「えっ?」
知らず、声が漏れていた。
あの窮地を傷ひとつなく脱することが出来ている今この時を、何より俺が信じることが出来ずにいた。
「―――まさか本当に、七人目だったのか!?」
光の中から目の前に躍り出た人影。それは現れると同時に俺に迫る槍を撃ち落とし、返すように青い男に向かって何かを振り下ろした。
切羽詰ったように声を上げながらも、男はなんとか両手に握る槍でそれを受ける。だが、その尋常ではない衝撃を殺しきることが出来ずに、土蔵の外に弾き飛ばされていく。
そんな様子は視界の中にこそあれ、俺の意識には入っていなかった。突然目の前に現れた人物を、俺は魅入られたかのように見つめ続けていた。
華奢といっていいほどに小柄な後姿。髪は結い上げられていて、糸のように艶やかな金髪。清廉な程に青い服、その上には白銀色に輝く鎧に身に纏っている。
呆、と動けずに座ったまま見上げていると、その人物はこちらに振り向いた。
それはとても美しい、少女だった。年は俺よりも下だろうか。しかし、凛としたその佇まいには王者の貫禄。
鎧を着込み、視えない何かを構えている姿は戦意に溢れ、騎士という言葉がぴったり当て嵌まる。
「――――」
突然の状況に頭が真っ白になったか、目の前の少女に見惚れてしまったのか。
それはわからないが、喋る方法を忘れてしまったように言葉が出てこない。
「―――問おう。貴方が、私のマスターか」
「マス、ター?」
儀式のように告げる彼女に対して、間抜けにも聞き返してしまう。疑問を問いかける余裕もなく、思考を停止させたまま目の前の彼女の姿を見つめていた。
「サーヴァントセイバー、召喚に従い参上した。マスター、指示を」
その言葉を聞いた途端に左手が激痛を訴える。焼き鏝を当てられているような熱が手の甲に走る。口から声を上げそうになるのを堪えて、右手で左手の甲を押さえつけた。
「これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。――――ここに、契約を完了した」
「契約……ってなんの―――?」
彼女は俺の声に反応すらせず、外に目を向け、身を翻して土蔵の外に駆けていってしまった。
……まさかっ! あの男と殺り合うつもりなのか!?
一拍、展開についていけずに座り込んだままでいた俺はそこに思い至るなり、躓きながらも立ち上がり少女の後を追う。
あんなに小さい女の子があの男に敵うとは思えない。その脅威を、手合わせした俺は理解していたつもりだった。
「や、め……?」
いいかけた言葉は、最後まで紡がれる事なく口の中で消えた。
それもそうだ。俺が考えていた事態と、まるで真逆だったから。目の前では、なんとあの少女が蒼い男を圧倒していたのだ。
剣戟の音が、暗く染まった空に響いていた。
闇に浮かぶ無数の赤い突きを、少女はただひたすらに弾き落としていた。
朱槍と『何か』は火花を散らし、夜中の庭を明るく照らす。
突然の襲撃に男は思わず引き下がり、少女が剣を構えながら詰める。
「何故ここにいる!? キサマ、あの嬢ちゃんのサーヴァントじゃあなかったのか!?」
「何を訳のわからないことをっ!」
少女の張り上げた声と共に繰り出された一撃を、男は目測を誤ったのか受け損ねる。
槍が大きく跳ね上げられ、けれどその反動を利用し槍の石突を少女に向けて牽制、男は隙を潰して事無きを得る。
「チィッ! 先も思ってはいたが、視えない武器など卑怯だとは思わねえのか!!」
「――――」
少女は話すことをやめたようだ。話している内容は理解出来ないが、話が噛み合ってないことだけは見ていてよくわかる。
少女の一撃が地面をえぐり、一際大きな音が庭に響いた。
男は間一髪で空中に逃れて庭の逆の位置につく。そこから動かず、槍を下に構えたまま攻め入る様子がない。
「――――どうした? ランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。来ないなら私から行くが」
「おう、今回は随分と積極的だな。そういえばどうしたんだそれは? さっきの赤い方も良かったと思うがな」
男は話しながら、相好を崩す。その言葉は冗談だったのだろうが、双眸の力は緩められることはない。
「貴様は先ほどから何を言っている」
「何って、俺とお前はもう既に戦っただろうが。お前の実力はわかったから、さっさとあいつのサーヴァントと闘わせてくれ」
男が指差したその先には……俺? 一時的に視線が俺に集まるが、相変わらず状況を理解できていない俺は困惑することしか出来ない。
何でさ? っていうかサーヴァントって何だよ?
必死に考えてはみるものの、最低限の情報さえもなくてはどうしようもない。
「何を言っている。あの方は私のマスターだ」
「おいおい、それならさっきの嬢ちゃんは誰のマスターだと言う心算だ? 腕に令呪があったのは確認させてもらった。少なくともマスターであることは間違いない」
「貴様が何を言っているのかわからない、先ほどからそう言っているだろうが」
男の口振りでは少女と認識があるようなのだが、彼女の言葉もどうやら嘘はなさそうだ。目の前の相手もまた本気で言っているのがわかっているからか、セイバーと名乗っていた彼女も戸惑いを隠せずにいる。
男は構えを崩さず動きを止める。何かが引っかかっているのか、思案した様子。そのまま幾許もすると割り切ったのか、妥協点を見つけたようだ。
「…………まぁ、いい。貴様の得物が剣である以上、セイバーだということばかりは相違ないのだろう」
「この不可視なる剣を、どうして見破った」
「先の戦闘で見極めたんだよ。言ったろうが」
「――――っ! やるな、槍兵」
驚愕を隠せずにいる少女と、その反応にまた軽く首を傾げる男。
変わらず、会話が食い違っていく目の前の二人。何かの行き違いがあるのはわかるが、俺にも事情がわからないから修正させることも出来ない。二人とも至極真面目に話しているんだろうけど、何処か空気は弛緩している気がした。
「んで、ここらで引く気はねえか?」
若干槍の穂先を下げるランサーと呼ばれた男。途端に空気がぴりっと張り詰めた。
――あの構えは! 放たれるものはきっと、校庭で見た戦いを決着付ける筈だった必殺。
「断る。貴方はここで倒れろ、ランサー」
「残念だ。こっちはマスターがいねえし、お前のとこのマスターは何するでもない。出来るならば、万全の状態で闘いたかったんだがな」
ランサーの周りに魔力が渦巻いた。周辺の魔力をも汲み上げ己へと補填していく。
少女もその構えに警戒を顕にしていたが、魔力を収束させていく男に形相を一変させる。
「宝具――――!」
「……その心臓、貰い受ける――――!」
ランサーは下段の構えから、さらに足元に向かって突撃する。槍から溢れる魔力が赤く伸びて、まるで尾を引いているようだ。
もちろん、セイバーと呼ばれた少女も迎撃に打って出る。下段に対しては最上段よりの攻撃。
ランサーを飛び越えて切りかかろうとする、が――
「『
言葉が放たれた途端に急速に槍は魔力を帯び、
「―――
ありえない軌道で少女の胸に迫る。
――――それは確かに、必殺を冠するに相応しかった。
セイバーと呼ばれる少女はその異常の直前に、何かを察知したかのように体を空中で入れ替えていた。迫る槍は、体を無理矢理にでもずらしたことで本来ならば回避できていた筈だった。
だがしかしそれすらも想定内とでもいうように、槍は少女の回避運動に合わせて軌道を曲げる。不可解な動きで槍は彼女の胸部を追尾し、貫いた。
その衝撃に少女は体の制御を失い、空中に投げ出される。…………だがなんとか持ち直し、着地したようだった。
「因果の逆転―――!!」
一瞬の出来事。しかし行われたそれはこの世の理を捻じ曲げていた。
当たるべくして当てる。起こった神秘をその身に受けて、少女は苦しそうに声を上げる。
「――――かわしたな、セイバー。我が必殺のゲイ・ボルクを」
「っ……! ゲイ・ボルク……御身はアイルランドの光の御子か!」
「……有名っていうのも考え物だな。出すからには一撃でしとめなくちゃならねえってのに」
最後に舌打をし、ランサーは槍を収める。そしてそのまま後方――庭の隅に向かって跳躍する。
手傷を負わせたというのに彼女に目もくれず、塀の上に立ったランサーは背を向けた。
「マスターが帰って来いっていうもんでな。悪いが今回はここまでだ」
「逃げるのか、ランサー!」
「何。追ってくるのは構わん。だが――――」
そこで、ランサーは背中越しに振り向いて、少女を見る。
視線を追っていくと、セイバーと呼ばれた彼女が苦しそうに胸を押さえる様子が視界に入った。
「決死の覚悟ぐらいは抱いて来い」
ニヤリと笑って柳洞寺の方へと向き直ると、塀を飛び越えてランサーは闇に消えていく。俺はその先を見つめることしかできなかった。
「ぐっ!」
ランサーの姿が完全に見えなくなってから、少女が膝をつく。
あわてて駆け寄るが……改めて見ると、彼女はとても綺麗な子だった。って、違う。そうじゃない。
傷を負った彼女に対して俺がしてやれることはあるだろうか? どうすればいい。槍によって貫かれた胸部は、いったいどういう処置をすればいいのか。
とてもじゃないが救急箱で治療できるような軽傷ではないだろう。そうなると俺では手に負えそうにない。
思考ばかりが空回りして、結果呆然として黙って見ていると少女が立ち上がって顔を上げる。
「――あれ?」
傷が治っている……? いや、そうだ。俺を守ってくれたものだから安心していたけど、未だにこの子は得体がしれないのだった。
「え、と。君はセイバーでいい、のか?」
警戒しながらも問いかける。何を訊ねるにしても、まずは名前を確認しておかないと。
話しかける間、彼女の全身を確認してみたが怪我をしているところはなさそうだ。
「はい。マスター。私はセイバーのサーヴァントです」
「あ、俺は衛宮、士郎。この家の人間だ。って、違う、こんなことを訊きたいんじゃなくって……」
「――――あなたは正規のマスターではないのですね」
後の話は何がなにやらさっぱりだ。結局わかったことは、セイバーが俺のことをマスターって呼んでいることぐらい。
「待ってくれ、俺はマスターなんて名前じゃないぞ」
「ええ、それではシロウ、と。私としてもこの発音のほうが好ましい」
「う……」
セイバーの物言いに、顔に血が上る。
その後話している最中に、いきなり左手の痣が赤くなって変な模様に見えるようになったりしたが混乱は増すばかり。
そもそも、セイバーのいう令呪ってなんなんだ。そして俺をマスターと呼んでいた理由も不明のままだ。
「シロウ、傷の治療を」
「へ?」
突然そんなことを言い出すセイバー。もちろん強化しか使えない半人前の魔術師が治療などできるわけはない。
「申し訳ないのですが、外の敵は二人。その重圧は凄まじい。気配からして私が本調子で臨んで互角、というところでしょう」
「ち、ちょっと待て、俺は傷の治療なんてできないぞ! それに傷なんて何処にも見当たらないし、治ってるんじゃないのか?」
俺の問い掛けを聞くなり、セイバーは苦虫を噛み潰したような顔で数秒の間逡巡する。
そしてそれが終わるや、ランサーと呼ばれた男と戦っていたときに振るっていた視えない剣が、恐らくその手に現れた。
「――シロウ、あなたは隠れていてください。そして隙をみて逃げるように」
セイバーはそれだけ言うとその敵を壁越しに睨み付け、門から駆け抜けていってしまった。
いや、待て。外の、敵だって? もしかして「隙をみて逃げるように」って自分が犠牲になる気なのか――――!
俺はすぐにセイバーの後を追って、全速力で門を走り抜けていった。
◇◇◇
俺はランサーに逃げ切られたところで凛に念話で話しかけられ、合流した後に逃げられたことを伝えた。
そしてどうせなら最後まで面倒を見る、と凛からの一声があり衛宮家に向かっているところである。
「いい? 会ったとしても決して衛宮くんを助けたことを言わないようにね。私と違って彼は普通の人、まして私たちが巻き込んだようなものなんだから」
実は、士郎も半人前とはいえ魔術使いなんだけどな。
魔術師としてならば、一般人であると認識されている衛宮士郎は切り捨てられてもおかしくはなかった。いやむしろ切り捨てるのが正解だったのかもしれない。
それでも助けてくれた凛はきっと、お人よしだ。人としての優しさは魔術師には必要ない。けれどそんな凛が、俺は好きだった。
前回は有耶無耶になってしまったけど、あの時死の淵にいた俺を助けてくれたのは、やっぱり遠坂だったんだ。スカートのポケットに手を入れてそこにあるもの――赤い宝石のペンダント――を握り締める。
昨日、着替える時に鎧の中に紛れているのに気がついた。文字通り、これは命の恩人のものだったから肌身離さず持っていたんだけど、一緒についてきているとは思わなかった。宝石を魔術に使う凛に見せたら一騒動あると思って黙っていたんだけど――――これを返す相手は、この世界にはいないんだよな。
「っ!?」
心臓が一際大きく拍動する。考えるよりも早く、反射的に戦闘武装を完了させた。
「どうしたの? アーチャー」
サーヴァントの気配を感じ取る。一つはものすごい速度で柳洞寺の方向に向かって離れていく―――この速度、間違いなくランサーだろう。そして、もう一つ――大きく、強い気配が衛宮家の庭から発されている。
「凛、サーヴァントが二体付近にいます! おそらく一つはランサー、すごい速度で離れていくようですが、もう一体が――――来ます!」
「えっ!?」
手にはエクスカリバー。それを構えて凛の前に躍り出る。果たしてこの相手、俺の知るセイバーなのかはわからないが凛は守らなくては。
人影が衛宮家の門より飛び出してくる。近づいてくる特有の気配。間違いなくサーヴァントだ。明かりが少なく、けれどどうにも相手が何か持ってるようには見えない。
――――セイバー、か? 風の鞘に包まれたエクスカリバーを、握り直す。
それは直感なのだろうか、経験なのだろうか。それはわからない。だが、相手の動きからそれを振るってくる軌道が読めた。従い、こちらも相手も中間を基点にして同じ構え、同じ軌道で剣を振るう。
互いに等距離の中空から、大きく鈍い音が響き渡る。こちらの得物も相手の得物も視えない為に、何もない空間に突如火花が発生したように見えた。
かち合い、剣は反動で離れる。けれど互いが構わず前に進むために、また刃が重なり剣を介しての力比べが始まった。本調子ではないのか、相手の力は自分よりも少し弱いので俺が比較的優位に立ち回ることになった。
そこで、強い風が吹く。衣服が風によって流され、髪がはためいた。
雲に隙間が空き、月の光が俺たちを中心に差し込む。
「ちょっと……これっていったい、どういうことよ……!」
「――――!」
月明かりに照らされるのは俺と――――セイバーの二人。
その姿は色こそ違えど、まるで鏡に映った己を見ているように。
――――ああ、やっぱりセイバーだった。
きゅう、と胸が締め付けられる。泣きたいような笑いたいような、そんな感情があふれ出てくる。
目の前の彼女を思いっきり抱きしめたい。すまなかったと、ありがとうと、沢山の言葉を伝えたい。
……しかし、それをやる相手は彼女じゃない。そんな人違いを起こすわけにはいかない。
彼女は、俺のサーヴァントであったセイバーではないのだから。俺の知っているセイバーとは、別人なのだから。
時間にして数秒だろうか、時間が止まったように場が硬直していた。
聞こえてくる足音に我に返ったセイバーは、大きく後退して視えない剣を構え直す。
「セイバー、やめろ!」
遅れて飛び出してくる足音の主――士郎。躊躇もせずセイバーの前に躍り出ると、彼女を庇うように立ち塞がった。
背後からは何事かと、凛が小さく息を飲む音が聞こえてくる。
「駄目だ。女の子が戦いなんてするもんじゃない! 見れば相手も女の子……っ? って、セイバーが二人!?」
そこで俺を睨み付けた士郎は、姿を確認するや驚愕に目を見開き後ろのセイバーとを見比べ始める。見比べられているセイバーも、士郎ほどではないが困惑の表情を浮かべている。
混乱した場で誰よりも早く立ち直ったのは、凛だった。歩き出し、俺の横に並ぶときょろきょろと見回している士郎を見やる。横目で見るに、無表情だ。
「どうも、こんばんは。衛宮くん」
「と、遠坂!? 何で遠坂がここに?」
「何でもいいでしょう。そんなことよりも、そう。まさか衛宮くんが魔術師だったとはね」
「な、何でそれを?」
こちら側からはしっかりと様子は見えないが、凛も内心動揺してないはずないのに普段どおり振舞おうとするのが分かった。その上で、相手の様子を見て有利になるように話を進めている。……なんていうか、魔術師してる。
目の前のセイバーは目を見開いてこちらを凝視している。だが、咄嗟のことに反応できるように剣を構えたままだ。なので俺もエクスカリバーを構えたまま、セイバーから意識を離すことをしない。
「……凛、どうするのです?」
声のみで問いかける。視線はセイバーから外さない。聞こえてきた己と同じ声色に、セイバーはびくり、と震えた。
「そうね……。どうやら衛宮くん、なんにも知らないみたいね」
思わずといったように、はぁ、とため息をつく凛。横で結われた髪をかき上げると、改めて士郎にと向き直る。
「衛宮くん、家にお邪魔させてもらっても構わないかしら?」
「え? あ、ああ。でも、俺には何がなんだか」
「それを説明してあげるわよ。ま、私にもわからないことはあるけどね」
言って、俺とセイバーを比べ見る。そして目線を切ると、剣を構えたままのセイバーの横を抜けて門へと歩いていく。擦れ違う瞬間セイバーの体がまた反応したが、結局歩いていく凛に剣を振るうことはなかった。
何故か家主である筈の士郎は、凛に先導される形で続いていく。
「さて、マスター同士で話がついたようです。それで、貴女はどうするのですか? セイバー」
「――――!」
構えを解いて、こちらから剣を収める。同時に身を包んでいた鎧も魔力へと分解され、ブラウスとスカートの姿へと戻った。
そしてそのまま歩き出す。睨み付けるように視線を外さないセイバーの横を抜けて、先を歩く士郎の後に続く。
セイバーから収めるとは思えないから、俺から構えを解かないと延々とこの膠着は続くことになっていただろう。ちら、と視線だけを背後へ送ると、セイバーは剣を還して、訝しげに俺を見ながらも無言で俺について来ていた。
つい笑みが浮かびそうになるのを抑えて、衛宮家の門を潜った。