ユラウと名乗った少女を目の前にして俺は狼狽えた。どこからどう見ても吸血鬼である。ぞっとするほどに白い肌。血のように赤い瞳。月光のような髪色。何よりも日を厭うような格好。
歳は俺より上だろうか。一見してリインと同程度に見えるが、それでも彼女が吸血鬼ならば見た目通りの年齢にはならないだろう。
「どこからどう見ても吸血鬼なんですがね、伯爵」
「おや、失礼な事を言うわね。私は吸血鬼ではないよ。ほらこの通り」
と言ってユラウは帽子を脱いで見せた。銀色の髪に日が当たる。伝聞のように燃え盛りはしない。
それでも全く警戒が解けないのは、それが当然のように出来る人間が嫌そうな顔でカップを傾けているからである。
「……ユラウ君。どうしてここに」
「面白い少年が居ると、そう仰ったのは伯爵でしょう。そして事実、面白そう」
テーブルの縁に指先を伝わせながら、ユラウは俺の顔を覗き込んだ。眼が合う。
「琥珀」真っ赤な瞳が細められる。「綺麗ね」宝石でも鑑賞するかのように彼女は言った。
そこに割って入るように「お茶です!!!」とテーブルにカップが叩き付けられた。
「さあどうぞ! 飲んで下さい! 飲めるものならね!」
「では」
「あっ飲みましたね! ジョットさんこの人当然のように飲みましたよ! 礼儀ってものがなってないんじゃないですか!?」
「そうかっかするなよノア」
ユラウは帽子を膝の上に置き、悠然とカップを傾けた。気品のある所作である。マルガレーテに似て、生まれながらに教育を受けた跡が見えた。
「で、伯爵。彼女は?」
「……私の知り合いの、御息女だよ。丁度、彼女の父君もこちらに来ていてね。都合が良いというのはそういうことだ」
「はあ。それは吸血鬼の子爵様か男爵様で? 帝国の防諜はガバガバですね」
「お父様は爵位なんて持っていないわ。伯爵じゃないんだから」
「単なる観光よ」とユラウは言った。それが嘘なのかどうなのかは分からないし、この二人が吸血鬼かどうなのかも分からない。そもそも吸血鬼が居るような北方の連邦国家では、とうに爵位など廃されているはずである。
故にこそ、伯爵の存在が謎を極めているのだが。
「まあともかく、知っていたようだが、俺はジョット。ジョット・ブレイク。こちらはノア。今は家政婦の格好をしているが、これでも一端の冒険者だ」
「一端です!」
「そう。よろしくね」
「もうよろしくするつもりですか!? ね、ねえ伯爵さん! 時期が悪いとかなんとか言っていたじゃないですか!」
「いや、まあ、そうなのだが……」
伯爵は難しそうな顔で言った。先程からどうにも珍しい顔ばかり浮かんでくる。観光とはやはり方便でしかなく、面倒な事情でもあるのだろうか。
しかし、それを加味しても出来るのならば迎え入れたい人材ではあった。
"眼"を開いて見つめてみたが、ノアやリインほどではないが中々の輝きを放っている。それは酷く冷たい輝きだ。ノアのような非常に複雑で混沌とした銀河ではなく、リインのような燃え盛る太陽でもなく、落ち着いて鋭利な月光の明。
「冬の花露。夜空を切り裂く三日月。白金のインゴット。鋭さに満ちているが、刺すような荒々しさはない。といった所か……」
「えっ、急に何」
「ジョット君、君はソムリエにでもなるつもりかね?」
「その評価を理解されないのではなれませんよ。しかし言葉には出来る」
観光の真意がなんであろうと、伯爵の言によれば、ユラウは本来、数ヶ月前には俺に紹介されていたはずなのである。
即ちあちら側も冒険者なり何なりに興味があるという事であり、ここで親しくなっておくのも今後のためになるだろう。
「ユラウ、ユラウさん。どうでしょう。観光ついでに見学でも。或いはより実践的なものを。貴方が吸血鬼ではないのであれば、是非とも俺の力になって欲しい」
伯爵の趣味は人間の博物学である。であれば彼女には優秀な血が受け継がれているのだろう。こうして眼で見ても分かるが、彼女にはその所作と同じく、魔力に関しても修練の跡がある。
ノアと比較するには及ばないが、その技術は確実にパーティーとしての質を上げるだろう。
まあ一番の理由は、どうせタダで迎えられるのなら迎えておこうという貧乏思考にあるのだが。
「敬語はいらないよ、ジョット君」と彼女は言った。「そして、よろしく。面白そうだし、良いでしょう? 伯爵」
伯爵はうんうん唸り、顰め面をして言った。
「まあ、君が良いと言うのならば……元より私は、君に対する何某かの権利を持ち合わせている訳ではないのでね」
「じゃあ、決まりね。ご主人様とお呼びした方が良いかしら?」
「呼ばなくて良い」
ユラウは手を合わせ、薄く微笑んだ。どうにも遊んでいるような様子である。この様子を見ると、本気で観光目的なのかもしれん。なんだ心配して損したな。
対してノアは「ジョットさんがそう言うのなら仕方がありません……が!」と頑張って上から見下ろすように言った。
「私は貴方より先輩ですよ! 年齢はたぶん私よりも上でしょうが、私を先輩として敬うように! 良いですね!」
「ええ、よろしくね。ノアちゃん」
「ジョットさんこの人私の事舐めてますよたぶん!」
「まあまあ、仲良くやっていこう。そうだ、ノアも席に着きなさいよ。歓迎に乾杯しようじゃないか」
そんな風にして、俺はユラウという少女を新たに迎えた。六月の終わり、初夏の頃である。
ユラウの性能を知る機会はすぐに訪れた。
帝都に慣れぬ彼女への案内と、先生の捜索も兼ねた観光をこなした後、装備を整えて俺達は帝都外壁の草原へと向かった。ノアに行ったものと同じく、何が出来て何が出来ないかを知るためである。
見て取った通り、彼女は何か修練を受けていたのか、剣を悠々と操り、危なげなく魔物を倒していった。しかし彼女の真価はそこにはない。
「やはり、魔術か」
「ええ。ジョット君ほどではないけれど、私も少々心得が」
ユラウは魔術を解した。一般の冒険者がそうであるような、単なる経験に基づいたものではなく、その術理を解し、技能として魔術を操る事が出来たのである。
得手は光と闇しかなかったが、それなりには熟れている。何よりも、戦闘に用いることに慣れている。その様な人材は中々在野に転がっているものではなく、こうして知り合うことが出来たのは僥倖と言えるだろう。
「はあー……元はどこぞのお貴族様ですか? 魔術とは貴族的なもの。落ち延びた先がジョット君とは、貴方も中々に修羅道好みと見ましたよ」
「失礼なことを言わないで下さいよリインさん。俺は徹底したホワイト労働を心がけています。それに落ち延びたわけでもないでしょうし」
「そうね。お父様は健在よ。観光で遊びに来ただけだから」
「はあー……それでは何故に剣遊びなどをしているのかと聞きたくなりますが、遊びの範疇にも利益を上げるのであれば、私からは何も言うことはありません」
リインは興味なさそうにそう言った。ノアの時とはえらい違いである。そして当のノアと言えば、ユラウの魔術を目にし、愕然とした顔を浮かべていた。
「ま……魔術を使えるんですか……! 私の後輩なのに、私に出来ないことを……! それにジョットさんとも話が合いそうなことを……!」
「合わないよ。この人、とんでもないから。惚けた顔をしているけど、私じゃとても手が届かない領域に居る」
「そ、そうなんですか? やっぱりジョットさんは凄いんですね!」
「凄いというか、異常。頭の中どうなっているのかな。割って中身を見てみたい」
「そうして良い?」と冗談めかしてユラウは言う。「ぎゃは、私も見たいと思っていた所です」こちらは冗談かどうかまるで分からない。
「しかし、リインさん。そろそろ言おうと思っていたのですが」
「おや、なんです?」
「その馬、どこから持ってきたんです?」
そう、今日は何故か、リインは馬に乗っていたのだ。どこからかっぱらってきたのか、見事な白馬に跨がり、悠々と草原を闊歩している。
碌でもなさそうな説明をされそうで、言おうかどうか正直迷っていたのだが、流石に無視できなくなってきた。どこからどう見てもそこらの馬屋で手に入るようなものではない。貴族の家でも襲撃してきたのか?
「ようやく聞いてくれましたか!」とリインは破顔し、嬉しそうに白馬の顔を撫でた。「あっ、これ私だけに見えている奴じゃなかったんですか……」ノアは俺達が何も言わなかったので、幽霊か何かだと思っていたらしい。
「しかし、持ってきたとは失礼ですね。我が愛馬、極天極地白夜号は、確かな手続きで私の下に来たのです」
「えっ、ダサ……」
「ダサい言いましたかノア。私の付けた素晴らしい名前をダサいと言いましたかノア!」
「まあまあ。で、どこからかっぱらってきたんです?」
「ジョット君がそうだからって私もそうだとは思わないで下さい。この子はね、あの公爵令嬢から頂いたものなのですよ!」
「あぁー……」
そうか。それでマルガレーテ、公爵家自体には、なんて言い方をしていたのか……。口止め料として取られたな……。
「あの公爵令嬢に随分と可愛がられていたお陰か、馬体の輝きは三歳馬とは思えぬほど! 何か随分と変な名前が付けられていたようですが、そこは主も変わって新生ということで、今は極天極地白夜号です」
「名前まで奪われるとか……かわいそ……」
「しかし気性が穏やかすぎるのは問題でもありますね。剣の鉄音に怯えないのは良いですが、血が迸るような走りは中々見せてくれません。ちょっとズブいかもしれませんね」
「お、お馬さんに言いすぎじゃないですか? 私は可愛いと思いますよっ」
「そう、まるでこのノアのような馬です!」
「それどういう意味ですか!?」
ノアは怒っているが、何となく意味は伝わった。今も平気で草を食んでいる白馬の顔は、のほほんとしていて緊張感があまりない。立派な体躯に似合わぬ顔つきである。
ユラウはその白馬の鼻先に手を出して、何の反応も示さないことを確かめてから頭を撫でた。「おや、慣れている」リインが意外そうに言った。
「しかし、私がこうして愛馬を得られたように、ジョット君の周りは最近騒がしいようではないですか。そしてそこそこに怪しい影も跋扈していると。どうです? 私が護衛役を買って出てあげましょうか? 勿論終身雇用で」
「そこは実家パワーが発動するので問題ありません。権威という圧力は素晴らしいですね」
「より上位の権威にはどうするのです?」
「権威というものは単独では存在し得ませんよ。俺を手中に収めようが、ブレイク商会は粗方を巻き込んで相手を破滅させるでしょう」
まあ皇帝陛下とかが出てきたらどうしようもないが、その時は先生に同じく出奔するだけである。そう考えると労働というのは拉致監禁と同じなのでは……?
「まあ、一番に俺を監禁しようとしたのは他ならぬ実家だったのですがね。父が直々に出てきて粗方聞き出されました」
「へえ、私のご主人様は随分と有名人なのね。それに裕福。当たり籤を引いたのかしら」
「ご主人様じゃない。それに言うほど裕福でもない。これ幸いと父から融資を引き出そうとしたが、期待外れだと看破されて失敗に終わったからな」
「あら、聞けば夢の魔法だと言うじゃない。それはどうして?」
「既存の技術を魔法でパッケージングしたものに過ぎないからだ。『商人としての才能も少しは受け継いでいるようだな!』って言われてしまったよ」
そして父は商人らしく、『ジョット・ブレイクの転移魔法饅頭』を売り出すことを決定したのである。魔法ではないと再三言ったのだが、『この方が消費者受けが良い』と言われ、そしてロイヤリティも幾らかは入ってくるとなれば不承不承に頷くしかない。
まあ、そんなけったいな饅頭が売りに出されるのも論文が完成してからである。そして実際に上梓されれば、風評とは異なるということが分かり、商会の倉庫は饅頭の不良在庫で溢れかえるだろう。
「ならないと思うよ。世間って、そんなに賢くないもの。ものを知らないし、知ろうともしないから」
「辛口だな。ユラウは世間が嫌いか?」
「別に」
どうでも良さそうにユラウは言った。どうにも彼女は冷めている。
「ただ、知らないのは貴方も同じね。貴方は、貴方自身に関して無知。一番に割ってみるべきは、その眼かもしれないね」
「怖いことを言うな。それに、俺は名誉というものには敏感だ」
「そう? それにしては、貴方は貴方自身を誇らないね。それだけのものはあるのに。それは、貴方自身の周りが異常だから?」
言ってユラウはノアとリインを見つめた。「それとも、好んで異常を集めているのか」薄い笑みを浮かべる。
「面白い、とは思う。だけど少し、無頓着かな。普通、二属性を実践的に使えるだけで、羨望の眼で見られるというのに、貴方は平気な顔で六属性を操っている。それも、修めているというレベルではなく、全てが一流のそれ」
「そりゃあ、その程度で満足していちゃ意味がないからな。君を悪く言うつもりはないが、その程度で羨望を寄越すような環境は、環境そのものが害悪だ」
「ふうん。貴方って、無頓着じゃなくて傲慢なのね」
「好きよ、そういうの」そう言ってユラウは笑った。言葉とは裏腹に、またしてもどうでも良さそうだった。