山の上まで続いている石段を、一歩一歩踏みしめるように上っていく。この山の木々は郊外の森へと続き、木を避けるよう歩けば深山の住宅街へと至る、人口の境となっている。
辺りを見回しながら脚を進める。どうやら、霊脈より霊気が土地へと戻ってきているようだ。以前に来たときよりも木々や空気が一層色づいているような印象を受ける。
なるほど、これが霊脈の集まる土地か。呼吸をするだけで英気が養われていく感覚さえ覚えている。お陰で、ここに来るまでに沈んでいた気持ちが少しだけ浮き上がってきた。
ここに辿り着くまでに十五分ほどを歩いてきたが、出歩いている人を見掛けることはほとんどなかった。住宅街にいても日頃聞こえてくる喧騒は消え、いつもならば開いている店も臨時休業の札が掲げられていて、一気に過疎してしまったような様子さえある。
深山町での一家刺殺事件に始まり、新都でもガス漏れによる作業員の中毒事故、女性失踪事件、最近では穂群原学院で集団昏睡事件が起こったと連日ニュースが流れ、住民も出歩かなくなっているようだ。
一つ一つからして大事件、大事故であるというのに、どんな手段を使ったのか大きく取り立たされることはない。聞いたところで子供が転んで怪我をした、といったほどの感慨だけが浮かぶ。どういった手段によるものか、大規模な認識阻害でもされているのだろう。
教会が施しているという事後処理は優れたものだ。しかしその情報操作でさえも人間の本能には敵わない。閑散としている町の様子がそれを物語っていた。
再び沈みかける意識を無理矢理に押し上げる。
この柳洞寺に続く階段にしても年末年始を除いて特別人気があるようなところでもないが、それにしても人の気配がなさすぎる。魔力が戻り富んでいるというのに、廃墟を歩いて巡っているようだ。そんな中をゆっくり歩いているのだから、気が滅入ってしまって仕方がない。
見渡し、参拝客もいないことを確認してから、じゃ、と砂利の音をさせて石段を右足で踏み切る。二回ほども跳べば、そこはもう山の上。いつかは門番が護っていた場所。侵入者を阻むものはもういない。
近づいてみて感じるのは強烈な圧迫感。結界は変わらずにその力を誇示し続けている。結界の唯一の穴である山門から中を覗いてみても、見る限りでは異常はない。
外とは違い、まばらに点在する人間。四人ほどのお弟子さんたちが変わらず境内を手に持った箒で掃き、いつもの通りの日常を送っている。外界と隔離されたように、平穏な空気。
キャスターを襲ったという黒い影は、彼女の言った通りにサーヴァントを目的としていたのだろう。ここの人間には害を及ぼさずに去ったのだろうか。
「……は」
一つ、安堵に息を吐いた。柳洞の人たちも俺にとっては知らない人たちではない。キャスターの話を聞いてから、気には留めていたものの立場柄様子を見に行くこともできない。今回の偵察は、ある意味では渡に船だった。
「おや、珍しい。うら若き女性がわざわざこんな山の上まで上ってこられるとは。と、他国の方であったか。……May I help you?」
門から中へと入ったところで、す、と音もなく横に人の気配。特に反応もせずに寺を眺めていると、声を掛けられた。この身体だから感じられたが、衛宮士郎であった頃ならば声を掛けられるまで存在にすら気づけなかっただろう。
「日本語でしたら、問題なく話せます」
「左様なようで。堪能でいらっしゃる」
顔を気配の方に向けてみればやはり、彼の姿があった。いったい、何者なのだろうか。――零観さんは。藤ねえとは違った意味でびっくり箱みたいな人だ。
「観光ですかな? とはいえ、この柳洞寺は、土地が広く山の上にあるという以外はそこらの寺と変わりない。それなりの由緒はあるので、名の由来、言い伝えならば拙僧がいくつかご披露させていただきますが」
「ああ、いえ。私は今、衛宮士郎の家で居候させていただいている者でして。所用があって近くまで出ることをいったら、彼に様子を見てきて欲しいと」
「ほう、士郎くんの? うちの一成がこの前の事件が故で検査入院しているぐらいで、これといった不調も欠員もなく……ああいや、宗一郎が穂群原学園の職員の集まりがあるとやらで同僚の教師の方のところに泊り込んでいたか」
……どうやらこの寺自体は、本当に無事であったようだ。
葛木宗一郎はキャスターと共にどこかに潜伏しているという話だけれど……そういえばどこに潜伏しているのだろうか。こちらからはキャスターに対して連絡の手段がないので、凛のところにキャスターからの念話が届くのを待つしかない。
「そうですか。それを聞けば、士郎も安心するでしょう」
「ところで、士郎くんには大事はなかったのかな? 一成のこともあり心配はしていたんだが、病院ではどうも見かけなかったのでね」
いつも笑みを浮かべている零観さんが、それを消してこちらをじっと見つめてくる。どうやら気にかけていてくれていたようだ。
「ええ、これといった不調はないようです」
「ほう、それは重畳。身体に気をつけるよう、彼にどうかよろしく伝えてもらいたい」
ふむ、と頷いた後、笑みを戻す。ふ、と空気が和らいだような感じがする。
とりあえず、確認しておきたかったことは教えてもらえたので、丁寧に礼を述べて寺を後にする。零観さんは「いやいや、拙僧がお役に立てたなら」とだけ述べてそのまま本堂の方へと歩いていった。
山門を抜け、立ち止まる。被害がほぼなかったのは喜ばしいことではあったけれど、発生現場であったここで情報は得られないとなると黒い影の情報を集めるのは難しい。となると次に移ったほうがいいだろう。地理的に見ると、間桐邸か郊外の城ということになるのだが、しかし人を連れ帰らなければならないから自然と城は後回しにせざるをえない。
そう決めると、町中が見渡せるここで常時回していた魔術回路に火を入れ直す。擬似神経である回路に魔力を回し、両目に集中させていくとじわり、と熱を持ち始めた。
元より視力が良いといっても、ここからでは大まかな様子しか確認は出来ない。だが、さらに魔力を上乗せすれば、あるいは。
右、近いところには穂群原学園。校門が黄色のテープで封鎖され、人が立ち入れないようになっている。キャスターが空けた大穴も修復され、とりあえずの体裁は整っているようだ。
そこから離れて、右手遠くには凛の屋敷、そしてすぐ近くに間桐の屋敷が立っている。ここからだと距離にして大体7kmほどだろうか。魔力をさらに集中し回路限界まで行使するならば、流石に人の表情を読むまでは難しいものの個人の識別ぐらいならば確認出来そうだ。ただ、視認対象が動いていないことが条件だろうけども。
……どうやら、間桐邸は閉め切られているようだ。外から覗ける窓は全てカーテンで覆われ、入り口の門も完全に施錠されている。近づいていって解析すれば、魔術による罠や特殊な魔方陣、内部構造なんかも把握することが出来るが、どうしても時間が掛かるし、感知系のものであれば調べていた痕跡が残ってしまう。
偵察、といっても乗り込んで潜入するような技能は俺にはない。精々、こうして見た目に何か異常があるか、何か目に見える備えをしているかどうかといったことしか確認出来ない。凛も相手に気づかれては意味がないといっていたし、間桐邸に関しては俺ではこの辺りが関の山だろう。
後は新都と、イリヤに頼まれた郊外の森の中にある城だけれど、どちらも視認するには遠すぎる。最後に自分たちの家を視界に収めると、気の所為だろうけどそこだけ色づいて見えて、他の家とは違って中から話し声が聞こえてきそうだった。
長い石段を飛ばし飛ばしにして下り、間桐邸を迂回して新都の方へ向かって歩いていく。
深山の商店街を抜けていく形になるが、開いている店の方が多いものの、それでも点々と閉まっている店も見受けられた。住宅街では人を見掛けることが稀だったが、ここはまだそうでもない。業者のトラックや、買い物に来た主婦。まだ活気があって安心できる。
店先に並べられた野菜や魚を眺めながらしばらく進んでいくと、新都へと繋がる橋に辿り着く。流石にここは町と町を繋ぐ地点であるからか交通量は多い。
新都へと入ると人目も多くなる。失念しがちであるが、白人で外見年齢の若いセイバーの容姿で一人でいると、奇異の目が集まり易い。ただ歩いているだけなのに周囲の注目を集めてしまう。
この様子では、少なくともここにいる間は、全力で走ったりなど目立ちそうなことが出来そうにない。かといって歩いて回っても数をこなせない為に得られる情報は少ないだろう。少しは活動資金を凛から貰っておくんだった。
…………うん、そうだな。ならここは、凛のやり方に倣ってみようか。
金属の擦りあう音が響き、鉄製のドアが外へと向かって開かれた。以前に壊した鍵はそのままで、ノブを回すだけで容易に開いた。
途端に、強風が吹き込んでくる。髪の毛が後ろに流れ、それを受けても気に留めずに端へと歩いていく。眼下では人々が忙しなく歩き回り、車が道路に犇めき合っていた。
――――こうしてここから、この光景を見るのは四度目になるだろうか。
一度目はライダーとセイバーを追っていった衛宮士郎の頃。二度目は凛に連れられ、魔力の残滓を特定し、地理を把握させるために。三度目は夢の中。ライダーと戦いながら、セイバーの視点で。
そして今。町に異常がないかどうかを調べている。
一度目の頃にはこうなるとは想像も出来なかったけれど、それも当たり前か。
俺がセイバーになるだけじゃなく、サーヴァントとして呼び出されアーチャーの代わりを務めているなんて、誰が想像できようか。話だけ聞いたところで、俺だって冗談としか思えない。
小さく自嘲し、再び魔力回路に大きく魔力を流し入れる。視力を強化し、ここ、ビルの屋上から新都を見回していく。
眼下に見える新都では背広姿の男性やOLが多く、中にはちらほらと歳の若い見たことのあるやつも混じっている。学園が臨時休校となっているから買い物にでも来たのだろう。
索敵範囲を伸ばしていくも、不審者やそういった類の者は見かけない。更に遠くへ伸ばし、来る時に渡ってきた橋。魔力をフルで回して、ぎりぎりタイルの細かさを判別できるほど。徒歩で渡っている人は見られない。
逆に視界を巡らせれば、外人墓地と教会が目に入る。墓地はもう元通りになっている。教会が処理したのだろう。言峰のいる教会も変わらずそこにあり、何も変わった様子はない。
視界の端に、洋館。……ん? あれと同じ形の洋館が、確かさっき山の上から眺めた時にもあったような。ま、あったからといってどうということでもないのだけれど。
一通り見回し終えて、魔力の集中を解いた。……何ら異常は見受けられない。以前凛と来た時に感じたような不自然な魔力の残滓も今はない。
どうやら新都側もハズレのようだ。偵察として言われた全てを見て回ったが、成果は芳しくなかった。まあ、夜でもなければ敵のマスターもサーヴァントも動かないのだから、その状態で痕跡を見つけ出すのは難しいのは解っていたことではある。
しかし、何も見つからないというのは気分的に堪えるものがある。はあ、とため息を吐いた途端に、身体が異常を感知した。ざわり、と肌が粟立つ。
足元から感じるのは独特の気配。これは……サーヴァント!
反射的に魔力を編みこみ、鎧を構築する。両手には顕現させたエクスカリバー。腰を低くし、襲撃に備えて構える。
戦闘行為は避けろという凛の言葉を思い出して退路を探すも、ここはビルの屋上だ。周囲を見渡しても出入り口は一つしかないし、そこを使わず逃げるとなると以前のように飛び降りるしかない。
その間にも、気配は近づいてくる。どうやらそのサーヴァントはビルを駆け上がってきているようだ。その気配も以前感じたものと同一で、それが正しいとするなら速度という面で俺が劣ることになる。つまり、逃げ切るのは難しい。そしてその実力から退かせるのもまた簡単なことではない。
その人物は、ビルの淵に手をついた後、ひょいと、ガードレールを越えるような軽い仕草でこの高層ビルを上りきった。薄ぼやけていた気配が、確りと輪郭を持つ。予想通りのそのサーヴァントは、飄々とした様子で笑みを浮かべて口を開いた。
「おう、やっぱり嬢ちゃんか。マスターも連れずに、何をしてんだ?」
「……ランサー!」