Fate/Imitation Saber   作:柚子餅

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3日目②

 

◆◆◆

 

 体中が異常を訴え、意識が強制的に覚醒する。

 起きなければならない。そんな意思に従って力を込めるが、全身が泥に埋まっているような倦怠感が枷になり、上体すら中々起こすことが出来なかった。

 随分な体力を使って体を起こし、ゆっくりと目を開けるとそこは薄暗くなった廊下だった。どうやら昼とは全く表情が異なっている、夜の校舎で横たわっていたようだ。

 

「……何で、こんなところに?」

 

 力の入らない両足を訝しげに思いつつ、壁に手をついて何とか立ち上がった。

 体中の生命力が消え失せてしまったかのように、倦怠感は五感すらもぼやかして包んでいる。

 

「――ぅ、ぐ!?」

 

 そして突然、ぼやけていたものが裏返ったように牙をむき、その中身を串刺しにした。

 体中の血が逆流しているような不快感。内臓ごと搾り出そうとするように、胸に敷き詰まって剥がれない吐き気。

 不意を撃たれて思わず口元に手を当て腰を折ると、自然と地面に広がっているものが目に映る。

 

「これって……」

 

 辺りの、一面の床が赤黒く染められていた。おびただしい血痕。いや、血痕といっていいのかどうか――そう、正しく血溜まり。

 雨が降った後の道路の水溜まりのように、まるで人が殺されたとでも云うように、廊下には血が溜まっていた。

 

「――――」

 

 認識までもが反転する。……ああ、そうだ。俺の視界に、この惨状は初めから入っていた。

 誰よりも俺が認めたくなかったのだろう。視界にあっても脳がそうと認識させなかった。

 それを認めてしまえば、今の俺こそが異常になってしまう。だからこそ、都合の悪いその異常を無いものなのだと錯覚させていた。

 

 けれど、正面から向き合ってしまっては認めないわけにはいかない。

 青い男と赤い小柄な人物。その戦いが急に記憶に残っていた。いや、思い出した。

 赤い方は、よくはわからない。遠目だったのもあるし、その後の強烈な出来事に上から塗り潰されてしまったようだ。

 けれどそれでもあの蒼い奴は、顔も得物もその声も、しっかりと覚えてる。そいつだけは記憶に深く刻まれていた。

 そう。だって俺は、間違いなくあいつに殺されたのだから。

 

 いつからか、俺は右手を胸に当てていた。

 制服に穴が開いて血だらけになっているが、肉体には傷も、その痕すらも見当たらない。

 

「俺、本当に……殺された、のか?」

 

 意識が朦朧としていた。酸素が足りない。呼吸が、侭ならない。

 考えがまとまらないまま、雑巾とバケツを教室のロッカーから引っ張り出して、血を拭き取り始める。

 これを何とかしないと、月曜の朝には厄介なことになるかもしれない。そんな場合でもないのに、思考は積極的に逸れたがる。

 

「は、あ……なんだって……こんな」

 

 血が落ちない。落ちてくれない。

 現状すらも掴めずにいる苛立ちをぶつけるように、雑巾で床をこする。

 

 

 一通り綺麗になったところで雑巾とバケツを片付け、バッグを持って校舎を後にする。

 貫かれたはずの心臓……改めて胸に手を当てる。何事もなかったように、呼吸に合わせて上下している。疼くものの、痛みはほとんどない。きちんと機能しているのか、確かめるように深く息を吸い込んでいた。

 

「があっ! ぐっぅ! げほっ!」

 

 そして当然のように、大きく咳き込んだ。ずきん、ずきんと大きな痛みが胸を中心に走る。胸にこみ上げるものを感じ、抑える間もなく排水溝に吐き出した。

 

「血だ……」

 

 ついに足から力が抜け、ふらふらと道端に座り込んでしまう。

 

 確かに俺は殺された。殺されかけたのではなく、『殺された』のだ。

 どうして助かったのか――俺がこうして生きていられるのかはわからない。

 けれど、本来なら俺は死んでいた筈。こうしていられることが異常なのだと、理解していた。

 

 意識が完全に落ちる前、霞のような不確かな意識だったが、俺の腕をとった手、それと俺の胸に当てられた手だけは覚えている。

 ふたつの異なる暖かさ――おそらくその手の持ち主が、死ぬ運命にあった俺を助けてくれたのだ。

 

 壁に手をついて立ち上がり、また歩き始める。

 無理をしない程度であれば問題なく動けるが、何かの拍子で嘔吐感がぶり返すとも限らない。とりあえずは、家に帰って早々に休むべきだろう。

 

 

 一時間強をかけて、やっと家に辿り着いた。 進む速度はいつもの半分ほどだというのに、家に着いた時俺は息を切らせていた。

 件の嘔吐感は時間経過とともにいくらか収まってくれている。体を引き摺るようにして玄関で靴を脱ぎ、のろのろと居間に上がる。

 

 室内灯もついていない部屋を見ていると、自分がどこに立っているのかわからなくなった。

 いつもは感じないのに、今日に限って誰もいないこの家が寂しく感じられる。

 心細い。時計の音だけが居間に響いている。時刻は午後十一時を既に回っていた。とりあえず電灯をつけて部屋を明るくすると、気が紛れてくれたことにほっとする。

 

 改めて自分の体を見渡す。制服は血まみれで、まるで銃で撃ち抜かれたようなひどい状態だ。人に見られていたら間違いなく通報されていただろう。

 制服に空いた穴から胸を触る。ドクンドクン、と心臓が拍動しているのが感じられる。

 俺は確かに殺されたはず。蒼い男が放った槍は皮膚を突き破り、心臓をも貫いていた。その痛みは確かに胸に残っている。

 もしあの痛みを伴ったものが夢だとしたら、悪夢なんてものを通り越しているだろう。

 

「ぐうっ!」

 

 その状況を思い返すと、また嘔吐感が激しくなっていく。精神を集中させて吐き気をゆっくりと抑えていく。

 

「はあっ! は、あ……はぁ…………ふぅ」

 

 呼吸を整えながら、なんとか気持ちを落ち着ける。

 ……あいつらはいったいなんだったんだろうか。とりあえず人じゃない、と思う。確実にその動きは人の規格から外れている。果たして人間が鍛錬を積んでいけば、あんな動きが出来るようになるのだろうか。

 

 突如、がらんがらん、と鳴り子のような音が家中に響く。あまり聞き覚えのない音だが、その意味は知っていた。

 

「この音……!」

 

 親父が家に張った対侵入者の結界の、警報音。設置されてはいたものの実際に鳴った試しがなかったそれが、今鳴り響いている。

 悪寒が、背中に張り付いていて離れない。死が、危険が迫っているのだと体が訴えている。

 この人とも知れない気配は、学校で感じたものと全く同じではなかっただろうか。ということは、あの青い男が……?

 

 どうする。このままでは抵抗も出来ずにやられるだけだ。俺に出来ることは少ない。その中でも有効な手段として挙げられそうなものは―――強化魔術。そうだ。強化した武器でなんとか応戦するしかない。

 しかし、ここは居間。道場ならともかく、都合よく木刀やらなにやらが置いてあるような場所ではない。包丁などの刃物はいくつかあるのだが、いかんせんリーチが短すぎる。あの槍とやりあうには、せめてそこそこの長さがなければ話にすらならない。

 

「これしか、ないのか?」

 

 手にあるのは藤ねえがおいていった自衛隊募集のポスター。あまりに頼りない。けど、代替出来そうなものがない今、贅沢は言ってられない。

 

「――――同調、開始」

 

 それは、自身を魔術使いへと切り替える自己暗示。ただの紙のポスターに魔力を通す。

 

「――――構成材質、解明」

 

 魔力を隅々まで行き渡らせる。ポスターを織り成している物質を解析し、全体を把握する。

 

「――――構成材質、補強」

 

 構成されている材質の弱点部分を見つけ、魔力を重点的に通す。既に彩色されている粘土に絵の具で塗り足すように。

 

「――――全工程、完了」

 

 

「で……きた」

 

 それは、親父が死んでから一度も成功しなかった魔術。久方ぶりの会心の手応えに、思わず身震いしていた。

 いや、感動しているような場合じゃない。あの男が相手では、強化魔術を施した程度のポスターでは何の脅威にも成りはしないだろう。気を抜いて、気がついたら殺されていたなんて洒落にもならない。

 

「……っ」

 

 気を引き締め直した直後、居間の空気がいつの間にか変わっていることに気がついた。

 殺気が外から場所を移している。おそらく、今こうして感じているものは、頭上からの――考え至るより先に咄嗟に身を翻した。

 

「……チッ! 気づかないうちに殺してやろうと思ったのによ」

 

 床板を貫く音と共に、俺が今正に退いた場所に赤い槍が突き立った。体裁を金繰り捨てて床を転がり、ポスターを構えて一気に立ち上がる。

 するとそこには、いつの間にか青い男が槍を手にして机の上に立っていた。

 

「まったく。何の因果で同じ人間を二度も殺さなきゃならねえのやら」

 

 そう、命を奪うという宣言をどうでもいいように呟いて、男は何の気なしに槍を放つ。そんな片手間に放たれた一撃は、俺の目に辛うじて視認できる速度で迫りくる。

 

「つあっ!」

 

 向かってくる槍の軌道を、ポスターで逸らす。室内に高い金属音が鳴り響き、ポスターを握る俺の手に重たい衝撃を与えてくる。腕に入れる力の配分を間違えれば、肩から持っていかれるかという威力。

 

「ほぉ、なんの手品だそりゃ。おもしれえ」

 

 そんな一撃をこちらにくれた男は、紙の筒なんぞに防がれたことが余程驚きだったらしい。打ち合わせた音が消える間も与えずに、次の音が生まれる。

 

 青い男は槍を『突く』ではなく、『振り回している』。狭い室内では長柄の得物は不利だという常識を無視して、家屋に遮られる事なく槍は縦横無尽に振り切られる。

 ぎりぎりのところで振るわれる槍を、鉄と化したポスターは受け止めてくれているが次第にその加圧に耐えられずに折れ曲がっていく。

 

「……微かだが魔力が感じられるな。コイツに心臓を貫かれても生きていられるってのは、魔術師だったからか」

 

 獣じみた殺気をぶつけられる。気を抜いたら足が笑って使い物にならなくなりそうだ。

 応戦するだなんて、思い違いも甚だしい。少しでも腕を振るう速度を上げれば、あの槍は俺を貫いているだろう。そうなっていないのは単に、俺で遊んでやがるからだ。アイツは今こうして目にも留まらない速度、達人の如き技を振るっても、本気なんてこれっぽっちも出しちゃいない。

 

「そら、受けてみろ!」

「くっ!」

 

 右手に握られたポスターを見て、焦りが増す。鉄と化した筈のものは、たった数合で折れ曲がっていた。

 せめてこのポスターに代わる、武器がなければ。必死で辺りを見回してみても、代わりになりそうなものすらもない。土蔵ならば、少なくともポスターよりはいいものがあったはず。

 

 

 男が隙を見せたところで意を決し、庭につながるガラス戸を破り、外に飛び出した。

 攻撃を止めていた男は反撃でも受けてやるつもりだったのか、遅れて後ろについてくる。

 

「いい判断だ。敵わないとわかれば現状を変えにいく。鍛えりゃいい線いったかもしれねぇな」

 

 赤い槍が、下から迫りくる。ひゅん、と風を切る音は最後まで聞こえない。

 いきなりの縦攻撃に反応し切れず、咄嗟にくの字に曲がったポスターを両手で固定し、受ける。振り上げられた槍の勢いは自分の体重を上回り、体はあっけなく宙に投げ出された。

 

 

 長い長い滞空時間を経て、背中から土蔵の壁に突っ込んだ。

 

「があ―――はっ!」

 

 衝撃に、肺から空気が搾り取られた。呼吸が出来ない。思わず咽返り、蹲りそうになる。

 ……けれど、そんなことしている時間もない。この体は運良く土蔵に向かって吹き飛んでくれた。扉は目と鼻の先だ。

 

 苦労して土蔵に滑り込ませる頃には、ランサーはすぐそこに迫っていた。繰り出される突きを、最後の抵抗とポスターを広げて、受け止める。

 

「チェックメイト。魔術師にしてはよくやったと思うぜ? この俺相手によ」

 

 だが、そこまで。貫かれたポスターはただの紙に戻り、槍から抜かれて床へとひらひら舞い落ちる。

 

「――――っ!」

 

 武器を探そうにも、男から目を逸らすことが出来ない。逸らさずとも男の一撃に俺は反応しきれないだろう。だが逸らしたら最後、その瞬間に俺は絶命する。

 

「案外、七人目ってのはお前だったのかも知れねえな。…………今となっちゃ、どうでもいいが。まぁ、人生二度も死ねるなんて、本当に運がなかったな。坊主」

 

 ゆっくりとした動作で、男は槍を構える。そんな動作の間も、俺は動くことが出来なかった。

 

 

 俺は……また、こんなに簡単に死ぬのか。助けられたからには、生きる義務を果たさなければならないっていうのに。

 

 槍は迫る。狙いはこの心臓。既に一度見た光景。そしてその結末も身を持って知っている。

 ゆっくりと、視界がスローモーションになる。

 

 日に、二度も殺される。殺されて。助けてもらって、また殺される。

 そんな莫迦なことがあっていいものか。どんな事情があったとしても、人を殺していいなんてことはないだろう!

 だから俺は絶対に、お前なんかに殺されてやるものか―――!

 

 

 ……槍がこの胸を貫こうとしたその時、地面からあふれ出た光が土蔵を照らす。

 その光の中、金属がぶつかり合う音がした。胸に迫る槍は確かに弾かれていた。

 

 

 

 

 

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