もう午前二時を回っただろう。そんな、生活の音がほとんど感じられない時間だった。
人も、鳥も、動物も。それどころか動くものたちは全て排斥されたような教会の敷地にて、立ち尽くす。
俺もセイバーも動かない。教会の入り口を挟み、壁を背に立っていた。互いに不必要に干渉することなく、ただ二人で立っていただけだ。
変化はない。変化を必要とはしていない。さながら、絵画や写真の中に迷い込んでしまったようだった。
俺はこの空白の時間を使って、始まった聖杯戦争について考えを巡らせていた。
凛の指示に従い物事を進め、臨機応変に対処する。初日に決めたこの方針、聞こえはいいが俺の言うそれは思考の放棄だ。
ランサーと戦い、その殺し合いの場に立ってそれを痛感した。今回は何とか乗り切ったが、経験で劣る俺が何の策もなしに進めばいずれ大きな失敗をするのは目に見えている。
そしてこのまま惰性で進めば、士郎が、凛が、俺が、そしてセイバーは倒れることになるだろう。
それではいけない。何があっても、それだけは防がなくてはならない。だから俺は出来る限り多くを考えなければならない。
……もう二度と、セイバーを失うようなことはしたくはない。
「――――アーチャー、貴女は」
下方に視線をやったまま瞳を閉じ、思考に沈んでいた俺の耳に、声が聞こえてきた。
目を開ける。ゆっくりとその方向に顔を向けると、セイバーがこちらに顔を向けていた。
セイバーが話しかけてきたのか。考え込んでいたから、セイバーが話しかけたのだと気づくのに少し時間がかかった。
セイバーはこちらを見ることなく、言いにくいのか口を開いてはまた閉じる。実直で、物事をはっきりさせる彼女にしてはあまりに珍しい。そんな態度を取ってまで、セイバーはいったい何を俺に話そうとしているのか? 現時点で思い至るものは――――いくつもない。
俺もいつからか寄りかかっていた壁から体を離して、セイバーに向き合う。壁に背を預けたまま聞いていい話じゃない、そう感じた。
俺と正対したことで、セイバーも意を決して俺と向き合った。おそらくだけれど、セイバーに敵意はない。だが何故か俺を射抜くように見たまま。睨み合う様な形で、俺はセイバーの言葉を待つ。
「――――貴女は、本当にアルトリア・ペンドラゴン、なのですか?」
その一言。がつん、と頭をハンマーで殴られたような衝撃。目の前が、思考が、真っ白になる。
いや、今、セイバーは、なんて……? そんな、俺がセイバーじゃないとこんなにも早く確信している?
……外見。瞳の色や、服の色は違う。同一人物とは言えない、これだけでも決定的といえる違いだけど、アーチャーとして喚び出されているという大き過ぎる差異がある為に、それが原因だと言うだけの判断材料がない以上は無視していい筈だ。
戦闘能力には不安しかないけれど、剣を合わせたのは最初の一合だけ。細かい動作だって完全とはいえない。だけど、それを見せるような機会自体がそうなかった。
そして俺には、セイバーとしておかしな行動を取ったつもりがなかった。本来なら一番怪しい口調も、令呪で縛られていてセイバーのものだ。
何を、失敗したのだろうか?
わからない。どこだ、俺は何を見落とした?
頭の中を疑問が駆け巡る。考えても考えても、わからない。まだ会って数時間、その間だって極力話はせずに押し黙ったままだったというのに。
「貴女は、この私の延長線上にいるアーサー王なのですか……?」
「セイバー。あなたは、何を――――?」
俺の言葉にも、セイバーは止まらない。
「貴女の真名は、アーサー王であると言う。けれど、違う。きっと根本的な違いが、私とあなたの間にはある筈だ。そう、この私とは違う。貴女は、今もアーサー王として聖杯を求める私とは、違う」
「――――な」
言葉を発せない。セイバーの言葉を受けて、ただ竦んでいることしか出来ない。
「アーチャー。いえ、アルトリア。貴女はブリテンを――――。……いや、すまない。これは私が為すこと。問いかけるものではなかった。どうか、忘れてほしい」
セイバー酷く真剣に、だが結局最後まで問い掛けることはなかった。
自分の発言の非を詫びてまた先のように視線を、体の向きを戻した。続く言葉はない。
「…………」
気づかれてしまったのか。いや、それならば追求を途中で止める理由にはならない。
けれど間違いなくセイバーは俺の違いに気づいている。俺が己とは違う存在だということを理解していた。
セイバーにはそう遠くないうちに、気づかれてしまうだろうとは予測していた。
――そう、いずれはボロが出てくるだろうとは思っていたけど、それがこんなにも早いものだとは思っていなかった。
再び静寂が辺りを包んでいく。俺は、顔を真正面に向けて目を瞑る。セイバーは、これ以上言葉を紡ぐ様子はない。
――――俺は結局黙ったまま、何も答えることができなかった。
さっきまで考えていたこれからの展望についてなんて、頭の中から完全に消え去っていた。
セイバーとの邂逅から三時間も経たないというのに、俺は自分の今までの行動やこれからの不安に塗りつぶされていた。
セイバーと俺は壁を背に、黙ったままマスターが帰ってくるのを待っていた。
軋んだ音を立てながら凛と士郎が協会の扉から出てくると、先の話から微動だにしなかったセイバーが士郎に歩み寄っていく。
「シロウ、話は終わったのですか?」
「ああ、聞いてきた。全部まとめて、イヤっていうほどに」
顔を強張らせていた士郎だったが、セイバーが近寄ってくるのを見てほっとしたように笑みを浮かべた。
「それでは――――」
「ああ。聖杯戦争に、参加する。セイバーの力を借りることになる。これからよろしく頼む」
「任せてください。――私は貴方の剣。貴方に勝利をもたらしましょう」
それを聞いた士郎が、おもむろに右手をセイバーに差し出した。セイバーは無表情にその手を見つめている。
「これからよろしく、てことで握手したいんだけど、駄目だったか?」
「あ、はい。よろしくお願いします。シロウ」
驚いた様子でそれに応じるセイバー。手を握り合う二人。
「アーチャー? どうしたのよ、貴女」
「いえ」
俺は二人を眺めたまま、立ち尽くしていた。凛は、入り口の近くで動かない俺を不審に思ったか側へと歩いてくる。
いけない。いつまでも引き摺っていたら、また疑いを持たれてしまうかもしれない。
「それにしてもあの二人、何ていうか、見ていられないわね」
「と、いうと?」
気を取り直して、凛に訊き返す。仲も良さそうで、これといって見苦しいようなものでもないと思うのだけど。
「別に。深い意味はないわ。そう感じただけよ」
教会の門から行きと同じように並んで出て行く。坂を下っている辺りで、凛が士郎に向かって口を開いた。
「そうそう。衛宮くん、今日は見逃してあげるけど、明日から覚悟してなさい」
「ん? 覚悟って、俺がなんの覚悟をしなきゃならないっていうんだ?」
「なんのって……貴方、ちゃんと話聞いてたの? 何の為に監督役にまで会わせたと思ってるのよ。私や、他のマスターと戦う覚悟よ。つまりは、明日から私と貴方は敵同士になるってわかってるのかってこと」
士郎ははじめ「へ?」と口を阿呆みたいに開いた後、思い当たったのか眉根を寄せたなんともいえない表情を作る。
「ああ、そっか。そういうことになるんだよな。でも、俺は遠坂と闘う気はさらさらないぞ」
「どちらにせよ最後の一人になるまで闘わなきゃいけないんだから、そんな悠長なこと言ってられないわよ。ま、教会に連れて行ったところで貴方と私は条件的には対等。これで私も気後れなく闘えるわ」
「……」
士郎が足を止めて黙り込んでしまったので、俺たちも士郎に倣って立ち止まることになる。何か考えてるのか、視線をはるか上に向けて唸っている。
「何? どうかした?」
「いや、遠坂って優しいんだなってさ。俺、お前みたいなやつ好きだ」
「なっ!」
凛が顔を上気させて黙り込んでしまった。セイバーは士郎を無表情で見つめている。
俺はというと顔を染め、俯いて口元を手で覆っていた。いつか自分も発言したこととはいえ、傍から聞くと何やら無性に恥ずかしい。
「ねぇ、お話は終わった?」
俺は考えるよりも早く、凛と声の主の間に立ちはだかっていた。横を見るとセイバーも同じく士郎の前に立ち、咄嗟に対応できるよう構えている。
声は坂の上から聞こえてきた。それは高く、幼さの残る声。
「何者だっ!」
セイバーが声を張り上げる。
坂を見上げるとそこにはやはり、褐色の巨人バーサーカー。巨人の肩の上の少女の銀髪が月明かりに照らされて輝いている。
威圧されている。バーサーカーは立っているだけだというのに。その巨体の所為で4人で横並びに通った道がひどく狭く見えた。
「こんばんは、お兄ちゃん」
バーサーカーの肩から降りたイリヤは、裾を摘んで会釈をした。この場に不釣合いな言葉。バーサーカーの息苦しいまでの重圧にそぐわない、邪気のない声。
「その黄色いのがお兄ちゃんのサーヴァントね」
イリヤはセイバーを見やり、士郎に問いかける。そして目線を動かし、凛をその赤い瞳で射抜いた。
「はじめまして。私の名前はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」
「アインツベルン――――」
「ええ、そうよ。トオサカの当代さん」
凛の体が微かに揺れる。
遠坂からこんな話を聞いた覚えがある。アインツベルン、マキリ、遠坂――――。それぞれの家の遠祖がこの聖杯戦争を作り出したのだと。ならば、遠坂がアインツベルンに思い当たるのも、イリヤが遠坂の名を知っていたのも当然なのだろう。
「それじゃあ、挨拶も終わり。殺しちゃえ! バーサーカー!」
「■■■■■■■■ーーーーーー!!」
バーサーカーの雄叫びが、大気を振るわせる。その声量も相まって威圧は凄まじい。
だがアレと相対するのは初めてではない。どうやら、体が萎縮することはなかった。
「……セイバー。単独でアレを相手取るのは難しい」
「ええ。アーチャー、この場に限っては一時協力体制を敷きましょう」
咆哮するバーサーカーに威圧されてばかりもいられない。視界から姿を外さないまま隣のセイバーに呼びかける。その存在感からサーヴァントの中でも桁違いの力を感じ取ったのか、セイバーも二対一の提案を受け入れた。
セイバーが雨合羽を脱ぎ捨てる。それと同時に、俺は戦闘武装を終わらせた。
――月の光を反射する青銀の鎧。その手には不可視の剣。鎧に印された蒼い紋様、紅い紋様。エメラルドの瞳とダークブラウンの瞳。身に纏う衣服の青と赤。それら色の違いを除けば、鏡に映したような二騎が揃う。
セイバーとアーチャーである俺は、同じ構えでバーサーカーに対峙する。
「二人とも、同じ英霊がサーヴァントなの!?」
イリヤの驚きの声が闇夜に響く。マスターである凛も士郎も、俺たちの息が合ったというには余りに揃った動きに言葉を発せずにいた。
「■■■■■ーーーー!!」
驚愕し動きを止めたマスターらに構わず、バーサーカーがその手の巨大な斧剣を俺たちに向かって振り下ろす。
うなりを上げて迫る岩の斧剣。速度と大きさが相俟って、まるで巨大な鉄塊が降ってきているようだ。
その一撃を、セイバーと俺は左右に散開して避けにかかる。
直後腹に響くような破壊音が轟き、アスファルトの地面に大きな振動が走る。着弾した地点を見れば罅割れ、大きく陥没している。
その威力、一撃でも貰ってしまえば致命傷。運良くそうはならなくても決定打になるのは明白だ。
だがそんな豪腕を相手にして、セイバーには怖気の欠片も見られない。斧剣を振り下ろした状態のバーサーカーに、セイバーが弾丸のような速度で一直線に切り込んだ。
俺ではまだ、セイバーと同じ様には立ち回れない。バーサーカーの攻撃にどれだけ対応出来るかも未知数だ。様子見を兼ねて撹乱に回る。大きく円を描くようにセイバーの横を走り抜けていく。
……前回は遮蔽物無しでバーサーカーにとって有利な場所だった。そのためにセイバーは苦戦を強いられることになったのだ。
ならば今回は自分たちに有利な場所で、バーサーカーを叩く。いくら二人掛かりといってもバーサーカー相手であれば遠慮の一切は必要ないだろう。セイバーも同じ考えに辿りついたか、打ち合わせることもなく二人揃った動きを見せてバーサーカーを翻弄しにかかる。
俺は攻撃を大きくかわしながら、セイバーはバーサーカーの一撃に押されるように見せて場所を移動していく。バーサーカーはまんまと俺たち二人の動きに誘導され、その後を猛追して来る。
戦場に選んだ其処までは、いくらというほどの距離もない。
背後を振り返るとバーサーカーの遥か後方に、凛と士郎が坂を駆け上っているのが見えた。