魔石を引っこ抜いたことにより、ゆっくりとダンジョンの神経を解析できた。今度は余計な刺激も無く一階層への道を開く。そして振り返って思うのは、ドラゴンの死体のことである。
「ドラゴンの死体は高値で売れますからね。これも持ち帰りましょう」
「全身がみじん切りにされてグチャグチャですがね? これは龍の形をしているだけのミンチですよ。おまけに余計な砂粒まで付いて処理するのが大変そうです」
「腐った肉なんて売り物になりませんよ……? 焼いても食べられなさそうですし……」
「別に食うだけが使い道じゃない。腐ってもドラゴンだ。魔術の触媒や薬品の素材にはなる」
というわけで、辺りの砂粒ごと纏めて風魔術で浮かせて持ち帰ってしまおう。これほどの大質量を運ぶのは骨が折れるので、数回に分けての輸送にはなるが。
一旦、道を開いた先に顔を出し、周囲の安全に気を配った後、俺は杖を振って輸送を開始した。細切れになったミンチ肉がどんどん洞窟に積み重なっていく。
ここまでくればグロもクソもない。とっくの昔に龍の形は失われ、巨大なハンバーグのたねである。
しかし、ここからが辛い。肉になったとは言えドラゴンそのものを一度に運ぶのは辛いものがある。と言うか無理だ。仕方がないのでリインに外から応援を呼んで貰って、粗方をギルドに運び込んだ。
謎のミンチ肉をふよふよ浮かせながら運ぶ俺達を、周囲は胡乱なものを見る目で見ていたが、対応してくれたギルドの職員さんはにこやかなものであった。この辺りはリインの名前よりも、見えやすい成果としての魔石が効いたと言えるだろう。
「しかし、思ったより大事になりましたね……」
と、ノアはバタバタと忙しそうに駆けるギルド職員達を見ながら呟いた。上から下までの大騒ぎ、と言うほどではないが、それでも他の冒険者に対する買い取りの人員を割いての大仕事である。ノアはずっと辺りをきょろきょろと見回し、革張りのソファに居心地が悪そうに座っていた。
俺達が通されたのは通常の買い取り窓口ではなく、ギルドの奥であった。高い買い物をするには高い場所が必要なのだろう。応接間と思しき部屋は高価な調度品で飾られている。
その中でリインはずっと算盤をバチバチ弾いていた。「ふうん」と呟いてにやりと笑い、「どうします?」と俺に言う。
「一生を遊んで暮らせるだけのお金が手に入っちゃいましたが。ジョット君の人生はこれでゲームエンドですか?」
「ゲームクリアではありますね。この金を元手に株なり土地なりに手を出せば、上手いこと人生を謳歌できるでしょう。その点で言えばノアを買った目的はもう果たせたと言えるでしょうね。ノア様々です」
「あっ、はい! ありがとうございます!」
ノアは未だに大金を手にした現実感がないようで、これから積まれるであろう金貨の山よりも俺の言葉に微笑んでいる。頭を寄せてくる。撫でてやればもっと嬉しがる。犬みたいで可愛いね。
しかし、本当に幸運だった。何が幸運かと言えば、少ない人数で、ドラゴンの全てを換金できたのが幸運だった。
一般にドラゴン退治は多人数で行われる。いくらドラゴンが生きた金貨袋だとしても、大抵の人間は一人での討伐なんて夢のまた夢だ。故に大人数で、時には国軍と見紛うばかりの規模で事に当たるのだが、それでは利益が分散してしまう。
加えて、ドラゴンは基本的に人里離れた僻地に生息している。仮に討伐したとしても持ち帰るのが大変だ。輸送するための人員は、討伐に当たる人員より多い。そこでも金が使われていく。金を手にするために金が浪費されていく。
リインのような個人でドラゴンを殺せるような異常者ならば、持ち帰ることの出来る素材の数に制限があろうとも莫大な利益を手にするだろうが、そこまで行ってしまえば金など向こうの方から寄ってくるだろう。半ば趣味でドラゴンを殺しているようなものだ。
しかし、今回は楽だった。相手にしたのはドラゴンではなくその死体である。リインも実に余裕そうであり、事実大した強さではなかった。加えて距離の問題は魔術によって解決され、少ない労力で莫大な利益、億万長者の完成である。
「では、このまま楽隠居を決め込みますか? 貴方の望む人生の終わりがこれからやって来る。私は芸術というものを解しませんが、それに囲まれて暮らすのでしょう」
「悪くないですね。いや、良い。最高の生活だ。ノアもそう思うだろう?」
「えっ、あっ、はい! ……いや、え? 本当に、そんな大金が入ってくるんですか? え、本当ですか?」
ノアは段々と現実が飲み込めてきたようで、戸惑ったような顔を浮かべ「えっ、ちょ」と言いかけた。言いかけて、その時に誰かが部屋に入って来た。
「どうも」と無表情に言ったのは背の高い老人である。彼がここフルールの冒険者ギルド長だろう。長話をする気もお世辞を言うつもりも無いようで、彼は第一に書類を俺達に渡してきた。
「お客様がお望みであれば、全てを買い取らせて頂きましょう。無論、解体と処理の費用は差し引かせて頂きますが。その内訳もまた、書類の中に」
「おや、色を付けましたか? 素材の総量よりも高いでしょうこれは」
リインが、恐らくは自分で以前に売ったときの値段と比較して言えば「ドラゴンの全身骨格が揃っているのは稀なので」とギルド長は無表情に言う。好事家の貴族か、そうでなくとも博物館に売れるのだろう。それを隠さず伝えて値段を上乗せしてくる所は好感が持てる。
「また、粒状の異物も分類して整理すればそれなりの値段になりましょう。強力な魔物の素材と思しきものです。完全な鑑定はまだですが、終わり次第そちらについても」
「流石、キッチリ見分けてくる。ギルドは金稼ぎに目敏いですねえ」
「お伝えするのはリイン様、貴方でよろしいですか? 帝都で活動してらっしゃると聞きましたが」
「それでよろしいですよ。それについても三分割した値段をあげて下さいね」
「分かりました」
「ではこちらに」と、ギルド長は一枚の紙を差し出し、サインを求めた。リインはさらさらと書き、俺もまた自分の名前を書く。これで莫大な収入の三分の一は俺の物である。
しかしノアは、先程から硬直したように動かない。じっと書類に書かれた数字を見つめては、ぱくぱくと口を開閉させている。
「いや……あの、これ……ジョットさん……」
「どうしたノア。自分の名前くらいは書けるように教えただろう」
「いや、これ……これで私の人生、勝ち組じゃないですかっ!」
ぷるぷると震えながらノアは言った。「いや、ええっ!?」と俺の方を向いて叫ぶ。
「ど、どうしてそんなに落ち着いているんですか!? これでもう目的達成じゃないですか! 私の人生もジョットさんの人生も薔薇色じゃないですか! えっ、これ私の読み方が間違ってます? えっ、これ数字通りの値段じゃないとかですか? え?」
「いや、数字通りだよ。普通に一生遊んで暮らせるだけの金だ。ドラゴン一匹丸ごとだからな」
「だ、だったらどうしてそんなに落ち着いているんです!? そ、それとも私には分からない、法律的な問題とかがあるんですか!?」
「いや、法律的問題もない。税金を支払う必要はあるが、それを差し引いても楽勝だ」
「だとしたら更になんでなんですが!?」
ノアは先程から慌てまくって右往左往している。その間にもギルド長は沈黙を保ち、リインはにやにやと笑っている。
俺は、そんなノアの様子に微笑み、言った。
「なんか、急に大金を手にしたことに、現実感がなくて、どう喜んで良いのか分からないんだ……!」
「お、思ったより普通の理由でした……!」
ノアが言う。リインが「ですよねえ!」と爆笑する。
いやあだってさあ、あんなに達成不可能だと思っていた目標が、こんな短期間で達成できたんだ。こんなのどうしようって思うのが普通だろう。
「いや、まあ、喜ぶべきなんだ。大金が入って来て、後はなんでもしていいんだ。喜ぶべきで……あれ、喜ぶってどうやるんだっけ……? よろこ、喜ぶ……?」
「だ、大丈夫ですかジョットさん!? しっかりして下さい! よ、喜ぶっていうのはこう、わーいって叫ぶことですよ!」
「うわあよく見れば何だこの金額!? え!? こんなに入って来て良いの!? え!? こんなの今すぐ学院辞めてニートになっていいじゃん! どうしよう金貨で風呂浴びが出来るぞ!? しようか!?」
「うわあ! 急に喜ばないで下さい!」
いや、しかし、えぇ……? ちょ、ちょっと現実感がない。追い付かない。ほんとに一生遊べちゃうじゃん。目標達成じゃん。終わりじゃん。俺の人生ハッピーエンドじゃん。
「みょーうに冷静だと思ったら、感情が追い付いてないだけでしたか! ぎゃは! 良いですよ今はたんと喜びなさい! 今はそれが許されるのだから!」
「い、いや、その前に、その前にだ! ノア! おい、ノア!」
「は、はいっ! なんでしょうか!」
「今すぐ全く間違わないように書類に書き込んで収入を確定させるんだノアーッ!」
「あ、はい」
そうしてノアが震える指先で自分の名前を書き、手続きは完了した。
完了して、しまった……! これで俺は、億万長者……!
「振込先はどちらの銀行にしますか? リイン様はご存じでしょうが、この額になると手渡しという訳にはいきませんので」
「私は既に登録しているように、帝国銀行の口座に振り込んで下さい。ノアも登録の際に開設したのでそちらで良いですね?」
「あっ、あのよく分からない書類ってそのためだったんですね……」
「ジョット君もこれを機に開設しますか?」
「いや、実家の得意先があるので、そこにお願いします。頭取さんにも挨拶しちゃったんで、そこ以外だと面倒なことになる……」
「……ジョット君って、本当は本当におぼっちゃんですよね」
リインはそう言うが、俺用の口座には毎年のお年玉と仕送りしか入っていない。その金だってノアに使っちゃったのですっからかんの筈である。
というか、何故そんな金持ちの生まれなのに、これまでは素寒貧だったのだろうか。俺の両親は言葉で甘やかすくせに金銭面では厳しすぎる。上の兄二人だって文句を言うくらいだぞ。
「し、しかし、これからは立場に実が付く……! 金、金だよ、金だ! ええええええどうしよおおアスベルク宮殿買っちゃおっかなあああああ!?」
「流石に買えるわけがないでしょうが」
「そ、そうですね。流石に足りない」
「そもそも売りに出てないと思うんですが……?」
俺の銀行口座を書き付けた書類を持って、無表情に部屋を出て行ったギルド長を見つめながら、ノアは浮かない顔をする。
「え? どうしたノア。え!? 何をそんな顔をしているんだ。ノアのお陰の金だぞこれは! 欲しいものなんだって買って良いんだぞ! 俺は少し値段を下げて帝国劇場でも買おうかな……!」
「だから買えるわけがないでしょうが」
「いや、その……ジョットさん……」
と、ノアが俺を見つめた。黄金色の瞳が不安そうに揺れている。なに、なんだ。
「いや、その……これで、終わり、なんですかね……?」
「はあ。何が?」
「ええと、その、ぅ……う、う、運命、というのは……私とジョットさんの目的は達成できたと……お金持ちになれたと……そういうことで……」
「はあ?」
俺の言葉に「ぅひっ」とノアは震えて「す、すみません……そうですよね……」と何やら勝手に納得しかけている。
いや、分かった。ノアが何を言わんとしているのか。その上でちょっと焦って言った。
「俺はいくら金があろうともノアを手放すつもりはないぞ。というか、言っている内にどんどん欲が出てきたんだ。俺にもっと金を稼がせてくれ」
「えっ、あっ……! は、はい! そう、そうですよね! はいっ!」
「というか、た、足りなかったか? 伝わってなかったのか? そこが心配なんだが。俺とノアが一蓮托生だということに確信を抱いて欲しいんだよ俺としては」
そこが一番焦る。というか困る。俺は常々ノアに相応しい価値を提供してやれているか気を揉んでいるのだ。
ぶっちゃけて言えば、俺とノアは別に一蓮托生ではない。ノアは最初は不安だったが、このまま行けば勝手に成功するだけの才能がある。俺の方もそこそこ成功できる自信はある。
しかし、俺はノアの行く末を見届けたいという欲がある。その欲によって、一蓮托生と嘯いて繋ぎ止めているに過ぎない。捨てられるとしたら俺の方なのだ。あの日見た、そして今も見える銀河の輝きは、それほどの熱を宿している。
だが、少なくとも今は心配なさそうだった。ノアは紅潮した頬に手を当てて云々むにゃむにゃ喋っている。
「い、いやあー……えへへー……疑ってはぁ、なかったですけどぉー……もうちょっとぉ、言葉にして欲しいっていいますかぁ……!」
「うわ何を急に気ン持ち悪い喋り方しているんですかノア」
「えへへ……し、嫉妬、ですか……! リインさん!」
「ぎゃは! 喧嘩を売りますね! じゃあ買ってあげますよ今この場でね!」
「二人とも売りも買いもしないで下さい。お願いですから」
そして、俺はノアの思いに応えるつもりもない。恐らくは彼女、境遇からして他人からの賞賛に慣れてなく、そのために容易く俺に依存したのだろうが、それを利用して俺から離れがたくするのは、ノア自身の価値を下げるように思うのだ。
あと、無意味だとも思う。これからの栄達を思えば、賞賛など無数に雨あられに降り注ぐだろう。その時分に俺が提供できるものが、初めの賞賛という思い出だけならば、ノアにとって俺はつまらなく見えるだろう。
その上でノアに擦り寄るのはゆすりたかりと何ら変わらない。醜悪だ。そしてそれを毅然と断れないようであれば、そんなノアも醜悪だ。
つまりは美意識の問題だ。美しいものは美しくあって欲しい。美しいままに、更なる美しいものに。だから文字などの勉強もしているのだが、これが中々難しいものである。
「……ジョットさん? 聞こえていますか……?」
「ん、ああ。聞いていなかった。なんだい?」
思考から顔を上げればノアが目を輝かせていた。ギルド長から受け取った書類を片手に小躍りしそうな勢いである。
「いえ、お金が入ったことですし、折角だからぱーって使いましょうって! そんな話をリインさんと……!」
「いやあ、私にとっても中々の稼ぎですからね、これは。剣を新調しちゃいましょうかねえ」
「新しい武器ですか! この値段だったら、伝説のオリハルコンの剣なんかも買えちゃったり……!」
「あんな国宝がこんな端金で買えるものですか。オリハルコン自体が滅多に見つからず、爪先ほどの粒でも皇帝に献上されるほどなのに、それを剣に加工など」
「えっ、そんなに高いんですか……? でも、こんなにあれば凄い剣が買えますよねっ。ねえ、ジョットさん!」
「ん? んー……」
新しい剣か。良いだろう。これだけの金があれば、ノアの象徴にもなるような、凄まじい剣を……。
「これでまた一歩、私は英雄に近付けますね! ジョットさん!」
……その、眼。
黄金の瞳。こちらを真っ直ぐに見つめる瞳。俺を信頼しきっている眼。
「……なるほど。どうして俺の親があそこまでケチなのか、分かった気がする」
「え? どうしました?」
「人は満足することがない生き物だということだ、ノア。金があっても金を惜しむほどにな。俺は欲が出てきた。この程度の金じゃ、まだまだ満足できない。もっと欲しい」
「えっ、本気で宮殿とか劇場を買うつもりなんですか……?」
「いや、そうじゃない。いや、それらも欲しいが」
「欲しいんですか……」
ノアが呆れたような目で見てくるが、そうじゃない。その程度で満足して欲しくない。それ以上だ。
国家予算が欲しい。俺に出来る手段で、ノアを世界に証明するために。
その第一として、一つ考えがあった。
「ノア、リインさん。武器についてはちょっと待って貰えませんかね。もしかしたら、素晴らしい剣が手に入るかもしれませんよ」
「へえ! ジョット君がそこまで言いますか。ならば私は首を長々として待つ所存ですよ」
「私も楽しみにしています! で、でも、それ以外なら使っても良いですよね……! 宝石と服と食事とええとええと……!」
「本当に俗だよね君」
さて、せめて今、彼女が素晴らしいと思っている物を越えられれば良いのだが。