幼童は、不気味な笑みと共に私に歩み寄る。
「モニカ・ギンツブルグ。シャルルの落とし子。親の愛を知らない、哀れな幻の皇女」
「なぜ、それを貴方が知っているの」
「知っているさ。僕だけは君の人生を見守っていたのだから」
V.V.の小さな掌が、私の頬を撫でた。背中に、悍ましい寒気が走る。
……言葉通りに受け取るべきか否か。
もし本当に全てを知っているというのなら、私がシュナイゼルと共犯関係にあることも、私が湖の貴人であることも──私が全てを識っていることも、理解しているというのか。
ノーランドを差し向けたのが彼なのなら、あの男に湖の貴人の正体を知らされていてもおかしくはない。
「なんて健気なんだろうね、父に認められるためにナイト・オブ・トゥエルブにまで上り詰めているというんだから」
「……」
いいや、目の前の悪鬼でも全ては知っていない。
私がまだ生きていることが何よりの証拠。マリアンヌと違い、真に危険な相手を泳がせて、己の目的に利用するようなやり方をV.V.は好まない。
明確な格下は露悪的に弄ぶくせに、少しでも危険と見なすとその瞬間冷徹になるのがV.V.という人間だ。
だとするなら、少なくとも前世の記憶という形でV.V.の正体を知っていることは悟られていないと考えるのが自然。
故に、私が被るべき仮面は──
「……E.U.、それとも中華連邦からの客人ですか」
「ふふ、仕事熱心だね。安心しなよ、皇帝陛下の敵ではない」
ナイト・オブ・トゥエルブとしての私の言葉に、V.V.は笑いを零した。
シュナイゼルとの関係は怪しまれているようだが、湖の貴人その人とは思われていない。それは幸運ではあるが────同時に、これからの受け答え次第では致命傷に変わりかねない。
もし、少しでも怪しまれたら私の心臓は一瞬で動きを止めることだろう。
私はナイト・オブ・トゥエルブとして持っていてもおかしくない情報と、持っていてはおかしい情報を脳内で急速に整理しながら、口を開く。
「……なら、貴方たちは一体何ですか? どうやってこの屋敷に」
「どうでもいいことさ。そんなことより……」
V.V.は断りもなく、椅子を引きずってそこに腰掛けた。
「ゼロと────湖の貴人が誰か、君は知っているのかな?」
「……」
どういう意図の発言だ?
ゼロはわかるが、湖の貴人を何故ここに出した。先程の私の推測は所詮、希望的観測の産物だと言うことか?
……仮にそうなら私はここで、死ぬ。
だが、それは詰みを意味しない。私の大願に、私の生存は必須事項ではない。
私が何らかの理由で死亡した場合、私の正体と目的、そして私の知る全ての情報がルルーシュに渡るよう用意をしている。ルルーシュであればその情報を有効活用してくれるはずだ。
出来れば自分の身を礎にするやり方はやめて欲しい、というメッセージも添えて。
だから、ここでV.V.に殺されること自体は詰みではない。しかし、それでも死なないに越したことはない。今の私に、罪悪感はあれど希死念慮は無いのだから。
私は、選び抜いた言葉を吐く。
「貴方はそれを知っているというのですか……? 叛徒どもの素顔を」
「知っているとも」
「だとするなら教えなさい。今すぐこの私の手で────」
「本当に?」
「────」
言葉を呑む。思わず動揺が表に出た──訳ではない。
V.V.は私の言葉を途切らせるために横槍を放った。ならば、素直に黙るのが正解だ。しかし、実際内心では少なからず動揺している。
V.V.の言葉は、何を意味している?
「僕たちが生きていた時代と比べて、今の皇位継承争いはあまりにも温い。牧歌的とすら言ってもいい」
V.V.は困ったように首を振った。
「昔は平気で己の兄弟を騙し、蹴落とし、殺していたというのに……今の皇族は自分の領分でシャルルからの関心を獲得しようとするばかりで、ブリタニア皇族同士で血を流すような競争は皆無。
まぁ、それは望ましいことなんだけどさ……惰弱と言われると否定できないよね」
「……何が言いたいのです」
「その点、ルルーシュとシュナイゼルは実にブリタニア皇族らしいやり方を貫いているということさ」
「──ルルーシュ……?」
その名前は予想外ですという顔をしながら、内心で「なるほど、そう来たか」とV.V.の策略の触りを理解した。
「なぜ、ルルーシュの名前が出てくるのです」
「あははは、君からするとルルーシュは同じ学園に通う友人のひとりだろうからね。でもさ、ここまで聞いたんだから察しはつくでしょ、ナイト・オブ・トゥエルブ」
「……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。あの方は既に亡くなっているはずでは」
「ところが生きていたのさ。妹と共にアッシュフォードに匿われてね」
「……まさか、ナナリーも」
「そのまさかだよ」
V.V.はそのまま、ルルーシュたちについてしたり顔で種明かしを始めた。と言っても私にとってはとっくの昔に知っていたことなのだが。
さて、ならば私がすべきことはV.V.が明かす衝撃の真実をバカ正直に聞くことではなく、V.V.がこのタイミングで私に接触してきた動機の考察である。と言っても、答えは明白だが。
「──つまり、君とルルーシュは非常に似た境遇だというわけだ。尤も、ルルーシュはシャルルに愛されているのに対して、君は認識すらされていないんだけど」
「……そ、んな」
絶望顔を浮かべながら、確信する。
────こいつ、私を焚き付けてルルーシュを潰させようとしているな?
「可哀想なモニカ。ルルーシュに愛を奪われ、シュナイゼルに使い捨てにされようとしているんだから」
「シュナイゼル殿下が、私を……?」
「湖の貴人の正体さ。ゼロはルルーシュで、湖の貴人はシュナイゼル。
不審に思わなかったかい? シュナイゼルがエリア11に干渉を始めたのを頃合に、湖の貴人が表舞台に本格的に出張ってきた。
高性能すぎるKMFに、徹底的すぎる隠蔽工作。────そして、クロヴィス暗殺、いや、もしかしたら拉致かな?」
「────な」
……やはり、油断が許されるほどの節穴ではないか。
「僕の見立てだと、クロヴィスの件はルルーシュではなくシュナイゼルが仕掛け人だ。と言っても、ルルーシュ自体も噛んではいるんだろうけどね」
「シュナイゼル殿下がクロヴィス殿下を脅かしたと……!? あんな心優しい方がご自身の弟君にそんなことを……!」
私は心にもないことを言っている。
ただ、シュナイゼルに拾い上げられナイト・オブ・ラウンズに上り詰めた幼気な少女として適切な反応をする必要がある。
冗談抜きに、ひとつのミスが死に繋がるのだ。心に無いことも、心いっぱいに吐かなければならない。
「君が思っているほど、シュナイゼルに人の心はないよ」
同感、と言いたいが口に出すどころか表情に出してしまえばロロのナイフが私の心臓を貫くだろう。
「貴方にあの方の何がわかるというのです!」
これでハッキリした。V.V.の推理はあくまで私というイレギュラー抜きに導き出されたものだ。
それを加味すると、その情報収集能力はあまりにも恐ろしい。もし、式根島から帰るのが遅れていたら。もし、マオをジルクスタンに送らずに屋敷に滞在させ続けていたら。
ボタンの掛け間違いひとつで、V.V.は私の素顔を捉えかねない。
「さて、なんでわかるんだろうね。ただ、蚊帳の外にいる君が彼らの──シャルルたちの本当の姿を知らないのは当然のことだろう?」
「……っ」
「ああ、そんな泣きそうな顔をしないで。僕が来たのは、君にシャルルの愛を届けるためなんだから」
「あの人の、愛を……?」
「そうさ、ルルーシュたちに注がれている愛。────それを君が横取りするための手伝いをするために、僕はここに来たんだ」
邪悪だ。V.V.の提案は邪悪そのものでしかなかった。
目の前の男は、他人の夢や感情を玩具としか思っていない。
「ゼロと湖の貴人の仮面を剥ぎ取って、シャルルに彼らの首を差し出すんだ。
そして、シャルルに明かすんだ。娘であることを。そうすれば君は、シャルルからの愛を漸く手に入れられる」
「……」
「望んでいるんだろう? シャルルに自分の存在を、強さを……認めさせることを。僕が絶好の機会を用意してあげる」
「そのために、シュナイゼル殿下を──ルルーシュを殺せと……?」
「だって、彼らはシャルルを……君を裏切っているんだ。躊躇う必要なんてないよ」
悪魔は、耳元で囁いた。
「僕だけが、君を見ている」
全ての元凶は、私という駒を掌握出来たと確信した様子で嗤って見せた。
*
V.V.とロロが部屋から去った翌朝、私はただ呆然と椅子に身を任せていた。
これまで何度も死にかけはしたが、生身であそこまで濃厚な死の気配に晒され続けたのは初めてだ。抗い難い脱力感が私を襲っていた。
何とか凌いだ──とは言え、自由に動きづらくなった。
『これからもずっと、君を見守っているよ』
と言い残して消えたV.V.の言葉。あれは要はずっと監視しますということだ。
必要な準備は既に全て私の手から離れているとは言え、息が詰まる。不審な動きをすれば、停止した時間の中で死ぬことになるだろう。
私はため息を吐いた後に立ち上がって、机、本棚の裏、クローゼットの中を漁り────盗聴器を五つほど発見した。これだけでは無いだろう。
私はそれを放置して、私用の携帯電話を耳に当てる。宛先は────
『……モニカ先輩? こんな時間にどうしたんですか?』
「ルルーシュ。今、ちょっといい?」
『別に大丈夫ですけど……珍しいですね、電話なんて』
「……そう、ね」
動揺を隠せない声色で、ルルーシュに問い掛ける。
「ねぇ、ルルーシュ。昨日、ずっと電話が繋がらなかったけど、貴方は何をしていたの?」
『────クラブハウスに、ずっと居ましたよ?』
「……そう」
その後、探るような会話をいくつかする。
ルルーシュからすると、学友かつナイト・オブ・ラウンズから疑いを向けられている状況は寝耳に水だろう。
時間的に、神根島から脱出した直後だろうし。
『あの、モニカ先輩? なんだか、様子がおかしいですよ? オレ、何か気に障るようなことでも……』
「……ううん、気にしないで」
内心では混乱しているだろうにルルーシュは完璧にただの青年を演じきった。ユーフェミアを疑うにしても、タイミングとして早すぎるために、本当に何が何だか分からなくなっているはずだ。
私は逃げるように会話を打ち切り、一方的に通信を切断する。今の会話を、盗聴器がしっかり拾ってくれているといいが。
私は、冷えきったピザを貪りながらこれからのプランについて考える。
今回の唐突な邂逅による収穫は大きかった。
V.V.の推理を把握できたこと、それを利用してルルーシュ視点での湖の貴人と私の結び付きを断絶させたこと────ブラックリベリオンの際の布石を打つことができたこと。
ルルーシュは湖の貴人が己の素顔を知っていることを既に察していることだろう。
そんなタイミングで私から届けられていた何かを探るような電話。
私が湖の貴人なら、そんな弱々しい探りは必要ないのだから。疑うとしたら私が湖の貴人に誑かされ掛けていることくらいか。
そして、先程の電話を盗聴していたであろうV.V.もまた、私を操り人形に仕立て上げることが出来たと確信しているはず。
あとは手先として丁度いい切っ掛けさえ与えれば、あの男は意気揚々と表舞台に姿を晒すことだろう。
イレギュラーの連続ではあったが、おかげで全てのピースが出揃った。
悪辣に人心を操ることだけが暗躍ではない。伯父上はそれを忘れてしまったようだ。
私は掌の上で、白いビショップの駒を弄びながら次にV.V.の顔を間近で見ることになるであろう日に思いを馳せた。
*
「兄さん、なぜアレをシュナイゼルに付けたのですか」
黄昏の間にて、世界最強の帝国の皇帝がどこか穏やかさを伺わせながら、小さな少年に問い掛けた。
「ノーランドのことかい? 簡単な話さ。彼は湖の貴人に関心があるようだから」
「湖の貴人……エリア11のテロリストですか? しかし、ゼロならばともかくあれは……」
「シャルルは甘いね」
「甘い、ですか」
幼姿の兄の言葉に、シャルルは困ったように笑った。
「湖の貴人はシュナイゼルだよ。ゼロ……ルルーシュよりも危険だ」
「……兄さんはゼロがルルーシュであるとお考えなのですね」
「いくつかの手札を使って調べてみた結果、ほぼ間違いなくね。シュナイゼルの方は尻尾を掴めなかったけど。だからこそ、アレを使ったのさ」
「……そうですか」
シャルルは兄の策略に、ほんの僅かな嘘の匂いを感じ取った。
「本当に、使うのはアレだけですか?」
「あとは、君の部下を使わせてもらっているかな」
「部下」
「ナイト・オブ・トゥエルブ──モニカ・クルシェフスキーさ」
シャルルは眉間にしわを寄せる。思い掛けない名前だった。正確には、ルルーシュやシュナイゼルと違い、殆ど関心を払っていない存在だった、と言うべきか。
「なぜ、あの者を」
「あの憐れな小娘はゼロと湖の貴人、どちらを潰すにしても有用だからだよ」
モニカ・クルシェフスキーは確かルルーシュの学友で、シュナイゼルと懇意だった。それだけは情報としてシャルルも覚えている。
しかし、兄が関心を寄せる理由としては少しだけ弱いような気がしてならなかった。
兄は、自分に何かを隠している。マリアンヌの時と、同じように。
「シャルル、君は何も気にしなくていい。僕が全て片付けるから」
「……兄さん」
兄は、昔からそうだった。シャルルが何かを言う前に、彼が手を汚すのだ。弟を生かすために。できる限り、弟の心を傷付けないために。
だが、気が付けば彼は弟のためでは無い時でさえ、悪辣な手段を好むようになった。
悲しみのない世界を共に願ったはずなのに、兄は無意味に悲しみを産むやり方を繰り返す。マリアンヌが肉体を喪った時から、その変質には気付いていた。
「全ては僕たちの掌の上にある。イレギュラーなんてどこにもないよ」
そう謳う兄に、シャルルはなぜか危うさを感じた。
────プレイヤーと駒は揃いつつある。運命の日は、刻一刻と近付いてきていた。