◇◇◇
士郎と凛が学校へ行ってすぐにリアと俺は念話で呼び出され、朝から共に学校付近の林に待機していた。木の幹に背を預け自分が座るその隣では、リアが顔をしかめて同じように座っている。
先ほどまではぽつぽつと会話をしていたが、今は会話もない。二人黙って校舎を眺めるだけだ。そんな俺たちの元に、校舎からは昼休みを知らせる鐘の音が響いてくる。
そもそも、何でリアはそんな渋い顔をしているのか。今、鐘の音を聞いてようやく理解する。
ああ、腹が減っていたんだなと。それに思い当たると、急に俺もお腹が減ってきた気がした。
一応、こんなこともあろうかと弁当を作っておいた。弁当とは名ばかりで、呼び出されてから時間もなかったからおにぎりを三つずつだけど。
士郎に借りた手提げからおにぎりを包んでいるアルミホイルを取り出して、リアへ向かって差し出した。
「リア。そろそろ昼食の時間です。急いでいたのでこれだけですが、どうぞ」
「その……助かります。ありがとう、アルト」
リアは俺の手の上にあるそれを両手でしっかりと受け取り、赤ん坊を抱くように胸に抱いた。
どうも昼食は半ば諦めていたらしく、ただのおにぎりを手に喜色を隠し切れていない。そこまで喜んでくれるなら俺も作った甲斐もあるってものだ。
さっそく拳大のおにぎりを頬張っているリアに頬が緩むのを自覚しつつ、俺も自分の分を取り出して膝の上に開く。アルミホイルから一つ取り出し、それを咀嚼しながら何となく学校を眺めている。
遠坂、一成、藤ねえ、美綴、桜、……慎二。
学校で特に関わりがあった奴らが浮かんでくる。俺の知っているみんなは今、どうしてるんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、ふと、もう学校に通えないことに思い当たった。あまりに代わり映えしない町並みに、俺はつい衛宮士郎の頃を延長させていた。
サーヴァント……聖杯戦争のために呼び出され、終われば情報だけを元の座へ還し、消滅する。そもそもからして、英霊は聖杯戦争なんて例外を除けば世界の救済に呼び出されるだけの存在だ。
俺に至ってはセイバーが死んでいないからどういう扱いになるのかもわからないけど、少なくともここにはいられないだろう。
本来ならばギルガメッシュの一撃で絶命していたのだから、こうしていられることを喜ぶべきなのかもしれないが、それでも寂しいっていうのが本音。
っと、いや。今はそんな感傷に浸っている場合じゃないな。
こうして眺めている学校には、違和感ばかりが募っていた。俺の記憶が正しければ、学校の結界が発動したのは明後日だった筈だ。そのときですら慎二は不完全といっていた。
しかし今こうして見ている校舎付近は前回以上に気配が変わっていて、意識せずとも肌にぴりぴりと強い魔力を感じている。
あまりに結界に魔力が補填されるのが早すぎる。外部からのものもあるのだろうけど、魔術によるものか霊脈からも更に吸い上げているようだ。
加えて、この結界の保有している魔力量だって明らかに前回よりも多い。本来これほどの異常を感じるのなら一も二もなくマスターの側で控えているべきなんだろう。
小さく嘆息し、二個目のおにぎりに手を伸ばしてかぶりつく。どうやら二個目の中身は昆布の佃煮だったようだ。もぐもぐと口を動かしながら空を仰いだ。
〈全く、うちのマスターときたら……〉
〈――何? 言いたいことがあるなら言ったら?〉
内心でぼやく俺に、微妙に不機嫌な声で茶々が入る。
頭の中に響き渡る頃にはその発生源の特定は出来た。どうやら、いきなり凛がラインを繋げてきていたらしい。未だに慣れない感覚に、思わず飛び上がりそうになってしまった。悪態をついていた手前、冷静を取り繕って言葉を選ぶ。
〈それじゃ、言わせて貰うけどな。凛なら気づいてると思うけど、たぶんこの結界、今この瞬間にも発動できるぞ〉
〈――まぁ、そうじゃないかって予想はついてる。それで?〉
〈いや、それで……って、だから危険だって言ってるんだって! 凛も士郎も敵の罠の中にいるんだぞ〉
〈――大丈夫。何かあったならすぐアルトのこと呼ぶから〉
〈そう言ったって……〉
〈――すぐ駆けつけてくれるなら、なんとかその間くらい持たせてみせる。心配してくれてるんでしょ? ありがとね〉
〈む……〉
そんな信頼を向けられたら、これ以上俺が言えることなんてないじゃないか。
〈少しでも何か異常があったら言ってくれよ〉
〈――わかってるわ。アルトのこと、頼りに……〉
〈凛? どうした?〉
いきなり凛の声が途切れて聞こえなくなった。それはまるで、トンネルに入ってラジオに電波が入らなくなるように、ぷっつりと。
「アルト!」
隣でリアが立ち上がり、俺もようやくその異常を察知する。膝の上にあるおにぎりが落ちることも気にせず、学校に向かってリアと共に駆け出した。
学校を見ると、いつの間にか魔力のドームが敷地を覆っていた。衛宮士郎だったころに中からは見たことがある。それは視界を赤く塗りつぶすものだった。
こうして外から見ると視覚的には何の変化もない。だが、感覚的には多くの魔力が一箇所にとどまったままその濃度をあげていくのがわかる。一般人は気づかないだろうが、何らかで魔力を察知できる人間にはその異常性は顕著だろう。
相手の先手を封じるつもりが、完全に後手に回ってしまっている。
念話は通じない。中の様子がどうなっているのかもわからない。中にいる凛と連絡を取ることができないのがどうしようもなく痛い。
走ってきた勢いのまま、ドームに飛び込む。途端に、世界が切り替わった。
赤、赤、赤。ただ、目に見えるもの全てが赤い。血の色に良く似た鮮やかさは、命が朽ち果てる様を連想させる。
だが、サーヴァントに効果が及ぶほどの
「っ、シロウ……!」
「リアっ!?」
突然、走っているリアが光を放ち、それが収まるとその姿は目の前から掻き消えていた。今の光は見たことがある。令呪発動の際に、共に発生する特有のものだ。
士郎の身に、リアを緊急で呼び出さなければならない何かが起きている! それはつまり、士郎と一緒にいる筈の凛にも危険が迫っているのかもしれない!
さらにスピードを上げ、勢いを殺さずに校舎に進入する。
廊下には生徒たちがところどころで倒れている。昼食を摂るために思い思いの場所に向かおうとしたのだろう。
中には、肌が溶け始めている者も見えた。異様によい動体視力を持っていると、そんな光景が嫌でも目に入ってくる。
やはり前回よりも状態が悪化している。このままだと確実に死人が出ることになる。
ちょうど昼休みに入った辺りだったのは幸いか。士郎にしても凛にしても教室からはさほど離れていない筈だ。
焦りを増して階段へと差し掛かるその時、見覚えのある人物が倒れているのが視界の端に映った。
(藤ねえと、美綴か?)
救急車を呼ぼうとしたのかもしれない。公衆電話の前で折り重なるように倒れていて、電話は受話器が外れて、宙吊りになっている。
とにかく側に寄ってみるも反応はない。完全に意識を失っているようだ。美綴に覆いかぶさる様に倒れている藤ねえを抱き起こして――
――そこで俺は逡巡する。
二人をここから逃して助けてやることが出来ない。他の生徒全員を助ける余裕も、時間も無い。そんなことをしている暇があるのなら慎二に結界を止めさせたほうがよほど堅実だ。
彼らを癒してやることは出来ない。いまだ吸収されつづける彼らを一時的に回復させても元凶が止まらない事には手が打てない。それに、俺は人を癒す魔術を知らない。
結界を破壊することも出来ない。この体――セイバーの能力は立ちふさがる敵を打倒するためのもの。魔術の解呪はできない。
サーヴァントになっても、目の前で苦しむ人を助けられないのか、俺は!
現状を打破するには、慎二を止めるしかない。……なら一刻も早く凛たちと合流するべきだ。納得できないにしてもそう理解し、行動しようにも頭のどこかが後ろ髪を引いている。
「――ぐ、ぅ!?」
それを振り切って、凛の元へ駆け出そうとして、唐突に頭痛。ずきずきと痛む前頭部を手で押さえる。
浮かぶ。あの、赤い外套の騎士の声が、後姿が。
なんで、こんなときにアイツが。お前なんかを思い出している時間なんてない、のに。
――――お前は戦うものではなく、生み出すものにすぎん――――
それは、前にも聞いた。ああ、認めるよ。お前の言葉がなければ俺はギルガメッシュとも満足にも戦えなかった。それよりも、俺は早く、凛たちの元に向かわないと――――
――――おまえに出来ることはそれひとつだけだろう――――
そんなことは、ない! 少しは剣だって扱えるようになってきたし、魔力の使い方も覚え始めてる。それが借り物だったとしても、あの頃の俺とは――
――――ならば、その一つを極めてみせろ――――
唐突に痛みが頭から治まっていった。あの騎士も、俺の頭からいつの間にか消えていた。
途端、頭に浮かぶ一振りの短剣。稲妻のような刀身、禍々しい色彩。裏切りの魔女と呼ばれたサーヴァント。其の所有物である、対魔術に特化した宝具。
そうだ。俺にもまだ出来ること――いや、まだ俺には、きっと俺にしか出来ないことがある。
「――――
◆◆◆
頭から地面に向かっていく。勢いがついていて体を逸らすことも出来ない。
「来てくれ! リアァァーーッ!」
右手の令呪が光り、弾ける。熱と痛みが手の甲を走るのと、空間に揺らぎが生じ、その中からリアが飛び出したのは同時だった。
「シロウ!」
リアは咄嗟に空中に投げ出されている俺を抱え、カッとグリーブを鳴らして着地する。
「大丈夫ですか? その左腕は!?」
「あ、ああ。大丈夫だ。俺は大したことない。それよりも三階にライダーと遠坂がいる。遠坂を助けてやってくれ」
「シロウ、あなたは?」
リアはその言葉に戸惑ったようだけど、目を見て俺の意思を感じ取ってくれたみたいだ。
「俺もすぐに行く」
「……わかりました」
それだけを言うと、リアは俺を地面へと下ろして、校舎の壁を一息に駆け上がっていく。ほどなくして、割れた窓から校舎に入っていった。
俺も左腕を押さえながら、立ち上がる。サーヴァントを相手に何が出来るかはわからないが、俺も早く遠坂たちと合流しなくちゃならない。
緊急事態ということで、手近な窓から校舎に侵入する。移動しながら、体の異常を確かめていく。
どうやら風穴が空いている左腕以外は目立った外傷はない。ただ、どこかに打ったのか、左足の膝に痛みが走る。あとは内臓が軽くやられてるけど、我慢すれば無視できる程度だ。
階段を駆け上がる。戦闘が始まったんだろう。直上から金属のぶつかり合う音が絶えず聞こえてくる。痛む左腕を押さえて、慎二のいる三階に上った。
「……どういう、ことだ?」
その言葉は確かに俺の口から漏れたものだった。目の前ではリアとライダーが互角に戦っている。ライダーからは俺が対峙したときとは比べ物にならないほどの存在感を放たれていた。
信じられないことだった。遠坂ならば、リアがライダーを押さえている間に慎二を倒してしまっているかもしれないとも思っていたのに。
奥に慎二、その手前にライダー、リアが戦っていて、俺の目の前には遠坂が立ち尽くしている。慎二が視界に入った途端に怒りで目の前が真っ赤になるが、それを必死に押さえて遠坂に近寄っていった。
「……遠坂、どうなってるんだ? これは」
「衛宮君。――――どうもライダーは結界で吸い取った生気を常時魔力に還元してるみたい。足りない戦力を他所から無理矢理補って、戦闘力を向上させているようね。ま、それでようやくリアと互角ってことのようだけど」
遠坂が俺の顔を一瞥して驚き、この戦闘のからくりを教えてくれた。一通りの説明を終えると、遠坂はつまらないものを見るように慎二に目を移す。慎二の奴も俺が無事だったことに気づいたようで、目に見えて焦りだした。
「くそっ! ライダー、なんでちゃんと衛宮の奴を殺しておかないんだ! おい、何をてこずっているんだよ! さっさとソイツと衛宮を殺せ!」
そうライダーに怒声を飛ばし、だがその言葉とは裏腹に、慄いたように数歩退いた。リアの相手だけで手一杯のライダーが俺に攻撃を仕掛けることなんて、もちろん出来るはずもない。
確かに三階の高さから受身も取れないように速度をつけ、それも頭から落とされたならば、普通は為す術もなく死んでしまうだろう。
だけど、異能の力を使う魔術師を相手にしてはあまりに確実性に欠ける。しかも慎二は遠坂と会話をしていて、その後の俺の動向に注意を払っていなかったらしい。
「それにしても……」
「ええ、手の出しようがない。この戦闘に私たちが介入する余地はないわ。まったく、アルトがここにきてくれたら戦況も変わるってのに」
なにをしてるのよ、と遠坂が続けて苦い顔をしながら腕を組む。
こうして会話をしている間にも剣戟の音は響いている。目に追えないほどの速度で攻撃を繰り出す二騎を前に、俺たちは見守ることぐらいしかできない。
「……くっ!」
聞き逃すほどに小さく、しかし確実に漏れた苦悶の声を俺は聞いた。耳に慣れない声色。それは、今までほとんど喋らなかったあのライダーから発されていた。
気がつけば互角だった戦闘が一方に傾き始めている。リアの一撃に、ライダーが耐え切れなくなっている。だけれど、リアに特別何かがあったわけではない。どうやら、ライダーの方の動きが鈍くなっているようだ。
「何やってるんだよ! ライダー! 遊んでいる場合じゃないだろう!?」
慎二がヒステリックに喚く様子を眺めながら、遠坂が囁くようにして俺に声をかけてくる。
「なんだか知らないけど、地脈に接続されていた結界が切り離されて独立しているみたい。これなら生気を吸い取るっていってもたかが知れてるし、ライダーも実力以上に戦うなんてできなくなった筈」
確かに体が軽くなっているし、不快感も少し落ち着いてきていた。赤く染まっていた視界も色が薄れている気がする。
「ってことは」
ライダーにも慎二にも、決定的な隙が生まれるかもしれない。
「ええ。……」
目でそう問いかけると、遠坂は一つ頷いてから何事かを呟き始めた。俺は腰を落とし、いつでも飛び出せるように身構える。
遠坂の予想通り、ライダーが発していた圧倒的な気配は衰えて、比例するように動きは精彩を欠いていった。リアと一合あわせるごとにライダーは追い込まれている。
「はぁぁぁぁっ!」
リアの声。そして響く、鉄の弾ける音。釘剣がリアの不可視の剣に大きく跳ね除けられ、ライダーは勢いを殺しきれず、体ごと壁へ吹き飛ばされていった。それを横目に、俺は全力で慎二に向かって駆け出していた。
けれど、慎二は走り出そうとしていた俺に一瞬早く気づいて、背を向けて逃げ出している。
手を伸ばすが慎二に届かない。貫かれた腕が思ったように振れず、体のバランスが上手く取れない。打ち付けた左足が引きつっているのか、踏み込みが甘い。速度が出ない。背を追いかけて駆けるが、その距離は縮まらない。
「あぐっ!?」
慎二がいざ階段に逃げ込もう、というところで俺のすぐ横を抜けて、赤い何かが慎二の足に直撃した。
途端に足から力が抜けたように慎二が倒れ、床に伏す。顔面を強打したらしく、低く悲鳴を漏らしている。
背後を振り返ると、遠坂が左手の人差し指をこちらに向けたまま息を吐いている。俺にはよく感じ取れないけれど、たぶん、その指先には魔力の残滓が残っている。何をしたのか、赤い光弾のようなものが何の魔術なのかは俺にはわからない。
ただ、結果として逃げられかけていた慎二に、俺は追いつくことが出来た。俺には出来ないことを、遠坂があっさりとやってのけたことは間違いないようだった。