□□□
あの赤毛の少年を、何と表現すれば良いのか――。
とにかく甘く、非合理的。魔術師としては確実に落第だろう若輩者。
ではあるというのに、どうにもそれを見下す気にはなれそうにない、不思議な少年だった。
彼等が見えなくなるまで見送り、宗一郎様のお部屋に戻る最中、私は先の出来事を思い返す。
魔法の域へとは届かずとも、技能でいえばそれを使う者の上をいっている自信が私にはある。
だからか、私の魔術師としての在り方は徹底していた。そして、サーヴァントとして聖杯戦争に参加している以上、私は有利を保てるように常に合理的に――魔術師的に立ち回ってきた。
少年は、魔術師であり、マスターであった筈だ。敵サーヴァントである私を消滅させる理由こそあれ、彼が敵である私に手を貸す必要はまったくなかった。
合理性を求める魔術師としては、真逆な考えである。今までの私の在り方とは、相容れないものの筈だった。
「ふふっ」
知らず、笑みが漏れてしまった。
しかし、そういう甘い魔術師のお陰で、マスターと短いながらも一時を共に過ごす事ができる。聖杯を得る、そんな理由を引き合いに出さなくても、マスターが共にいてくれる。
平穏――求めていたもの。
愛する人――手に入らなかったもの。
仮初とはいえ、それが共にある。聖杯戦争のサーヴァントである以上、他のマスターやサーヴァントの襲撃が考えられるが、やり過ごすだけなら難しくはない。
いくら最弱といわれているキャスターといえど、逃げるだけならば何とでもなる。いや、逆にキャスターであるが故に、逃げることにかけてはそう引けをとらないだろう。
この戦争が終局を迎える時にどうなるのか――あの少年と戦わなくてはならないのか――それは未だわからないが、今は彼に素直に感謝していたい。
「……」
宗一郎様が歩みを止めて私を見る。軽く笑いを漏らした私に反応して、顔にこそ表さないものの疑問を覚えているようだ。
言葉にすれば「どうかしたのか?」といったところだろう。「いえ」と軽く首を振ると、興味を失ったようにまた歩き始める。
ああ、マスターが、宗一郎様が愛おしい。
無関心なようで、実の所私のことを気にかけてくれているのだろう。今日までの、聖杯を求めねばそこで終わる幻想と思っていた私には余裕など一片たりともなく、以前なら間違いなく気づかなかった。
今は、違う。私が現界中の最大の障害物は取り除かれたのだ。こんな些細なことにさえ、幸せを覚えられる。
そうだ。こんな夜更けになってしまったし、宗一郎様にお夜食を用意しようかしら。
サーヴァントである私は空腹を覚えはしないけれど、お腹は減っていらっしゃるでしょう。
ああ、でも私はあまり料理が得意ではない。魔術薬の調合ならば造作もないというのに、どうにもそれとは別物。勝手が違ってる。
不出来な物を用意するよりはとは思うものの、こんな時間に居候の分際でお弟子さんたちに頼むというのもどうかと思うし。そもそも、起きだして来ないように魔術を掛けて眠ってもらっているのだった。そういえば人払いと防音の結界も解いてなかったわ。
まぁ、それは後で解くとしても、私が作るしかなさそうね……。宗一郎様のお口に合うかしら? 迷惑だとは思われないかしら?
でも、もしかしたら喜んでいただけるかもしれない。
もう少し宗一郎様にお近づきになれるかもしれない。
今でも幸せだけど、もっと幸せになれるかもしれない。
そうね。丁度いい機会だから、お料理の勉強をするのも悪くないのかもしれない。
そうして先に歩き出そうとしたところで、ぞくり、と寒気を覚えた。背筋に冷や汗が流れる。擬似的な心臓が、激しく拍動する。
サーヴァントの気配に近い。だが、近いようで確実に違う。その気配の持つ魔力は膨大で、しかしそれを脅威と思えないほどに私たちとは存在が違う。
蛇に対した蛙。猫に対した鼠。あちらが上で、こちらが下。間には越えることのできない隔たりがある。
それは、もう柳洞寺の階段を上りきったから発されている。何故、ここまでの接近に気づかなかったのか。
不自然に足を止めた私に、宗一郎様も立ち止まる。
振り向くと、黒くぼやけるモノがこちらに近付いてくるのが見える。ゆらり、ゆらりと同じ速度で近付いてくる。
コレには……私では勝てない……。
「宗一郎様、どうかこちらに」
宗一郎様はこくりと一度頷くと、私の側に控えてくださった。
魔術を編み上げる。柳洞寺に溢れている魔力が、本来私から引き出される代になり、集中する。
――――魔力の光弾。下手に式を組み立てるよりも連射性の高い其れ。
だが、セイバーと、三騎士であるとはいえセイバーに劣る筈のアーチャー。あの規格外の二体を除けば、これでもサーヴァント相手に充分脅威となるものだ。
しかしこれでさえ、あの影を倒せるとは到底思えない。
それどころか、私たち――サーヴァントには、アレに勝つ手段などないだろう。
あの凄まじいまでの対魔力を持つセイバーやアーチャーでさえだ。アレはそういうものだ。私の存在が、アレをそう認識している。この魔力弾も、足止めになれば御の字というところか。
放つ、放つ、放つ。都合、三回。
アーチャーのマスターに放ったように、撒き散らすことはしない。あの時は、相手の消耗を狙ってと、残りのマスターを逃がさないようにとしたものだ。通じないと分かっているものをぶつけ、こちらの視界を塞ぐなど愚の骨頂。
そして続くように魔術の高速詠唱。使い魔を呼び、影の進路を塞ぐ。
周囲に物理・魔術攻撃を遮断する防壁を張る。そして、自分と宗一郎様を中心に、魔方陣が足場を埋めていく。
はっきりいって、ここまでする必要があるのか。
わからない。わからないが、やるからには全力を注ぐ。慢心はしない。私のミスが、そのまま宗一郎様の危機に繋がるのだから。
――――逃げる。これが私の結論。私の全力を使って、成し遂げると決めたこと。
ここを離れるのは、得策ではない。他に住み処を移しても地脈からの補助はクラスの特性上可能だが、摂取できるのはせいぜい逃げ回る程度の魔力。
離れるのは惜しい。だが、ここでやられては本末転倒というものだ。
だが、果たしてどこに逃げようというのか。
一番に思いついたのは、あの不思議な少年。しっかりとした同盟を結んだわけではないが、彼等の本拠に転移してもその場で倒されるということはないだろう。
本来ならその考えから命取りなのだが、何故かそう思えたのだ。むしろあの少年なら、私たちの為に戦ってくれるような気さえする。何を馬鹿な、と思う反面、きっとあの少年なら、と思う私もいる。
それは置いておくとしても、私たちが一番安全にやり過ごせる場所は彼等の側だろう。
ここまで考えての行動。キャスターの策略家という渾名は、伊達ではない。冷静に戦力を分析し、目的を履き違えない。
必要なことに、全力を尽くす――――力で劣る分、策略で、思考で、知恵でカバーする。
だが、私は自分の目を疑う事になる。
魔力弾が飛んでいく先から、影に飲み込まれていった。
依然、影の速度が変わらない。魔力弾に怯む様子どころか、気に留めることすらしない。
地面から生まれる使い魔が、影に飲まれてその場で相手の手駒として生まれ変わる。
影から触手が伸びる。残った使い魔が一振りでなぎ倒された。
魔力弾を放ってから、おおよそ二秒。全力で、万全に作り上げた筈の防御策の大半が、無力化されるまで時間。
まさか、ここまでの力差があるなんて……。
相手の使い魔を取り込み、主の鞍替えを行うなんて、相当な魔術の使い手か、よほど存在が捻じ曲がったモノか。いずれにせよ、私の勘は正しかったようだ。アレを相手にしては、いけない。
敵方に回った使い魔は、私の張った防壁に阻まれ、魔方陣内には入ってこれない。
これならば何とか空間転移が間に合う……!
そう思った矢先の事だった。影から私たちに向かって、触手が伸びてきたのは。
残った少数の使い魔は、同じく元を同じくした敵の使い魔にやられていて、壁にもならず。
だが節こそ省略したとはいえ、全力で作り上げた防壁が触手を遮断する、筈だった。
「キャスター!」
宗一郎様の声。焦った声を聞くのは初めてかもしれない。
――――触手は防壁に弾かれるどころか、防壁を破るでも、取り込むでもなく
するり、と何事もなかったかのように『すり抜けて』きたのだ。
そして、それは既に私の目の前まで来ている……。
転移まであと一呼吸。
空間転移の魔術を完成させる為に、私は回避運動すら取れなかった。
転移まで、たったのあと一呼吸。
例え動けたとしても、私には他に出来る事など、既に何もなかったのだ。
そう――――ただ、足りなかったのだ。これは慢心でも、ミスでもない。
一秒にも満たない、僅かな僅かな猶予。たったそれだけの時間が、私には足りなかっただけなのだ。
「そう、いちろうさま――――――」