◇◇◇
――イリヤが予定よりも早く目覚めた為、夜行う予定だった契約の移譲をそのまま行うことになった。
桁外れの力を持つギルガメッシュに、キャスターを襲ったという俺の知らない黒い影。そして姿を一向に現さなくなったランサー。唯一俺だけが持っていたアドヴァンテージ――生前の聖杯戦争で得た知識は意味をなさなくなった。
サーヴァントに、既知であったイレギュラー、そしてそれら全てと交戦して尚現れる未知のイレギュラー。これから先も何があるかはわからない。だからこそ一刻も早くこちらも万全の態勢を整えておかなければならない。
「俺、衛宮士郎は、令呪を以ってセイバーとの契約を……破棄する……!」
張り詰めた空気の中、身動ぎもしないリアに向かって静かに、だが力強く告げられる。その宣誓と共に彼の左手甲の紅い令呪が眩い光を残して砕け散った。
光は収まるが、士郎は表情を欠いたままその手の令呪痕を呆然と見つめたままだ。左手を開き、そして握り締めて欠け落ちていく繋がりをただただ確かめている。
雪が溶けるように時とともにその色を失い、黒がかった痕も消えていった。ついに令呪の影すらも見当たらなくなり、ようやく士郎は顔を上げる。
その顔に後悔の色は見つけ出せない。士郎が何を思ったのか、俺にはわからなかった。
――セイバーとの契約を破棄することなく聖杯戦争から退場した俺は、士郎に去来する感情をこれから先永遠に理解出来ないと思う。
元こそ同一の人間ではあるけれど、こうして差異は俺と士郎の間で開いていく。
「…………士郎、貴方は……」
「ん? アルト、どうした?」
「いえ。……何でもありません」
衝動的に口を開きかけたが士郎に問われ、意味を成す前に無理矢理に噛み殺す。
自分が何と話しかけようとしていたのかわからない。士郎に対して何を言いたかったのか、それすらもあやふやなままだった。
こうなるよう仕向けたことへの謝罪をしたかったのか、いや、リアとの繋がりを失うことへの慰めの言葉だっただろうか。それとも、今何を思うのかそのまま問いかけるつもりだったのか?
でもそれらは、俺が語る必要も、問いかける必要もないもの。
士郎は、自分の考えた判断で行動をしている。自分の行動の結果と、責任を士郎なりに受け止めていると思う。だからこそ契約を破棄することを選んだんだと思っている。
士郎は自分の足で立てている。しっかりと歩みを進めている。進む道は士郎のものだ。あいつが決める道であって、絶対に俺が選ばせるような道じゃない。
――――ああ、そうか。俺は。俺は、俺が歩いたことがない道を歩んでいる士郎が羨ましかったのかもしれない。
だからこそ、今を生きる人間に求めもしないことを死者が語るべきではないだろう。
俺は、凛や士郎、桜や藤ねえたちとは共には歩いてはいけない。この暖かさに溢れた屋敷で過ごして錯覚していたけど、そう遠くなく消え去る身。
『アルト』が人を救えていた。士郎にそれを伝えられて、足元が消失したかのような心地を受けたのも『先がある』と思い違っていたのが原因だ。
こうして『アルト』として存在している今はいいかもしれない。けど、未来に俺は進めない。俺の姿は未来にない。そう。俺の道は、ここに喚ばれる前に既に途絶えていた。
『衛宮士郎』の目指すもの――『正義の味方』。その目指していた目標に、きっと俺は届かない。
『アルト』のすべきこと、そして出来ることを探したけれど、選べるものは思っていたより少なかった。
マスターを護らなければならないのは、『アルト』にとっては枷じゃない。それはサーヴァントとしての存在意義だ。そしてアルトはサーヴァント。サーヴァントとして召喚ばれたから、俺はここに存在できる。
つまり――こうして喚び出された時点で、俺の中で『衛宮士郎』は終わっていなくちゃいけなかった。
全てを振り切って形振り構わず突っ走るのは、『衛宮士郎』であって『アルト』の役目じゃない。
…………きっと、この考えは間違っていない。『救う』のは、士郎に任せるべきだ。それはきっと、生きている者が為さなければならない事だから。
この世界で俺が出る幕はない。俺は、みんなに危険が迫れば盾となり、みんなに力が足りなければ剣となればいい。
『アルト』は手の届く範囲が守れる存在であればいい。俺が為せなかった『正義』を行う、士郎の助けとなろう。
俺は、アルトになることでかつて聖杯戦争で欲していた『他を救えるだけの力』を手に入れられた。
でも、かつての『衛宮士郎』はアルトの在り様を見てどう思うだろうか。渇望していた力を手に入れられた俺は、どう見えるだろうか――?
士郎は言葉を濁す俺を不思議そうに見、凛と一言二言交わしていたが程なくしてイリヤに向き直った。それを契機に巡り巡っていた思考を打ち切り、一歩離れた位置で様子を静観することにする。
「イリヤ、リアを頼む」
「……うん」
居間の隣の和室、リアが眠るその前で深く頭を下げる士郎。そんな士郎を真剣な表情で見ていたイリヤだったが、短く首肯すると凛が差し出す短剣を受け取り前に進み出る。
イリヤが受け取った短剣を反射的に解析する――――アゾット剣。魔術師の礼装としては特別珍しい物じゃない。その理念から、契約補助をこなすには申し分ないだろう。
渡されたアゾット剣を光に照らし、右手に持ったそれを躊躇なく左手の親指の腹に走らせた。肩の傷もあってかその顔はしかめられている。間も置かずに走らせた跡から鮮やかな赤が溢れ出始めた。
「イリヤ、血が……!」
「いいの。落ち着いてシロウ――これは、仮契約の準備だから」
「え、仮、契約?」
「そう。シロウというこの世界との繋がりを失ったセイバーは、時を置かず消えてしまうから。本契約を結ぶ上での、最低限の時間の確保。そして、こちらの情報をサーヴァントに認識させておく必要があるの」
慌てふためく士郎に説明するイリヤ。その躰が輝き始める。いや、その体に刻まれた魔術刻印がだ。
服の上からでも光を放つ魔術刻印が見て取れ、その小さな体躯とはまるで釣合わない膨大な魔力が湧き出ている。噴水のように溢れ出す魔力がイリヤの銀の髪をはためかせた。
神秘的な光景に思わず見惚れてしまう。その異常な光景に、イリヤと同じく魔術師である凛でさえ息を呑んでいた。
「そしてこれが、血液と一緒にセイバーに送り込む魔力。出来る限り圧縮するけど、こんな少量の血液に対してこの量じゃ飽和しちゃうから、高が知れてる。だから――」
「これを一緒に飲ませるわけ」
気を取り直し、イリヤの言葉を引き継いで凛が取り出したのは小さなルビー。光が反射し紅く輝くそれの保有魔力量は、解析して確認するまでもない。
イリヤは刃を走らせ血が浮かぶ左手でルビーを受け取った。
「手持ちのほとんどをキャスター相手に使っちゃったから大きなのは残ってないけど、それでも私の魔力にして三日分は溜めてあるわ。衛宮くんのスイッチを作るときに使った方法と原理は同じよ。もっとも、あの時よりも術式は大規模だけどね」
「一時的に私が繋がりを作り、リンの宝石を核にして魔力を送り込めばセイバーの魔力不足もとりあえずは解消する筈。その間に正式に契約を交わせば、とりあえず一段落ね。……セイバーが私との契約を拒否しなければ、だけど」
言い終わるが早いか、リアの薄く開いた唇を傷つけた親指でなぞる。流れ出た血は唇を伝ってリアの咥内に落ち、手に握られていたルビーもその中に消えていった。
リアがルビーと全ての血液を嚥下していくと、その効果が現れるのは早かった。横たわったままの体が大きく一度脈動し、閉ざされたままだったその両の瞼が薄っすらと開かれていく。
「…………こ、こは? ……シロウはっ!?」
「リアッ!」
弾かれた様に上半身を起こし、辺りを見回すリア。嬉しそうに声をかける士郎。見た様子では意識もはっきりとしているようで、俺もようやく気を抜ける。
「シロウ、無事でしたか!? ……ここは、シロウの家、ですか? 私は何故ここに……?」
「ああ、えーっと何から話せばいいのか――」
「――記憶が正しければ、恐らく私はアーチャーの宝具にやられた筈。あの状況では私は到底……。しかし、それではアーチャーを倒せる要因が……一体」
「リア。説明するから、とりあえず落ち着きなさい」
混乱から抜け出せないリアに、凛がリアが倒れてからギルガメッシュから逃げ切るまでにあったこと、リアの状態を併せて順序立てて伝えていく。
宝具の雨を俺が相殺したこと。士郎の援護によって放つことができた二度目のエクスカリバー。慎二、ライダーの助勢。バーサーカーとライダーの脱落。そして、帰還してから伝えられたキャスターを襲ったまだ見ぬ敵。
家に着いた時のリアの様子まで話を進めると、説明している凛の顔がいくらか強張っているのにリアは気がついた。恐らく無意識に佇まいを正す。
「それで今の状況なんだけど。リア、貴女は今マスターが不在の状態。衛宮くんから魔力が送られていないから、強制的にその契約を破棄させてもらったわ」
凛のその言葉に目を見開き、ようやく契約が切れていることに気がついたのだろう。幾許かの間呆然と凛を見つめていた。
次いで事の次第を確かめるために士郎へと顔を向ける。しかし上目遣いに見上げたまま口は一向に開かない。堪えるように紡がれたままだ。ただ確かにその瞳は語っていた。『敵に打倒された私では、貴方の剣足り得ないのですね』、と。
「……まずはごめん、リア。俺と共に戦ってくれるって言ってたのに勝手なことしてリアには申し訳ないと思ってる。リアが倒れたのも俺が暴走して戦闘を始めたことがきっかけだし、アルトと遠坂のようにラインが繋げないのも俺の所為だ。俺はリアのマスターとして相応しいとは思えない」
「いえ! そのことにシロウが責を感じる必要はありません。私が貴方を護り切れなかったのは紛れもなく事実。私は果たすべき責任を果たしていないのだから」
「いいや、リアは無茶する俺をしっかり護ってくれていた。本当に感謝してる。出来ることならいつまでも俺のサーヴァントでいて欲しいと思ってる。でも、破棄させてもらった理由はそれだけじゃないんだ。きっと、正式にラインを繋げたとしても俺の魔力量じゃたかが知れてる。リアはどっちにしても制限されてしまうと思う。俺がリアの足枷になる。それじゃ駄目なんだ」
そういうことだよな、と士郎は凛に問いかける。凛は戸惑いながらも頷いた。その言葉、様子に俺も凛に倣って士郎の顔を見つめてしまう。
凛が戸惑う理由は俺にだってわかる。士郎がそこまで考えを巡らせている事だ。自分でいうのもなんだけど、『衛宮士郎』は言葉の裏を読めない人間だ。与えられた情報を鵜呑みにして、疑うことをしなかった。ある程度考えると、勝手に自己解釈して帰結させてしまっているのかもしれない。それに関しては聖杯戦争中ではセイバーや遠坂、日常では桜や一成によくよく呆れられていたのだから間違いない。俺も今更ながら自覚してる。
でも俺には悔いがあった。大切な人を俺の所為で喪った。力のない考えなしな自分自身を呪った。そして彼女を奪っている上で俺は存在している。
はっきりした解決法は見つかっていないけど、何とかして奪ったものを返さなきゃいけないと思っている。一応、原因に心当たりもある。その『何とか』をするには聖杯戦争を何とか乗り越えなければならない。絶対に負ける訳にはいかないんだ。
それを成し遂げるには、思考を止めるわけにはいかない。英霊としての精神を持たない俺には考え続けなきゃいけない必要があった。生れ落ちて十数年、その終止符を打つ挫折に、生まれた疑問を突き詰める重要性をようやく理解できてきた。
――それを士郎がもう実践していることに驚いていた。士郎に感心というだけじゃない。俺より早く間違いに気づき正せていることに、自分の情けなさと士郎への羨望にと色々な感情が渦巻いていて、嬉しいのか切ないのか自分でもよくわからない。何ともいえない気持ちを持て余しているのを自覚しながら、士郎とリアの会話の続きに耳を傾ける。
「リア。俺のマスターとして最後の頼みを聞いてくれないか?」
「……なんでしょうか」
含む言葉で返答したリアは続く士郎の言葉を待つ。
「俺たち、協力して戦うことに決めたんだ。マスターとかサーヴァントとか、かつて敵だったとか味方だとかを取っ払って、今この家にいるみんなで勝ち残れるように。だから誓いを立ててくれたリアには悪いとは思うけど、これからは俺じゃなくてみんなの剣になってくれないか」
幾許かの時間の空白。話し終えたまま顔も逸らさずリアを見つめ続ける士郎。緊張しているのは士郎だけじゃない。発案した凛に、新たなマスターとして士郎を助けようとしているイリヤ。勿論、俺だってどうなるものかとリアを注視してしまう。
「……わかりました。シロウのその頼み、確かに聞き届けました。方針がそのように決まったのなら私としても注力することは
そこで言葉を切り、仕方ないとばかり目を瞑り嘆息する。ほっと息をつきかけた士郎に向けて、一拍の後に瞼が上がる。そこから覗けるのは何事にも揺るがない固い意志の光。
「ですが、シロウ。私にはあの誓いを撤回するつもりは欠片もない。例え主が替わろうと私は貴方の剣であり、契約がなくなろうと運命を共にする者だと。それを、忘れないでください」
「……ああ、本当にありがとう。これからも、よろしく頼むな」
「ええ、お任せください。今度こそ、私たちの手に勝利を」
ふらつく体で立ち上がり、士郎に手を伸ばす。自然と士郎もその手を握る。
いつかは士郎から伸ばされた手を不思議そうに見つめていたリアは今、信頼を寄せる相手として自らから手を差し出した。何があってもこの二人の信頼は揺るいでいない。繋がれた手は依然固く結ばれている。
「……」
その二人が、とても眩しい。
周囲に紫電のように視覚化した魔力が暴れている。薄まっていたリアの存在感が、確固として主張をし始めた。
「ふう……、契約はこれで終わりね」
契約に伴い、強張っていた体を解すイリヤ。満足に動かない腕で、器用に伸びをしている。その言葉がなくても、リアを見ていればその契約が確りと為されたのが理解できる。こんなにも生命力に溢れたセイバーは俺の時を通しても見たことはなかった。
「まさか、イリヤスフィールのサーヴァントになるとは……」
「なーに? セイバーそれはちょっと失礼じゃない? 貴女もシロウのこと護ってあげたいって思ってるんだから、私たちはおんなじでしょ?」
違う? とぷんすか怒っているのはイリヤ。結構な魔力をリアに送った筈なのにまだまだ余裕はありそうだ。対して身体には見るからに活力が戻っているようだけど、心境的に複雑なのかどこか消沈して呟いているのはリア。
微妙に落ち込んでいるようなので彼女の肩をぽんぽんと優しく叩いて慰めてみるが、こちらをちらっと見た後「はぁ」というため息と共に肩を落とされた。……どういうことだろう?
「とりあえず、戦力面でこれ以上の増強は難しそうね。後は今後の対策なんだけど……」
そう言ってこれからを考え始めた凛だが、「あ」と間の抜けた声に視線を士郎へと向けた。
「どしたの? 衛宮くん」
「ああ、思い出した。遠坂ちょっと待ってくれ。その前に慎二から話があるらしい。たぶん、居間にいると思うんだけど」
「……そ。とりあえず行ってみましょうか。間桐くんが何で私たちを助けてくれたのか知らないけど、お礼も碌に伝えてなかったしね」
士郎の言葉に、凛がむむ、と唸る。凛の表情を読み取るのは簡単だった。『また厄介事か』と言わんばかりに渋い顔をしているからだ。
慎二は士郎の言葉通り、居間にいた。といっても、隣の部屋でわいわいがやがやと五月蝿くやっていては会話も筒抜けだったろう。いつの間に買ってきたのか、ペットボトルの紅茶を片手にしかめっ面で足を伸ばして座っていた。
「間桐くん。先に言わせて貰うわね。ありがとう。貴方とライダーのお陰で私たちは逃げ切ることができたわ」
「……ふん。別に遠坂を助けようとしてやったことじゃない。遠坂は衛宮のついでだったからな。感謝するなら衛宮にしとけよ」
鼻を鳴らして不敵に、だけど居心地悪そうに答える慎二。礼を言われ慣れてないのか、相手が凛だったからなのかはわからないけど悪い気はしてなさそうだ。
「……『衛宮くんのついで』?」
「そうさ。等価交換だろ。癪だけど、僕が死に掛けた時に助けたのは衛宮だ。僕はそれを今回返しただけ。だから遠坂、お前が礼をしたいってんなら、僕に借りを作らせた衛宮にしろよ」
「あー、なるほどね」
「学校の時のことか? いや、俺は別にそんなつもりでやったんじゃないからそんなに気にしなくても……」
思い至ったのか、凛と士郎が声を上げる。俺もまさか、あの時のことを慎二が覚えているとは思っていなかった。いや、俺たちが思っていた以上に慎二は士郎の助けに恩に着ていたのだろう。
凛は、慎二が魔術師相手だっていう意識がなかったようで等価交換という言葉で納得がいったようだ。
「いいから、黙って受け取っておけよ! それとも今回のことじゃ足りないなんて言うつもりか?」
「い、いや! そんなつもりはないぞ! 助かったよ、慎二。本当にありがとう」
「だから等価交換だから礼はいらないって――――! ちっ」
素直じゃないなぁ、と思ったのは俺だけじゃない筈。凛もやれやれなんて様子でため息をついていた。隣のイリヤはぽかんと口を開けて二人のじゃれ合いを眺めている。
「で、話があるって聞いたのだけれど?」
鋭い視線で射抜かれた慎二は、言い難そうに口を開く。
「あ、ああ。実は、衛宮と遠坂に頼みがある――桜のやつを、助けてやってほしい」
「…………どういうこと?」
「本当は、こんなこと余所の魔術師に話すことじゃないってのは僕でもわかってる。でも、僕の力じゃどうしようもない。頭を下げて済むなら、下げてやる。だから――」
「そんな前置きはいいからさっさと話しなさい!」
ここから先の話は、俺も知らないことばかりだった。
まず始めに、ライダーは慎二のサーヴァントではない。ただ、桜が召喚したのを借り受けていただけとのこと。……つまり、桜も魔術師だったということだ。そんな素振り、俺は一つも感じたことがなかった。
桜には、魔術なんて血生臭い世界とは無縁の、日向の暖かな光の中にいるようなイメージしかなかった。それが覆される。陳腐な一言だけど、俺にとっても間違いなく衝撃的な事実だった。士郎も同じように慎二を見つめることしか出来ない。
しかし、問題はここからだった。柳洞寺でのキャスターとの戦闘があった翌日、目に見える危険がなくなった慎二は再びライダーを桜から借り受ける為に間桐の屋敷に向かったらしい。言葉の端々から察するに、ライダーを借りる目的の一つは士郎に借りを返す為のようだった。
「桜のやつ、家のどこにもいやしなかった。探していたら、昼なのに屋敷の中にお爺様がいないのも直ぐに気がついた。お爺様は陽の光は駄目らしいし、そうなると桜のやつもお爺様と一緒に居るんじゃないかと思った。もう、探してないところは一つしかない。工房だ」
項垂れたまま、ぽつぽつと語る慎二はそこで一息入れた。声には張りがない。慎二語ることに、一切の嘘はないとわかった。
「全てが腐ってるような陰気なそこに、桜がいた。――いや、桜しかいなかった。お爺様の姿が見えないのは気にかかった。けど、お爺様の姿がないのは僕にとって都合が良かった。今思えば、そこが
「『いなくなっていた』?」
凛が相槌を打つ。眉根を寄せて一片たりとも言葉を聞き逃さずに慎二に聞き返す。
「…………突然、お爺様の声が聞こえてきた。『ライダーを借り受けに来たのか? よかろう。もう儂には特別必要なものでもない。慎二、よくやった。お前が何をしたかは知らんが、要塞のような強固な精神は、勝手に中から崩れ落ちていった。褒美として、ライダーはくれてやる』」
「まさか……!」
「目の前の桜が暗く嗤って、あの皺枯れた声を発してた」
「桜をどうしたのか聞いた。けど、『いなくなったものを気にしても仕方あるまい』だと! 僕は偽臣の書を渡されて逃げて出た。あそこはお爺様の――臓硯の工房だった。僕だけじゃどうにもならなかった! ――――ああ、認める! 兄である僕を差し置いて魔術師だった桜を疎ましく思ってた。それでも、あいつは愚図でも、僕の妹だ! 僕の
――――あの慎二が、拳を震わせて。目尻に雫を溜めて、怒り狂っている。
「お前らに頼むなんて筋違いだってわかってる。けど、頼む! あいつを助けてやれそうなやつを、僕は他に知らない!」
――――あの慎二が、頭を下げて。
「……そんなの、言うまでもないだろ。桜は俺にとっても大事な後輩なんだ」
「そうね。あんたならそういうと思ったわ。でも、待ちなさい」
「遠坂! こんなことが許せるっていうのか!?」
止めに入った凛に、珍しく士郎が噛み付いた。表面上無口を装ってる俺も、内心では煮えくり返っている。でも、俺は皆の決定に従うだけ。静かに凛の言葉を待つ。
「落ち着けって言ってんのよ! ……今回に限っては私も乗り気よ。でもね、聖杯戦争が絡んでいない可能性もある今回の件に、イリヤは無関係なのよ。さっきの私の言葉を忘れたの? 私たちは聖杯戦争を勝ち残るためにチームを組んでる。安請け合いする前にまず、イリヤに了解を取るのが先でしょう!」
「……リン。そう言った貴女がそんな目で私を睨んでたら、断れる訳がないじゃない。それに、私はシロウを助けてあげるって決めてるもの。シロウがしたいって思うことは叶えてあげるつもり」
嘆息して、直ぐ様返答するイリヤ。そのイリヤを見て凛は口の端を吊り上げた。
「悪いわね、イリヤ。それじゃ、対策を練りましょう。――間桐くん。この際、間桐の魔術特性から屋敷の構造まで、知ってること片っ端から説明してもらうわよ」
不敵な笑みを浮かべた凛は、けれど笑っているようにはちっとも見えなかった。何故ならば、きっとその瞳に怒りという炎が燃え盛っていたからだろう。