「あっぶない!」とマルガレーテが防御呪文を張ってくれなかったら死ぬところだった。しかしもう一つの危険が後ろから迫っている。トレージの健闘虚しく、孫を片手で引き摺りながらワイエス爺は現れた。
「なんじゃその様は。実験でも失敗したか? にしては奇怪なところに実験室を作ったな、クソガキ」
「いやあすみませんね隠し部屋ってロマンでしょう。だからこんなところに作ってしまいました。はは」
「ああ? いや、年代物じゃなこれは。クソの手によるクソではないのか」
「もうバレちゃったよマルガレーテ」
「まあ棒読みでしたからね……」
ワイエス爺は「ぶげーっ!?」とトレージを床に投げ捨てて、俺の後方、魔術が掛かった壁を睨んだ。解析の失敗により爆発したそこは、一部だけが抉れているだけで本命の部屋にはまだ辿り着いていない。
しかし酷い有様である。我ながら上手い具合に深くまで入っていたので、その分引き千切ってしまった部分が多い。それで解析が楽になるかと言えばその逆で、もう手が付けられない混沌になってしまっている。
「なんじゃクソガキ、お前失敗したのか。無様だな! ゲシャシャ!」
「あんたが魔術を撃ってこなかったら失敗しなかったんですけどね!」
「ふん。常在戦場の心得が足りん。しかしこれは何に由来するものだ? 未だ崩壊せず、しかし破綻はしている。破綻のままに健在とは中々の妙技じゃな」
ワイエス爺は悪態を吐くように言う。しかし、そんな態度でもこの爺が賞賛するとは。初めて見たかもしれん。
「それについては私が……」と、マルガレーテが貴族モードになって話し始めた。しかしその猫かぶりはこの爺相手に悪手だと思うぞ。
爺が防音の風ごと扉を吹き飛ばしてしまったので、轟音を聞きつけてきたのか、他の教員や教授まで集まっていた。「一体何事だ?」「ジョット・ブレイク君か」「いつかやると思っていました」だの散々なことを言ってくれるが、やったのは爺であって俺ではない。
そういうことを含めて、マルガレーテは事の経緯を説明した。『公爵家の事情』というワードを多分に込めて。
やり方が上手いとは思うし、大抵の教員はそれで彼女の望み通り、「公爵家の手による調査を優先する」という決定を出そうとしたのだが、しかし最悪なことに、この場には大の貴族嫌いの爺がいた。
「そもそもこれは犯罪だろう。このクソ共三人組ではなく、五十年前のクソッタレの話な。学院の施設を改造して、今度はそれに手を出させろなんて随分都合の良い話だなあ? ええ?」
ぐちぐちと文句を付け始めたワイエス爺に他の教員達は嫌そうな顔を浮かべていた。話が纏まりかけていたのに混ぜっ返そうとするからである。
その難癖の矢面に立ったのは当然マルガレーテである。彼女は貴族らしい笑みを浮かべながら爺と相対した。
「ええ、犯罪ですとも。ですので公爵家としても、その犯行に至るまでの事情を知らなければ、謝罪も何も出来ませんわ。そのためにも調査が必要ですの。よろしくて?」
「ガキのくせにクソはクソ! お得意の聞こえないふりはガキの時点で教育完了か? クソの都合が良すぎると言っているんだよ儂は。学院への干渉が目的じゃないのかね?」
「私見ですが、そうは思いません。これはあくまで正式な対応を決定するための調査です。そういうことも含めて、後日『正式な』学院の窓口に連絡させて頂くと思いますわ」
「何をガキぶってんだクソ金髪小娘。このゴミ共にクソ貴族の手伝いをさせているのはお前だろうが!」
何を舌戦なんてしているのだろうか。そしてこの爺は何を目的として難癖なんて付けているんだ。
公爵家と学院側の妥協点はもう決まっているのだ。おおよそマルガレーテが示したとおりに話は動くだろうし、そこから後は俺達とは全く関係のない上の話だ。気に入らないのなら上の話で散々やれば良いだろうに、何故か爺はこの場で何かを引き出そうとしている。
「もう止めましょうよクソゴミお爺様。何がそんなに気に入らないのかは理解したくもありませんがね、貴方は普段ずっと『クソに関わるだけで思考が穢れる』とか散々なことを言っているじゃないですか。こんな些事は放っておけば良いでしょう」
「ふん。お前の言うとおりだクソ孫よ。儂はこんな下らない事に関わっている時間はない」
「では何がお気に召さないんですの……? 私、疲れてきましたわよ……」
「もう面倒なので率直に言おう。儂はジョット・ブレイクというクソガキに業を煮やしているのだ!」
「げっ、俺かよ……」
「……ご指名よ?」と疲れた笑みでマルガレーテが俺に言う。何が気に入らないのだ。態度か? だとしたら問題はそっちにある。
しかし爺は俺を睨み付けて叫んだ。
「学院に入学して時間が経っているというのに、何故お前は儂を本気で殺そうとしてこないんだ!」
「えぇ……?」
「頭おかしいよこのお爺様」
「おかしいのはお前達の方だろうが! こんな爺に散々に言われて悔しくないのか!? 殺したくないのか! 儂なら即刻首を狙う! だというのにお前達はぶつぶつと文句を言うばかりでちっとも儂の首を狙ってくれん! よってこの機に儂の首を狙う理由を与えてやろう!」
「えぇ……? えぇ……」
頭がおかしい理屈を振り翳し、この場の全ての人間にドン引きされながら、ワイエス爺は言った。
「このつまらぬ些事を儂の権力で大事にしてやる! 儂の首を狙わなければこの壁は開けさせんぞ! 帝国学院と公爵家の関係悪化間違いなし! 愉快になってきたなあ!」
「このゴミクソカスボケゴミゴミお爺様本当に死ねば良いのに」
「というか、マルガレーテはともかく、俺達は関係なくない? マルガレーテはともかく」
「酷くないブレイク君?」
しかし、たとえ関係悪化の引き金を引くことになったとしても、悪いのは完全にこのボケジジイなのでマルガレーテに責が及ぶことはないだろう。
というかより上の権力が出てきて爺が潰されるハッピーエンドになるかも知れない。それなら万々歳である。
だが、爺は俺の言葉に酷く驚いたように言った。
「なに!? 親しい女の危機を見捨てるとは、それでも男か!? こういう時は躍起になって儂を殺そうとするものだろうが! この金髪小娘はクソ貴族! 儂は身勝手な理屈で小娘の立場を危うくしている! そら、どうだ!? 儂を殺したくなってきただろう!」
「いや、そんなに」
「なんと……そんなに思われてなかったとはかわいそ……」
「ブレイク君?」
横腹を肘で突いてくるなマルガレーテ。別に路傍の石扱いしているわけではない。そんな事にはならないだろうという話だ。
「君が言ったとおり、この爺は君を買い被っているということだ。或いは貴族として優秀だと思っているのかも知れない。一介の学生が、この程度の失敗で立場が悪くなると思い込んでいるようにな」
「……まあ、確かに。アルシュケ・ワイエス教授のご名声は広く轟いていますものね」
「ふん。見誤りましたね、ゴミカス。ジョットはこういう奴です」
「ついにお爺様も付けなくなったか、クソ孫よ」
「えーじゃあ意味ないではないか……」とワイエス爺は気落ちしたように言った。「しかしまあ、クソ貴族に都合良く事が運ぶのも癪だしなあ……」と、すっかりしょげた様子で杖を振っている。
「まあ、そろそろ妥協点を見つけたらどうです? 俺だってマルガレーテに危機が及ぶのは避けたい。しかし本気で殺しに行くことはないですよ。だってマルガレーテは、そんな事をせずとも勝手に助かりそうですからね。今のやり取りを見るならば」
「ふふ、ブレイク君……それは褒め言葉かしら?」
「えーじゃあ気晴らしにこの壁の先も纏めてぶっ壊すことで妥協しようかの……」
「はあ!? ふざけんじゃねえ美術品が台無しになるだろうがクソジジイぶっ殺してやる!!!」
「ブレイク君? 私の心配はしないのに美術品の心配はするのかしら?」
マルガレーテが本気の力で横腹を突いてくる。対してワイエス爺は「えぇ……?」と驚いたように言い、壁とマルガレーテを見比べて「えぇ……?」と引くように言った。
「お前、女よりあるかどうかも分からないお宝の方が大事なのか? よく分からん奴だなあ……」
「分からなくて結構! マルガレーテは歩いて喋れるし何なら魔術だって使えるが、美術品は足も口も動かなくて、暗い部屋の中でずっと俺を待っているんだよ!」
「待ってはいないし、そもそもあるかどうかも分からないのだけれど? ねえブレイク君。もしかして私の事が嫌いなのかしら?」
「はあ? 好きだよ」
「ぅあ」
マルガレーテが変な声を出したところで「まあそれならそれで良いか! ゲシャシャ!」と爺が笑い出した。
「儂を殺しに来なければこの部屋を破壊する! 元よりこの部屋は違法建築じゃし、きちんと元の通りに直してやるだけだ。違法でも何でもない。うむ、こちらの方が通りが良いな! よしこれで決定だ!」
「いや、あの、ワイエス教授……学院の問題を貴方が勝手に決められてもですね……」
「うるさい! 黙れ! ああそうだ。儂を殺さずに部屋を開けようとするかも知れないからな、誰か門番を立てておけよ! 成人した魔術師にも負けないような強い奴をな! 今すぐ冒険者ギルドに依頼してこい! 騎士団なんぞには言うんじゃないぞ!」
「無茶言わないで下さいよ……そんな依頼が受注されるわけがないでしょう……自分が貴方を殺したくなってきました……」
「なら殺しに来れば良いだろう。儂が何故こんな言動をしていると思う? 性格と趣味と実益じゃ。気に食わぬのならさっさと殺しに来い! それが物理的にも学術的にも出来ないから儂に権力を許しているのだろうが!」
「そして期限は一週間だ!」と言ってクソ爺は俺達を追い出した。教員達は何度もすまなさそうに頭を下げて、そしてマルガレーテには「後はこちらで。ご実家の方に」と声を掛けて、溜息を吐きながら去って行った。
外は既に暗く、門限はとっくに過ぎている。しかし原因が原因なので問題にはならないだろう。もっと喫緊の問題が発生したが。
「クソッタレ」とトレージが言い、マルガレーテが物凄く疲れたような溜息を吐いた。
「……ごめんなさい。私のせいで、変なことになってしまって。こんな事で学院の問題になるなんて……」
「変なのはお爺様の頭だし、ごめんなさいと言うべきなのもお爺様だ。君が謝る必要なんて欠片もないよ」
「……そう言ってくれると助かるわ。今日は本当に疲れた……」
「そして、どうする? ジョット」
トレージは考え倦ねたように言った。
「君がシュレディンガーの美術品に固執しているのは本音なんだろう? だったらどうする。件の秘密兵器でも使うかい? 学院への賠償金を盾にすれば、お爺様も嫌々撤回するだろう」
「そうなれば、今度は別の方法で付け狙うかもしれませんわよ。それこそ今回のような騒ぎを自作自演したり」
「お爺様の冒険漫画趣味とジョットの思考は噛み合わないと思うけどね」
「で、どうする?」と再びトレージは言う。どうもこうもあるか。
「そんな物は使わん。あの爺は美術品を破壊するような畜生だ。一泡吹かせてやらなければ気が済まん」
「ああ、やっぱり? 仕方ないな。僕もお爺様をいつか殺してやろうと十年物の暗殺計画が……」
「誰が殺すと言った。それではあの爺の思うつぼだろう」
そうだ。殺し合いの場に立った時点であの爺の目的は達成される。だからそんな目論見には乗ってやらん。クソして寝ろ。
「じゃあ、ワイエス教授の監視の目を抜けて、あの壁を壊すのね? 出来るかしらそんな事……」
「お爺様は門番と言った。しかし、こんな依頼を受ける冒険者は居ないだろう。となれば確実に罠が仕掛けられる。それこそ殺しに来た方がマシだったと思うような罠がね」
「そうなると、それも思うつぼってことにならない? ワイエス教授は、きっとそれを突破されても嬉しがると思うわよ」
「……というか、君も乗り気なの?」
「私も不愉快でしたので。一泡吹かせるという言葉は非常に魅力的だわ」
「で、どうするの?」とマルガレーテが言う。答えは既に決まっている。
「相手が罠を仕掛けてくるのなら、それにも付き合う義理はない。全てを引き千切って進めば良い。冒険者が相手でも同じだ。全てを吹き飛ばして進めば良い」
そう言うと、二人は呆れた顔をした。
「いや、君ね。戦略兵器でも持ちだしてくるつもりかい? お爺様の張り巡らせた魔術を引き千切るには、それくらいは必要だよ。そんなものがどこにある?」
「あり得ないだろうけど、冒険者でも同じ話ですわよ。その方が難しいかも知れないわ。ワイエス教授のお眼鏡に適う人物がいればの話ではあるけれど……」
「それがあるんだよ」
「……どこに?」
俺は言った。
「俺には冒険者の伝手がある。彼女ならば、クソジジイの企みなど簡単に吹っ飛ばしてくれるだろう」
相手が美を侮辱するのなら、美で以て侮辱し返してやる。