ナリタ連山での戦いから18時間後。
救護ヘリの中、私はただじっと、目の前で俯くアーニャを見つめていた。
湖の貴人は黒の騎士団を支援した後に、謎のKMFとともに霧のように消えた。それがブリタニア側に上げられた報告の全て。
フローレンスは発見されていない。ナオトたちが手筈通り迅速に回収してくれたのだろう。
尤も、目の前のアーニャが上に報告すれば状況は変わる。そうなれば私は為す術もなくナイト・オブ・ラウンズからただの反逆者に成り下がる事だろう。
だが、アーニャはそんなことはしない。今は困惑と混乱が勝っているだろうが、ジェレミアを助ける光景を見ていることから、少なくとも自分やジェレミアの敵では無いと考えるだろうから。
少なくとも事情も聞かずに即座に報告、ということはしないだろう。
或いは記憶の錠を解く鍵を仄めかせば、彼女の口を完全に塞ぐことも出来るかもしれない。だが、それはやりたくない。
なにより────
「私がシャルルに告げ口しないか、心配?」
そう顔を上げたアーニャは、妖艶に笑った。
「……告げ口するつもりなんですか」
「いいえ? 今のところするつもりはないわ。貴女ならこれが嘘じゃないことはわかってるでしょ、ギンツブルグのお姫さま?」
「貴女の口から嘘が出ることはないでしょうからね」
「よくわかってるじゃない」
アーニャの中に住まう悪魔はケラケラと笑った。救護ヘリには私と彼女、そして操縦士二人のみ。つまり、私とマリアンヌの会話は誰にも聞かれてない。
「随分と楽しげですね」
「悪戯が成功した上に、漸く私自身として貴女と話せるのだから笑いも止まらないわ。というわけで改めて自己紹介をしましょうか。
──── 神聖ブリタニア帝国98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニア皇妃にして元ナイト・オブ・シックス。そして、ルルーシュたちのお母さん。
マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアよ。……なんてことは、産まれた時から知っていたでしょうから今更でしょうけど」
心臓が、目の前の敵を排除しろと警鐘を鳴らす。彼女が正体を明かしたということは、目の前で剣が抜かれたに等しいのだから。
だが、対するマリアンヌに殺意はない。あるのは、喜悦のみ。
「なぜ、今更それを」
「私が貴女の正体を確信して、貴女もそれに気付いたから。この前提が生まれたのに今までの関係を続けようなんて、嘘以外の何物でもないでしょう?」
「……確信、ですか。なら私は貴女たちにとってなんなんでしょうね」
「貴女の記憶の根源がどこに由来するものかはどうでもいいとして……そうね、敵以外の何者でもないでしょうね。シャルルと共に抱いた夢を否定しようとしているのだから」
何故それを、なんて態度に出すほどシュナイゼルのレッスンは甘くない。
恐らく、鎌掛けだろう。彼女の持っている情報の手札で確証を得られるものはシュナイゼルと私が繋がっていることくらい。
シャルル、ひいてはラグナレクへの接続に結び付けるにはどう考えても飛躍が入る。彼女はこの会話で確証を得ようとしているのだ。
私は、平静のまま、後半部分に触れずに言う。
「であるのなら、敵に対する態度を見せてください」
じゃないと、不気味過ぎる。
彼女は敵を前にして、まるで友人と話す幼子のような笑顔を浮かべていた。私からすればそれはグロテスクにしか感じられない。
「そう身構えなくても、ここで殺し合いをするつもりはないわ。……ああ、当然、降りてからも」
「敵を見逃すと?」
「ええ、見逃すわ。だって、そこまでの脅威とはまだ感じてないし、そっちの方が楽しそうだから」
それに、とマリアンヌは私の隣に座った。
「利害の一致も、無いことは無いのよ? 見てる先こそ違うけれど、往く道は途中までは一緒なの」
「だからついでに貴女の道を整備しろとでも言うんですか?」
「いいえ、一緒に整備するの。……貴女、V.V.が欲しいんでしょ?」
マリアンヌの囁きに、身体中から一斉に冷たい汗が噴き出す。
「無論、私も別にV.V.に復讐したいなんて思ってないわ。でも、やられたことに対する仕返しくらいはしたいじゃない?
そして貴女はV.V.を…いいえ、V.V.が持っているモノを欲しがっている。
綺麗なまでの利害の一致ね?」
コードはマリアンヌ達の計画の必須事項なはず。それを敢えて奪わせる行為は決して利害の一致とは、言えない。
まるで私の心を読んだかのように、マリアンヌは小さく笑って見せた。
「簡単な話よ? 奪われても、コードが消えるわけではない。なら、改めて奪い返せばいいだけでしょ?」
「……それは、あの人に……皇帝陛下に対しての欺瞞に繋がるのでは?」
「素直にお父様と言えばいいのに……シャルルにはもう伝えてあるわ。ああ、貴女のことじゃなくV.V.に仕返しすることについて、ね?
シャルルもV.V.に嘘を吐かれたことに傷付いてるから、賛成してくれたわ」
……アーニャがナイト・オブ・シックスに任命された時、シャルルが人払いをして二人きりの時間を設定した。恐らく、その時に告げたのだろう。
「仮に貴女の言っている通りの考えを持っていたとして、私がそのV.V.という者を殺してもあの人は同じように賛成してくれるでしょうか」
「どうかしら? 私もギアスが無ければ完全に死んでいたから、そこはお互い様って話になるんじゃない? そもそも、私たちは死を永遠の別れと捉えていないのだから、どちらにせよ些細な話でしょ。
それに、貴女が手中に収めた敵を殺すかについては疑問が残るわ」
「……私はそこまで甘いつもりはないですよ」
「あら、貴女と同じく閃光と呼ばれた騎士の先達からすれば、十分すぎるくらいに甘いわよ?」
まるで拗ねる子供を揶揄う母親のように、マリアンヌは優しく笑った。
「私が貴女なら、アーニャはこの場には居ないわ。貴女の手段には贅肉が多すぎるの。目的を果たしたいのなら、もっと剣のように己を研ぎ澄ましなさいな」
口端を吊り上げる彼女の言葉には、血に塗れた騎士道を往く者としての矜恃のようなものがあった。
ほんの少し、本当にほんの少しだけマリアンヌという騎士に敬意を抱きそうになる。ジェレミアやコーネリアたちが、彼女に心酔する気持ちがわかった気がした。
でも、それだけだ。
「私は"閃光"の名を真の意味で受け継ぐために戦っているのではありません。貴女が言う贅肉こそ、私を私たらしめているものです」
「でしょうね。ついさっき、アーニャにあんなに
ほんの少し、顔が熱くなる。よりにもよって彼女に聞かれたと考えるだけで、恥ずかしくなりそうなあの名前。シュナイゼル曰く、そのうち世の誰もが知るところになるらしいが、最悪の一言しかない。
あれを聞かれたのは、計画の一端を知られたこと以上に嫌かもしれない、と平静を保ちながら思った。
「あらあら、耳真っ赤よ?」
「……べつに、あれを決めたのはそういう私情からではなく」
「はいはい、そういうことにしておきましょう」
「………」
魔女、騎士、そして母。
マリアンヌは幼い少女の顔で、様々な自分を顕現させる。仮面の裏に虚無が広がるシュナイゼルとは、真反対の底知れなさ。
そして魔女は笑う。
「V.V.に絡むことなら協力してあげる。なんでも、とはいかないけど。
その代わり、V.V.が貴女の手に収まったその瞬間、私は貴女の首を全身全霊で切り落としにいくつもりだから、そのつもりで」
「……私は貴女の推理を肯定も否定もしません。
ただ一つ、事実を申すとするなら────元より、貴女の存在は私の計画に組み込まれています。安心して、高みの見物を気取っていてください。アーニャの身体に居座れる時間も、そう長くないのですから」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない」
世界の片隅でふたつの閃光が、火花を散らした。
*
ヘリの行先は租界に設置されている大病院だった。
かつて死にかけた時にお世話になった場所で、ブリタニア軍御用達の場所でもある。今回のナリタ連山で負傷した高官たちはみなここに搬送されていた。
KMFごと土砂崩れに巻き込まれた私と、敵の新型KMFによって撃破まで追い込まれたアーニャは互いに軽傷で済んでいたものの、念の為にここに輸送された。
尤も、私たちにとって目的は治療だけではないのだが。
ヘリポートに降り立った時、マリアンヌは既に表層から消え憔悴したアーニャが戻ってきていた。
「ジェレミア卿は五階の集中治療室で手術を受けているそうです」
「……」
アーニャは不安そうに携帯電話を握りしめていた。
「意識自体はしっかりしていて、重傷を負ってはいますが……命に別状は無いと医師から報告が上がっています」
漸くアーニャが顔を上げ、私と目を合わせた。
「本当に…?」
「なんなら『戦場に帰る!』と喧しすぎて、早くどうにかして欲しいと苦情が届いているほどです」
昏睡から目覚めた直後であることと、戦闘によって溢れ出たアドレナリンによって興奮状態なために未だに戦闘が続いている認識らしい。
「きっと、私たちの診療が終わる頃にはいつもの彼がベッドの上にいることでしょう。だから、ね?」
私がアーニャに自身の傷への処置を促すと、アーニャは少しの躊躇の後に、小さく頷いた。
彼女の中では、私に対する無数の疑惑が渦巻いているだろう。私はそれを理解して態と、いつもの私として振舞った。
多大な罪悪感。だが、怪物たちと戦うのにはどう足掻いても仮面を使いこなす必要があるのだ。
モニカ・クルシェフスキーという仮面を被ったまま、私とアーニャは簡易的な治療を受けた。
医者から死者を多く出した土砂崩れに巻き込まれてよくその程度で済んだな、という旨の驚嘆を貰い診療室を出ると既にアーニャが待っていた。
だが、それよりも……
「直接会うのは久しぶりですね、ナイト・オブ・トゥエルブ」
そう敬語を使う、アーニャの隣に立つ一人の男。
「……ええ、久しぶり。───カノン」
私はモニカ・クルシェフスキーではない仮面で、カノンを見つめる。彼がここにいるということは……
「あの御方がジェレミア卿の病室でお待ちです」
「わかったわ。 ……行きましょう、アーニャ」
アーニャはやはり、混乱していた。カノンが居た事、カノンに対する私の態度。
だが、最早気を配る余裕など私にはない。盤面が本格的に動き始めたのだから。
*
このまま騎士として働くのは難しいと医師に言われた時、ジェレミアの脳裏にこれまでの人生が高速で過ぎ去り、気が付けば医師の胸元を掴んでいた。
「巫山戯るなッ! 私を戦場に帰せッ!!」
医師がジェレミアから逃れようと後退したことにより、ジェレミアは無様にベッドから転げ落ちる。
それでも、吠えることを止めなかった。
「お前は私に死ねというのか!!? この、ジェレミア・ゴットバルトに!!」
「い、いえ、だから命に別状はないと……」
「皇族の方々のために……亡きマリアンヌ様たちのために剣を振るえぬというのなら、それは死んだも同然だ!!
今すぐ…今すぐ私の身体を治せッ!! 全力で!!!!」
ジェレミアの半身は最早満足に動くような状態ではなかった。
医者はそれを奇跡と呼んだ。
だが当のジェレミアにとっては騎士を辞めなければいけないというのは、騎士として戦場で死ぬよりも余程屈辱的で、絶望的な事実でしかない。
「でなければ、でないと!! マリアンヌ様やルルーシュ様、ナナリー様、そしてクルシェフスキーのように死んで行った同志たちに報いることができな……」
「おや、モニカは死んでいないよ。ジェレミア卿」
思わぬ声に、身体が凍りつく。
ジェレミアはゆっくりと声がした方、病室の入口へと顔を向けた。
「よくぞ戦地から生還してくれたね。君たちのような高潔な騎士が死んでしまっては、我らブリタニアにとって看過できない損害となることだった」
「シュ、シュナイゼル殿下…!?」
ジェレミアは己の目を疑った。或いは、後遺症による幻覚やもしれぬと医者を見るが、医者もまたシュナイゼルの姿に驚嘆している。
「お忍びで来ていてね。カノンにも無理を言うなと叱られてしまったよ」
医者に断りを入れながら、ベッド脇の椅子に腰掛ける。お忍び、という言葉通り、彼が纏っているのは簡素な私服であり、服装だけであれば平民と大差ない。
尤も、顔はシュナイゼル・エル・ブリタニアその人でしかないのだから、ジェレミアも恐縮する他ない。
「も、申し訳ございません! 今すぐ立ち上がります故…!!」
「立たなくて結構。私を国の為に傷を負った騎士を立たせるような愚昧な皇子にしないでおくれ」
そう言って、ジェレミアの肩を掴んで寝たままでいるよう促す。
「し、しかし……いえ、身に余るお心遣いをいただき、恐悦至極にございます…」
「うん、今は傷を癒すことを優先にしておくれ。……さて、ジェレミア卿。君は私に聞きたいことがあるのではないかな?」
聞きたいこと。
そんなこと山ほどある。だが、1番は───
「殿下が仰っていた…モニカ・クルシェフスキーが生きているという話、あれは……」
「当然、事実だ。どうやら随分と頑丈に出来ていたらしい。おっと、モニカがではなく彼女の搭乗機の話だ。大破こそしていたが本人は軽傷で済んだようだ」
「────そう、ですか」
そこで初めて、ジェレミアの心が戦場から帰ってきた。
愚かな自分を庇って死んだと思っていた若き騎士が、生きていたのだから。それも、己と違いまだ剣を振るえる状態で。
「それは、良かった。本当に、良かった……!」
もし彼女が生きているのなら。まだ自分は決定的に愚かではない。
剣を振るえないことも、これまでの愚行に対する罰だと受け入れることが出来る。いや、寧ろモニカのような若く高潔な騎士を育てることこそ、これから自分に求められる忠義に報いる在り方なのではないか。
ジェレミアは騎士としてではない生き方に舵を取ろうとし────
「それで、次は私から君への問いだ。騎士ジェレミア・ゴットバルト、君は真の意味で神聖ブリタニア帝国に身を注ぐ覚悟はあるかい?」
その手を、シュナイゼルの慈悲深い笑顔によって止められた。
「……え? それはどういう…」
「少し席を外してもらってもいいかな?」
シュナイゼルの言葉に、医師は一切の異論も唱えることなくその場を即座に後にした。病室には、二人だけ。
「実を言うとね。私が抱えているとある機関で高度なサイバネティックス技術を研究しているんだが、まだまだ試行錯誤の段階で適性を持つ者が居ないと満足に実証実験も出来ない有様だ」
「は、はぁ」
「当然、リスクも高い。もしかすると、正気を失ってしまう可能性がある程に」
「……」
ジェレミアはそこで、話の着地点がどこにあるかを悟った。
「……もし、この私の身がブリタニアの未来に繋がるというのなら、喜んで」
覚悟を飲み込んだジェレミアの言葉に、シュナイゼルは慌てて否定する。
「おっと、別に怪我に託けて強制するとかそういう話ではないよ。
事が事だ。私にも命じる権利などないとも。でなければ、私人としてここにはやってこないさ」
これは純粋な提案なんだよ、とシュナイゼルは薄く笑う。
「このサイバネティックス技術の実験がもし完遂すれば、君は強靭な肉体を手に入れることになる。
君の身体のことは知っている。その上で、君に提案を……いや、懇願したい。
どうか私や兄妹たちのために再び剣を振るってくれないか、と」
シュナイゼルはそう言って、頭を下げた。
ジェレミアはその姿に、その言葉に、言い知れぬ感情が沸き立つのを感じた。
まるで自分の大義が初めて報われたような、強烈な感銘。ジェレミアは、深く重い興奮に任せるがまま、口を開く。
「喜んで、その話を──」
「話が違いますよ、シュナイゼル殿下」
冷たい声が、病室に響く。
まるでジェレミアの胸中で燃え盛る熱意を、凍らせるような、酷く冷たい、女の声。
ジェレミアはその女を目で捉えて、再び驚愕する。
「ク、クルシェフスキー…?」
モニカはジェレミアを一瞥するが、何も言わずにシュナイゼルに視線をもどす。その鋭い目付きは、騎士が皇族に向けるようなものではない。
「ジェレミア卿の件は私の意に従うという話だったでしょう」
「ふむ……まずは元気そうでなにより。頭の怪我は大丈夫だったかい?」
「話を逸らさないでください」
「クルシェフスキー!? お前、シュナイゼル殿下になんて口の利き方を…」
「今更になって私の舞台をぶち壊すつもりですか。
───
「────は?」
ジェレミアは、モニカの言葉が理解できずに口を開いたまま呆然とする。
シュナイゼルは目を細め、モニカを黙ったまま見つめ、そして苦笑まじりに言った。
「なに、私は妹が心配だっただけだよ。果たして、
「私は騎士でも、ギンツブルグの落し子でもなく、ブリタニア皇族としてここにやってきました。余計な手出しは不要です」
「……私は君のそういう所を心配して来たのだが」
「人心を操ることこそ皇道と思っているのが、お兄様の悪い癖です」
「おっと、言われてしまった」
シュナイゼルは笑い、再びジェレミアに向き直った。
「混乱しているところ、すまないね。妹の意向には逆らえない。私も方針を変えよう。
モニカ、ジェレミア・ゴットバルト辺境伯へ挨拶を」
シュナイゼルの言葉に、モニカはジェレミアの眼前に立ち毅然と己の名を言い放つ。
「ナイト・オブ・トゥエルブにしてギンツブルグ家の遺児。そして、神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアが落し子。
───
忠義の所在を問うために、私はここに居ます。
ジェレミア・ゴットバルト。私は貴方に真実と迷いを下賜しましょう」
皇女を名乗る少女を呆然と見つめるジェレミアの双眸に、モニカ・クルシェフスキーは存在していなかった。