至帝戦記グロリアスチャージ2(KOTY次点受賞SLG) 作:河畑濤士
◇◆◇
次回更新は1週間以内を予定しております。
◇◆◇
(このままでは連合は瓦解するな)
鈍色の長衣を纏うグレイヘンガウス低東地方伯は、目の前の現実からわずかな時間、逃避するために頭上を見上げた。そこには東方一とも呼ばれる壮麗な装飾。木製ではなく真鍮製のシャンデリア、その向こう側に見える天井画は『覚醒』。雪を融かす春の妖精たちと、冬眠を終えた動物たちが、生き生きと描かれている。
ここは皇室の財産にして、エネルト聖白城塞伯が管理する聖白城塞。
「……」
その大広間で集結した独立派諸侯たちはいま、押し黙っていた。
吹けば飛ぶ、そのはずだった。グレイヘンガウス低東地方伯でさえ「つまらない存在」と評していたヤナ・ジシャガミ極東城塞伯とその一党に、彼らは連敗している。
マントイフェル貴石奉献伯の敗死と同領内の内紛発生。
続けてシュトゥブニック東方宿星伯が抱えていた人外部隊の壊滅。
その後も威力偵察を目的としてグレイヘンガウス低東地方伯らは、何度か部隊を最前線に差し向けていたが、そのたびに大規模攻撃魔術を操る敵将――ウスマン・バレロに撃退されており、逆に敵の警戒陣地の構築を許してしまう有様だった。
小競り合いをやったことの収穫といえば、どうやら極東城塞伯北辺の守りにウスマン・バレロが張りついている、ということと、現在はルイト・トマシノが最前線にはいない、ということくらいである。
「やはり全面攻撃しかないでしょう」
紳士然とした枯枝のような男――シュトゥブニック東方宿星伯が、口を開いた。
夜空をそのまま閉じこめたような漆黒のジャケットを着こなす彼は、椅子に腰かけたままに
「時間がありません」
そう言う彼の口調には、どこか場違いな愉悦が、わずかに混じっている。
それから数人の貴族たちが重苦しく首を縦に振るのを見て、グレイヘンガウス低東地方伯は内心で溜息をついた。
まずシュトゥブニック東方宿星伯についてだ。
シュトゥブニックの一族は、東方世界における名家と言っていい。帝国の長い歴史において多数の宮廷魔術師を輩出してきた。にもかかわらず代々の当主が帝都に身を置かなかったのは、何かと人の目がある帝都では魔術の探究を続けるうえで都合が悪かったからである。
要はシュトゥブニック東方宿星伯は、魔術への興味を何事にも優先させる。
(奴が考えているのは、トマシノのことだけだろう)
“移し身”、あるいは“卑怯撃ち”のトマシノ。
魔術の素養がなく、同時に興味がないグレイヘンガウス低東地方伯であっても、彼がいかにデタラメな存在か理解できる。
転移魔術を操る術者は、過去に例になかったわけではない。
しかしながらそれは“個人レベル”での使用であり、複数名を動かすような戦術級の転移魔術では到底ない。
(ブラックストンといい、ガーメイカーといい。奴はコレクターでもある)
彼は希少な術者に対する所有欲がある。
グレイヘンガウス低東地方伯は、当然ながら生きている馬を愛する。斃死した馬については悼み、そして個体によっては感謝を捧げるだろうが、決して死した馬を愛することはない。
ところがシュトゥブニック東方宿星伯は、そうではない。
グレイヘンガウス低東地方伯には理解できないが、彼は術者の生死を問わないらしい。ブラックストン敗死の一報を聞いた際には、なんとか彼の頭部だけでも回収できないか、と左右に問うたともっぱらの噂であった。
……術師の遺体を何に使うのか、グレイヘンガウス低東地方伯は知らない。
しかしながら彼からすれば、疑念を抱かせるには十分すぎる材料だった。
(生き残ること。それよりもトマシノの捕獲、あるいは死体の入手を狙っているのではないか?)
もちろんルイト・トマシノの引き抜きについても、以前に検討されたことがある。
が、実行には移されなかった。
ガエターノ・ブルネーロ東方宮中伯に100倍の禄を提示されたにもかかわらず、それを断ったという話もあったし、そもそもヤナ・ジシャガミ極東城塞伯への忠誠心が乏しければ、先代のブルネーロ東方宮中伯に脅迫、宣戦された時点で逃げ出していてもおかしくはない。
――トマシノ卿とジシャガミ卿は内縁の夫妻なのでしょうねぇ~。
などと以前、己の妻がのたまったのをグレイヘンガウス低東地方伯は思い出した。
「私も東方宿星伯閣下に賛同いたします」
隣で響いた野太い声に、グレイヘンガウス低東地方伯は思考を止めた。
地味な男――紫紺の制服を着たホンヴェン臨海囚獄伯は、日焼けした顔についている白い目玉を左右に動かしてから、言葉を続ける。
「先日ばら撒かれたニコラエヴナの檄文は、極東城塞伯領内にも出回るでしょう。士卒の士気は崩れるに相違ありません」
次にグレイヘンガウス低東地方伯の頭を悩ませているのは、ニコラエヴナがばら撒いていった檄文の存在だ。
これによってニコラエヴナとジシャガミ極東城塞伯が絶交状態となり、当初から恐れていた両者共闘の可能性はなくなった。加えて檄文の内容からして、ジシャガミ極東城塞伯にとって内外の情勢は不利になっていく可能性があった――おそらくは。
ゆえにシュトゥブニック東方宿星伯をはじめとする対極東城塞伯強硬派は、余計に勢いづいてしまったのだ。
前述のとおり、グレイヘンガウス低東地方伯はジシャガミが味方になるなら良し、ならないなら放っておけばいい、という考えであったから、まさに頭が痛かった。
頭を痛めているのはグレイヘンガウス低東地方伯だけではない。
じきにニコラエヴナと再び殴り合うことになる北方の諸侯たちは、わざわざジシャガミ極東城塞伯に仕掛けて手こずるようならば、彼女らを黙殺して対ニコラエヴナ戦にリソースを割くべきだと考えている。
(雪と泥の季節が終わるとともにニコラエヴナとジシャガミに挟撃される可能性はなくなった。それでいいじゃないか――)
続く議論を聞いていると、グレイヘンガウス低東地方伯はすべてを投げ出したい気持ちに陥った。
もともと自身が熱しやすく冷めやすい性格であることは自覚している。
半生を顧みても、長く続けられているのは乗馬と、簡単には放棄できない責任がのしかかる領主という仕事だけ。南方辺境伯ルケルブの叛乱を聞いて、自存自立を保つために大同盟を成立させるところまでは情熱が続いたが、それの維持には興味が持てなかった。
結局、独立派諸侯勢力のなかでも南方に領地を持つ諸侯たちが、大部隊を興して一気呵成に極東城塞伯領を攻め潰す、という基本戦略が決まった。
「それで勝てるなら、とうの昔に勝っているっ!」
兵糧をはじめとする軍需物資が活発に動き出す最中、自領に戻ったグレイヘンガウス低東地方伯は、久方ぶりに痛飲した。
二度あることは三度ある、という。
またもや連合軍に協同させた自身の家臣と騎兵たちが、十全に力を発揮できないまま倒れていく様を思い浮かべていた。
「本当ですねぇ~」
私室でグレイヘンガウス低東地方伯の相手をするのは、彼の妻ヴェゼッタである。
彼女は没落貴族の末娘であるが、性格も外見も、薄幸とはほど遠い。美しい金髪と碧眼の持ち主にして、グレイヘンガウス低東地方伯よりも一回り大きい体躯の彼女は、夫のジョッキに酒を注ぎながら、自身もまた夫よりも早いペースで盃を乾かしていく。
「俺は失敗した」
グレイヘンガウス低東地方伯は木製のジョッキの中身を一気に飲み干し、部下の前では決して言えないことを言った。
「もとからか。俺は所詮――」
「まだ失敗はしてませんよ~。いざとなれば何もかも捨てて逃げればいいんです~」
「それはお前だから言えるんだよ。俺には無理だ、領民がいる。でももう余計な調整とか話し合いとか、そういうのは全部イヤになった。馬の世話だけしていたい。この土地と人々のことだけ考えて生きていたい。それ以外のことは投げ出したい」
「投げ出せばいいんですよ~」
「寝る。起きたら、本当にそうなっていたらいいのに……」
そう言って酔い潰れて失神同然に眠りに落ちたグレイヘンガウス低東地方伯を、彼女は微笑んだまま抱き上げて、寝室に運んだ。
投げ出したい。
それは一瞬の弱気、気の迷いから出た言葉に相違ない。
だがしかし、心の底からの本心でもあった。
それを彼女は理解している。
「あなたが望むならぁ――」
ヴェゼッタは自室に戻るなり、従者に手伝わせて自分の体型に合わせたプレートアーマーに着替え、壁にかけた金棒を手にとった。
この間、微笑は絶やさない。
そのまま彼女は廊下をずんずんと突き進み、途中ですれ違った士卒や武将を次々に率い――城内に待機している他陣営の客将や伝令たちをすべて捕縛してしまった。
「わたしはなんでもいたします~」
◇◆◇
「じゅ、従属したい?」
俺は唖然とした。