その後も色々と歩き回ったのだけれど、辺りに目ぼしいものは何も無かった。
唯一、十年前から焼け野原になっている新都の公園の辺りに近寄った時には悪寒を覚えた。どうやら、この一辺は良くないモノが溜まっている。
セイバーの身体はそういうモノに敏感らしく、そして
その際には凛が何者かの視線を感じ取っていたが、色々と歩き回っているうちにそれも消えたようだ。
そして今、通りを抜けて、ビルが立ち並ぶ開発地区に向かっている。ある区画に入るや否や凛も俺も、すぐにその異常に気づいた。
「アーチャー、わかる?」
「はい。この辺りの魔力の偏り方は妙です」
進むにつれて魔力の濃度が強くなってくるのを感じ取る。
セイバーの身体になったからだろうか、風がどちらから吹いてきているのか把握できるように魔力の流れを理解できるようになっていた。
衛宮士郎だった頃は微弱なものは察知することすら出来なかったし、察知できても流れている方向の特定などできなかった。前回の時に衛宮士郎だった俺もここの近くにいたけれど、こんな感覚は微塵も感じなかった。
「流れの基点はここね。アーチャー、ついてきて」
ある高層ビルの前で急に立ち止まって、勝手に入っていく凛。
確かに魔力はこの建物から流れてきている……。勝手に入っていいものだろうか、少し気後れしながらついて行く。
そういえば凛を屋上で見たのは確かこのビルだったような。あの時は情報収集している時だったのかもしれない。もう、確かめる術はないけれど。
数階上ったところの部屋の前でおもむろにドアを開け放つ。この階だけ魔力の残滓がすごかった。ドアを開けた途端に外に流れていく。
中には清掃員らしき人たちが数人、衰弱し倒れていた。体は痙攣し、全員の意識は刈り取られている。見るからに危ない状態だって見て取れた。
「これは……生気がほとんど残って無いわ。吸い取られたのね」
「――――くっ」
こんなことができるのはキャスターだろう。まだ全員息はあるみたいだけれど、この様子では発見が遅ければ人死にが出ている。
前回、ニュースで集団昏睡事件があったことは報じられていた。俺はそれを知っていたのに、二度も、この人たちの危機を見過ごしてしまったのか。
「アーチャー、他のサーヴァントの気配はある?」
「いいえ、この付近では感じません」
「そう」
「……凛、この者たちはどうするのですか?」
じっ、と凛を見つめる。まさか凛が放って置くなんてこと、することはないだろうけど。
「しょうがないから応急処置ぐらいはしてあげるわよ」
そう言いながら、凛は腕まくりをする。危険だと思われる人から、魔術による救急の処置を行っていった。
一通り処置を終えた後に救急車を呼んでおいた。もういくらもしないうちに到着するだろう。
処置に結構時間が掛かってしまい、外はすっかり暮れていた。
「ふう。それじゃ屋上に行きましょうか」
「屋上? 何かあるのですか?」
「街を俯瞰すれば魔力の流れが読みやすいでしょ」
「なるほど」
階段で数階分上って、屋上に入るドアの前で凛は立ち止まった。施錠されているようだが開錠の魔術を唱えもせず、ノブの上の錠を指差した。
「アーチャー、これ、お願い」
言わんとするところにはすぐ気がついた。応急処置では多少なり魔術を行使していたから温存しておきたいのだろう。
あまり気は進まないけど、俺としても出来ることの確認しといた方がいいかもしれない。
頭に呼び起こすのは宝具でもなんでもない、凡庸な短剣。構造にも材質にも特筆するところのない、鍛造品。
「――――ふっ!」
右手を鍵の部分に向かって振り下ろし、インパクトの瞬間に短剣を投影し、すぐに消す。
ギャリ、ガコン、と重たい音が階段に響いた。錠の部分を中心に浅くない線が入る。
……これでドアは開く筈だ。ただし、もう施錠はできないから扉ごと買い換えなきゃいけないだろうけど。
うん。それにしてもなかなか、というかかなり魔術の調子がいいみたいだ。
回路も以前とは比べ物にならないほど上手く回っている。よほどのものじゃなければ軽く組み上げられる自信が出てくるほどに。
そしてやっぱり。得物がなんでもない短剣だろうと、魔力で強化したセイバーの筋力と速度があるなら金属だって切断が出来てしまえた。俺自身に斬鉄の技術なんてものはないから、単純なスペックでそれを為せてしまっている。
そのまま屋上に出た。地面から離れている所為か風が強い。結んであるとはいえ、長い髪がはためいていて少し邪魔だ。
前回はこの下で俺が凛のことを見かけたのだったか。一応、士郎から俺の姿は見えないようにしたほうがいいだろう。
そう判断し、凛から三歩ほど下がったところで待機する。傍から見れば主人と従者の立ち位置になっているだろう。
「駄目ね。さっきの部屋には魔力の残滓が強く残ってたのに」
「そのようですね。完全にこの建物で途切れているようです」
上空だからか、下を歩いていた時よりも強く風が吹いている。凛と俺は黙って街を見渡すが、何の変化もない。
「ところでアーチャー。どうしてそんな離れたところにいるの? 折角上まで来たのにそこじゃ感知し難いでしょ。こっちに来ればいいじゃない」
「霊体になれないのですから、地上の人が見たらこんなところに立ってるのは不審に思うのでは」
「地面から何メートルあると思ってるのよ。下からなんて見えるわけないじゃない」
そういって屋上の縁まで歩んでいく凛。結構な高さだというのに身を乗り出して下を覗き込む。
「えっ? 衛宮、士郎――――?」
「……。どうしたのですか?」
やはり俺がこのビルを見上げ、遠坂を見かけたのは今日だったのだろう。
「いや、知ってるやつがいたんだけど……。まさかあっちからは見えてないでしょうし」
言うや否や黙ってしまう。眉間に皺を寄せ、覗き込んでいたほうを睨み付けている。
……何か考え事をしているようだけど、いつまでもここに居てもよろしくないだろう。この高さにもなると風が強い。体感温度で何度下がっていることか。夏ならともかく二月では寒いだけだ。
「凛、体は大丈夫ですか? 寒さの所為か、顔がうっすらと赤らんでいます」
「え、そう?」
「コートを着込んでいるし、別に寒くはないんだけど」と言いながら凛は自分の頬を両手でこする。
「しかしここは風が強い。これ以上の用がないなら場所を変えることをお薦めします」
「そうね。それじゃあ今日のところは戻ることにしましょ」
言うが、歩き出すこともせずに顎の下に手を当てて再び黙ってしまった。
その様子を見て、俺も進みかけた足を寸前で止める。
「凛?」
「下は救急車とか警察でいっぱいよね。どうしようか…………」
「……」
凛って変なところでポカするんだよな。しかも要所要所で起こってるようだし。
ふむ。体には魔力が有り得ない程に溢れている上に、凛からの魔力供給もある。
前にセイバーがライダーと戦ったときにビルを駆け上っていたから降りる分も問題ない、と思う。
階段で上ってこれたから、上った三階の窓から飛び降りても大丈夫だろう、と言ってるようなものかもしれないけどさ。
……それでもセイバーの身体能力に更に魔力を使えば、凛をカバーしながら飛び降りても大丈夫だろう、という認識は変わらない。
召喚の時過ぎったセイバーの経験からきているものなのかはわからないけど、出来てしまえる妙な確信があるのだった。
「凛、ここから飛びましょう。私がサポートします」
「それじゃ、お願いね」
凛が躊躇もせずに勢いつけて飛び出す。俺もそれに倣って凛を支えながら落下していった。彼女の体を抱え込みながら、着地前に魔力を噴出。スピードを殺して無事に地上に降り立つ。
……出来てしまった。いや、出来なければ今頃どうなっていたかわからないのだけれど。
「凛、夕食はどうするのですか?」
帰り道気掛かりになっていたことを尋ねてみる。困ったことに、食事時になると周辺の住宅から香ってくる調理している匂いで思考の半分くらいがそちらに回されていた。
「うーん、そうね。アーチャー、あなた他に料理は作れるの?」
作れる。けど、生憎和食が中心なんだよな。西欧の王様がいきなり和食作れるなんて絶対に不審だろうし。
洋食は桜に習ったレシピも合わせればいくらかはあるけど、どうにも心許ない。
「簡単なものなら大抵作れますが、手の込んだものとなると書物を見ないと……」
「それじゃあ今日は私が作るわ。料理するの交代制っていうのはどう? 貴女も食べるんだから構わないでしょ?」
「ええ。そういうことであれば、わかりました。任せてください」
「そうね。今朝のスクランブルエッグを見る限りじゃなんとも言えないけど、全く出来ないってわけでもなさそうだしねー」
言うなり挑発的な視線を投げかける凛。
――ほう? 朝の料理だけを見て、王様だと思って舐めてるな。そこまで言うなら度肝を抜いてやる。
凛の腕前はわかってるし、上手いのも認める。けど、こと料理に関してはそう簡単に負けてやらないんだからな。
冷蔵庫に何もなかったのを思い出し、商店街に向かう。
時間が時間なので、タイムセールが狙える筈。食材が安く買えるだろう。
「……っ! 美味しい……」
「そ。喜んでもらえて作った側としても嬉しいわ」
思わず口をついて出た言葉に、凛がニヤニヤ笑いながらこっちをみる。
今日の夕飯はチンジャオロースと、卵とネギの中華スープにレタスを使った炒飯だ。
凛は得意の中華で攻めてきた。この献立自体ははっきりいってそれほど難しいものではない。調味料さえ揃っていたなら和食中心の自分でもレシピを見ずに作れるくらいだ。
けれど実際に食べてみれば全部がとても新鮮で斬新な味に思える。
以前、遠坂――呼び名が混ざって混乱するので前の世界の遠坂凛を遠坂と呼ぶことにする――が作ったものを食べたことがあったのに、だ。
セイバーが食いしん坊になるのも仕方がない気がする。現代の食生活はセイバーの舌にとって革命だったのだろう。
どうりで今朝食べた、焼いただけのただのトーストが非常に美味しくいただけたわけだ。
食べ終え、洗い物をしてる凛の終わりを見計らって紅茶を入れる。ソファーに座る凛に紅茶をソーサーごと手渡した。
「ありがと」
自分の分の紅茶を持って凛の対面のソファーに腰を下ろした。お互いの前に置かれた紅茶が湯気を上げている。
「ところでアーチャー、訊いておきたいことがあるのだけれど。貴女、アーチャーのクラスを冠しているってことは、それこそ弓とか、もしくは飛び道具とか使えるの?」
「……飛び道具ですか。試したことはありませんが、出来るのかもしれませんし、出来ないかもしれません」
「出来る? あるとかないとかじゃなくて?」
「はい。私が持っている力の使い方を変えれば」
それはもちろん投影魔術のことだ。セイバーになって、短剣を投影してから思いついた方法である。
まぁ、ただ単に剣を自分の手の中に発現させるのではなく、相手に向かって射出するというものだったが。
衛宮士郎のころはひとつのものを投影するのに時間が掛かりすぎるから出来なかった手段だ。
……あとは『風王結界(インビジブルエア)』なら遠距離攻撃もできるみたいだけど。
開放時しか使えない上に飛び道具というほど射程があるわけでもないので、やっぱり『飛び道具』としては数えられない気がする。
「ま、出来るかどうかわからないことは算段に入れちゃ駄目よね……。そうなるとやっぱり接近戦主体になるわけ?」
「そうなります」
「あとは……あなたの武器見せてもらってもいいかしら?」
武器……。
さて、投影魔術はこの後に士郎と接触する時、色々と拙いことになりそうだからぺらぺらと話すことは出来そうにない。
もちろんだが、さっきの手段も使えるか使えないかは別にして、俺の正体を打ち明ける覚悟でなきゃ使えないってことになる。
そうなるとあとはセイバーの『風王結界(インビジブルエア)』と『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』なんだけど。
使えるのだろうか? っていうかそれ以前に出せるのだろうか?
『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』だけならば、最悪のところ投影魔術で代用が利くかもしれない。けど、『風王結界(インビジブルエア)』はわからない。
なにせ、投影しようにも剣ではなく、エクスカリバーの鞘の代わり。それもどちらかというと魔術のようだ。セイバーの体だから顕現できないはずはない、と思うんだけど。
「では、少し試してみます」
念のために戦闘武装しておく。臨戦態勢であるこちらの姿の方が、剣のイメージを喚起しやすい。
精神を集中させて剣を思い描いてみる。投影魔術と工程が似通っているけれど、武装を現界させるにはこれで間違っていないらしい。
「……出せた」
「へ? 何もないけど何か出たの? 何か魔力で編まれてる、っていうのはわかるんだけど」
そういう意味では鎧を物質化させるのと変わらず、剣を呼び出せた。
確かに視えてはいないけど確実に此処に在る。両手で握っている剣は確かな質感と重量を持っていた。
「視えないとは思いますが今確かにこの手に存在しています。何か切っても大丈夫なものはありませんか?」
「ちょっと待ってて」
そういうと凛は部屋から出て行き、右手に古びた分厚い電話帳を持って戻ってきた。
「これでいい?」
「構いません。それではこちらに放ってください」
山なりに投げられる電話帳。それを真っ二つに叩き切る。振り切った体勢からもまだ動ける余地があったので、落ちる前に更に三、四と返す刀で切り返す。
ばらばらになった電話帳は、ばさばさばさ、と音を立てて床に落ちた。
「へぇ。すごいものね。切れ味もそうなんだけど、たぶん剣自体に魔力が圧縮されて隠蔽されてるのよね……。神秘の塊でしょうに、それすらまったく感知できない。ちなみに私にはまったく視えないけれどどれくらいまで刃があるの?」
「そうですね、ええと……」
――――同調、開始。
――――解析終了。
なるほど、おおよそ90センチ。手と手を大まかに開いてみる。だいたいこのくらいだろうか?
「ふーん。視えないっていうのはどういう原理なのかしら?」
それはたぶん俺に問いかけたものではなく、自問するように呟いたものだったと思う。そのまましばらく神妙な顔をしたまま考え込んでいる。
俺は紅茶に口をつけ、凛が再び口を開くのをただ待つ。
「私が把握できているあなたのステータスや対魔力のスキルから判断する限りだと接近戦だと敵なしってところかしら。とてもじゃないけど弓兵のそれとは思えないし、これでセイバーとして喚ばれていたらもっとすごいことになっていたのかしら。ま、私も護身術程度の心得はあるけど、あなたの実力を量れるほどじゃないからなんともいえない。でもその視えない剣があるなら、接近戦においてすごいアドバンテージがあるのは間違いない。アーサー王という真名と、あなたから感じる魔力の量からいって最強って言ってもいいんじゃない?」
「凛、過信は禁物です」
たしかに剣の経験に共感し読み取れば、擬似的にだけどセイバーと同じ動きができる。
だけど、いかんせん俺自体はセイバー流剣術はまだまだ見習いレベル。相手が英霊相手では身体能力が高いからイコールで強い、とはいかないだろう。
―――それに、バーサーカーとギルガメッシュ。
あいつらと一対一で戦うなんてセイバーの体でも無謀としか思えない。単純に力という点ではヘラクレスに比ぶべくも無い。そしてギルガメッシュも前回は全魔力を動員してなんとか相殺まで持っていけたけれど、次も同じことが出来るとは限らない。
「何、アーチャー。謙遜?」
「いえ、他のサーヴァントの正体も判明していない以上、慢心は戒めるべきだと」
「ま、そうね。まだ始まったばかりだし。とりあえずあなたの戦闘手段もわかったことだし、戦闘に関しては一考してみるわ」
「お願いします」
「それじゃ、明日も情報収集をするつもりだから早めに休みましょう」
「わかりました」
一応、話は終わったようだ。背もたれに身体を預け、残った紅茶を飲み切る。
なんだか疲れた。サーヴァントなのだから寝なくても大丈夫だとは思うけど、肉体よりも精神が疲弊してしまっている。脳が整理のために休息を欲しがっているのか、とても眠い。
「ね。そういえばお風呂どうする?」
「え?」
「今日はシャワーでいい?」
忘れていた……。ついでに眠気は吹き飛び、完膚なきまでに目は覚めた。
どうする!? どうする!? どうしよう!?
着替えの時はなんとか自制できたけど、風呂はよくない。……色々触ることになるだろうし。その……色々。
だって、洗うもんな。体。それはしょうがない。しょうがない、ことなんだけどなぁ。
確かにしょうがないんだけど、でも。
「凛、お風呂はいいです。今日はやめておきます」
問題の先送りだと思うけど、とりあえず今は心の平穏を優先して保たねば。
「駄~目っ! あんたも私も外を歩き回ったでしょう」
凛は腰に手を当て、どうにもお冠の様子。何故そんなに風呂に入れたがるのか。
「その点は全く問題ありません。ええ。私はサーヴァントなのですから」
「残念ながらそれは答えになってないわ、アーチャー。サーヴァントだから老廃物が出ないとしても実体化している以上砂とか埃とかつくのは変わらないでしょう。入らないのならうちの敷地はまたがせないわよ」
「そ、そんなっ、凛! 私に死ねというのかっ!?」
自分が何を口走っているのかわからなくなってきた。
混乱、ここに極まれり。自分がここに召喚された時よりも、絶対に今この瞬間の方が混乱の度合いが高い。わかってしまう自分が悲しい。
「それとも一緒に入りましょうか? 裸の付き合いをして親睦を深めるって言うのも良いかも知れないしね」
じりじり近寄ってくる凛。対して距離が詰まらないように同じ速度で後ずさりする俺。
言っている事自体は一応の道理が通っているのだけれど、ただそれにしては凛の目から邪心を感じる。
そもそも、そのウネウネ動く手の動きは何なんだ!? いったい何をするつもりだって言うんだっ!?
俺にはわからない。女性同士だとどういう付き合い方が普通なのか。もしかしたらこれぐらい普通の事なのかもしれない。
でもとりあえず、俺の中で凛にはあちらの気があるんじゃないかという疑惑が浮かんでしまっていた。思い返せば遠坂もセイバーに対してそんな感じがあったかもしれない。現実での距離は変わらないが、心の距離が果てしなく開いていた。
「ひ、ひとりで入りますっ!!」
隙をみてセイバーの身体能力をフルに使ってバスルームに高速移動。閉めた扉の先から「チッ!」という舌打ちが聞こえたのは気のせいであって欲しい。
ちゃんと風呂に入らないとそれを理由に乱入されるかもしれないので、ただただ無心を心掛けてなんとか入浴を終わらせた。
事実として、俺の男としての砦は完全に劣勢だってことだけは間違えようがないようだった。