距離にして2間。5メートル足らずであろうか。ヒトが走り寄るには数歩必要とするその距離だが、相手はその限りではない。
そのうえ、士郎の目の前で構えている相手は紛れもない剣技の達人。一分の隙もなく、悠然と構えたその姿は小さな体躯を山がそびえるが如く大きく見せる。
もちろん士郎には隙などを見つけられる筈もなく――――見つけられる筈もない故、活路を見出せずに焦り、我武者らに飛び込んだ。
思い切り床を蹴ったその勢いと、そして体重を乗せて振り下ろされた一撃は目を見張るものがある。
だが、その渾身の一刀を流れるようにかわした相手は、虚しく空を切って風を凪いだ音を尻目に士郎の頭に閃光を落とした。
ぱーん
道場に乾いた音が響いた。なんだかししおどしのようで趣き深い。
ぱーん
うん、風流。
「~~~シロウッ! サーヴァント相手に攻めようというその考えが何よりの間違いなのです! あなたは私やアルトが来るまでの間持ちこたえることを最優先に考えなさい!」
「くそっ!」
「集中してください! そんなことでは初太刀で絶命させられるだけです! 相手の動きを見て動いては遅い、初動を感じとって動き出すのです!」
「……っ!」
ぱーん
とまぁ、前回と同じくセイバーであるリアが道場で士郎を鍛えているわけだ。
これぞ日本というべきこの道場で士郎とリアの特訓を茶請けに、紅茶の入ったカップを傾ける。日本茶ではなく敢えて紅茶というところが不思議と合う。なんなんだか。
カップを横のテーブルの上に置く。その横には足を伸ばして紅茶を啜る慎二。やることがなくて暇なのだそうだ。
ちなみに俺は緑茶を淹れようと思っていたのだが、慎二の希望で紅茶になった。テーブルが道場にあるのもその流れ。
「ええと、お前はアーチャーのほうだっけ?」
俺が見ていることに気がついたのか、慎二が声をかけてきた。
「はい、そうです。士郎も凛も私のことをアルトと呼んでいますから、そのように」
「まぁ、どうでもいいけど。なんでアイツ、こんなことしてんの?」
慎二の指した先には汗だくになってリアに切りかかる士郎。それじゃ右ががらあきだって…………あ~あ、やっぱり。
すぱーん
何十回目かの乾いた音が道場に響いた。
「それで、こんなこととは?」
「だからこのチャンバラだよ。何の理由があってこんなことをしてるんだ?」
「ああ。士郎はあまり私やリア……セイバーに頼りたくはないのだそうです。ですからせめて自分の身を守れるように、と」
「はん! わかってつもりだったけど、あいつやっぱり馬鹿じゃないのか。戦いなんかサーヴァントがいるんだからマスターは魔術師らしく使役してればいいのにさ」
はははは、と高笑いする慎二。その声は竹刀の打ち合う音に掻き消され、微かに耳に残ったその笑い声は何故か寂しく聞こえた。
「魔術師らしくもなにも、士郎は魔術らしい魔術なんかは一切使えませんよ」
「……はぁ?」
傾けようとしていたカップが慎二の口元でぴたりと固定された。
「ですから、魔術らしい魔術なんて何も使えないのですよ、士郎は」
こんなことを話したら不利になるのかもしれないけど、いずれわかることだろうし。
なんとなく、本当になんとなくなんだけど、慎二には話しておいたほうがいいと思ってしまったから。
慎二が俺を見つめているのが分かったが、俺は士郎とリアの打ち合いを眺め続けた。
「――――衛宮は、魔術を使えないのに、死ぬかもしれないのに僕を助けたのか」
ぽつりと呟いた声は、かちゃん、とカップとソーサーがぶつかる音でかき消された。あまりに小さくて、口元が動いているのはわかったけど内容までは聞き取れなかった。
カップをテーブルに置いた慎二はすっと立ち上がる。そして一度士郎を見ると、そのまま道場から出て行った。
慎二にいつものような元気がなかったように思う。やっぱりキャスター――サーヴァントに命を狙われていると気が気ではないのだろうか。
凛と士郎の話し合いの結果、攻められる前に攻めるという案が可決された。
イリヤではないにしても柳洞寺に真昼間から攻め込むわけにもいかないので、とりあえず日が落ちるまでは日課をこなすことにした。なんとか慎二の安全を早く確保してやりたいんだけど。
今までリアの動きを盗もうとリアの動きばかりを見ていたが、ふと、ぼこすかやられている士郎を見て思うことがある。
剣の経験に頼れなかったなら、自分はリアの剣をどう捌くだろうか。
じっと観戦していることに飽きた俺は好奇心に駆られた。目の前で苦戦している士郎になり代わり、俺が立ち会うのを想定してリアと脳内で模擬試合をしてみる。
………………
捌き方は士郎と同じ。相手の挙動を感じ取って避け、それが不可能なら弾く。
リアが今士郎に教えていることを忠実にこなし、相手の隙を誘うよう素早く立ち回る。
――――俺ならリアと打ち合える。どうあっても劣勢にしかならないし、長期戦になれば俺が倒される結果に終わるだろうけど、少なくとも時間稼ぎは出来る。
ならば何故、士郎はリアに手も足も出ないのか。答えは明白だ。士郎と俺はソフトは変わらないのだから、やっぱり身体能力の差や並外れた勘がでかいのだろう。
セイバーの体は軽い分だけ素早い。だが漲る魔力を上乗せすることで爆発的な威力をも持たせることができる。
魔力の上乗せはまだまだだけど、機動力は俺も実感している。それのお陰で俺はランサー相手に善戦し、バーサーカー相手に一歩も引かずに戦えたのだから。
……まぁ、それも当たり前か。士郎は人間。俺はサーヴァント、それも最強のセイバーの体なの、……だから?
ちょっと待て。だとしたらリアの稽古は根本が間違っている。
「リア」
「何か用ですか、アルト?」
丁寧に体ごとこちらに向き直り、俺を見て首を傾げる。士郎は袖で汗を拭い、竹刀を杖にして荒く息を吐いている。相当参っている様だ。
「あなたの教え方では、士郎は他のサーヴァントに対峙しては殺されてしまう」
「なっ!」
リアの表情ががらりと変わる。俺を睨みつけるそのこめかみには確かに青筋が立っている。士郎も士郎でいきなりの発言に、目を見開いて俺を見ている。
「……どういうことですか」
これ以上ないくらいに言い方を間違えた。言葉が悪すぎた。
リアの体から淀んだオーラが立ち上って見えるのは俺の錯覚ですか?
下手なことを言えば、俺が酷い目に会う。絶対。
「えー、あのですね、士郎はリアや私ではないのです。確かに足運びや体捌きは良くなっていくでしょうし、反射神経は鍛えられるでしょう。ですが、肝心の剣術が士郎にはどうあっても適応しない」
「適応しない、ですか?」
厳しい顔はそのまま、しかし気に掛かる所があったのか変なオーラは霧散してくれた。とりあえず言葉を選んだ甲斐はあったようだ。
セイバーの剣術は、セイバーの身体能力を最大限に発揮できるように最適化されたものだ。
その機動力と危険予知を活かした回避能力、魔力を乗せた一撃は相手の攻撃を弾き飛ばし、その上一撃で相手を絶命させることができる威力を持つ。俺がリアと打ち合えるようになるのも、やはり同じ土台があっての話。今の俺が士郎の体でセイバーから教えてもらった剣術を使っても、こちらは弾き飛ばされ、回り込まれて勝負はついてしまう。
クラス差があるとはいえ、ライダーやランサーと比べても条件はそう変わらない。
そもそも、衛宮士郎はセイバーほどの剣の才能など持ち合わせていないのだ。その点でいえばアルトである俺も、いくら師の剣術を極めようとも師に打ち勝つことはおろか、互角に持ち込むことも不可能ということになる。
「そうです。リアのような速度も、威力も持ち得ない士郎にはどうあってもリアの剣術は馴染まない」
「なるほど、ではどうすればよろしいのです? もちろん私の剣術に代わるものがあって言っているのですよね」
「…………」
「アルト? どうしたんだ?」
しまった。問題点だけ挙げておいて解決策を考えてなかった。
それにしてもリアの言葉に棘がある。消えたと思わせておいて怒りはそのまま残っていたらしい。まぁ、鍛えている所に横から茶々を入れたのだから不機嫌なのはしょうがないのかも。
問題は、それが不機嫌なんてレベルじゃないってことだ。
「いえ、それはですね……」
必死で脳を回転させる。
ピンチ。これまでにないピンチである。これで何も考えはありません、なんて言ったら……。
脳裏に爽やかな笑顔のまま完全武装したリアの姿が浮かび上がる。
フルアーマーダブルセイバー、ここに見参。そこで俺も完全武装すれば違った意味でフルアーマーでダブるセイバー。
ってこんなことに思考を分割させている場合じゃないだろ! このままではリアにボコされる。間違いなくボコされる。
あー、やら、えー、だの言葉を濁し濁し時間を稼ぐ側ら、俺の頭はオーバーヒートするぐらいに空回っていた。
冷静になれ、士郎。いや、士郎じゃなくて俺はアルトか? アルトだな。……でも自分のことをアルトと認識するのもなんだか寂しいものがあるなぁ。て、また逸れてる。進路修正。OK。
どうすればいいのか。衛宮士郎の体。一撃必殺を持ち得ない。回避するほどの機動力もなく、咄嗟に避けられるほどの鋭い勘もない。手数で勝負だろうか? 手数といっても速度はない、だいたい、結構な重さの長剣を右へ左へ振り回す腕力がない。ならば短剣はどうだろう。これなら幾分軽いし、小さい分逸らすだけに専念すればそこそこやれる筈だ。片手に一本ずつ持てば守備範囲が増えておまけにバランスもよくなるかもしれない。ああ、きっとそうに違いない。カンペキ。
以上3秒。冷静になった俺、すごいかも。
「というわけで短剣の二刀持ちなどどうでしょう」
「何がというわけなのですか!」
とかいってやっぱりまだテンパっているらしい。思考は冷静でも相も変わらず空回りしているようだ。
「ですからですね、長剣を両手で持つよりも短剣を二本持ったほうが攻撃を捌くのが楽なのではないかな~と思うですよ?」
口調がおかしい。それに何故疑問形。どうしよう。俺がわからない。
「……まぁ、理屈はわかります。しかし、扱う物が違う以上慣れるまで期間が必要ですし、使い手がいないともなると完全に独力で……」
「いや、やってみるよ」
「シロウ?」「士郎?」
「アルトだって何も考え無しに言っているわけじゃないだろうし、駄目だったらまたリアの剣術を教えてもらえばいいじゃないか」
…………士郎。ごめんなさい。構想3秒の言い訳です。我が身可愛さでした。完全に考え無しです。
「そ、それでは私も稽古相手として全力で付き合います!」
「あ、うん。そりゃ助かるけど……いいのか?」
「もちろんです! 私が言い出したのですから、私が責任をとるのは当たり前です!」
文字通りリアに責任を取らされる。何とか形にしないと、慣れない得物が原因で士郎が死んでしまうかもしれない。人を助けようと思っている俺が原因で、人が死ぬなんて冗談じゃない。
「でも、アルトは短剣とか使ったことあるのか?」
「う、ないです、けど……。それでも! 稽古相手ぐらいにはきっと――――!」
「私も手伝いますから。はぁ。どうにもアルトだけでは不安です」
う、リアにため息つかれた。でも俺が一人で相手をするよりもきっといい筈だ。
「ありがとうございますっ! 助かりますっ!」
「ってなんでアルトがリアに礼を言うのさ?」
ええい。話がまとまりそうなんだ。士郎、突っ込むな。
「ん、それじゃ行ってくる」
「はい、頑張ってきてください」
そう言って士郎を見送った。士郎は体に痣を残したまま片手を上げて道場の出入り口から出ていった。
午後からは凛による魔術講座。リアの稽古と違い、見物するようなものでもないからついて行くわけにもいかず途端手持ち無沙汰になる。
暇といってもこれだけの広さの家があると、探そうと思えばいくらでもやることはあるわけだ。士郎がいるとなんだかんだで自分でやってしまおうとするから、逆に言えば今しか出来ないこともある。
凛も食事やらで動いてくれているし、さっき食べた昼食の後片付けも凛がやってくれていた。とりあえずは居間の掃除と洗濯からかな。
「アルト、どこに行くのです?」
「どこって……掃除でもしてこようかと思っていたの、ですけど」
踏み出そうとした足が止まり、恐る恐る元の位置に戻る。その声を聞いた瞬間、言葉がするりと出てこなくなった。ぎぎぎ、と油が切れた機械のように首だけゆっくり振り向いていく。
「先ほどの話に戻りますが、教える側が短剣の特性や扱いは知っていて然るべきではないですか?」
「確かにそうですええその通りだと思います」
有無を言わせぬその口調。ようやくその御姿を視界に収めると、涼やかに御笑になっているものの、やはりリアお姉様は怒っていらっしゃる。
全速で向き直り、背中に棒を入れたように直立不動。こういう時は平身低頭。絶対に逆らっちゃいけない。
「ではアルトには予習が必要でしょう」
「そうですねそれは絶対に欠かせない…………ってもしかして」
「さぁ、どうぞ。残念ながら短いシナイはないので」
竹刀を二本渡される。ああ。やっぱり、そういうことらしい。
「私では不足かもしれませんが、お相手致しましょう。久しぶりに全力でお相手できそうです」
…………。ゴッド。俺なんか悪い事しましたか?