冒険をこなした翌日に待っていたのは筋肉痛だった。しかも憤懣やるかたない事に、俺は休む暇も無く仕事に追われていた。
ノアが討伐した魔物から採集した素材と魔石の買い取りを行い、返す刀で宿屋へ戻り、ノアの分の宿泊代を向こう一ヶ月分支払い、リインとこれからの事を話し合う必要があったためである。
金等級の冒険者が拠点として使っている事もあり、設備やサービスは非常に良い。銭湯まで付いている。その分割高だが、下手な安宿に泊まってトラブルに巻き込まれたら堪ったものではない。
「ジョット君は本当にお優しいですね? 君はもっと吝嗇家かと思っていたのですが。あのハゲのように」
「俺は金の卵を産むガチョウを使い潰す馬鹿ではないですよ。加えて言えば、俺は金の卵それ自体には余り頓着していません」
「ふん? 不思議な文句ですね。金は金でしょう?」
「ガチョウが一生に産む金の総量よりも、金の卵を産むガチョウそのものの方がよっぽど貴重で自慢できるじゃないですか、ということです」
と言っても、それはあくまでガチョウが金の卵を産み続ける限りであるが。まあそうならないように手間暇は掛けていこうという話である。
……いや、おかしいな。最初は放置して楽に稼ごうという話だったのだが。ノアの存在が貴重すぎて話が逆転してしまっているぞ。金の卵よりも餌代の方が高く付くのもそれはそれでよろしくない。
ま、まあ、貴重は貴重だ。得がたい宝物を手に入れる事が出来たと思えば……それに、これからだよこれから! こっから毎日放っておいても勝手に餌を見つけて食ってくれるって!
「ぎゃは! 苦労し続けるのが目に見えているようですね! まあ、借金が嵩む分には私の文句はありませんがね」
「普通は逆じゃないですかねそれ」
「だってジョット君は放っておいたら離れていきそうなんですもん」
「そうでしょう?」とリインは算盤を弾きながら言う。日々の宿泊代と生活費を計算して、書類に書き付けているようである。
そしてリインは「では前借り分はこの程度で」とキッチリ書類を提出してきた。流石に金勘定に関してはしっかりしている。しっかりし過ぎて交渉する隙を与えてくれないほどである。
その計算から明らかになった目下の悩みの種は、武器の損耗であった。
「壊れてしまいましたからね……ノアが全力で振った剣。付与魔術は掛けていたんですが」
「出力に無駄が多すぎるんですよ。その余波が武器にまで及んでしまっているのです。ここの調整は地道にやっていくとして、代替品を使うわけには行きませんよ?」
「そりゃまたどうしてですか。どうせ壊れるんなら数打ちで良いでしょうに」
「ジョット君は冒険者心、いえ、乙女心が分かっていませんね! 愛する人からのプレゼントは何時だって妥協を許したくないものですよ! つまりは腕も心も鈍るのです」
「そういうものですかね。乙女心は関係ないと思いますが」
まあ仕方ない。断腸の思いで出費を割くとしよう。武術やら戦闘やらに関しては俺の眼では見通すことが出来ない。リインがそう言うのならそうなのだろうと、ここはプロに丸投げする。
「黙ってお金だけ出してくれるとは、ジョット君は最高の出資者ですね! まあそのお金は私のものなんですが。私の! ぎゃは!」
「一々言わないで下さいよ。分かっていますから」
「分からせてあげますよ。毎日言ってね!」
「毎日会うのか……」
と、自分で始めた事ながら少々面倒に思う。紛れもないクズ思考であった。
一方で、差し出された書類の内に、『これからの育成計画』と達筆で書かれたものがあるのを発見した。どうでも良いけど意外と字上手いな。
「暫くは身体作りに専念……まあ、妥当でしょう。食費も嵩みますが、必要経費必要経費……。ただ、休み無しってのはダメですよ。週休五日から六日くらいは用意して貰わないと心も体も壊れますよ」
「いやそれで壊れるのはジョット君だけですし、そもそもジョット君も壊れやしないでしょう。その方が楽なだけで!」
「まあそうですが」
「肯定したことに呆れますが!」
「しかし休みなしってのは本当にダメですよ。ねえ、ノア?」
と、俺はベッドの上でふへふへ唸っているノアへ言った。「ぐぎぎ……!」と首を向けるのさえ一苦労にして、彼女は掠れた声で言う。
「い、いえっ……! 休みなんて、取っているようでは、英雄には……とおおおおいたた……!」
「ね? 彼女もこう言ってますよ?」
「言っているというか悶えているじゃないですか。ダメですよやっぱ。あと俺は自分が働くのも嫌ですが、他人が働いているのも気分が悪いんです。労働そのものが嫌いなんですよ。水と光だけで生きていけるようになれば良いのに」
「ジョット君の前世は植物だったのですか? 難儀な質をしていますね本当に」
なんかサラリーマンって存在そのものが俺を馬鹿にしているようで嫌なのだ。どうして皆、そこまでして働くのだろう? 人生を楽しむためか。そりゃそうだ。
人類が光合成を覚えたとしても、それでオペラを忘れるわけじゃなし。頭の中に劇場を建てられぬ以上、金はいくらあっても足りない。そして俺が観劇するオペラもまた、誰かにとっての労働なのである。
ううん。悲しい矛盾だ。共産主義の完成は何時か。資本主義の究極は何時か。どちらにせよ、ただ生きるだけではなく、娯楽を欲するのなら金が必要なのは世の常であった。
「で、身体作りのメニューが……マラソン。筋トレ。素振り。まあ王道ですね」
「帝都壁外を毎日ぐるっと何周かすれば、それなりに体力は付くでしょう。鎧を着ければ負荷も合わさって効果二倍です!」
「えっ……!? ひ、人に見られながら……走るんですか……?」
「おっとここに来て面倒な要素が」
ノアの呟きに、リインが掣肘するようにそう言う。しかしその視線を向けられて尚、ノアは「え、えー……いやー……そ、それはー……」と、まるで乗り気ではない。
「か、かっこ悪いと言いますか……目立ちすぎって言いますか……英雄っぽくない、と言いますかー……」
「じゃあ何ですか? お家でひょこひょこ飛び跳ねて運動しますか? それで高まるのはジャンプ力だけですよ、馬鹿者」
「え、ええー……でもー……な、なんか嫌じゃないですか? 毎日がしゃがしゃ走ってるのが、英雄だなんて……」
「面倒くせえなこいつ」
「じょ、ジョットさんっ!?」
ノアには苦労して貰うとして……というか人の目が苦手なら喝采も真正面から受け止められんだろう。別に良いじゃない。毎日がしゃがしゃ走ってる英雄。逸話を付けて饅頭でも売り出せば儲かりそうだ。
まあ、どうしても嫌だというのなら解決策がないわけでもないが。と言うかトレーニングメニューを見るに、そうした方が良いなと勘案した。
解決策とはランニングマシンである。簡単な構造のものならば魔術を使わずとも組み上げられるだろう。楽なので使うが。
加えて身体作り用の筋トレ器具も、専用のそれを作った方が効率が良いはずである。スポーツ医学には詳しくないが。多分そうだろう。たぶん。
「という感じで器具でも作ろうかと思いますが、ここってそういうの置いて良いんですかね?」
「私は上客なので問題ないでしょう。うるさくなければ。しかし本当にお優しい。そのお優しさに私があやかっても?」
「おや、リインさんも使うのなら予算を値引いてくれます?」
「考慮しましょう。どのような素材を使うのか挙げていって下さい。算盤を持ってきます」
そう言ってリインがいそいそと算盤を取り出しに行くのを見、ノアが感嘆したように言った。
「な、なんかすみません……。で、でも、凄いですねジョットさん……そんな簡単に魔道具を作れるなんて……博識なんですね……」
「いや、別に詳しい構造を知っているわけじゃないけど」
「えっ? じゃあ、どうして作れるんですか?」
「走るだけの道具なんて簡単に作れるだろ? 余裕余裕!」
「は、はあ……」
ノアは何やら不安そうに見つめているが、なに、ベルトなり何なりを用意してぐるぐる回せば良いだけのことだろ? 大丈夫だって!
──しかし、そんな予想とは裏腹に、俺は地獄を見ることになる。
「あ、あの、ジョットさん……これ全然回らないんですけど……ガタガタで……」
「あれー?」
試作品一号、失敗。魔物の皮を繋ぎ合わせて一枚にしたものに、丸太を差し入れて回す構造だったが、全く回らん。皮の上をぴょんぴょん跳ねるだけになっている。
原因は、そもそもの精度不足である。ベルトと回転軸がまるで噛み合っておらず、無理に回そうとすると全体がぶっ壊れるのであった。
「あ、あの、ジョットさん……もう大丈夫ですから……私、なんとか一人で走れるように……」
「いやいや、簡単に直せるから安心してよ。任せとけ任せとけ」
「で、では……」
仕方がないので解体し、微調整の後、回転の具合を確かめてから試作品二号の完成とする。思ったより面倒だなこの作業……。
──しかし、再び俺は地獄を見ることになる。
「あ、あの、ジョットさん……一時間も経たずに壊しちゃいました……ごめんなさい……」
「あ、あれー? またかー?」
見れば、布が擦り切れて破れている。回転する際に負荷が掛かりすぎて、と言うよりも、やはり根本的構造の欠陥に原因があった。
単純に、摩擦力が全く足りないのである。木と皮とでは緩やかな回転では一応回るものの、全力で走るとなれば空回りしてしまう。皮だけが滑って軸の方が回らないのだ。それで摩擦熱でボロボロになって破けてしまう。
「あの……ジョットさん、本当にもう大丈夫です……。ここまでして頂かなくても……」
「い、いや……これも直せるはずだから……。簡単簡単……」
「そ、そうですか? では……」
しかし、代替となる素材となるとすぐには思い付かない。ゴムを出す魔術はまだ存在しないのだ。魔術は魔力を媒介にして様々な現象を発現させるが、無から万物を生み出すわけではない。そしてその様な魔術を一から開発するという手は、莫大な時間が掛かりすぎて本末転倒である。
仕方がないのでまたリインに借金をして工業用のゴムシートを購入し(馬鹿高い)、軸の方も木から鉄製に代え(こちらは魔術で出せるのでタダ)、回転軸を何本も挟み込んでその上を滑る構造にして、今度こそ試作品三号の完成!
──だが、三度俺は地獄を見ることになる。
「あ、あの、ジョットさん……今度は一日で壊しちゃいました……ごめんなさい……」
「もう良い……もう良いだろ……」
もうなんだよ今度の原因は、と思ってみれば、今度は細かな調整に難があった。
構造は良いんだ。しかし回転軸となる鉄棒の一本一本の規格がバラバラで、回るベルトの方に若干のズレが生まれる。そのズレが回転する内に皺になり、結果として回転軸に挟まってぶっ壊れた。これが原因であった。
……ええと、つまり? これ以上の精度を目指せって事? 仕方がないのでまた解体し、一本一本の精度を見直しつつ制作する。
「あの……ジョットさん……」
「簡単だ……簡単なんだ……! じゃないとここまで掛けた時間が無駄になる……! 何時間も掛けて出来なかったじゃ俺が不憫すぎる……!」
「あ……えへへ……! では、が、頑張って下さいね……!」
しかし、これが非常に難しい。思えば魔術とは非常にアバウトというか、規格的ではないものだ。
魔術と言うからには術式として規格化されたものなのだが、それは出力されるまでの式であって、結果として出力された魔術自体には大いに個人差が現れる。
加えてその個人差も、込める魔力と術者本人の調子と状況によってバラバラであり、つまり何が言いたいのかというと、全く同じ規格の鉄棒を何十本も出せるわけがないだろという話であった。
だが、ここまで来て他に良い案など思い付かない。仕方なく、なるべく同程度の鉄棒を召喚するようにし、更に加工を加えて規格を調整し、今度こそ試作品四号の完成だ!
──やっぱり、四度目の地獄が現れた。
「あ、あの、ジョットさん……三日で破けちゃいました……」
「あっはっははははは!」
「こ、壊れて……」
今度の原因は単純明快である。ベルトの方に穴が空いている。足跡のような穴である。と言うか足跡であった。
ノアが言うに、思い切り踏み込んだ拍子に破けてしまったらしい。つまりは単純な強度不足である。ノアの全力に、素材の強度が追い付いていないのだ。
仕方がないので折角高い金を出したのだが、ベルトの方もゴムから鉄板にする。と言っても、そのままでは回らないので、鉄板を帯状に繋いだものをベルトにする。構造としては戦車の履帯に似ているだろう。
しかし今度はこれが回らない。鉄と鉄では滑るのだ。これまた仕方がないので始点と終点の軸部分を歯車構造にし、本格的に履帯の様相を見せてきたランニングマシンを試作品五号として完成だ!
──五度目の地獄はすぐに訪れた。
「あ、あの、ジョットさん……破っちゃいました……」
「お……あっはっは……ぐげえ……!」
「す、すみません……本当に……」
見れば、鉄製のベルトがぐちゃぐちゃになっている。どうも回転しなくなったのを無理に回した結果、踏み抜いたらしい。
原因は、今度も微調整の難である。
歯車とベルト部分が上手く噛み合っていない。と言うよりも、根本的に歯車が不良品であった。精度も悪いし規格化もなっていない。すぐにガタが来てへし折れていた。
ええと……つまり……鉄棒だけでも作るの面倒なのに、今度は歯車の精度まで目指せって事……? ベルトの方に上手く噛み合うようにして……?
「やってられるかそんな事! 俺は魔術師であって人間工作機械じゃないんだぞ! 魔術師と機械なんて対極に位置するものじゃねえか!」
余りの面倒くささに遂に作業を放り投げて俺は叫んだ。いくら何でもこんな事やってられるか!