Fate/Imitation Saber   作:柚子餅

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11日目②

 

□□□

 

 澱む空気。饐えた臭い。苦味で染まった味覚。(ぬめ)る音。

 真っ黒な――ヘドロのような世界。ここが、私の世界。

 

 私は、独りその中で座り込んでいる。私の他には、勿論誰もいない。

 

「…………」

 

 立ち上がりたくない。

 目を開けていたくない。

 聞きたくない。

 ……考えたく、ない。

 

 全てを放棄して、闇の中に人知れず沈んでいたい。叶うならそのまま朽ちてしまいたい。

 …………そうでもしないと、憎しみが体から溢れてしまうから。

 

 それでも、何もないこの世界が、私の過去を呼び起こしてしまう。

 もう、なにも、考えたくなんて、ないのに。

 

 

 痛いのは嫌だった。おぞましかった。助けて欲しかった。

 何も知らないままいきなり連れてこられて、気味が悪くて薄暗くて吐き気がするほど汚い底に、放り出された。

 

 突き落とした老人は嗤うだけで。這い寄る蟲は貪るだけで。私はただ泣いて叫ぶだけだった。

 許してくださいと縋り付いて懇願した。ごめんなさいと何度も何度も謝った。悪いことをしたつもりはないけど、私の口は勝手にそれだけを叫んでいた。

 勿論蟲たちは止まらなくて。どうすれば助けてもらえるのかわからなくて。ただただ悲しくて、声を張り上げた。

 声が枯れ、叫ぶこともなくなると、考えることもしなくなった。

 

 それからも何度も何度も、数え切れないほどに私は(たか)られている。

 言葉通り、髪の毛先から足の爪の先まで蟲に犯され抜いた。

 

   白い世界が、暗く染まる。

 

 数年が経ったある日、兄が底に入ってきたのを私は見た。

 

 嬉しかった。

 新しく出来た兄。ぶっきらぼうでも、優しい兄。

 助けてもらえると思って。これで終わったんだと思って。

 勝手に安堵して。勝手に守ってもらえるんだと決め付けて。

 一人で勝手に、裏切られた。

 

 守ってくれる筈の人に(なじ)られて、怒鳴られて、責められた。

 もちろん救いなんてなくて、私は新たに、兄の捌け口になっただけだった。

 

   罅割れる。世界に亀裂が走った。

 

 私にとっての苦痛は、兄さんにとっては羨むもので。

 兄さんと私の価値感は、まったくもって違っていたのだ。――私はそんな苦痛で得られるものなんて、欲しくはなかったのに。

 

 つまりは私を助けてくれる人なんて、いなかったのだ。

 なんだかんだで優しかった兄もこうなんだ。この世界はそういうものなんだろう。

 

 そう、私はいつからかあきらめていた。

 だって助けてくれないんだから、しょうがないんだって。

 こういう運命なのだから、と。

 

 それでも『何で私だけなんだろう』、ずっと前からそう思っていた。

 家に残った姉が最後の肉親で。心の拠り所で。

 なのに、たぶん、きっと。心のどこかで、姉が、憎かった。

 

 

 

 ずっと、夜眠れなかった。

 食べ物が喉を通らなかった。

 心が渇いて、恐怖しか出てこなかった。

 

 笑えなかった。人が怖かった。

 叫べなかった。裏切られるのが怖かった。

 

   私の世界に居るのは、私独りだと気がついた。

 

 ガリガリに痩せ細り、挨拶すらも満足に出来ない人間になっていた。

 それに気づいても、私にはどうしようも出来なかった。

 汚れているという負い目が、踏み出しかけた足を止める。

 自分は最低の人間なんだと思ったら、どうにかしようという勇気はもうなかった。

 

 

 …………でも、私なんかにも太陽が現れた。

 人と触れ合うのに拒絶感しか抱けない自分が、唯一惹かれた人。

 

 彼は、誰もいない校庭で一人、高跳びを続けていた。

 無理な高さのそれに挑戦し続けて、失敗し続けていた。いつ、挫けて帰るのかとぼんやり眺めていた。

 他人が挫折する姿を見たかったという、どうしようもない卑屈な考えだった。

 

 けれど彼は、結局一度もその高さを飛び越えることなく、あっさりと後片付けをして帰っていってしまう。

 気落ちした様子もなく、むしろ満足そうな様子に僅かに苛立った。

 人を気遣う余裕なんてない私は、詰まらない、と心の中で吐き捨てた。

 

 後日、兄の友人として現れた衛宮士郎と幅跳びの彼が一致したことに、私は興味を覚えていた。

 校庭の彼と同一人物だったことではなく、私が幅跳びの彼を覚えていたことに。

 他人を恐怖の対象としてしか見れない私が他人に対して興味を持つという異常に、戸惑いが生まれる。

 それでも、興味が勝った。それを感じさせるだけのナニカがあったのかもわからないままに。

 小さな小さな声が、でも確かに私の口から自発的に発されていた。

 

 

 言葉少なに話す内、彼の人柄に惹かれていた。

 一途で、優しくて、あったかくて、どこまでも無垢な人。

 自分を省みないその姿は病的で、怖いくらい。

 

 嫉妬を突き抜けて、愛しくなった。

 この人と居れば、こんな汚いワタシもマシになれるかもしれないと思った。

 

 いつしか私も、彼と一緒に笑えていた。

 

   世界に微かに色が戻っていた。

 

 ちょっとだけ、人が怖くなくなった。

 少しだけ、眠れるようになった。

 ちゃんと、食べたものの味がするようになった。

 

 

 兄の友人。先輩と後輩。他愛無い間柄だけど、その繋がりが大事なものに思えた。

 看病してあげるのが楽しくて、先輩の感謝が嬉しくて。

 胸が苦しくなったり、暖かくなって安らいだり、勝手に頬が緩んだり、ちょっと怒ってみたりもして。

 二人で買い物に行くような何でもないことが幸せで、変に勘繰って自分で勝手に追い込まれて悲しくなったりして、忙しかった。

 

 

 

 反して、底での日課は、欠かせなくなってしまっていた。

 身体が造り変えられていた。それ無しでは、身体が異常を来たす様になっていた。

 過剰な魔力が暴走して、過剰に性欲が暴走して。望んでもいない痴態を身体が求めていた。

 私を捌け口にしていた兄が、いつしか気づかないところで私の捌け口になっている。

 

 

 

 穂群原学園に進んだ。

 兄がいて、先輩がいて、私がいて――――姉がいた。

 

 久しく会っていなかったかつての姉は、綺麗だった。

 品行方正、文武両道。非の打ち所無く、目を奪われるほどの容姿。

 人と深くは付き合わないようだけど、それでも大多数の生徒に好かれていた。そして何よりも、気高かった。

 私を疎ましく思っているだろう兄までも、姉に惹かれていた。

 

 同じ姉妹なのに、どうして私だけが劣っているんだろう。どうして蔑まれているんだろう。

 やっぱり原因はわからないまま。

 ――だとしたら、きっとこの世界が異常(おか)しいんだろう。

 

 ……姉と言葉を交わす機会があっても、今となってはどう話していいかわからない。

 間桐・遠坂の両家は不可侵。年月が隔たりを作り、決まりが縛りを作っていた。

 間桐の家では、遠坂は目の上の瘤になっていたのも原因の一つだったとは思う。

 どう対応すればいいのかわからない。それはあちらも同じようだった。

 

 やっぱり私には先輩しかいなかった。

 でも私はそれで充分だった。先輩の傍にだけ居れればよかった。

 

 

 

 そして、望みもしない聖杯戦争が始まった。

 

 魔術師としての自分に特別興味はない。争いは好きじゃない。

 他人を憎むのは嫌だった。それがきっかけになりそうで、怖かった。

 けれど、今までの責め苦が『魔術』に集約されていて、汚れてしまった対価はそこにしか求められない私。

 大きな代償を払って得た、私にとって些細なものを捨てられない。興味はないのに、執念だけが魔術にはあった。

 

 私に召喚されたライダーは、たぶん私を気に掛けてくれていたんだと思う。きっと、マスターだから、とは違う理由で。

 ライダーは無口で、あんまり話せなかったけど私にどこか共感してくれていた。

 

 

 そんなライダーを、兄に譲り渡してしまった。

 兄さんに託せば日課も許して貰える。兄さんも私を求めない。そして、体の中の蟲が、暴れない。

 断れば、またあの日々が続くだけ、その上時限装置になっている刻印虫が暴れだし、近いうちに内側から食い破られるだろう。

 汚れてしまった私でも、あの澱みの中に浸かって居たくは無かった。諦めていた筈の私は、僅かな光に縋ってしまった。

 胸は痛かったけど、やっぱり私は自分が大切だった。私に選べるのは、それしかなかった。……きっと。

 

 

 日課がない僅かな間でも、先輩に対する負い目だけは軽くなった。

 いつもより明るく先輩の家に。いつもより軽い足取りで。

 先輩はもう朝ご飯を作っていて。作り過ぎて頬をかく先輩が可笑しくて。

 一緒にお弁当を作って、藤村先生がきて突っつかれて。

 ああ、こんなに世界は綺麗に見えるんだなぁ、なんて有り体もないことを思った。

 『先輩の手に浮かんだ痣』を見つけるまでは。

 

 それを、兄さんに話さないわけにはいかなかった。

 間桐の悲願。魔術師には咽喉から手が出るほど欲しい願望機である聖杯。それを巡る戦争。

 そして、その参加者は、情報としては重要に過ぎた。私は養子であるからこそ、その義務と役目は果たさなければならなかった。

 

 願望機を得て叶えるモノなんて知らない。お爺様の口からも語られたことは無かった。ただ、勝たなくてはならないとだけ。――私は間桐の魔術師だった。

 ただ、呆然とした後怒りに震えている兄さんに、嫌な予感がした。

 

 

 

 休みが明けた朝、先輩の家に急いで向かった。少しでも早く先輩に会いたかった。

 兄さんを見た時に感じた嫌な予感を、先輩に吹き飛ばして欲しかった。

 

 なのに、玄関では知らない少女が私を出迎え、いつも私が座る位置にいつかの姉がいた。

 何故、ここに? なんで私の、小さな世界に侵入してくるの?

 

 先輩に魔術を隠していた私は、知らない振りをするしかない。明かせるわけが無い。

 私の魔術は、貪られることから始まったから。幻滅されて、嫌悪されて、忌避される。私以外の唯一の人を失うのは、死ぬことよりも恐ろしかった。

 

 一緒に居た少女たち――セイバーとアーチャーのサーヴァント。

 同じ英霊、では無いと思う。私の何処かが判断していた。

 セイバーさんとは話さなかった。あの鋭い瞳を前にしたら、私の汚い部分が射抜かれてしまうような錯覚を覚えたから。

 アーチャーさんとは、何も知らない振りして料理のことを話していた。

 話す気分ではなかったけど、ここで塞ぎ込んでは先輩が不審に思う。必死に取り繕って会話を進めていた。

 

 だけど、アーチャーさんは口調こそ違うけど何だか先輩みたいで、いつしか微笑みを浮かべて自然に会話していた。

 主と似た人物が召喚されるという話だから、先輩のサーヴァントはアーチャーさんだったんだろう。

 

 先輩に似てるアーチャーさんが羨ましくて、疎ましくて、嫉妬して、でもどうしても嫌いになれそうにない。

 きっと、話していたら先輩の次ぐらいに好きになってしまう。先輩以外の人なんていらないのに。先輩だけがいればいいのに。

 

 私は先輩の優しさで、先輩と共にいる事を断られた。

 

 危険が及ばないようにしてくれたんだと、私にはわかった。

 嬉しい。先輩が私を大切に思ってくれていることを感じられるから。

 でも……なんの為に、ライダーを渡してまで、私は?

 

 

 色々な感情が交錯し合っていた。

 自分が喜んでいるのか、怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、悔いているのか。

 

 その中でも、わかる感情(こと) はただひとつ。

 ただただ、先輩と共にいる姉だった人が憎かった。それだけは間違いないと言えた。

 

 

 私は、呆然としたまま登校し、授業を機械的に過ごす。

 昼の休みも、何をしていたらいいのかわからずに座っていると、クラスメイトが噂しているのが耳に入ってきた。

 

 ――遠坂先輩に恋人が出来たみたいよ。――相手は?

 ――衛宮先輩だって。あのオレンジの髪の。――え、あの……? 嘘でしょ。

 ――でも、屋上で一緒にお弁当食べてたし。くっついて、顔真っ赤にしてたよ。――あの遠坂先輩が? 想像できないー。

 

 一瞬で視界が赤く、そして黒く染まる。

 こんなに、感情が跳ね上がったのは先輩と一緒に居るときだけだったのに。

 

 私は、朝とは逆に足を引きずるように帰途に着く。

 先輩はいない。塞ぎ込んでしまう。こんな私は先輩に見せたくない。

 いないから塞ぎ込んでいるのに、いないことを安堵している矛盾。

 

 

 兄さんに、家に引っ込んでいるように言われる。

 ついに、学校で会うことも叶わなくなった。日が入らない陰気な屋敷で、私はお爺様と二人きり。

 日課はない。けれど、ライダーを手放した対価に得た、仮初の自由。……渇望していたそれを、もう持て余していた。

 自分の部屋に篭り、座り込む。誰にも会いたくなかった。今ばかりは、先輩とも。

 気持ちを整理させないと、先輩にだって当たってしまいそうだった。

 

 

 突然、左手に熱と軽い痛みが走る。

 兄さんの書が失われた。令呪が私のところに戻ってきた反動に、それを理解する。

 

 ライダーと兄さんは無事なのだろうか? 鈍った頭で考える。

 令呪が戻ったということは、ライダーは消滅したわけじゃないのはわかるけれど、無事かどうかは別の話だ。

 

 自分に余裕が無い中、それでもマスター権と書の反動を利用、魔術を行使しまだ戻らぬライダーと記憶を共有させる。

 英霊であるライダーと繋げると、その対価も大きい。けれど、兄さんとライダーの安否は確認しておかなければならない。

 なによりも兄さんの標的となった先輩が無事なのかどうか。それを考えればそんな対価、些細なことでしかない。

 

「……え?」

 

 視界と音声が再生される。

 紅く染まった学校。ライダーの結界。

 隣には兄さん。視界の端には倒れた美綴主将が転がっていたけど、兄さんは目もくれない。

 

 そして、いつもより高いところから見える、先輩の姿。

 呼び出されるライダーの聴覚。オカシイ。兄さんの声。嗤う声。

 崩れていく。私の心。私の唯一の人。微笑む先輩の姿。

 

「ああ――桜のことだったっけ」

 

 先輩の顔が、強張っていた。

 

「安心しろよ、今頃は家で疲れて寝てるんじゃないか? は、はははははっ! 反応なくなるまで犯してやったからな。泣いてばっかでうざったいんだよ、あの役立たず!!」

 

「そういえば組み敷いてやっている最中もお前のこと必死に呼んでたんだぜ。うるさいから殴って黙らせてやったけどさ!」

 

「……………………」

 

 何も言葉にならなかった。

 何も、考えられなかった。

 

 魔術の行使も、その言葉の衝撃に停止した。赤く染まった学校から、自分の部屋に視界が戻った。

 体中の血が凍る。心臓さえも確かに数拍、止まった。

 自分の中から、砕けていく音だけが聞こえていた。

 

 

 これで、もう終わり?

 

 間桐桜という存在の真ん中の柱を、一撃で叩き折る言葉だった。

 だっていうのに、涙は出なかった。ただ、何も考えずに座り込むだけだった。

 

 

 ライダーが帰ってきて、私に事の仔細を説明する。色を失った視界でいつもは寡黙なライダーが必死に話す様子を、私はぼんやりと見ていた。

 兄さんの言葉に怒った先輩が、兄さんを殺そうとしたこと。

 兄さんが、先輩を怒らせるための虚言だったと先輩に説明したこと。

 その後、先輩はその弁解を信じ、許したので兄さんが無事だったこと。私を心配していたこと。

 

 確かに、兄さんの挑発は虚言だったろう。ただその虚は、『今日やった』と臭わせた部分だけで、内容自体は私が過去体験したことに変わりが無い。

 気を失うまで組み敷かれたのは、初めて捌け口にされた日。呆然と涙を流しながら、間桐桜を取り巻く世界には理不尽しかないと気づいた日。

 最中に思わず先輩の名を呼び、兄さんに殴られたのは、先輩に憧れを抱いた日。恋をした日に他の人に抱かれる汚い自分を自覚した日。

 

 

 兄さんの弁解は、ただの命乞いの為の言葉遊びなだけだった。

 たぶん、そんな兄さんの二重の嘘を、先輩はまるっきり信じて疑っていないだろう。私にそんなことがあったとは、もう微塵にも思っていないだろう。

 だから、私がいつも通りに振る舞いさえすれば、前の関係のままいられる……。

 他の選択肢はない。私に残された一つだけの、細い細い道。既に半ばまで進み、後ろの道は崩れていてもう進むしかない。

 進むしかないのだ。

 

 

 でも、先輩の私を見る目が変わっていたら。

 もし兄さんがいった言葉について、直接問われたら――――

 

「そんなの、兄さんの嘘ですよ」

 

 その一言だけを返せば、事足りる。元通りとはいかなくても、何とか収まってくれる。

 だけど、先輩の瞳に見つめられて、私は上手く繕えるだろか。

 想像するだけで心が砕かれそうなのに、本人を目の前にしていつもの笑みを浮かべる自信なんてある筈ない。

 

 ――それでも、先輩に会わなければならない。私は無事だと、先輩に伝えなければならない。じゃないと、私はきっとこれから先、先輩に会う勇気がなくなってしまう。

 その決心がついたのは次の日の夜になって。何度も何度も悪い想像が頭を過ぎって、食事も睡眠もとれず、丸一日考えて出た結論はたったこれだけ。

 夜中だったけど、直ぐに間桐の屋敷を飛び出した。一度寝て起きてから、なんてやっていたらただでさえ頼りない決意が鈍ってしまいそうだった。

 

 兄さんが家に引っ込んでいろ、と言っていたのは、頭の片隅にもなかった。

 意識的に、意識の中から兄さんを除外していた。

 存在を認識して、その行為を考えてしまえば、私は兄さんをどうするかわからなかったから。

 

 

 走って先輩の家に向かうけれど、電気がついていなかった。迷惑を承知で呼び鈴を鳴らしてみるけど、反応はない。

 

 先輩は外出しているのだろうか。着の身着のまま、持つものも持たずに飛び出てきたので、合鍵は持っていない。

 屋敷に戻るか、ここで待つか、先輩を探しに出るか。逡巡。思考しながらも、居ても立ってもいられず門から飛び出し、左右を見渡す。

 そして、視線がある方向に釘付けになる。遥か高く、山の頂上が発光しているのが見て取れる。

 

 大規模な魔術行使。巧妙に結界で隠蔽しているようだけど、大出力の魔力ではそれでも完全ではなかったのだろう。

 勿論、一般人には違和感すら感じさせないだろうけれど、私は魔術師だ。魔力の流れを読むくらいなら問題はない。

 

 ……間違いない、先輩はあそこにいる。先輩の居場所を把握して安堵する自分が居る。

 ここまで走ってきたお陰で、疲労が体に溜まっていた。目的地が定まり、駆けていた足を歩みに切り替える。

 

 先輩は坂の上だ。息を整えながら足を進める。

 先輩と会う為の過程は考え付くのに、会ってからの展開は欠片も予想出来ずにいた。

 なんて切り出せばいいのだろう? 歩いている間に必死に考えたけれど、何も浮かんではこなかった。

 

 

 その時私は、間違いなく壊れていた。

 私を追いやってのうのうと先輩の家に居候している姉、私の砕く暴露をした心無い兄を、無理矢理考えないようにしていたのもある。

 けど、少しでもまともだったなら、その二人が誰と一緒に居るのかわかった筈だ。こんなこと考えることでもない。

 

 その時の私は、ライダーの記憶を見て砕け散った欠片を、先輩という目標で何とか繋ぎ合わせただけの継ぎ接ぎだった。

 砕かれたものがそう簡単に元通りになる筈はないのに、悲しいことに砕けた本人がそれに気づけていなかった。

 

 

 柳洞寺へと繋がる石階段が見えたかというところで、複数名の足音と話し声に反射的に身を隠した。

 先輩と直ぐにでも会わなければならないのにこんな夜更けに出歩くな、と物陰から四人ほどの集団を睨み付け――――その光景を、直視してしまった。

 

 意識の無い先輩が、たった今背負われた。手伝っているのは二人の少女。瓜二つの容姿だけれど、中身が同一ではないのは知っている。

 一歩離れたところでばつが悪そうに、けれど心配そうに先輩を見ているのは、かつての姉。

 そして背負っているのは、今の兄。

 

 

 その、本来なんでもない光景を見て、私は決壊した。

 

 何で、全部持っている遠坂先輩が、私の位置にいる?

 私の大切な人はもう一人しかいないのに、それすらも私から奪わないと気が済まないのか。

 もういっぱい持ってる癖に、先輩までも手に入れようとするのか。ふざけるな。

 

 何で、先輩に酷いことをした兄さんが、先輩を背負っているの?

 私に非道いことをしたなんて言った癖に、あんなに先輩のことを疎ましいと言っていたのに。

 私のことは物みたいにしか扱わない癖に、私を追い詰めておいてどの面下げて自分だけが。

 

 ――――何で、私はあの中にいないの?

 

 こんなのはオカシイ。間違っている。

 誰よりも想っていたのはワタシ。線の内側に入れる唯一の人は、先輩だけ。

 ワタシには先輩しかいない。先輩しかいないのに。

 閉鎖されたように人のいない先輩のお屋敷。その中でようやく出来た、私だけの幸せ。

 それがこんなにあっさり。いつまでも続くと思ってたのに。

 

 

 兄がいると、私は先輩に会うことすらもできない。

 私に何を言うかわからない。今度は、先輩と私の目の前で言われるかも知れない。

 一度は我が身可愛さに言い訳してたみたいだけど、二度ともなれば流石の先輩も気づいてしまう。

 姿を表したら最後、誤魔化すことすら出来なくなってしまう。

 

 なら私は、これから先輩に会うことなんて出来なくなる。

 日溜りの中にある先輩のお屋敷にはもう戻れなくなる。

 蟲と日陰と負の溜まる間桐の屋敷で篭り切るだけなのだろうか。

 

 私が蟲に貪られている間、姉だった人が私の居場所をそっくりそのまま奪い取って過ごすというのか?

 

 ふざけないで欲しい。

 誰が悪い? 私はその原因を許せない。許せそうにない。

 姉だったあの人? 兄になったあの人?

 

 だったらどうするのか?

 私が二人を消してしまえば、丸く収まるのだろうか?

 私はまた、先輩と笑い合って幸せな時間を過ごせるのだろうか?

 

 

 違う。そんなことをすれば、何より先輩が私を許さない。

 『正義の味方』になりたいと、子供の頃から夢を目指していたという先輩。私欲の為に他人を害した私と、そんな先輩とが笑い合えるのか。

 

 そして何よりも――先輩に味方をしてもらえないことが、とても怖い。

 私は、いつまでも純粋な先輩が好きなのだから。

 

 

 ああ――なんだ。

 わかってしまった。もう、どうしようもなかったのだ。

 

 兄さんが、ライダーと一緒に先輩に攻撃を仕掛けた時から――?

 遠坂先輩が先輩のお屋敷に居候すると決まった時から――?

 遠坂先輩が、先輩と手を組むことになった時から――?

 私が先輩のお屋敷に通うようになった時――?

 校庭で高飛びする先輩を見掛けた時――?

 兄さんに無理矢理に襲われた時――?

 間桐に養子に出された時――?

 

 違う。どうしようもないのはきっと、私がこんな弱い私として生まれた時から、ずっと。

 姉さんのように強ければ、こんなことにはならなかった筈だから。

 

 

 色づいていた世界は、消え失せた。

 私の世界にいた先輩は、もう見えない。

 

 私が本当に憎いのは、姉だった人でもなく、兄になった人でもない。

 どうしようもない私と、どうにもならない世界だった。

 消えるのは、弱く汚い私であるべきなんだ。

 

 

 どうにもならない世界に、どうしようもない私はもういない。

 私は、暗く澱んだ、気味の悪い世界(こころ)に一人、座っている。

 

 

 

 

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