◇◇◇
また、夢を見た。
小さな女の子と洋風の部屋でふたり、遊んでいただけの夢。それだけの、ただ幸せだったというだけの夢。
特別なことなんて何も無い。どこにでもいる小さな女の子が、おままごとしたりおしゃべりしたり。どこの姉妹にでも見られる光景を、夢に見ていた。
姉としての視点で妹を見ている俺が、心が安らぐほどにそのふたりはありふれていた。
落ち着いた世界を眺め、不意に寂寥を覚えた。何故かはわからない。理由はない。目の前の女の子は本当に幸せそうだったのに、不安を覚えていた。
布団から上体だけを起こして、少しの間呆けていた。こうして起きて冷静に考えるまで気づかなかったけど、この夢はおそらく凛の夢。きっと、凛の過去だ。出てきた女の子は以前に夢に見た、泣いていたあの子だった。
今までに凛から妹がいるという話は聞いたことは無い。生活していた遠坂の屋敷にそんな痕跡もなかった。その妹はもう逢えないところへいってしまったのか、どんな理由かはわからないけれど、凛の妹は今一緒にいない。
俺にわかるのはそれだけ。けれど、それだけは確か。夢での仲の良い、しあわせなふたりを観た俺には、引き離されている今がとても歯痒いものに思えてしまう。
なんだか気分が落ち込んできてしまったので、大きく息を吸い込み「よし」と一人ごちてかけて一気に立ち上がる。
いつものブラウスを着込みスカートを穿いて、手早く髪を結い上げる。最後に、髪留めと同じ赤いリボンをブラウスの首元で結び、姿見で全身を映す。
鏡の前でくるりと回って、最後に後ろ姿を確認。遠心力でスカートが浮き上がる。――OK。今日も、細部を除けばセイバーと同じだ。
そうして、はた、と停止した。そういえばいつの間にか俺は、スカートを穿くことに対して抵抗がなくなってはいないだろうか。
今日の朝の料理番は凛だった。……だったのだけれど、朝に限って言えば早起きした者が代わって作ってしまっている。
凛もたぶん一般的な学生と比べれば充分に早起きではあるのだけれど、この屋敷の人間と比べるとどうしても起床が遅い方になってしまう。
最初に居間に現れたのは俺。特にやることもないので台所へと向かい、凛が調理し易いように朝食の下ごしらえを始める。時計を見ると午前五時半。
十分ほど経って士郎が朝の挨拶と共に台所に加勢しにやってくる。そこから、会話を挿みながら二人で協力して六人分の朝食を作り上げていく。この時点で『下ごしらえだけ』という前提を忘れて、本格的に調理に入ってしまっている。既に当番という決まりは頭から抜け落ちている。
さて、料理だけれど、こと和食に限っていえば士郎とのコンビネーションは抜群だ。
ごぼうの皮を剥いて副菜の煮物の下ごしらえをしていれば、士郎は網で主菜の鮭を焼いている。
俺が煮物を作り終える頃、士郎は時間を合わせて味噌汁を作り終えられるように湯を沸かして出汁を取っている。ちなみに事前に献立の打ち合わせはしていない。
互いに邪魔せずに料理に没頭できるのは元が同一人物だからだろう。
味付け、調理の呼吸、手順、今ある材料から出来上がる献立の発想に至るまで、士郎のことが手に取るようにわかる。わかるだけに、たまに予想の上をいかれると焦ってしまうのだけれど。
ここまで作っておいて、ようやく料理番が凛であったことを思い出す。以前にも一度、凛の朝の料理番を奪ってしまっていた。その時は自覚なしで、気づいたのは凛が起きてから。
今回はちょっと思い出せたのが早かったけど、目の前にはもうしっかりと日本の朝食といった献立が鎮座ましましている。
……そもそも、俺と士郎が起きるのが早すぎるのかもしれない。
凛も料理番の日は六時くらいに起きてくるのだけれど、その頃にはあらかた終わってしまっていて、なし崩し的に俺と士郎が作るようになっている。
顔を立てる為にも遅れて起きたほうがいいのだろうけれど、サーヴァントになってから睡眠を必要としなくなり、寝ていてもこの時間になると自然と目が覚める。
早起きして空いた時間に、「下ごしらえぐらいはやっておいてもいいだろう」と手を出し始めるともう最後までなんやかんやで作り終えてしまう。
どちらにしても料理番のローテーション、変えたほうがいいよな。そんなことを考えているともう六時ちょっと過ぎ、凛とリアが起きてきた。
「おはようございます。シロウ、アルト」
「おはよう~。あんた達、流石に仲良いわね」
魔力が充実しているリアはきびきびとした様子で。凛は目元を擦り、体を小さく揺らしながら声を掛けてきた。
「と、遠坂。流石にってどういう意味だよ?」
その凛の何でもない言葉に過剰に反応したのは士郎。顔を赤くして取り繕うように言葉を返している。
まったく、凛が衛宮士郎を茶化すのはわかってることだろうに。面白い、と書いてありそうな顔で俺と士郎を見比べている凛もいったい何を考えているのだか。
「ふふ。いえ、なんでもないわ。寝惚けてたみたい。それより貴方達、朝食作るの早すぎ。六時過ぎからでも間に合うんだから待ってなさいよ」
台所を覗き、もう粗方終わってしまっているところを見て、凛は諦めたみたいだ。せっかく早めに起きてるのに、とだけ愚痴を言い、ため息をついた。
「あ、それはすまん。直ぐ取り掛かれる様に下ごしらえだけ済ましておこうかと思ったんだけどさ、つい」
士郎も俺と同じく下ごしらえだけをやるつもりだったようで、バツが悪そうに頬を掻いている。やっぱり、考えることは同じか。
苦笑いしながら二人の様子を眺めていると、後ろから肩を叩かれる。振り向くと、リアが間近に顔を寄せていた。余りの近さに驚いて距離を取ろうと足を伸ばしかけたところで、なにやら複雑そうな表情でいるのに気づく。話しづらいことだろうとこちらからも体を寄せると、リアは小さく耳打ちしてくる。
「おはようございます。……アルト、もしやリンに貴方の正体を?」
二人を眺めていくらか呆けていた頭が、一気に停止に追い込まれる。絶句している自分に気がついてから、ようやく思考能力が戻ってきた。慌てて口を開く。
「……え、ええ。これから先、打ち明ける機会があるとも限りません。幾分余裕のある今のうちに、と思いまして」
見る限りでは俺に対する凛の対応はいつも通りだったと思う、のだけれど。よく気がつくものだなぁ、と心の中でリアに感心する。
「そう、ですか」
リアはそれだけ言うなり、複雑な表情を更に深くする。それは戸惑い、だろうか?
いや、何かを惜しんでいるようにも……。混ぜこぜになったその中に、薄く喜色も浮かんでいるのはわかるんだけど。
「――――それでは、私はイリヤスフィールを起こしてきます」
じっと眺めていると、リアは気を取り直したのか表情を一新、イリヤに宛がわれた部屋へと踵を返す。
結局、リアが何を思ったのかわからずじまいだった。表情から細かい感情を読み取るのは、どうにも苦手だ。
その後、慎二が起きてきて、イリヤとリアが合流したところで朝食が出来上がる。とはいっても残りは煮物に味を染み込ませるぐらいのものだったけど、イリヤの身支度の時間と合わせて丁度良かったようだ。
「ん! ……おいしい」
頬を綻ばせるイリヤの口から、右手の箸を引き抜く。にこにこ笑って咀嚼するイリヤは愛らしくて、見てるこちらの頬も緩んでしまうほど嬉しくなってしまう。贅沢を言わせてもらえば、こんな状況じゃなければもっと良かったんだろうけど。
というのも、肩を怪我している為に食器も持てないイリヤに代わり、何故か俺が食べさせていた。
最初イリヤは士郎に食べさせて貰おうとしていたのだがリアの猛烈な反対にあった為に断念。「ならば仕方ありません私が」と代役を名乗り出たリアを、イリヤは「もうリアに世話してもらうの飽きた」とばっさり切って捨てた。
憤慨するリアを宥めているそこに、イリヤご本人から直々にご指名が入ったわけである。……まぁ、とりあえず、口に合って良かった。楽しそうに食事してもらって、料理した者としては何よりだ。
さて、朝食も終わったことだし、これからは話し合いだ。洗い物を終えて居間に戻ると、全員が大きな机を中心に座っていた。
現時点での情報をまとめて今後の対策を練ることになる。新たに手に入る情報は昨日の内に慎二から入手してある。けれど、わかっていることは思ったよりも少ない。
目に見える脅威として、一番厄介なのはギルガメッシュである。
マスターは不明。マスターが必要なのかすらもわからない。根城もわからない。目的はイリヤのようだが、その延長したところに何が存在しているのかはわからない。
戦闘となれば苦戦を強いられるだろう。だが、凛の魔力が回復し切った状態で俺とリアが組んで当たれば、あるいは有利に立てる可能性はある。
リアの魔力供給はイリヤのお陰で万全だし、あの剣の雨も俺ならば暫く拮抗させることがわかっている。有効な対抗策が浮かばないのは、あのエヌマ・エリシュと呼ばれた宝具ぐらいだろうか。
次に、キャスターを襲ったという黒い影。
その正体だけれど、そもそもサーヴァントであるのか、または別のモノなのかもわからない。目的は不明。キャスターの口ぶりだとサーヴァントを狙っているようだが、それにしても不明瞭で、不気味さばかりが目立つ。
黒い影とやらの攻撃手段も、その対象への有効な攻撃方法もわからないまま。目視したわけではないので何とも言えないけれど、現時点で襲われたなら逃げるしかない。対応が全く立てられていない。
そして、間桐臓硯。
感情を優先させるなら士郎も凛も慎二も、他ならぬ俺も、真っ先に倒しておきたい相手。マスターであるという桜を乗っ取ったというなら、その目的は聖杯か、またはその縁のモノか。この聖杯戦争が関係していることは間違いない。
相手の居場所のアタリはつけられる。その際、臓硯の本拠地へと乗り込むことになるので勿論こちらに地の利はないだろう。
戦闘――というよりはその魔術の性質だが、水の属性に偏っていて、伝えられる魔術は略奪の傾向が強い。
魔術について知識が乏しい俺と士郎ではそれだけ聞いてもさっぱりだけれど、凛は違うようだ。完全とは言わないまでも既にいくつかの対策を挙げている。
加えて魔術師一人に対して、サーヴァント二騎と魔術師二人、それに魔術使い一人。単純に戦力だけを見れば圧倒的にこちらが優位である。それでなくとも、サーヴァントと比べて魔術師である間桐臓硯の戦闘技能が劣っているのは間違いない。相手の本拠地といえどそう簡単には負けないだろう。
問題は桜が乗っ取られていることか。昨日の夜聞いた話だと、桜の中から『異物』を取り除けば何とかなるとは思うけど……。
「……ここは、間桐の屋敷に攻め入るのが上策かしらね?」
「そう、だな。居場所がわかっていて、尚且つ対策まで立てることが出来ているのは間桐臓硯だけだ」
「間桐くんが書き起こしてくれた屋敷の見取り図もあることだし、ね」
と、慎二に向かって笑ってみせる凛。その笑みを受け、慎二はふん、と鼻を鳴らして凛から顔を背ける。
「そうね……決行は今日の夕方。聞けば間桐臓硯は日の光を得意としていないとのことだし、流石に日中は無理にしてもかろうじてでも日が出ているうちにしましょう。こちらが保有している全戦力で乗り込むことになるけれど、それまでに私はもっと具体的な作戦を考えておく。目的は聖杯戦争に干渉及び、介入している間桐臓硯の排除だけれど、桜のことも何とか解決策を探してみるわ。――イリヤ、ちょっと知恵貸してもらっていい? 流石に一人じゃ荷が重そうだわ」
まったく仕方ないわね、と仰々しく頷くイリヤ。言葉の割りに、頼られて悪い気はしていないみたいだ。
「出発前にみんなにも確認してもらって、気になるところがあるようなら補足してもらうからよろしくね。それでいい?」
「ああ、わかった」
士郎の返事を聞き、俺も倣うように頷く。凛は全員が首肯するのを見てから、満足そうに笑みを浮かべた。
「それじゃ早速、私の部屋で作戦会議よ。イリヤ、ついてきて。あ、アルトはイリヤの補佐をしてあげて」
「ですって。さ、アルト。行きましょう」
「わかりました。イリヤ、私についてきてください」
慎二、士郎、リアを居間に残し、イリヤを先導して凛の部屋へと向かう。
歩きながらも、妹分だった桜の笑顔を脳裏に描いていた。俺みたいなふらふらした奴を、傍にいて支えてくれていた。微笑んでいてくれていた桜がいたから、好きに無茶できたこともあった。
桜が無事なのかどうか、それだけが心配だ。間桐臓硯が桜の人格を押さえ込んで表層に出ているとすれば、桜本来の意識は無理やりに封じ込まれているか、それでいなくとも衰弱しているということになる。
慎二に対して一言でも言葉を発したらしいので、完全に消されたわけではないとは思うが、今現在もそうだとは限らない。きっと、こうしている間にも桜は苦しんでいる筈だ。
衛宮士郎は、桜に少なからず助けられて生きてきた。なら、俺たちが絶対に助けてやらなくちゃならない。