「……い、いえ、女の子です」

 

「あらそう。なら大きくなった時が楽しみね。きっと美人に育つわ。それじゃあ、御機嫌よう」

 

 まるで世間話を終えた貴婦人のように、マリアンヌは死体を踏み躙りながらその場を後にした。ノンナはやはり暫く放心した後に、同様にその場を後にし、それから二日後に、クルシェフスキー家の保護下に転がり込むことに成功した。

 

 

 ギンツブルグ家の叛乱。それは一夜にして終焉を迎えた。

 ナイト・オブ・ワンが率いる軍勢はギンツブルグの常備軍をあっさりと打ち砕き、ギンツブルグ当主とその親類は捕縛された後に、三十に上る罪状を根拠として例外なく処刑された。

 

 この『イユニリストの乱』を契機として、ブリタニア皇室は権力をより強めていく。ブリタニア皇族によるエリア総督制も、この叛乱の鎮圧がなければ成立し得なかったかもしれない。

 

 大貴族連合の盟主である大公オーガスタ・ヘンリ・ハイランドからの謁見を終えたシャルルは、事が自身の都合のいいように進んでいることに満足感を得ていた。

 件の叛乱の関係者を皆殺しにしたこと、そして叛乱への大貴族連合の関与を大公の口から明確に否定させたことによって、大貴族連合に帰属している諸侯たちの気勢を削ぐことに成功したのだから。

 

 これにより、大貴族連合は口だけの烏合の衆へと成り下がった。誰もが皇帝への専制に影で異を唱えても、反旗を翻すことはない。ギンツブルグの二の舞になることは誰の目にも明らかだからだ。

 

 そして、そうなっても他の同志たちは誰も助けてくれない。一体、誰が大義に殉じると言うのか。

 

 大公が去り、シャルル以外誰もいない謁見の間に、マリアンヌとV.V.が現れる。片や笑顔、片や苛立ちに満ちた顔を浮かべる妻と兄に、シャルルは諌めるように言う。

 

「兄さん、そうお怒りにならないでください。マリアンヌが逃がしたその赤子が、わしの子供である保証はないのですから」

 

「もしその赤子がシャルルの子だったらどうする。風見鶏たちに大義名分を与えることになるかもしれないんだよ?」

 

「そうなれば改めて捻り潰せば良いのです。寧ろ、そちらの方が都合がいい」

 

「そうよ、V.V.。彼らには下手に風見鶏として振る舞われるよりも、大義名分とともに叛徒として旗を掲げてもらった方が事を単純に進めることが出来るじゃない。

今回のギンツブルグでそれがハッキリしたでしょう?」

 

「……後悔してもボクは知らないからね、シャルル」

 

 拗ねたように言うV.V.に、それを揶揄うように笑うマリアンヌ。嘘のないことを至上とする彼らの間では度々こうして子供のような感情のぶつけ合いが繰り広げられていた。それは、シャルルにとって気の休まる時間に他ならない。

 

「そういえばC.C.は? 彼女にも今回のことを話したいのだけれど」

 

「つい最近、Cの世界が乱れた件が気になるらしい。 彼女は嚮主だからね。キミと違って役目を果たしているんだよ、マリアンヌ」

 

「あら、酷いことを言う。私もそろそろ皇妃としての仕事に手をつけようとしているのに」

 

 マリアンヌはわざとらしく妖艶にシャルルへともたれかかった。V.V.はそれに顔を顰めながら、「あ、そう。好きにしなよ」と謁見の間から足早に出て行った。

 

「マリアンヌ。 あまり兄さんを揶揄わないでおくれ」

 

「叩けば叩くほど響いて楽しいのだから仕方ないでしょう?」

 

「全く……」

 

 シャルルにとってそれは幸福な時間だった。

 それは、たとえこの時間が過去になってしまおうとも、変わることが無い事実。

 彼らが望むのは、こんな幸福が永遠に続く世界なのだから。




*イユニリストの乱の経過の大部分やマリアンヌ、V.V.の介入は捏造設定ですので、ご注意ください。
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