◇◇◇
――何でこんな朝早くから道場で、しかも二人っきりで訓練しているんだ?
補修の後が見え隠れする道場で、俺と士郎はそれぞれ、両手の竹刀で打ち合っていた。始めてから三十分程が経っている。士郎は息を荒く吐き出しているが、俺は多少呼吸は早くなるものの余裕はまだまだある。
冷静に士郎の隙を観察しながら、攻撃を受け流す。腕にばかり注意が向いていて、どうも足元が安定していないみたいなので体ごとぶつかってみた。
遥かに背の低く小柄な俺の体当たりを受けて、士郎は対応も出来ずに吹っ飛んでいく。体勢が悪かったのか、背中から地面に落ちた。
「ごほっ――――!?」
士郎の呼吸が一拍止まる。けひゅ、なんて情けない音が士郎の口から漏れるのが耳に届いた。
それでも右手の竹刀を手放さない士郎に少し関心する。とはいっても、左手の竹刀は本人よりも飛距離を伸ばして飛んでいったが。
ここいらが限界だろう。集中力が落ちてきてるようで、竹刀を取り落とす回数が増えている。
「士郎、一旦休憩をはさみましょう。あんまり根を詰めすぎても逆効果です」
「ふう――! はっ、……はっ、あ、ああ。はあっ、わかった。――きっ、休憩だな」
士郎は大の字になったまま、息を切らして答える。背中を強打してもう喋れるのか。我ながら丈夫な奴だな。
その場に正座し、横に竹刀を置く。スズメが
外を覗くと、まだ白く朝靄がかかっていた。出勤する車もまだそんなに多くない時間だからか、肌に痛いくらい空気が澄んでいる。
昨日はリアとの戦闘後、何故か俺一人が道場の修繕を任され、結局それは士郎が夕食の時間だと呼びに来るまで終わらなかった。
干将・莫耶が突き刺さって空いた穴、リアが最後の一撃を放つ際に踏み抜いた床板、俺が突き破った壁――――と。 思わず頭を抱えるくらい悲惨な状況だった。
思えば召還された初日もそうだったけど、俺は凛のように壊れた物を元の状態に戻したりといった使い勝手の良い魔術なんて修めてない。土蔵から引っ張り出してきた大工道具で地道に直したのだ。
凛の奴、「こっちは魔力に余裕があるんだから、好きに魔力使っていい」とか言ってたのに。あまつさえ「私のサーヴァントなんだから、あのへっぽこに召喚されたリアに勝ってみなさい!」とまで言ってたのに。そこまで言ったんだから、後始末ぐらい手伝ってくれても罰は当たらないと思うんだが。
……あれか、俺が負けたから悪いのか。以前よりも、大分善戦したと思うんだけどな。戦闘時間の短さはともかく、双剣で戦っているほうが追い詰めている感はあったし。後半、避けられ始めてからはボロボロだったけどさ。――くそう。
道場の補修を終えた後、夜に多少の雑談はしたけど今日は行動する予定だったので早めの就寝となった。
もともとこの体が睡眠を余り必要としないっていうのもある為、目が覚めるのも早い。何か飲み物でも飲んでから魔術の訓練でもしておこうか、と思って向かった居間には既に士郎が朝食の仕込みに取り掛かっていた。士郎がこちらを向いたのを見、「おはようございます」と声を掛けようとして遮られた。
「アルト、頼む! 俺に剣術を教えてくれ」
床に額を擦り付けんばかりに頭を大きく下げて、朝の挨拶の前に士郎が放った言葉がそれだった。
士郎の腕の調子も大分良くなったようなので、俺としては別に異存はないのだけれど。……なんでこんな朝早くからなんだろう?
正直な話、まだまだ未熟な俺が剣術を教えるなんてどんな冗談なのかと自分でも思うけど、双剣を使えるのは俺しかいないのだから仕方がない。
士郎の練習相手になると言ったのも事実だけど、あの時は俺が双剣を使って教えるという意味はなかったんだけどな。俺は別にこれから干将・莫耶で戦うつもりもないのだけど、一緒に訓練すると考えればいいか、と納得しておこう。
室内を見回すと、壁に掛けられた丸時計は六時を指していた。そろそろ凛も起きてくる頃だ。次でラストってとこかな。
「……士郎、体は大丈夫ですか?」
「ああ、背中はもう問題ないかな。呼吸も大分落ち着いたし」
その言葉を聞いて、置いてあった竹刀を握り直し立ち上がる。目の前には上体を起こし、右手に竹刀を握っている座った状態の士郎。
「それでは再開としましょうか。行きますよ!」
「うわっ、ちょっと待て……まだ竹刀が!」
必死に飛び退いて、吹き飛んでいた竹刀を左手で拾い上げる。そんな慌てた様子の士郎に、接近しつつ斬りかかった。
さて、もちろん手に持っているのは干将・莫耶ではなく竹刀なので、長さ、元よりその特性も違い、剣に培われている経験も存在しない。
そんなわけで俺は昨日の攻防を思い出すように体を動かしているのだけど、元々地力が違う所為か士郎の動きは遅い。昨日に比べると俺の動きは相当劣っているが、その上で手加減しても士郎を相手にするには充分過ぎる。
リアとの試合で俺の欠点や悪癖は多少見当がついた訳だが、目の前の相手ももちろん俺。士郎と打ち合ってみると、改善しなきゃいけないな、と思っていたところと同じところがそのまま、士郎の欠点なのである。
――干将・莫耶で昨日の士郎の投影を思い出した。
士郎の投影したものを見て気付いたことがある。あれは、『俺の干将・莫耶をオリジナルとして投影している』。
……いや、俺の投影したものを見ないと士郎は干将・莫耶を投影をできないのだが、問題は別にある。
俺はアーチャーの使っていた干将・莫耶を元に投影しているが、先日アサシン相手に投影した状態で七割ほど。学び得た投影理論を実践するよう心がけている今でも、九割には届かない。
となると、贋作を基にした贋作を見本にしている士郎の干将・莫耶は、かなり『精度の上限』が狭められてしまう。士郎の干将・莫耶は俺のと比べれば大した遜色ないが、アーチャーのと比べると出来に差が出すぎている。
俺はきっとアイツと並ぶものは作れないし、士郎は俺と並ぶものを作れない。
投影っていうのはそういうものだ。超えることは許されず、自分の中の本物にただ近づけるだけで決して同じものは生み出せない。
実物の影を作り出すこの魔術は、どんなに精巧であろうとも実際に見た剣と比べるとどこかが劣化してしまう。
その差異は、誰にも気付かれることないほど小さなものであったとしても確実に発生するものだ。
つまり、士郎は俺の投影した不完全な干将・莫耶を元にするので、アーチャーのを基準に比べて絶対に九割以上の精度を出すことはない。
投影の経験を俺以上に積んだなら、他の剣ならば士郎に遅れを取ることもあるだろう。しかしそれほどの『投影技術』を持つことが出来たとしても、干将・莫耶に限って言えば俺以上のものを作ることは出来ない。
現時点での士郎の干将・莫耶の完成度ではサーヴァントの一撃を受けきれるかどうかすら不安が残ってしまう。戦える力を得た、なんて自惚れていないといいのだけど。
考え事をしていたからか、気が付いたら目の前に士郎の振る竹刀が迫っていた。
反射的に左足を軸にして体を半身にする。目の前を通り過ぎた竹刀を上から叩き落とし、ついでとばかりに左に持った竹刀で士郎の頭を打つ。すぱん、と響く乾いた音が耳に心地よく残る。
「いっ――――!」
「士郎、自分の体勢をそこまで崩して攻撃をしかけるのは感心できません」
左手で頭頂部を押さえ、竹刀を拾い上げる士郎。それを見届ける前に俺は駆け出した。
「硬直が長い……早く構えないと追撃が来ますよ」
「くそっ!」
言ってから、隙だらけの士郎の頭に竹刀を落とす。なんとか其れを左手の竹刀で受けた士郎は、昨日の俺の動きをなぞる様に右手の竹刀で斬り上げてくる。
受けずに後ろに下がって避けて見せると、士郎が好機とばかりに飛び込んできた。
――昨日そのやり方で俺が倒れただろうに。
下がった瞬間に床を蹴り前進。もちろん昨日の俺やリアの動きと比べると随分のんびりした加速だ。しかし士郎にはそれで充分だったらしく、士郎が対応する前にその両手の竹刀を弾き飛ばす。
「士郎、攻めようなどと考えないことです。まずは相手の攻撃を防ぐこと。それを第一に」
ふう、と一息ついて竹刀を振り下ろす。また道場に、聞き慣れ始めた乾いた音が響いた。
――――自分が言われていたことを自分に指摘するなんて貴重な経験をしたのは、世界広しといえど俺ぐらいだろうさ。
手に持った竹刀を元の所に片つけていく。落とした竹刀を回収する士郎を見、心の中で肩を落とす。
それというのも士郎は終始俺の動きを踏襲することに徹していたらしく、足運びや体捌きと共に悪癖もそのまま受け継いでしまったようなのだ。
正直、頭が痛くなる。俺自身気付いていた悪い部分は指摘したし、それで生まれた隙には容赦なく攻め込んだ。なのに何度打ち込んでも士郎は俺の動きを模倣することに努めている。
以前も思ったけど、士郎が何を思っているのかわからない。いったいどんな考えがあって俺の動きをそのまま模倣するのか。人間相手なら士郎の身体能力で昨日の俺の動きをしてもそこそこやれるかもしれないが、力も速度も違うサーヴァント相手では隙だらけだ。
だから俺も立合い前に「動きの参考に」「イメージを掴んでほしい」と話しておいたのに、どうやらわかっていない。……防御に徹すれば、もしかしたら数分くらいは受けきれるかもしれないっていうのに。
当の士郎は、打たれた体が痛むのか少々顔を顰めているもののどこか満足そうである。肩を回しながら歩く、一晩で元気になった士郎の背中を眺めてから、聞こえないようにため息をついた。
「それじゃこれから街外れの森に偵察に行ってくるけど、今のうちに何かある?」
「……ん? 行ってくるって、行かない奴とかいるのか?」
凛が上にコートを羽織ながら士郎に尋ねたことに対して、同じくジャンパーを羽織ながら士郎が疑問の声を上げる。居間から玄関へと向けた足がその一言で停止し、凛は無表情で士郎に向き直った。
「何……ついてくるの?」
「当たり前だろ。体の方も治ったんだしさ。遠坂こそ、アルトと二人だけで行くつもりだったのか?」
「それこそ当たり前でしょう。あんたねぇ、いくらあの剣を投影出来るって言っても接近戦じゃサーヴァントには対抗できないでしょうが。士郎の腕が治るまで待ったのも、この家が襲われたときのことを想定して逃げる条件を少しでも良くすることを考えてなんだから」
「だったら、やっぱり分散するよりもまとまったほうがいいんじゃないのか? そっちこそもしバーサーカーと戦闘になった時を考えると、リアもいたほうが少なくとも拮抗できるだろ」
「――――ああ、そうか。衛宮君の家って、警戒の結界ぐらいしか備えがないんだったわね。それじゃここに居ても、地の利が得られるって訳でもないのか」
上を仰ぎ見ながら、ため息を吐き出す凛。それも、「このへっぽこめ」っていう呆れた顔でため息をつくのである。
「……はぁ。私としては残ってもらいたかったんだけどね。貴方、性格的に偵察とか向きそうにないし」
「それじゃ?」
「ええ。ついて来たいのなら、どうぞ。確かにバーサーカーと対峙したらリアの力も借りないとちょっとばかり面倒だしね」
やれやれ、なんて顔をして士郎を見る凛。その瞳の奥は、どこか不安げな色が隠れているように見える。
俺も借りたカーディガンを着込み、凛と同じように士郎へと向き直る。
「士郎」
「ん? どうしたんだ、アルト」
ついてくるというなら、士郎には言っておかなければならないことがある。バーサーカー相手では、そういう事態に陥る事になることも充分に考えられるのだから。
「――――自分の身を、大切にしてください。衝動で行動をしないように。バーサーカーに向かっていくなんてことは絶対に控えてください」
「……ああ、わかった。でも、あんな暴力の塊みたいな奴の前に飛び出すなんてこと、俺には出来ないよ」
苦笑いを浮かべながらそう答える士郎。それならいいのですが、と簡潔に返し、反応を見る前に踵を返して凛に続く。
例えばリアがやられそうになる、そんな場面になった時に士郎はこの言葉を覚えているだろうか?
身を挺してまで他を救う――その行動自体は、間違いじゃない。きっとそれはニュースや噂で聞いたなら、皆から「素晴らしい人だ」と思われること。
俺もそんな話を聞いたら、その人をすごい人だと感心するし、尊敬すると思う。でもそれは、助けた人も無事だった場合だけだ。
士郎が助けに入った上で、もしも代わりに死んでしまうようなことがあったら、俺は士郎を助けられなかったことになる。傍から見ている俺は、『士郎が犠牲になり、リアが助かった』という結果しか残らない。
人の命に価値はつけられない。俺が俺を『アルト』だと認識しているからには、士郎は俺であるが自己ではない。根底や思考パターンは同じであろうとも、俺と士郎の考えていることはいつだって同一ではないのだから。
ならば例えそれが『衛宮士郎』と言えど、俺が救うべき人間。
いつか、俺が願ったように。
俺は、……俺はこの世界では、衛宮士郎でも、セイバーでもない。
アーチャーとして、アルトとして、この世界に呼び出されたサーヴァントとして。
士郎を含めたみんなが幸せであれば、と――――。
――ただ、ただそれだけを。
アインツベルンの城がある森へは、タクシーで向かうことになった。
幸い、衛宮の武家屋敷はその外観とお隣さんの藤村組の存在で有名である。住所と、目印になるであろう藤村組の隣と告げるだけで理解してもらえたらしい。十分ほどで到着するとのことだ。
タクシーが来るまで、門の前で待つことにする。
それぞれの格好は、一昨日の夜に柳洞寺に向かったものと同じである。唯一違うとすればまだ午前中であることと、慎二がいないことぐらいか。
これから偵察目的とはいえ敵の陣地に向かうことで自然と口数は少なくなった。士郎とリアは、門の横の壁に寄りかかるように並んで立っている。同じように俺と凛も並ぶように立ち、タクシーを待つことにする。
〈――ねえアルト、貴女も気付いていたの?〉
凛の言葉が突然頭に響く。
顔を横に向けると、真剣な顔をした凛が前方を見つめていた。俺が振り向くと横目でこちらを見る。
念話で話しかけてきたことから察するに、重要な話なんだろう。そう推察した俺は、肩に力が入ってしまう。
士郎がいきなり振り向いた俺を怪訝に思ったのかこちらを見ているので、何でもないと手を振る。凛に倣うように視線を前方に戻した。
〈何のことですか?〉
〈――士郎の、まるで自己のことを考えていないような行動のこと。慎二がキャスターにやられそうになった時、私に葛木先生が迫ってきた時――他人がやられそうな時は必ずといっていいほど、後先のことを考えずに士郎が飛び出していることに〉
〈ええ。きっと、ああは言っていましたが、リアがやられそうになったりしたならバーサーカーの前にでも飛び出すでしょう。……ただ、おそらく衝動的なものでしょうからさっきの俺の言葉もどれだけ効果があるか……〉
〈――そうね。キャスターの魔力弾も、葛木先生のあの武術も、あのまま貴女の助けが入らなかったなら今士郎はここに居ないわ。それだけの死に直面しておいて、飛び出すんだから。一回くらいなら危機感が麻痺したとかで説明がつきそうなものだけど、あいつは異常よ〉
異常……か。そうか、他人が見ると異常なんだな。『衛宮士郎』という人間は。
――――俺にはその異常さがわからない。
救った奴も生き残らないと本当の意味で救えたことにはならないと、傍で観る分には理解出来る。
だけど、救う為に動くことが、何故異常なのか理解が出来ない。自分に置き換えて、人が助けられるなら助けるべきじゃないか、と思う。生き死にはあくまでその結果だ。
〈――……ま、いいわ。言うことはアルトが言ってくれたし、後は衛宮くんが馬鹿なことをしないように見張るだけね。下手に飛び出されると、助けるのにも一苦労するんだから〉
助けるのにも、一苦労……。
俺は、助けるために……そうだ。守り易いように。士郎が飛び出すとあいつはきっと死んでしまうから。それは、死なせないために。
――――何故死なせない? 皆が幸せであるように、それが理由なのか?
自分の存在が揺らぐような、そんな不快感。何かが胸に
この不快感は果たして、出てこない為に生まれたのか。それとも出てきたが為に――――。
歯の根がかみ合わない。体がかたかたと小さく震えだす。何か暗いものに覆われていくような感覚が、体から嫌な汗を噴き出させる。
頭を振って、考えを振り払おうとする。きっと俺の行動は不審なものだろう。隣の凛がこちらを見るのが視界の端に映る。
「お、あれだな」
「あ……意外と早かったわね」
士郎と凛の声が聞こえてきて、顔を上げた。タクシーがゆっくりと門前に停まる。
外界からの刺激に、ようやく気分が落ち着いてくる。体の震えも、いつの間にか治まっていた。