その後は、先生の言とは裏腹に、随分と豪華な食事会となった。
料理の見た目も味も素晴らしく、ノアなどは始終難しい顔をして「……分かりません!」と言っていた。リインは「量が少ないので追加注文して良いですか」などと言って先生の財布に悲鳴を上げさせ、伯爵は「君の経済事情を勘案すれば、まあまあだね」と失礼なことを言って先生の反感を買っていた。
ともかく楽しかった。上等な料理は何時だって楽しく、誰かに奢られる食事は何だって美味しい。
そんな事を抜きにしても楽しかったのは、やはり面映ゆい事である。
別れの挨拶を適当にこなして、三々五々、帰路に就く。先生は嗜んだ酒のためか、上機嫌に鼻歌などを歌いながら、さざめく用水路の傍、夜の帝都を歩いていた。
先生はくるくるとステッキを振り回す。紳士と言うよりも役者の振る舞いである。というのに、どこか堂に入っていて似合っている。
俺も真似してみた。くるくると、くるくると、「下手糞だなあ」先生がケラケラと笑って茶化した。
「おー何? ジョット君も俺に憧れちゃったかな? コツは、そうさな、速く回そうとすんなよ」
「速くですか?」
「そうだ。指先だけで回すと速くて取り回しできねえからな。手ぇ全体を使うのさ」
そう言って先生は手本のように杖を回した。成程、それは一挙動に終わっていない。杖を回すと同時に手首を動かし、回る杖を受ける動作を瞬時に行えている。
くるくると楽しげに回して、回したまま片手に持ち替えて、そうしてぽおんと宙にくるくると。落ちてきた杖を受け止めて、先生は笑った。
「大道芸としちゃ中々の物だろ? これで日銭を稼いでいた頃もあったんだぜ」
「中々に聞きたくなかった過去を暴露してくれますね」
「うるせえな。今はしなくて良いから良いんだよ。……で、ほら、やってみろよ」
「嫌ですよ。壊しそうじゃないですか」
俺は杖を見て言った。「壊れねえよ。丈夫だぞ」と先生は言うが、俺としては、とてもではないが宙に舞わせたりなどは出来ない。
何せこの杖は、恐ろしいほどに緻密に組まれた魔道具である。
恐らくは先生の手による物だ。でなければ、俺の手にこれ程馴染むはずがない。
飾り気のない銀製のステッキは、一見して地味に見えながらも、その内には数多の研鑽と膨大な知識が詰め込まれている。術者の魔力を杖の内に循環させ、回転させ、純化させて高出力化を行う。
水という属性の真理に手を掛けた、流転の魔術師足るジーニス・フルンゼの魔術の結晶がここにあった。
「宮廷魔術師が仕事で使う機材レベルじゃないですかね。これ一本作るのに予算が下りそうな代物じゃないですか」
「おー、分かっちゃう? 分かっちゃう? さっすがジョット君だぁ!」
「流石なのは先生でしょう。水流の回転操作という魔術を魔力そのものにまで応用し、杖という魔道具の概念すらも打ち破らんばかりの代物です」
「おいおい褒めすぎだなジョット君!」
褒めすぎではない。通常、強力な杖という物は、往々にして宝石や魔物の爪や牙などでごてごてしているように、術者の魔力に反応して威力を底上げするような、特殊な素材が使われているのが常だ。
即ち杖とは、強力な素材を如何に齟齬なく組み合わせるかに注力するのが普通なのだ。
しかし先生の作成した杖は、それ自体に特殊な素材は殆ど使われていない。
代わって内にあるのは一種の機構だ。術者が入力した魔力を循環させ、回転させ、加圧と冷却を繰り返し、純粋なエネルギーに変換する機構。
言うなれば、これはエンジンだ。この世界に溢れる杖の殆どが、特別な素材の力にのみ注目する中、この人は先に効率的なエンジンを作り上げてしまったのだ。それも車や航空機レベルではなく、ロケットエンジンを。
開発は行われていると聞く。五歳の頃に先生と話した魔導機械の発展は、しかし今もなお実用の段階にはいっていない。その試作機械だって、汽車に乗せるにも難儀するほどには巨大だというのに。
何だ、これは。この人は時代を飛ばしている。実用の段階にすらない技術を可能にし、高度に効率化させ、小型化にまで至っている。これは最早、杖という生易しい言葉で片付けていい物ではなかった。
「これ……俺なんかが持って良いものじゃないでしょう。今すぐにでも学会に発表して、そうでなくともその道の人に見せれば、先生の名誉は高まるばかりですよ。どうして俺に? それとも既に発表を?」
「ああ? んな面倒臭い事しねえよ。名誉なんて糞食らえだ。そこが俺とジョット君との違いだな」
「だとしても……持てませんよ、これは。使い道はありませんし、盗まれやしないか気が気でない。壊れてしまったら俺は一生後悔します」
「後悔なんてすんなよ。こいつは使い倒すために作ったんだからな。そら!」
「ああっ」
先生は俺から杖を奪い取り、くるくると慣れたように回して、ぽおんと宙に投げた。
丸い月に重なって、杖がくるくると回り落ちる。先生はそれをふらふらと見つめながら、用水路に落ちそうになりながらも「おっとっと」と後ろ手で掴み取る。腰が抜けそうだった。
「エッヘッヘ! 何をビックリしているのかねジョット君! 杖なんて魔術を使うための道具じゃねえか。ムキになるなよ」
「な……りますよそりゃあ。それ程ですよ。俺よりその杖の方が価値があるくらいですよ」
「んなわけねえだろ馬鹿野郎」
そう言って先生は杖先で俺の頭を叩いた。
「魔術師より先に杖があって堪るものかよ。つーか普通にお前の方が価値あるだろ。お目々ぱっちりのジョット君?」
「それだけじゃないですか」
「それだけにならないようにこれを渡すんだよ」
「ああ」
それが言いたかったのか、この人は。
それを言うために、遅刻で誤魔化して、勢いで誤魔化して、酒で誤魔化して、夜の帝都に誤魔化したのか。
不器用な人だな。そして酷い人だった。先生は酷い裏切り者だ。
普段はあんなに楽な道を行きたいと、そう語り合ったクズ同士だというのに、肝心な時に師匠として、弟子に期待をかけるなんて。
「……そんなに格好良いことを言っても惚れてあげませんよ。俺は同性愛者でも、禿頭に劣情を抱くような変態癖も持っていないので」
「おいおいそこは尊敬してあげませんよだろぉ!? それとも尊敬しきっちゃってんのかなぁ!? いやーまいったなー!」
「そうですよ」
「お、おう……キショッ」
「おい」
言葉を返しながら乱雑に杖を奪い取る。銀を素材とした杖はよく手に馴染む。試しにくるくると回してみれば、驚くほど上手く行った。
先生は笑って見つめながら言う。
「実際な、情けない話だが、俺だけじゃそれは作れなかったのよ。構想は全部俺だけどよ、構築がな……。だから師匠に手伝って貰ったんだが、そのせいで特許が取れない」
「共同研究の弊害ですね。というか特許は取るつもりだったんですか」
「まー名誉はどうでも良いとして、金は稼げるしぃ? だからジョット君には期待しているんだぜ。何時か師匠の手を借りなくても、これの次世代型が完成できるよう、努力してくれな!」
「徹頭徹尾守銭奴ですね……というか、先生でも師匠の言いつけは守るんですね。そんなに立派な人なんですか?」
「立派は立派だが、それ以上に面倒臭いんだ。本人も、世界にもな」
「はあ……? 誰なんです? その師匠って」
先生は不思議なことを言った。腕を組んで悩むようにしながら、「ま、いっか」となにやら気楽に言い放った。
「言うと面倒だから黙っていたが、お前の師匠筋に当たるし、その杖持ってんなら知らなきゃならんだろ。聞いて後悔しろよ」
「後悔って……結局誰なんです? これで全然知らない名前だったら笑っちゃいますよ」
「アーノルド・ロナウド。三百年前に魔王を封じた大魔術師さ」
「……そ、その人は」
その人は……その……えーっと……。
えー……あー……聞いた覚えがあるような……ないような……。
「……お前、マジ? テメエが通うことになる学院の初代校長だろうが! 試験にも出てきたはずだろうが!」
先生は呆れ果てたような目で俺を見た。ああいや、そうだったそうだった! いや喉元までは出かけていたんだよ。ど忘れって奴だようん。
「あーそうでしたそうでした! で、そのアーノルド何某がどうたらこうたらで、何でしたっけ?」
「孫弟子にアーノルド何某呼ばわりされるとか師匠が不憫すぎるだろ……」
「って、三百年前の大魔術師が先生の先生って、どういうことなんですか!? まだ生きているんですか!?」
「反応が今更過ぎるだろ……」
すっかり酔いが醒めた顔で、先生は俺を見た。その視線にははっきりと『バカ』の意思が籠もっている。
「まあ、どうやって出会っただとか、どうして生きているだのは秘密としておくとして……お前の仮想目標は英雄だ。気張れよって事!」
「……それは、俺がノアを英雄にしたがっているように?」
その言葉に、先生は「ああ」と言って夜空を見た。
「どうにも、俺には分からんのさ。俺の眼には、お前の方が本物に見える。もっとも、俺には素晴らしい眼など備わっちゃいないから、それが確実かなんて分からねえがな」
「そりゃあそうでしょうが」
「だが、期待はしている」
先生は俺を見つめ、言った。
「お前がノアの嬢ちゃんに歴史を持ち出すのなら、俺だって歴史を持ち出してやろう。そうして叩き付けてやるのさ。これがお前の敵であり、舞台だってな」
そう言って、先生は笑った。誤魔化すように笑ってステッキを回した。
「あー下らなくなっちまった。柄にもなく格好付けてよぉ……」
「格好付けたつもりだったんですね、先生。酔いも醒めてしまいましたか」
「あーうるさいうるさい。黙れ黙れ」
「帰ったら飲み直そ……」と呟いている先生を他所に、俺は何だか嬉しくなって、くるくるとステッキを回してみた。
何だか先生に期待を掛けられていることが、面倒とかではなく、素直に嬉しくて。
だから先生のように、この杖を高く空へと飛ばしたのだ。
「先生!」
「ん」
先程先生が投げたよりも、高く、高くに杖は回る。
それを見て先生は笑った。俺もまた、笑った。
遠く、果てなき夜空に、これからを見つめるようにして。
……そして、杖はくるくると回り回って、ぽちゃんと用水路へ落ちたのである。
「おまっ、バカああああああッ!!! 使い潰せとは言ったがなくせとは言ってねえぞボケェ!」
「うわあああああすみませんすみません!!! どこ行ったどこ行きました!?」
「今すぐ川の中入って探すぞ! うわクッサ! ドブ臭! 衛生管理サボってんじゃねえぞ民間魔術師共!」
沈んだ杖を探し、俺と先生は冬の川に飛び込んだ。寒いし臭いし最悪である。
そして見つからない。マジでどこ行った。
「テメエこれで見つからなかったらテメエの目玉抉りだして杖作るからな……!」
「俺の目玉だけ取り出しても意味ないでしょう!? あっ、そうだ目玉だキエエエエッ!」
「なんだその掛け声!?」
「何か出てきました! そして出てきました!」
瞳を開いて脳裏に残っている構造を探せば、それはあった。川底に突き刺さった杖を回収し、「寒い寒い!」と言いながら俺達は川から上がる。
ガチガチと全身を震えさせながら「火ぃ起こせ火ィ!」と先生は叫ぶ。俺もそれに応えて「うおお基本火魔術!」と叫んだ。
しかし、直ちに先生は目を見開いて叫んだ。
「バカッ不用意にそっちの杖で使ってんじゃ……!」
「あっ」
……川の近くだったのは幸運だった。翌日の帝都新聞の隅に、『深夜、謎の火柱』と書かれるだけで済んだのだから。