ランダマおばちゃんに連れられてやって来たのは、親の顔よりは見たことがない奴隷市場である。今日もあちこちで首輪の掛けられた老若男女があちこちで売り捌かれていた。
まあ、取り立てて語ることもない日常の風景である。商人らは気前よく「受験はどうだったよジョット坊ちゃん!」と声を掛け、俺は「楽勝だったよ」と返した。
「ヒューッ!」と囃し立てるような疑うような口笛を背後にして、俺はおばちゃんの荷物である毛布を運びながら、彼女の経営する商館に入った。
「どこ置いときゃいいですー?」
「そこ置いといて良いよ!」
「そこってどこですかい」
「そこはそこだよ!」
だからどこなんだよ。と思いつつ、まあそこってんならそこだろうと、狭い商館の片隅に放り投げようとして、
「……あ、あの、じゃあ私が預かりますね」
と、そんな声を掛けられた。
少女の声である。粗布を受け取った腕は白く細い。「わ、ぷ」と思った以上の重さだったのか、足下は揺らめいて、布はどさどさと床に落とされた。
その時にようやく姿を見た。貧相な農民の格好をした少女は、しかし世にも稀なる美を宿していた。
肩まで伸び、くすんだ金髪と、おろおろと慌てふためいて布を見渡す、伏せ目がちな黄金の瞳。
「あ、ごめんなさ……あ。え、ええっと。えへ、えへへ……」
少女は俺の視線に気が付き、上目遣いに半笑いを浮かべる。誤魔化しの苦笑。紅潮する頬。その白い首、顎。容易く手折れそうな手首が、農民服の袖口に見えている。
悍ましい程に美しいという形容を、俺は生まれて初めて抱いた。
「あーもう何やってんだい!」
「あっ、ランダマさん……。これは、その、私が毛布を受け取ろうとして、転んでしまって、それで……」
「別に事情を聞いているんじゃないよ。まったく、そんなんで本当に家政婦を務められると思ってんのかい! 世話が焼けるねえ……」
おっと。音を聞きつけてランダマおばちゃんがやって来た。そこでちょっと人心地が付く。
ううん、改めて見ても素晴らしい美少女である。歳は俺と同じ程か、やや下って所か。
「おばさん、この子も売り物です? それにしては最上級の品じゃないですか。こんな所よりお貴族様御用達の店で扱うべきでは? そこでも中々居ないでしょう、このレベルのは」
「う、売り物……まあそうですけど……」
「こんな所ってのも中々失礼な言葉だね! 事実だけどさ!」
言って、ランダマおばちゃんは少女を指し示し、「紹介しよう、ノアだ。ほら、挨拶しな」と少女の肩を叩いた。それに思い出したように少女は礼をした。
「まあ、掘り出し物ってやつかね。港に仕入れに行った帰り道でさ、とぼとぼ一人で歩いてたんだよ。どうしたんだいって言ったら、『村が魔物に襲われて滅んだ』と来た。よくある話だが、可哀想なことだね」
「あっ、は、はい……それで、奴隷商人さんって聞いたときはびっくりして、逃げようかとも思ったんですけど、行く当てもありませんし、付いてきました……帝都に着いたのも昨日のことでして……」
ふうん。まあ本当に良くある話である。それにしては中々お目にかかれないくらいの美少女だが。それ程の面の良さである。俺が思わず見入ってしまったほどだ。
「てえ事は、まだ入荷の段階で販売の段階ではないんですね」
「まあね。だけど見ただろう? そそっかしくてすぐ顔真っ赤にして、これじゃ売れるモンも売れないよ。しっかり教育してから飛びっ切りの上客に引き渡さなきゃね!」
「このままでも売りには出せるでしょう。そっちの方が良いって客もいるかもしれませんよ?」
「売りには出せるけど、ウチは先祖代々、立派な家政婦を送り出すことをモットーにしていてね。こんなのを右から左へ流したら、ウチの評判に傷が付いちまうよ!」
「ど、奴隷商人さんも評判を気になされるんですか……?」
「ほら、これときた! 思ってることをすぐ口に出さない!」
「は、はいい……!」
少女ノアは泣きそうになりながら直立不動の姿勢を取った。しかしまあ、悪運が強いというか、この顔その来歴でよくもランダマおばさんに拾われたものである。
普通の奴隷商人だったら右から左へ売り飛ばすであろうし、山賊だったらご自宅の洞窟にお持ち帰られるだろう。
お値段としては……普通の家政婦奴隷が約金貨3枚の所、ランダマおばちゃんはブランドを付けているので平均価格金貨8枚で販売している。それでも売れるのだから企業努力とブランド力が凄いな。
そしてノアの場合、美少女補正で加算されるとすると、まあ金貨15枚から20枚が妥当、かなぁ……?
いや、目を奪われた分、俺が勝手に補正をかけているのかもしれん。労働にも使えない、教育も何もない、あくまで趣味嗜好のための品と考えると、日本円にして2000万ってのはかなりの高額だ。
この少女は何か特別な肩書きがあるわけでもない。別に亡国のお姫様や魔族の貴族娘って訳でもなく、所作は完全に田舎者のそれである。訛ってないのが不思議なくらいだ。とするともうちっとは安く……。
……というか、何故俺はこんな真面目に値段について考えているんだ。確かに金があったら変態貴族に買われる前にお救いするのも吝かではないが、今は金がないし余裕もない。
これから学院に入学するのに、そんな可愛いだけの奴隷を買っちゃってどうするのって話である。やめだやめ。正直惜しいが、その幸福を心からお祈りするに留めておこう。
「まあ、これも何かの縁。自己紹介しておこう。俺はジョット。ジョット・ブレイク。商人の三男だ。ここへは良く来る」
「は、はあ……貴族様ではなく、商人さんでしたか……。そ、それにしては、その、高貴な……えへへ……お顔を……えへへ……!」
「おっ! お世辞を言えるようになったとは偉いよ! アンタもここでの生活に慣れようとしているんだね。アタシは感心したよ!」
「お世辞て」
「い、いえ、お世辞とかではなく……。そのう……ジョットさんは、良く来られるとの事ですが、ランダマさんからもよく、お買いに?」
少女ノアは上目遣いにこちらを見、ぽつぽつと言った。成程、これでは売り物にはならん。誤魔化しの笑みが多すぎるぞ。
「いや、俺は奴隷を買ったことは一度もないよ。二年ほど前から通っているけどね」
「えっ……? な、なんのためでしょうか?」
「ジョット坊ちゃんはねぇ、そりゃあもう奇特な奇特な、いっそ変と言っちゃいそうになるほどの変人でねえ」
「実質言ってますよランダマおばさん……」
「あらやだ! まあとにかくね、なんでも『冒険者として働かせる』ために奴隷を買おうってんだよ。だから戦えるような奴隷を求めてるんだ。この年から金儲けのことを考えているとは、まあ立派な坊ちゃんだわ!」
それは褒めているのだろうか。口振りと価値観的にたぶん褒めているのだろう。この人は変な誇りと金儲け主義が価値観の一位に同居している変な人である。
だが、そんな誇りがあるからこそ、俺の求めるものはこの店にはない。ノアは惜しいけど。いや本当に惜しいけど。そう思ってそろそろ別れでも告げるかと思って、
「た……戦える、奴隷、ですか」
ふと、ノアが変な表情を浮かべていた。何かを言い出しそうになって、それを押し留めているような、そんな奇妙な表情である。
と、そこでランダマおばさんが、何かを思い出した風に「そういえば」とノアの方を見やった。
「そう言えばアンタ、拾うときに変なことを言っていたねえ。何でも、『村を襲ってきた魔物を、一人で倒した』とか、何とか……」
「へえ、そんな事が? その割には華奢な体格というか、剣も振ったことのなさそうな身体ですが」
「だねえ。きっと錯乱しちまってるのさ。それを言ったときもすぐに『あっ、冗談です!』とか言ったしね。……可哀想に。だからこそ、そこも含めてきっちりと教育してやらないとねえ!」
「まあ、そういう話ならもう少し聞いてみたいものですがね。どうだい? 君がどんな風に……」
言いかけて、止めた。ノアが青ざめた顔を浮かべていたためである。
「いや……へへ……そんなわけが、ないでしょう。私が、あれを殺せたのは、弱ってたから。だから、私は化け物なんかじゃない……私は人間で……化け物じゃ……」
……成程、流石にランダマさんの見る目は確かだ。これでは売りに出せない。明らかに錯乱している状態だ。
彼女はぶつぶつと独りごちながら、金色の髪を掻き乱し、胡乱な目を右往左往させている。頬に当てた手は真っ白で、震えている。
「悪かったね。聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいだ。ノア、君は悪くないよ。君が生き延びたことは、残酷な言い方をすれば単なる偶然で、だからこそ気に病む必要も……」
「違う。違うんですよジョットさん。私はね、違うんです」
「……な、なにが?」
冷たい声で鋭く返されたことに内心ビビりまくりながら、俺は声を返した。
しかしノアの様子は異常である。目を見開き、苦しげに薄め、吐きそうになりながら額に汗をかいている。
「私は、嘘を、吐きました。本当は……村なんて……滅んでないんです。私は追放されたんです……人間じゃない、化け物だって……」
「何を……」
「昔からそうで……魔物が来るのも私のせいだって……! こんな力があるからって……!」
「────っ」
何か。
何かがおかしい。
「……ごめんね、ジョット坊ちゃん。まあ気分の良くない物を見せちまった。悪いけど、錯乱しちまっているようだ。だから今日は、これでもう……」
「待って下さい」
俺は殆ど反射的に言った。何もかもが耳に入らなかった。俺は目の前の少女に目を奪われていた。
何せ、違った。
だから、確認するまでもなく、いいや、やはり確認として"眼"を開き、ああ、ああ──!
「私が、こんな力を持っちゃったから……誰からも嫌われて……化け物だって……! 私だってこんな力……なくなってしまえば良いって……!」
──輝きは銀河のそれである!
「君! 君ね、君! ノア! ああ、ノア!」
「ぅえっ!? え、は、はい……」
「俺は君に出会えた幸運を一生忘れる事はないだろう!」
「はっ、え、はい……?」
ノアはポカンとした顔を浮かべている。その顔を両側から思い切り掴んで「むぎゅうっ!?」俺は事態が飲み込めぬ様子の少女を見つめた。見つめた!
その黄金の瞳を、ああ! 見つめたのだ! この歓喜は、この光景を同じくして見るものにしか伝わらないだろう!
「美しい。君は美しい! 俺と君が出会ったのは運命だ! いいや必然だ! 誰が何と言おうとその通りにしてやろう!」
「えっ、いや、えへへ……じゃなくっ! な、何を……言っているのですか……」
「君の言葉が真実だとして、君を追放しやがった村の連中はとんでもない大馬鹿野郎共だと言っているんだ!」
ああ、人体の中心部たる心臓から溢れ出る魔力の美! それが加速度的に全身を巡り、淀みなく循環する様相には、力強さを超えて美を。いやさ美を超えて荘厳を!
銀河が人の形をとって歩いているのだ。太陽を超え、太陽系を超え、大宇宙の神秘そのものが目の前に顕現している!
「ちょ、ちょっとジョット坊ちゃん……! まさか、ノアを冒険者にしようってんじゃないだろうね……?」
「えっ……そ、そんな。私はもう……嫌ですよ……こんな力を使うなんて……!」
「ほら、錯乱しちまっているんだ。自分に何か力があると思っている。こういう子は良い家政婦にするのが一番良いんじゃないかい?」
「なに、何を、馬鹿な!」
俺はよろめきながら言った。こんな輝きを持っているのに、剣を取らないだと? 剰え、家政婦として一生を終えるだと?
「ふざけるなよ……! 君は、剣を取るべきだ。家政婦なんかになるべきじゃない! その力があるのだから、君には素晴らしい力が!」
「なんかて、おい」
「……っ。そ、の、力が……! い、嫌だと、そう、その……言っているん、ですがぁ……!」
ノアは語気を弱くしながらも拒絶した。だが、何を。何を! この輝きが見えないのか? ああ、そうだ。これは俺にしか見えないのだ!
既に俺の頭の中から金儲けのことなど消えていた。ああ、そうだ。金なんて物は、欲しいものを手に入れるための物であって、それそのものが重要なわけじゃない!
俺は、これが欲しい。心の底から欲しい。自堕落な平穏と、自由な安寧に同じく、俺はこれが欲しい!
心臓が激しく鳴っているのが分かる。柄にもないことを言っているのは分かっている! しかし、本物の美を目の前にして、鑑賞者は往々にして自分を忘れるものだろう。
綺麗な、本当に綺麗な、本物の才能! それが世界に埋もれていくだけなんて、誰が何と言おうと、たとえ本人が言おうと! 間違っているに決まっているだろう!
「何が嫌だ! 何が欲しい! 物か、金か!? やれる物は全てやろう。君のために、俺が持っている全てをやる! だから俺のために働け!」
「うぁ……! か、顔近……っ。で、ですが、私は災厄を呼んで……誰からも嫌われて……! きっと、貴方からも……」
「馬鹿げている! 馬鹿を言っている! 俺が、俺を楽にしてくれるものを手放すわけがないだろう!」
「え、えぇ……きゃあっ!?」
俺はノアの手を取って宙に叫んだ。踊るように熱意に溢れて叫んだ!
「想像してみろ! 君が世に出て有名になり、その活躍を新聞で読む俺! この英雄が世に現れたのは、自分のお陰だという優越感! そして入ってくる莫大な収入! 何だかんだ言ったがそれは期待している!」
「ぞ、俗ですね……。で、ですが、英雄なんて……そんな……」
「君にはその未来がある。その価値がある! 煌びやかな鎧を纏い、一国を買えるだけの剣を振り、往来を歩くだけで歓喜の声! そしてその背後でほくそ笑む俺! 英雄を見出した男という、金も地位も名誉も入ってくる立場!」
「ほ、本当に俗ですね……! で、でも……か、歓喜の声、ですか……えへへ……」
くるくると、熱情に任せた舞を狭い店内に踊りながら、俺は夢想の果てを物語っていく。ノアはおかしそうに笑って、足を運んだ。
「うわっ危ないよ坊ちゃん!」
「ひゃあっ!?」
「うげっ!?」
足が滑って転ぶ! 転倒! 頭を打ち付ける! だがそれがどうした!
床に転がって、天井を見上げて、離れた腕の先には黄金の瞳。その瞳にげらげら笑った。ああ、まったくおかしかった!
「おかしいかい? 奇妙かい? 俺だって同じなんだ。君が自分を、必要ないだとか、嫌われるだとか、そう思うことに」
「……ジョットさんは、本当に……嬉しいことばかりを、言ってくれますね。……私が、生まれてから、ずっと望んでいた言葉を」
「言い続けよう。言ってやろう。そして今、君に言ってやる」
俺は転がったままノアに腕を伸ばし、言った。
「君を必要としている奴がここに居る。良ければ手を取ってくれないか?」
ノアは呆気に取られたように口を開けて、次いで耳まで顔を真っ赤にして、うろうろと右往左往して、おばさんと目を合わせた。
ランダマさんは仕方がないように溜息を吐いた。
「まったく……変だ変だとは思っていたけどねえ、ここまで熱烈に奴隷を口説く子供がいるのかねぇ。呆れたよ」
「あ、あの……ランダマさん……その、私……」
「良いよ。腹は決まってるんだろう? 精々苦労しなよ、阿呆な亭主に付いていった事にさ」
「──はいっ!」
そう言ってノアは俺の手を取り、一息に軽々と持ち上げた。誤字ではない。腕だけでくるりと宙に回し、お姫様抱っこである。
「あ、の……! 私、頑張りますからっ! 皆からキャーキャー言われて、道行く人達に土下座させられるように頑張りますね!」
「おうその意気だノア! ところでおばちゃんこの子いくら?」
「あー……まあ色々考えてたけど、大まけにまけて、金貨10枚で良いさね。流石にタダではちょっとウチの名前が傷付くしねえ」
「よっしゃあ買った!」
「えっ……た、高いですね……そんなに……」
そうして俺は歓喜に打ち震えるままに、諸々の購入手続きをして店を出たのだった。「苦労させたら承知しないよ!」というランダマさんの声に手を振って。
ノアは繋いだ手をぎゅうっと握り締め、顔を真っ赤にして言う。
「ジョットさんと出会えたこと、きっと、運命だって、そう思うんです……。貴方が私をそう言うように、私だって、貴方が運命……」
「そう、運命さ。だからこれから始まるんだ。今までの人生なんて、全て出来の悪い序章に過ぎなかったって、そう笑ってやろうぜ」
「──っ! はいっ!」
「さあ、まずは剣だ。そして鎧だ! 君に相応しい物を見つけ出そう!」
俺達は手を取り合い、明日に向かって歩き出した。さあ、俺達の物語はこれから始まるのだ!
「……という、感動的な話があったんですねえ。はい」
語り終えた俺に対し、先生と伯爵とリインは、それぞれこう返した。
「……お前、馬鹿?」
「馬鹿かね、君は?」
「うあー! やっぱり付いていけば良かったですよ! ジョット君がこれ程まで馬鹿だったとは!」
「全く申し開きのしようもなく……」
財布の中身はすっからかん。代わりに残ったのは自活能力が全く無い美少女と、調子に乗って有り金を叩いちゃった分の剣と鎧だけである。
なにこれ。俺ってこんな馬鹿だったの?