午前の1時過ぎを時計が刻む頃。所は藤村の屋敷と並んで大きな日本家屋。
日付も変わったそんな深夜帯、年頃の青年である衛宮士郎が寝起きしている住居の居間には、見た目には三人の女性が机を囲んで黙って座っているという異様な光景が広がっていた。ちなみにその中の一人は本当に見た目だけで、どういうわけか中身は俺である。
しかもそんな不思議な光景のそこには、台所から食欲を刺激する芳しい匂いが漂ってくるものだから余計に訳がわからない。
なんだってこんな状況になってるんだろう。酷く居心地が悪い。それもこれも……アイツが変なことを言い出さなければよかったのだ。思わず敵意を篭めて、台所に立つ赤毛の青年を見てしまう。
原因は、アイツだ。
「すまない。手が足りないから誰か皿の盛り付け手伝ってくれー」
士郎はこちらの重たい雰囲気などお構い無しに声を上げた。その声を受けても他の二人に動き出そうという様子が見られない。
セイバーは動かない。酷く真剣な顔でこちらを警戒していたが、時折意識が俺から外れることから士郎の作る料理の匂いにつられていた様子。出来上がりが近い今、俺への注意は払われていないといっても相違ない。
そして凛は聞いているのか、いないのか。漂ってくる匂いから何かを分析しているのか、険しい表情で思考に没頭している。黙りこくっているが、その目つきはまるで戦場にいるかのようだ。正直、声を掛け辛いどころか目も合わせたくない。
そして俺はというと、凛のサーヴァントという立ち位置なのであんまり動かないほうが良いと考えている。考えているのだけど―――仕方がない。消去法でいうと、俺しかいないじゃないか。
仕方なく立ち上がり、台所へと向かう。そこでようやく俺が動いたことに気づいたセイバーが視線を向けるが、今ばかりは無視して歩みを進める。
「ああ、えっと、悪い。魚の煮付けを皿に盛り付けて欲しいんだけど。俺、これ洗い終わったら行くから、先に持って行って欲しい」
士郎は使い終わったボールや包丁、まな板を洗っているところだった。
準備はなるほど、もうほとんど終わっていた。持ち運べるようにお盆の上には四人分の茶碗と、味噌汁が盛られたお椀が鎮座ましましている。
炊飯ジャーを見ると、米も炊き上がっているようだ。箸は気を使ってか、割り箸が三膳用意されている。
コンロに歩み寄る。そこに乗ったフライパンの中の煮付けを一目見て、勝手に食器棚から長方形の長皿を四枚出す。
「お皿はこれで大丈夫ですか?」
「ああ、構わない。俺も、魚はその皿が良いと思う」
洗い物を止めず、ちらと皿を確認した士郎がぶっきらぼうに答えた。
まぁ、元々俺の家と寸分違わないし、皿がある場所も把握している。長皿だって俺ならこれを使うな、と思ったのを取っただけだ。うちにある皿だったら、確かに魚はこの皿が映えるからな。
それにしても士郎のマイペースには我が事ながら呆れてしまう。
セイバーが俺と凛を睨みつけて、凛は凛で物思いに耽ったままだったし、俺はセイバーに対してどういった態度を取ればいいのかわからない。そんな、ピリピリしてた空間で士郎は何にも考えた様子もなく、突然のたまった。
「飯でも食わないか? 時間も時間だし腹も減っただろ? 俺も夕飯食べてないしな」
……いや、正直助かった部分もあるにはあるんだけどさ。
誰も喋らず、じりじりと精神力が削られていくようなあの空気が、一時的にとはいえ霧散してくれたのだから。
それからは違った意味で居心地は悪いのだけれど、俺も凛も昼にファーストフードに寄って以来、何も食べていなかったしな。
テーブルに皿が並べられる。献立は、銀ダラの煮付けに、ほうれん草のお浸し、油揚げとネギの味噌汁、そして白米だ。和食はアーチャーになって初めてになる。
それにしてもいい匂い。……うわ、つやっつやのご飯を見てたら口の中に唾液が出てきた。
「いただきます」
「「いただきます」」
「……いただき、ます」
士郎が手を合わせて声を上げた後、凛と俺も続き、セイバーがそんな三人の様子を見て、倣って最後に呟いた。各々が食事にかかる。
おずおずと箸を伸ばす。まず味噌汁。震える手で器を持つ。
具には手をつけずに汁だけに口をつける。味噌の味と香り、煮干の出汁。セイバーの身体になった影響か、懐かしくも新鮮な香り。
味噌汁で箸を湿らせて、次は白米にかかる。おかずは何もいらない。白米だけを口に入れる。噛み締めると炊きたてだから余計にか、ふっくらとして甘い。
胸にこみ上げてくる感動、食事を楽しめることへの感謝が胸の奥から溢れてくる。
うわ、本当にやばい。あまりの幸福感に胸が一杯になって、目が潤んできた。もう箸は止まらない。ぐいと袖で目元を擦って、食事を再開する。
なんだかんだでみんなもお腹が空いていたのだろう。一言も喋らずにひたすら食べている。
特に、こくこくと頷いて感動を露にする、巧みに箸を使うセイバーと、幸せに満ち溢れてちょっと涙ぐんでしまっている俺は一心不乱だった。
ああ、美味い。あれも、これも、それも。口に運ぶもの全てが愛おしい。
食事って、味を調えたり材料に拘ってばかりいたけれど、そうじゃない。食事は、感動だ。
だって物を食べてこんな感動を味わったことなんて、衛宮士郎の記憶の限りではそうそう無い。
臥せっていて何も食べられずに二日、病み上がりに食べたおかゆが一番近いかもしれない。
……ここまで感動しておいて言うのもどうかと思うけど、この食事はもうひと手間でもうちょっとだけ美味しくなる筈だ。
士郎が作ったものも確かに美味い。けど、この身体を得て今までにはない改善の発想が生まれようとしている。今ならば、きっと同じメニューでも士郎より上手く作れる自信がある。
「よしっ」「勝った……!」
次に活かして頑張ろうと小さくガッツポーズした俺の声と重なるように、誰かの声が聞こえた。
顔を上げてその発生源を見やると、一通り箸をつけられた食事の前で同じポーズをした凛がこちらを見ていた。
食事が終わって、士郎が各々の前に湯のみを置いていく。これまた懐かしく感じる香り。緑茶か、最近は紅茶ばかりだったから久しぶりだ。
「それじゃあ、遠坂。説明頼んでいいか?」
「わかったわ。まずは……そうね、あなたが巻き込まれているこの争いのことからね」
「ああ、頼む」
説明をする凛と、受ける士郎。それを少し離れた位置から聞いている俺とセイバー。
その説明は、おおまかには俺が聞いたものと同じだった。
聖杯戦争の仕組み、聖杯を得るメリット。呼び出されるサーヴァントと、英霊について。彼らもが、呼ばれることで願いを叶えようとしていること。そして、魔術師たちがこの戦争参加する目的について。懸けられている執念と、それ故の参加者の背負う危険。
その内で唯一、サーヴァントの在り方についてだけ凛は言葉を詰まらせた。おそらく見るからにはほぼ同一である、俺とセイバーのことだろう。
一通り説明が終わると、士郎は手元の湯飲みを見つめながら黙ったままだった。
考え込んでいる士郎を置いて、凛は湯飲みのお茶を飲み干し、離れた場所にいる俺とセイバーの元へと寄ってくる。
「ねえ、セイバー」
「何用ですか?」
「やっぱり、あなたはセイバーよね」
「ええ。私は間違いなく、セイバーのサーヴァントですが」
セイバーに問いかけた言葉とその確認に、凛の言わんとするところが見えた。
昨日の午前中からずっと頭の中で組み立て、推敲し続けていた理屈を思い返す。――準備はOK。後はそれを話すタイミングを見計らうだけ。
「うちのサーヴァントはクラスがアーチャーなんだけど、貴女はアーチャーにも特性があるの?」
「ありえません。私という存在は、剣に特化した身」
言葉にして、アーチャーだという俺を不審げに見るのはセイバー。問い掛けた凛はというと、それも予想通りだったのか驚きも無く続きを話し始める。
「でしょうね。私も恐らくそうじゃないかと思っていたわ。……そうなるとやっぱりうちのアーチャーがイレギュラーってことになるのかしら。それで、順序が逆になったけど、真名について貴女たちに確かめておきたいことがあるの」
「何でしょうか」
佇まいを整えてから俺が答え、セイバーは黙ったまま、横に座っている俺を静かに睥睨する。
「セイバー。私がアーチャーの真名を貴女に伝えるわ。貴女と彼女が同じ真名なら首を縦に動かして頂戴。貴女のマスターにも一緒に伝えないのは、衛宮くんって変に正直者みたいで隠し事はできそうにないから。彼から貴女の真名が他のマスターに伝わってしまうと、うちのアーチャーの真名も同じく看破されることになる。それがアーチャーの真名だとしても、然り。それはよろしくないでしょ? もちろん、もしアーチャーと真名が違うからといって訊き出したりはしないわ。首を横に振ってくれるだけでいい。アーチャーもセイバーになら言っても構わないでしょう? 現状を把握しないことには何も言えない訳だし」
「構いません」「構いません」
セイバーと俺の声が重なる。凛はステレオに聞こえただろう声に、目をぱちくりした。
気を取り直した凛はセイバーに俺が語った真名を耳打ちする。ここまでくればセイバーも予想はついていたのか、驚きもなく首を縦に振る。
「うん。服や、瞳の色が違う理由はさっぱりわからないけど、やっぱりセイバーとアーチャーは同一人物なのね。それにしてもアーチャーのクラス分けも疑問だけれど、同じ聖杯戦争に同じ人物が呼び出されるなんてあるのかしら」
「凛。よろしいですか?」
「何? アーチャー、何か思い当たることでもある?」
「ええ。しかし、確証となるものはありません。何せ、私もこのような事例を聞いたことはありません。それを踏まえて聞いてください」
そこまで言って小さく息を吸う。
「まず前提として、サーヴァントとして喚び出される私たち英霊はオリジナルの存在ではありません。英霊の座に本体があり、様々な時間軸に複写である私たちは呼び出されます。それは絶命前の過去であろうと、遥か先の未来であろうと関係なく。そして複写であるサーヴァントは伝承や知名度に影響を受け、生前に所持していなかった要素を付加されることがあります。そうして私とセイバーの間に差異が生まれたことで同時に呼び出されることになったのかもしれません」
……どうだろうか? 一応考えてきたことを言ってみたけど、サーヴァントシステムについて知っていることなんて最低限に等しいし、そんな可能性があるのかもわからない。
実際にサーヴァントであるセイバーが今の話を聞いて致命的な齟齬を覚えなければ、と思っているのだけれど……。
「……そうね。同一存在が同時に観測されたなら世界の歪みとして排斥されそうなものだけど、そうなっていない以上アーチャーとセイバーは完全に同一ということではないのでしょう。ううん、それ以外の可能性も思い当たらない。なにより情報が少なすぎる……」
……なんとか成功したのだろうか。凛は同一人物と判断してくれたようだけれど、セイバーの瞳には困惑の色が見える。
「ところで……セイバー、貴女、召喚された時からずっとその口調?」
「え、ええ、そうですが。何か問題がありますか?」
「あ゛~~~~、もう! 令呪一個分どうしてくれんのよっ! アーチャー!!」
があー、っと吠える凛。吠え立てられる俺。それを見て目を白黒させるセイバー。
確かに俺の口調の所為なのだけど、決してそれだけじゃないと思う。
「それで、衛宮くん。そろそろ教会に行きたいんだけど」
「え? 教会?」
いつの間にか考え事を終えて、こちらを見ていた士郎に凛が声をかける。士郎は突然の申し出に、訳も分からず眉根を寄せている。
「そう。教会に聖杯戦争を管理しているやつがいるの。きっと聖杯戦争について色々と教えてくれるでしょう。衛宮くんも、詳しく知っておいたほうが後々困らないんじゃない?」
「それはいいんだけど……どこなんだ? それ」
「隣町の冬木教会。言峰綺礼なんて似合わない名前の神父が管理している教会よ」
よいしょ、と婆臭く声を上げて凛が立ち上がる。士郎と俺もそれに続き、セイバーも士郎に続いて立ち上がった。
「セイバー。その鎧、目立つのだから武装解除しておきなさい。こんな時間だからそう人が出歩いているとは思わないけど、もし見られたなら不審者以外の何者でもないわ」
玄関まで出ると、先頭を歩いていた凛が振り返ってセイバーに声を掛ける。セイバーは士郎のサーヴァントなんだけど、何故か凛が指示を出している。
「しかし、アーチャーのマスター」
「凛でいいわよ」
「では、リン。鎧の武装解除は可能ですが、この国のこの時代の衣類でなければ悪目立ちすることには変わりないのでは? 付け加えるならば、この場合でしたら幽体になるべきだと思うのですが」
「あ、そうだったわね。私の失言だったわ。でも、セイバー。あなた幽体になれるの?」
「いえ。マスターからの供給状態が悪い所為かわかりませんが、幽体になることは敵いません。もしや、アーチャーも?」
「まあねー。ちょっと私が召喚の時にポカしちゃったみたいでね。ラインはしっかり繋がってるんだけど。いけないいけない。つい、アーチャーとセイバー、同じように認識してごっちゃにしちゃってるわ。あ、そうなると着替えか……私のを貸してあげてもいいんだけど、流石に持ってきてるわけないし。今回はレインコートで我慢してね」
言いながら、勝手に玄関にある黄色い雨合羽をセイバーに渡し出す。他人の家の物を勝手に貸し出す始末。判断的には正しいとはいえ、その振る舞いはどうなのだろうか。
ふと横を見ると、家主であり、セイバーのマスターである筈の士郎が所在無さ気に立ち尽くしていた。
背中が小さく見える。そういえば、さっきからセイバーとの会話にも加わっていなかった。なんていうか、自然と蚊帳の外に追い出されているというか。
同じくマスターに放って置かれている俺は、つい士郎にシンパシーを感じて声を掛けていた。
「セイバーのマスター、うちのマスターが迷惑をかけます」
ぼんやりと二人を眺めていた士郎は、小さく頭を下げる俺を見ると「いや」と手を振ってはにかんだ。
「ありがとう、アーチャー、だったよな。あ、俺の名前は衛宮士郎っていうんだ。できれば君もそっちで呼んでくれないかな」
……その言葉を聞いて、ふと悪戯心が湧いて出てきた。元々士郎と呼ぶつもりだったのだから、これ以上に良いタイミングもないだろう。
「――ええ。それでは、士郎、と。私としてもこの呼び方のほうが好ましい」
しっかりと士郎に向き直り、口の端を持ち上げて笑いかけた。
つい、自分の記憶の中にあるセイバーの言葉と微笑を真似ていた。似ているかどうかはわからない。いや、そもそもがちょっとした出来心なんだけど。
「あ、う……。やっぱりアーチャーも名前で呼ぶんだね……」
言うなり士郎は頬を赤く染め、照れくさそうにそっぽを向いて頬を掻く。……む。たぶん成功したんだろうけど、なんだか嬉しくない。
車も走っていない夜道を、横一列に並んで歩く。真ん中にマスターが二人、その横にそれぞれのサーヴァント。
話しているのは専ら士郎と凛だけだ。俺とセイバーは何を話すわけではなく、黙々と歩いている。話を振られたら返すが、セイバーと会ってから迂闊に話せなくなっていた。
俺は、この三人に自分の正体を明かそうとは思ってはいない。出来ることならば、セイバーがイレギュラーな形として召喚された、と認識されたままなのが一番いい。
今現在セイバーに警戒されている俺が「俺は実は衛宮士郎だ」と伝えたところで、信じてもらえずに無用な不信感を煽るどころか、怒りを買うだけだろう。
凛と士郎との関係もどうなるのか想像もつかなくなる。どうすれば先がよくなるかなんて思いつかないけど、少なくとも今正体を告白して良い関係を築けていけるとは思えない。
そうなると俺なりにセイバーとして振舞うしかないのだけれど、それにしたっていずれ限界はくるだろう。
戦闘能力としてか、普段の振る舞いか、それとも何か別の要因かもしれない。所詮、中身は衛宮士郎。剣の英霊を振舞い続けていられるとは思えない。
でも、今露見するのは駄目だ。協力関係すら出来ていないこの状況で俺が波風立ててしまえば、二人に溝を作る原因にも成りかねない。
絶対に、衛宮士郎だと看過されるような真似は出来ない。記憶の中のセイバーをトレースし続けなければ。だから、俺は彼女の前で話せない。迂闊にセイバーらしからぬ話し方をしたりすれば、誰よりセイバーが違和感を感じるだろうから。
坂道を上り、外人墓地の横を抜けて、高台の上にある教会前に着く。敷地の入り口で、俺達は自然と、誰からというでもなく進めていた足を止めていた。
「――ここは? どういうことなんだ。この教会、妙な威圧感を感じる」
教会を見て士郎が一人ごちる。確かにこの建物には気圧される何かがある。
「……シロウ、私はここに残ります」
「え? 何だってそんな――――ここまで来たら一緒に来たらいいじゃないか」
「私はシロウを守るために一緒に来たのです。私個人が教会に用があるわけではありません。私はここで待つことにします」
セイバーはここで待つつもりらしい。思い返せば、前回でもセイバーはここで待機していたな。
「そうですね。では私もここに控えています」
「わかった。それじゃ少しの間待っていて」
倣って、俺も残ることにした。セイバーと二人きりになることに不安がないでもなかったが、極力セイバーと同じ行動、選択を取るべきだろう。
「行きましょう、衛宮くん」
「わかった。それじゃあ行ってくる」
「気をつけてください」「気をつけてください」
声を上げると、セイバーのものと声が重なった。口調が同じなので、言いたいニュアンスと話し出すタイミングが揃えば、声も揃ってしまうようだ。自分の意思で話しているはずなのに、図ったように声が重なるのは不思議な感覚だ。
異口同音に言葉を告げる俺とセイバーに見送られ、二人は静かに教会に入っていった。
教会入り口のドアが閉まりきるまで、俺とセイバーは身動ぎもせずに己のマスターの後姿をずっと見つめ続けていた。