泥が身体にまとわりつくような感覚。
足掻こうとしても、体は重くて一向に動く気配がない。
光の一切を許さない暗闇。
目を開けているのかどうかも定かではない。
そこには、どれほどいたのだっただろうか。
一時間か、一日か、一ヶ月か……もしかしたら何年もの間、ただそこに『いた』のかもしれない。
曖昧な意識でいた俺は、不意に、どこかに向かって体を引っ張られる。かなり強引にだ。
体が動かず、なすがままに引き摺られていく。その先には光が見えた気がした。
――――――
――――
――
ふ、と意識が覚醒する。
視界に入ってくるのは破壊されている天井。壊された時に落ちたのか壁材が散らかっている室内。
天井は高く室内は広い。調度品も高級な物ばかりで、かなり裕福な家だと思われる。
……どうにも現状が掴めない。とりあえず落ち着こう。
起き上がり、地面に正座し目をつぶる。弓道をやっていた頃の癖か、こうすると自然と落ち着いてくる。
頭には自然と情報が浮かび上がってくる。
己が召喚されたこと。その目的は、聖杯戦争であること。
俺が英霊として、サーヴァントとして呼び出されたこと。今回のクラスはアーチャーであるということ。
そしてうっすらと思い出される他の英霊の情報、何一つ実感のない熾烈な戦闘の数々。衛宮士郎の生きていた頃には間違いなくなかった記憶。
そうか、俺は英霊に……?
この知識はおそらく英霊の座から渡されたもの、なのだろう。
さらに数秒もするとドアの外から走り来る足音が聞こえてきた。
「ああもう、邪魔だ、このお!」という言葉と共に、扉が乱暴に開かれる音がする。
声から察するに女性。……なにやら聞き覚えがある気がする。
「あなたが俺のマスターですよね?」
魔力がその人物から流れてくるのが感じ取れる。
それは不思議な感覚だけど、送られてくる量がかなりのものだということが俺でもわかった。
その人物が魔術師として優秀なのだと俺に認識させる。
その人物の容貌を見るべく閉じていた目蓋を開き、その姿を確かめるため視線を入り口に向かわせる。
入ってきた人は肩で息をして……って?
……遠坂!?
俺が呆然と目を見開いていると、辺りを見渡して何事か呟いている遠坂。俺自身も余裕がない所為か、何を言っているのかはよく聞き取れない。
「えーと。貴女、見たところセイバー?」
――――確かに遠坂、遠坂凛だ。つり目で意志の強そうな瞳が俺のことを見つめている。
横でふたつにわけられた艶のある黒い髪の毛。並みの女性が着たら似合わないだろう赤い服を当然のように着こなしている。
その彼女は、なにやらいらいらしながら問いかけてくる。
「い、いや、俺はアーチャーだ、けど」
意外な人物の登場にびっくりしながらも、なんとか返事を返す。頭の中は真っ白。返答も反射的に出ていた。
「ウソでしょ!? どう見てもあんたの格好、剣士のものじゃない!!」
「え? いや、でもアーチャーだって、確かに……」
おもむろに立ち上がり、自分の姿を見回す。
視線を下にやると、まず目に入るのが鎧。ところどころに赤い刻印が入っている。腕を覆っている生地は赤く、少し目に痛いぐらいだ。
手を見ると手甲(ガントレット)。指まで保護できるようになっている。それに、視界が低い。…………縮んだ?
何故? 視界から入ってきた情報の意味も理由もわからない。
生前の記憶を必死に思い出す。己の死に際まで振り返ってようやくその原因に思い当たった。途端に頭から血の気が引いていく。
――――もしかして、俺……セイバーになったまま、なのか?
俺が呆然と自分の姿を見回している間に、どうやら遠坂が落ち着きを取り戻したみたいだった。
「なんだってアーチャーなのよ」
……って開口一番がそれか。
「む。俺がアーチャーだと不満だって言うのか?」
「そうよ! セイバーを呼び出そうとしたってのに……はぁ」
あれだけの宝石を使ったっていうのに、と呟いて顔を渋くしている。
呼び出した本人の前で、「あんただと不満」ときっぱり言い切るとは。その上にため息までつかれたし、まぁ遠坂らしいといったらそうなんだけれど。
「ちょっと待ってくれ。いきなり呼び出されて勝手に落胆されたら、いくら俺でも流石に傷つくぞ」
「ああ、ごめんね。ま、呼び出したのは私なわけだし、貴女に当たるのはお門違いよね。それでアーチャー、貴女は私のサーヴァントなわけでしょ? 早速だけど貴女の真名は何?」
真名か。衛宮士郎、でいいのか? いや、でもこの格好だし、アーサーって答えた方がいいのかもしれない……けど。
返答に窮する。どれも間違っていないようで、どれも間違っている気がする。どうしたものかと思案に暮れていると……。
「――――マスターなんだから訊く権利ぐらいあると思うのだけれど?」
なんて、何を勘違いしたのか、笑いながらこめかみを引きつらせている遠坂が目に入る。
遠坂、結構頭にきちゃってるみたいだな。いつもより沸点が低いというか、余裕がない。
さて、それよりも真名をどうするかだ。もちろん遠坂を信頼していないなんて事はない。
それどころか遠坂のことは、こと魔術関連なんか信頼してるんだけど……。
「真名……正直俺にもわからないんだ」
「はぁ? ちょっと、馬鹿にしてるわけ!?」
「いや、馬鹿になんかしてないって。なんていうか……ふたつあるというか。でもどっちも正しいかといわれれば……うーん、どうなんだろう」
いきり立つ遠坂を必死で押さえて、ぼかしながら説明する。それを聞いて遠坂はうさんくさそうに俺を見る。
「ふたつぅ~? ……まぁ、とりあえず教えてみなさい」
ごめん、セイバー。君の名前を騙らせてもらう。――だって『衛宮士郎』なんて言ったらどうなることやら。
というより『衛宮士郎』は英雄になるようなことはしていないし、それ以前にその技量も能力もない。
「アルトリア=ペンドラゴン。アーサー王って言ったほうがわかりやすいかな」
「アルトリア=ペンドラゴンねぇ…………ペンドラゴン? ってアーサー!? すごい!!! かなり有名な英霊じゃない!! アーチャーって言われたときは、もう、どうしようかと思ったけど!」
言った途端遠坂は目を輝かせて俺の手を両手で掴む。
落胆されるのも屈辱だったけど、喜ばれるのも何だか申し訳ない。どうしたものか、対応に困る。
「ん? でも、それならなおさら『セイバー』じゃないの?」
「それはそうなんだろうけど」
確かに。セイバーの身体で呼び出されたのならクラスも『セイバー』であるべきだよなぁ。
なのに『アーチャー』。俺って『アーチャー』足り得る技能なんて持っているか?
「ん、まぁいいわ。貴女、本気でわかっていないみたいだし。それにその言葉遣いの理由もわかったわ。男として振舞ってたんでしょ? アーチャーは」
「あ、ああ。そう、なるのかな?」
いい具合に誤解してくれたみたいだな。いい理由付けも出来そうにないので頷いておく。
っていうか……俺の知っている遠坂がまんま目の前にいるってことは、やっぱり生前俺が参加した聖杯戦争だよな……。
それにセイバー。この世界の俺はセイバーを呼び出せるのだろうか?
だって偽者とはいえセイバーの体を持った俺が呼び出されてここにいるのだから、どう転がるのかわからない。
「それにしてももうちょっと外見に合った話し方にしなさいよ。折角可愛い外見をしているんだから」
思考の海に沈みかけた俺は、その突拍子もない遠坂の言葉に強制的に覚醒させられる。
「いや、それだけは断固として断る。大体、話し言葉くらい好きでいいじゃないか」
「アーチャー、いい? わかっていないみたいだから言うけど、アーサー王は男として広まってるのよ? どこからどう見ても『女の子』のほうが正体がばれる可能性も減るでしょう」
これは……衛宮士郎の時によく見た含みのある笑みだ。
遠坂凛、ここでも健在ってことか。厄介な。言ってくることが一々正論だから反論が難しい。
「う。それは確かにそうかもしれないけど……」
それは流石にちょっとな。見かけはセイバーでも中身は衛宮士郎なわけだし。
女言葉で話す俺を想像してしまって眉根が寄る。何故か脳裏に浮かんだのは真っ当に男だった頃の俺。
……自分のことを俺とか言ってるセイバーもどうかと思うけどさ。
「うん。無理だ。断る」
「……」
「…………?」
…………。……あれ? 遠坂からの返答がない。俯いているから表情も見えない。
何故だろうか。そわそわするというか、この感覚が嫌な予感がするってことなのだろうか。
「……ふふっ」
笑い声が聞こえてくる。発生源はわかっているのに、何故か素早く辺りを見回してしまう。
「アーチャー、まだ貴女は自分の立場がわかっていないみたいね」
静かに遠坂がにじり寄ってくる。近づくにつれてその表情が露わになる。
……目が据わってる。隈もあるし。妙にテンパってるし寝不足なんじゃないか?
というかなんだか俺、結構余裕あるな……。
「Vertrag……. Ein neuer Nagel Ein neuer Gesetz neuer Verbrechen――――……」
「って、何をする気だ? ……まさか!?」
「そのまさかね。私の言うことを聞きなさいっ!」
魔力による擬似的な風が巻き起こる。赤い光を放ち、凛の手の令呪の一部が砕け散った。
「嘘だろ……まさかこんなことに令呪を使うなんて」
「では早速。アーチャー、口調を改めなさい」
何を考えているんだ、と続こうとした口を無理やりに閉じる。
なにやら口の周りに違和感を感じる。これが魔力による強制的な束縛だろう。このまま話したなら女言葉になっているのかもしれない。
でも話さないからな。極力しゃべらないようにすればいいだけだ。
「返事は?」
「わかりました」
いっ!? 勝手にしゃべり始めた!?
「うん。良好良好。まだ硬いけど仕方が無いか。んじゃ、早速だけど部屋の片付けしておいてくれる?」
「とお――、いえマスター。サーヴァントをこういった雑事に使うのはどうかと思いますが」
遠坂、と呼ぼうとして何か引っかかり、マスターと言い直す。何か違和感があると思ったら、セイバーの声で「遠坂」と発音することだ。
考えてみれば、まだ遠坂のやつ俺に名前を教えてくれていない。危うく初めにしてボロを出す所だった。
それにしても、令呪での命令だとはいえ、どうやら頑張れば反論することは出来るみたいだ。
口調に関してはそれを目的に令呪を使ったからかなのかわからないけれど完全に効いてしまってるみたいだ。話そうとすると意味が変わらない程度に自動で訳されてる印象を受ける。何故か話し方が本家セイバーみたいになってしまう。
「いいでしょ。貴女を呼び出すのに寝てないんだから」
「……仕方が無いですね。マスターが休んでいる間に可能な限りで片づけておきます」
「そう?」
「ですがその前に、一つだけマスターに訊いておきたいことがあるのですが」
踵を返し、居間から出て行こうとする遠坂を引き止める。掃除の言いつけなんかよりも、やっておかなきゃいけないことがあるだろうに。
「ん? 差し当たって問題でもあるの?」
向かいかけた足を止め、首を傾げる遠坂。俺はそれが殊更重要であるように、真正面に向き直って真顔で告げる。
「ええ。とても重要な問題です。これの交換をしなくては貴女と私の信頼関係を築くことは容易ではなくなる」
「え!? ちょっと待って……交換?」
本当に何だかわかっていない様子。信頼関係を築くことが難しいと聞いて焦ったのか、顎に手を当てて考え込んでしまった。
寝不足で頭が働いていないのかもしれない。仕方ないか、俺から切り出そう。
「――――ええ。私は教えたのですから、是非私にも、貴女の名を教えて欲しい」
そう言って、右手を差し出す。これからよろしくという意味を込めて。
その言葉を聞いた途端、何が不意打ちだったのかわからないけれど、見てわかるほどに遠坂は硬直、顔を赤くして狼狽した。
「あ、そうね。ええ。私、遠坂凛。凛と呼んでちょうだい」
「わかりました。では、凛と」
「う、うん。これからよろしくね」
俺の右手をおずおずと握り、ぼーっとした様子で握った右手を開いたり閉じたりしている。
「……え、と。それじゃ、私、寝るから」
そう言い残して部屋から出て行った。きっと疲れていたのだろう。その言葉もなんだか上の空だった。
よく見ると、部屋に戻るその足元はふらついていた。
凛が部屋から出て行って、甲冑姿で立ち尽くしたまま俺は現状について考える。少しばかり整理しないと何がなんだかわからなくなりそうだ。
まず呼び出されたのは、生前の俺――衛宮士郎が参加した聖杯戦争。次に、呼び出された今の俺の体はセイバー。だっていうのにクラスはアーチャーだ。わけがわからない。
とりあえず、『アーチャー』の位置に俺がいるってことはこの世界にアーチャーは召還されないのだろう。皮肉にもこの格好は赤が基調で、あいつと同じ色。
――そういえば、俺、あいつについてほとんど知らないんだよな。わかっているのはあのランサーと打ち合える強さと、あのバーサーカーを数回殺すことのできる能力。
今となってはあいつがどれほどの実力者だったのかなんてわからないけど、その役目は俺が果たさなきゃならないのだろう。
少しでも情報を得ようと、召喚されてすぐ頭に浮かんできた記憶を思い返してみるが、どうやらそれは衛宮士郎の記憶ではなくセイバーの『記録』だって分かっただけだった。
……思い返そうとしても、ぼんやりとしていてあんまり役には立ちそうにない。
――――そういえば、明日、明後日と凛とアーチャーは何をしていたのだろう?
過去の俺はアーチャーの召還にはもちろん立ち会ってなかったし、その後も一緒に行動していたわけじゃない。凛と士郎――便宜上、この世界の衛宮士郎を士郎と呼ぶことにする――が合流してからならなんとかなるんだろうけど。
とりあえずここから2日ほどは凛の指示に従うしかないみたいだ。
できるだけ前回と同じように、それで出てきた犠牲を減らせればと思うんだけど何してたのか知らないんじゃどうしようもない。
やりなおして死んでしまった人を助けるなんて考えもしなかったけど、助けられる人を助けないのは違うと、俺は思う。そのためにも凛を手助けして、出来るだけ被害が少なく済むようにすべきだろう。
それに今の俺は凛のサーヴァントとして呼び出されたわけだから、実際は素人だろうと何だろうと、凛を守らなくちゃいけない。
結局決まったことは流れのまま、臨機応変に動くこと。現時点では情報が少なすぎる。
俺には似合わないだろうしあんまりやりたくはないけど、多少の小細工もしなくちゃならないかもしれない。
そこまで考えた所で改めて部屋を見渡す。部屋、片づけなきゃいけないんだったよな。
天井なんかは何をしたらこんなになるのかというほど崩れ落ちてしまっている。その破片なんかが床に散らばっていて、掃かないと足の踏み場もない。椅子なんかはひっくり返っている。
なんでこんなになったのかはわからないけど、これは結構大変そうだ。
サーヴァント初めての仕事が部屋の片付けか。
「……はぁ、先が思いやられるな」
思わずため息が漏れる。これからどうなるのやら。