「考えてみると、英雄って何かしら」
ユラウはそう言って木の杯に注がれた茶を口に含んだ。途端に顰め面を浮かべる。ギルドの酒場で出されるような茶が美味いわけがないだろ。
ユラウが魔術を使えることを確認してから数日後、休日の土曜日に俺達は集まっていた。場所はギルド二階の酒場。時刻は昼を少し過ぎたくらいで、騒がしいというほどでもない。ここが騒がしくなるのは夜の六時から七時頃から、つまりは冒険者達が依頼や討伐を終えて帰ってくる時刻である。
故に、俺達も依頼をこなすのであれば、こんな場所に長居する意味はないのだが、今は別の目的で卓を囲んでいた。
「英雄とは何か、ですか」とリインは言い、自らの首に提げられた金の札を摘まみ上げた。
「今の時代、龍を殺すだけでは英雄にはなれません。何故と言うに、それは凡人には成し難きことではありますが、産業として社会に組み込まれてしまっているからです。冒険者の等級という概念もまたそうでしょう。銅は凡才、銀は秀才、しかし金は天才ではあったとしても、冒険者という枠組みの中での天才でしかない。即ち優れた労働者です。それだって白金という幻の英雄には遠いのです」
「白金等級なんて名誉職ですからね。もっとも、その名誉を加味すれば英雄と称えられるには相応しいでしょうが」
「勤続年数が名誉だとするならばそうですがね? ジョット君、一体、金等級に相応しい依頼を三十年に渡って勤め上げた、なんて話を聞いて人は英雄を思い浮かべるでしょうか? いいえ、人々が思い浮かべるのは定年退職です。名誉ではなく年金です。白金の輝きとは、即ち天下りの輝きですよ」
「それは素晴らしいですねえ。俺には白金よりも輝いて見えますよ」
「ぎゃは。ジョット君の怠け振りを非難したいところですが、世の中の大多数もそうなのだから始末に負えませんね」
言ってリインは酒場の奥、剣を提げた壮年の男性二人を睨んだ。うとうととした顔で昼間から酒を飲んでいる彼らの首には、金色の札が提げられている。
何度か見たことのある顔だった。彼だけではなく、同じような年頃の人々を数人。かつてギルド職員のヘルケ氏に聞いたところ、彼らはまさしくギルドの名誉職として、酒場の用心棒を与っているらしい。
「代わりに『天下り』と書いた札を首に提げるべきなのですよ。そうすれば、自分というものが否が応でも分かるでしょう」
リインは自らの首に提げられた金色を見つつ、嫌そうに言った。退職に際して、名誉だけで銀から金に上がった彼らのことを、リインは疎ましく思っているらしい。
その視線に合わせ、自らの銀色を弄びつつ、遠慮がちにノアが言った。
「いや、だからって、それで賞金首を捕まえようというのはどうかと思いますけど……」
ノアは卓上に視線を投げている。そこに広げられているのは手配書だった。人相書きの下部には罪状と、その賞金の額が記されている。
そう、今日俺達が集まっているのは、ユラウが加入して、さてどのようにパーティーを運営していくか、その会議をするためだったのである。しかし、リインが持ってきたのはギルドの依頼ではなく、犯罪者の手配書だったのだ。
ユラウが木の杯を倦厭するように手元から遠ざけ、その内の一枚を手に取った。四角い顔の男性。罪状は連続殺人。賞金は金貨50枚。
「些か、話の繋がりも薄いと思うのだけれど。英雄とは何か。それは警察かしら?」
「私が言いたいのは、英雄とは、枠組みの中に居てはなれないものだということです。社会という枠組みから卓越した者こそが英雄。なればこそ、同じく枠組みから外れた敵が必要なのです」
「それだって社会の中にはありますよ、リインさん。こうして賞金が懸けられていることこそ、それを証明していません? 犯罪者に相応しい敵対者は、英雄ではなく警察ですよ」
「では、警察が相手にし切れない犯罪者は誰が殺すというのです?」
そう言ってリインは一枚の手配書を掲げた。神経質そうな女の顔。罪状は殺人に誘拐に騒乱にと様々あるが、その中でも目を引くのは『非倫理的な人体実験』という一文だった。
「たとえばこの女。ミルラルタとかいう魔術師は、聞けば十数年は捕まっていないようで。龍を殺すだけでは英雄になれぬこの時代に、社会が手に負えない悪を殺してこそ、英雄と呼ばれるに足るのでは?」
「龍を殺すだけでは英雄になれぬ時代、ね」
俺はかつて、マルガレーテと会話したときのことを思い出した。あれは確か、学院の合格発表を見に行った帰り道だったか。
その時俺は、この帝国に、英雄を生み出す土壌はどこにあるのかを聞いたのだ。
彼女は戦争と龍殺しと迷宮踏破を英雄の土壌として語った。その内、龍殺しと迷宮踏破に関しては、あくまで英雄譚──即ち、古典にあるような『お姫様が攫われて……』の物語として語っていた。
しかし、リインが言うように、今や龍殺しの英雄が獲得するのはお姫様ではなく金貨である。それも龍が蓄えた財宝ではなく、龍の死体をどのようにして安く運ぶか、どのような販路で売り捌くか、どのような権力者に阿るのか、といった具合に、実に経済的で産業的な金だ。
迷宮踏破に関しても、マルガレーテは英雄的事業と言った。その業績によって貴族となった者もいると。この言葉からも察せられるように、それは単一の英雄による伝説というよりも、その功績で以て街を繁栄させ、帝国の発展に寄与した、経営者としての業績だろう。
だからスムーズに貴族の名が出てくる。今に繋がる、社会的な業績だ。土地経営者としての伝説にはなるだろうが、世界にとっての英雄にはならない。
そして、最後に残ったのが。
「まあ、一番手っ取り早いのは、私の故郷に帰って一帯を平定することなんですけどね」
リインは手配書を置き、あっけらかんと言った。
「社会の敵は別の社会です。世界の敵が別の世界であるように。スケールダウンはしますが、これは伝説の勇者と魔王の構図と同じですよ。国を代表する者が、別の代表を討ち滅ぼす。そうして国を手中に収める。短絡的に分かりやすい英雄ですね」
「リインちゃんの出身は確か、帝国東方の中央平原だったかしら」
「ええ。かの地であれば社会だの何だの鬱陶しい軛はありません。国を挙げて国を滅ぼす。その中に他を率いた者こそが英雄です」
「分かりやすいわね。まるで、今じゃないみたい」
「ぎゃは。何せ後進国という言葉が差別的だという認識すら広まっていない地帯ですからね」
「ここでは発展途上国と言うのだとか」そう言ってリインは木の杯を一気に呷った。「ぬるい!」味に対しての感想はないらしい。
「しかし、この様な言葉遊びに執心しているように、この地では戦争を寧ろ回避するための努力が行われている。率先して引き起こそうとすれば、それは英雄ではなく怪物ですよ」
「あら、怪物は英雄と呼べないのかしら」
「それはどういう意味で?」
リインの言葉に、ユラウは言った。
「先程、リインちゃんが勇者と魔王でたとえたように、社会の敵とは別の社会。だったら、英雄の敵は怪物ではなく、別の英雄ではなくって?」
「確かに、英雄の敵が誰かにとっての英雄だということもあるでしょう。私としては寧ろ、そうでなくては、といった所ですね。敵を矮小と見なすのは、英雄自身を矮小化させてしまいます」
「なら、貴方にとって、英雄と怪物を分ける境目とは何かしら」
ユラウは問うようにそう言った。対してリインはにいっと笑って返した。
「そんなものは曖昧です」
「あら」ユラウが意外そうに頬に手を当てる。「なら、この人達は英雄? それとも怪物?」手配書の上に指を滑らし、ユラウはリインを見つめる。
「そう、ですよねえ……リインさんが言うなら、さっきの魔術師の人も英雄みたいなものになりますよね。私、そんなのを目指すのは嫌なんですけど……」
「そのどれでもありませんよ。これらは英雄でも怪物でもありません。その境目は曖昧でしょうが、これらはその領域にさえ届いていない」
「強いて言うなら、餌ですね。私達がそれを論じられるようになるまでの」と、リインは眼を細め、手配書の数々を眺めた。
コツコツと、リインは卓を軽く叩く。ユラウが背もたれに背を預ける。視線は自然と、卓の上に向いている。
「届いていないのは私達も同じです。そんな段階で英雄と怪物の違いを論じても笑われるだけでしょう。第一、そんな境目は目に見えるものではありません。それは切った後に出来るものなのです。まずは切らなくては、ね?」
そう言って手を合わせ、リインは薄い笑みを浮かべた。
ノアは「はあー」と納得がいったように口を開けていたが、しかしユラウは少し妙だった。「届けば分かる、ね」彼女は小さく呟いた。
まあ、とにかく話は纏まったようなので、俺は口を開いた。
「流石はリインさんですね。含蓄がある。確かに、そこに至らなければ見えない景色もあるでしょう。それがどんな場所なのかは、行ってから見てみるのが一番分かる。そう考えれば、戦争を忌避するこの帝国において、犯罪者を捕まえるというのは、確かに勇名を高めるのに手っ取り早い手段でしょうね。単に冒険者という労働に従事するだけではなく、市井に名を広めるという意味においては」
「おやおや、珍しく素直に私を褒める。そして長ったらしく言う。何かご不満が?」
分かっているようで話が早い。しかし、全く理解していないようである。
仕方がないので、俺は言った。
「いや、リインさんとは違って、俺に人殺しのハードルは普通に高いんですよ」
「まあ、そうですよねえ……」
と、ノアが微妙そうな顔で言った。「はあ」リインはきょとんとした顔を浮かべている。顎先に指を当ててちょっと考えるような素振りをする。そうして言った。
「えっ、今更それを言いますか?」
「い、言いますけど!? 別に私は人を殺した事なんてありませんからね!? ジョットさんもそうですよね!」
「全く同じく。考えるだけで気分が悪いですね」
「い、いやいやいやいや。何を言っているんですか。相手は社会の敵ですよ? 私もこちらに来て随分と経ちました。この国では自力救済が強く禁止されていることも十分認識しています。しかし、これは国家から認められた私刑ですよ。どこに躊躇う必要があるのです?」
リインは何やら物騒なことをブツブツ呟いて、ふと顔を上げ「えっ、これ私がおかしいんですか?」と言い放った。
「ユラウ、君はどう思う?」
「えっ、なんでそっちに振るんですか。私を無視しないで下さいよ」
「私はこっちの文化をあまり知らないけれど、少なくとも大っぴらに言うことではないでしょう」
「ですって」
「ですってって、まるで私がおかしいみたいじゃないですか!」
そう言っているのだが。
「ここはウルド帝国の首都オーロックですよリインさん。決して中央平原の血みどろ草原じゃないんですよ。『人をぶっ殺して英雄になりましょうぎゃはぎゃは』なんて言ってちゃドン引きですよ」
「え、英雄なんて言葉で飾ってもそんなものでしょう! それに、これがドン引きものだとすれば、どうして大っぴらに賞金首なんか出しているのです!」
「そこは訴えかける対象の違いですね。いや、この場合、おかしいのは俺達の方だとは思うんですが」
そう前置きした上で、やはり受け入れがたいものがある。つまりは精神性の違いなのだ。
「リインさんの精神はまさしく冒険者的なものです。依頼があって首を狩る。それは全く正しい。しかし俺達のような一般帝国市民的感性を持った者達からすれば、やっぱり人殺しなんてものは遠い世界にあって欲しいのです。だから世の中には警察と軍があるんでしょう。国民全てが冒険者なら、軍も警察も生えてきませんからね」
「……であるのならば、それは改善すべき精神なのでは? 少なくとも、ノアが冒険者として活動し、英雄なるものを目指すからには」
「そうかもしれませんが、それにしたって急でしょう。なあ、ノア?」
「そう、ですね……ちょっと、いきなりそんな事を言われても……」
「はあ」
リインはよく分かってないようにノアを見つめた。こればかりは文化の違いだろう。
しかし、帝国の国民意識の変遷に原因があることも事実ではあった。
「龍を殺すだけで英雄になれた時代では……つまりは三百年前、勇者と魔王が相打ちした時代では、リインさんの考えも一般的なものだったでしょう。その場合、倦厭されていたのは俺達のような考えだったのかもしれません」
「はあ、今は違うと? 人間が高々三百年で変わりますかね」
「人間は変わりませんが、社会は変わりますよ。社会というものは変幻自在の怪物です。誰だって今の姿を完璧に捉えることは出来ません」
俺はこの世界を、別の世界と比較できるからこそ、その特徴を端的に言うことが出来る。魔力や魔物など、その差異を数えようとすれば切りがない程だが、社会性という観点で見て最も特徴的なのは、個人の力が余りに巨大だという事だろう。
それは権力や意識ではなく、純粋な武力だ。時には一個人の戦闘力が国家の総戦力を超えるこの世界において、社会というものは、単純な集団の合意にはなり得ない。
魔術、或いは科学と言い換えても良いそれが発展し続ける今の世に、尚も皇帝や貴族が厳然たる影響力を保持しているのもそこに起因する。魔術は特権的なものであり、英雄的ですらある。
魔物という明確な人類の敵対種が存在する以上、それらへの対応として人々が英雄を頭に据えるのは当然のことであるし、事実、建国の伝説は魔物討伐の英雄譚と言い換えられるものが殆どだ。
……まあ、この世界には神が一つしか存在しないというのも大きく関わってくるのだろうが。故に建国の伝説は建国神話ではなく、類型的な国生みの神話もバナナ型神話も存在しない。
人に何故寿命があるのか。人がそう在ったからである。大地はどのようにして生まれたか。大地がそう在ったからである──。
この世界に降臨したとされる女神は、その名の通りに世界を掻き混ぜただけに過ぎない。聖書において、女神は世界を生み出したとは明言されていないのだ。
ここら辺が奇妙なところで、教会が慎重に議論を重ねている部分の一つでもある。まあ慎重とは言っても、言っている事がころころ変わるというのと同義だ。
「だからこそ、いつかリインさんに話したように、国家のアイデンティティというものが文化芸術に色濃く反映されると……」
「ジョット君ジョット君」
「なんですかリインさん」
「話が長いです。簡潔に」
言われてしまったので纏めよう。ユラウは「私は面白いと思うけれど」と言ってくれるが、ノアがあからさまに右耳から左耳へと言葉を流しているので。
「まあ、俺が言いたいのは、この世は確かに英雄の世界です。それが大前提としてある」
「ならば私が正しく、ジョット君とノアがおかしいという結論になりますが。長々と話してそれですか?」
「いや、ここで昨今の情勢が関わってくるんですよ」
そう、この世界は確かに英雄の世界だった。しかし、今は違う。龍殺しは産業の中に組み込まれ、戦争を倦厭し、平和を尊ぶ風潮が主流になっている。
魔導技術の発展が、それを後押ししているのも確かだろう。未だ卓越した個人には遠い技術でしかないが、それでも技術は蓄積される。代替不可能な個人から、万人に益をもたらす技術へと。
帝国学院の徒弟制度的教育に代表されるように、未だ伝統を保持している部分も多々あるが、それでも全体を見れば、魔術は属人的なものから標準的なものへと変わりつつある。寧ろ、それこそが技術の本来あるべき姿だろう。
「じきに、英雄の時代は過ぎ去るでしょう」
勇者と魔王の対決……最後の世界大戦から三百年が経って、ようやく人々は人間的な歴史を歩もうとしている。卓越した個人を凌駕する、全体の時代がやって来る。
「それは、今はまだ未熟の潮流ではありますが、果てしなく大きな流れでもあります。変化の時代。変わり行く時代。……技術の発展と、平和のためには、俺もそうすべきだとは思っていますよ」
言い終えて、俺は木の杯に口を付けた。眉間に皺を寄せる。
分かってはいたが、それでも不味くて温かった。
「ふん。平和、発展、実に結構。しかしジョット君、言っている君自身が楽しそうではないですね?」
俺の話を聞き終えて、リインがそう言った。まあ、確かにそうである。
「理念としては尊びますよ俺は。しかし、それでノアを世に知らしめる事が出来ないのは残念極まりない。いや、戦争と人殺しが嫌なのは本音ですが。つまりは矛盾ですよ。或いは幼稚な願望です。とても綺麗な道を上って、とても綺麗な景色に辿り着きたいという」
「それは矛盾でも幼稚でもなく、傲慢ね」
ユラウが言った。じっと俺を見つめてくる。深紅の瞳。
「英雄とは何か。貴方はその答えを、過ぎ去り行くものだと言った」彼女は木の杯の縁をなぞる。「それでも貴方は、この時代に英雄を望んでいる。これから生まれるであろう平和と発展に、中指を立てて求めている。そんな事は誰も望んでいないと、貴方自身が分かっているのに、それでも求めている」
ユラウは言った。
「それは、怪物と呼ばれるものでしょう」
「もしくは、怪物的な英雄」と、ユラウは眼を細める。鋭く俺を見つめている。
或いは、見定めるように。
「酷い物言いだ。まさか願望だけで世界に喧嘩を売るはずがないだろう。そんな奴は損得勘定が出来ない馬鹿だ」
「でも、貴方は傲慢じゃない。この場合、損得を加味した方がよっぽど怖いわ。もしかしたら、願望の実現が、世界を上回ってしまうかも」
「傲慢が過ぎるね。そんな奴は世界を滅ぼす前に勝手に滅ぶさ」
「それは、どうやって?」
「どうやってって、そりゃあ……」
破滅を望まない周囲の手によって。
と、言おうとして気が付いた。そうだ。俺は自分で言っていた。
この世界は英雄の世界である。全体が個人を押し潰すのにはまだ足りない時代。いずれ個人を凌駕するにしても、今はそうではない時代。
「ユラウ。君はもしかして、この時代だからこそ英雄が……怪物が現れるって言いたいのか?」
「私は言っていないわ。貴方が言ったんじゃない」
ユラウは真っ直ぐに俺を見つめている。
「英雄の時代は終わろうとしているけど、まだ終わっていない。まだ人は、英雄を滅ぼせない。だとしたら、今が最後のチャンスでしょう? 人々を怪物が殺して、怪物を英雄が殺す、そんな英雄譚を紡ぐには」
「……そうかな。俺はそうは思わん」
「どうして?」
「この流れは果てしなく大きいが、同時にまだまだ遠いものだ。そんな懸念を抱くには早過ぎる」
国家が抱える英雄というものを、俺はまだ直接目にしたことはないが、リインが言うに、彼ら彼女らは天を裂き、山を切っては万軍を圧倒するものだという。
現在の潮流として、英雄を凡人に落とすような技術の発展は目覚ましいが、それでも究極の個人には程遠い。凡庸な魔導技術によって山を切り伏せることが出来るだろうか? 当然、無理である。
と言うかリインがそれであろう。個人で龍を完封できる存在は、未だ国家にも影響力を持つ。産業の内にあるとは言え、英雄は英雄である。
俺が語ったのは、長く遠い未来予測でしかない。
しかしユラウは「貴方がそれを言うの?」と笑った。
「貴方は魔法を魔術にしたんでしょう。空間転移というおとぎ話を、現実のものとして貶めた。発展させた。それは様々な影響を生むでしょうね。良いも悪いも今後次第。でも確実に、時代を一つ、推し進めた」
「俺は先生の論文を装飾しただけだよ」
「内容の如何ではなく、それが出来たということが重要なのよ。貴方は英雄を殺す事が出来た。今は属人的技術に留まっているけれど、理論を示した以上、それは再現性のあるものなんでしょう?」
「そうじゃなきゃ魔術とは呼べん。再現性のない現象なんて、それこそ魔法か奇跡だろう」
「つまり貴方は、技術を発展させることで、技術を陳腐化させる事が出来る人なの。時代の最先端に立って、古い幻想を理論にしていく。それって、古い時代の英雄にとっては脅威じゃない?」
「そんなものは……」今更だと、そう言いかけて気が付いた。
その言葉は、先のユラウの言葉を肯定するものだ。
俺が俺自身の特異性を否定すればするほど、ユラウの言う、最後のチャンスという言葉が、現実味のあるものとして浮かび上がってくる。
「貴方は、貴方自身をよく知った方が良い」
ユラウはそう言って腕を伸ばした。指先を俺に指し示す。
「貴方は貴方自身を軽んじている。だからこそ、今の話、怖かったわ。貴方は軽々しく言ったようだけれど、それはとても恐ろしいこと」
「……どこが?」
「空間転移を実現した魔術師が、いずれ英雄なんて必要なくなると、そう言ったのよ」
「ああ」
と、リインが頷いた。そうしてぐるりと辺りを見回し、溜息を吐いてから言った。
「成程。つまり、今のジョット君の発言は、貴族どころか皇帝も否定する発言だったのですね。それは単なる共産主義かぶれよりも質が悪い。悪すぎる」
「ええ。何せ、魔術とは貴族的なもの。英雄的な特権だもの。だけど、空間転移を実現した最新の英雄が、いずれ魔術は特権ではなくなると、そう言っちゃった」
「これは、最早単なる未来予測ではないわ。酷く現実味のある予言。いや──」ユラウはおかしそうに笑った。「一つの、思想ね。やろうと思えば、国さえ転覆できるかも」
「おお」
俺はたじろいだ。リインがそうしたように、周囲を窺った。
「それは、まずいな。本当にヤバいことを言っていた。ごめん」
「本当に気を付けた方が良いよ。さっき言った、最後のチャンスを伺う古い英雄。それって、杞憂ではないと思うから」
「……俺は、あれか。目立つ首級か。賞金額を気にしなければならなかったのは、何よりも俺自身だったか?」
「流石に、まだそこまでは行かないと思うわよ。貴方が英雄として、つまり、貴族や特権階級の仲間として見られている内は」
「ぎゃは。これは態度の問題ですね」とリインが嬉しそうに言った。「ジョット君の性根は見下げ果てたものですが、立場が人を作るとも言います。貴方が立派になるときが来たのですよ!」
それは……何だか、信じられないような言葉だった。
名誉は好きだ。利権も好きだ。権力者という椅子には頬ずりしたくなるほどだ。
しかし、いざ自分自身がそれになるのだと言われると、どこか現実離れした、滑稽なものに見える。
「……英雄という言葉が、悪いんだろうか」
「というと、どういうことかしら?」
「夢はあった。目標に進んでもいた。しかし、俺は成るにしても、もっと卑俗なものに成ると思っていたんだ」
名誉も、利権も、権力者も、俺はどこか、英雄とは遠い所に置いていた気がする。
ユラウは微笑み、言った。
「じゃあ、貴方にとっての英雄って、なあに?」
「英雄っていうのは──」
途方もなく美しく、眩いほどに輝かしく、存在だけで世界を平伏させる。
それこそ、ノアのような。
そう思って、俺はノアを見た。そして思わず言った。
「……いや、食い過ぎだろ」
「んえっ!? な、なんですかっ!?」
会話に入っていけなかった腹いせか、ノアは茶菓子のクッキーを貪り食っていた。それも自分の皿どころか、近くの俺の皿まで食い尽くし、そろそろとリインの皿にまで手を伸ばしていたところだったのである。
ノアは俺と目が合って物凄くばつが悪そうな顔をし、リインに叩かれる前に手を引っ込めた。そうして誤魔化すように言った。
「そ、それで、お話はここのクッキーが美味しくない、というところでしたか……!」
「全然違いますよ。割と真面目な話です。……しかし、貴方、ユラウ」
「なあに?」
「貴方、口が上手すぎる。どこの生まれで?」
それは俺も思っていた。流石に、ただの観光客で片付けるには弁が立ちすぎている。
その所作の気品に加え、国家的な情勢をも解する頭は、こんな所に転がって良いものではないだろう。ましてや、冒険者の真似事をしていて良いはずがない。
「良いでしょう、別に」
ユラウは、それまでの微笑みを打ち消して、一転してどうでも良さそうに言った。しかし「あれ」と自らの頬を撫で、首を傾げ、そして今度はおかしそうに笑った。
「なんです。やっぱりあの怪奇蝙蝠男の同類でしたか。貴方に危険性はないと思い放置していましたが、それなりに目を付けておく必要がありそうですね」
「……その、蝙蝠って伯爵のこと? 酷い、ふふっ、言い草ね。ふふふっ!」
「おや、あのモスキート野郎はお仲間にさえ馬鹿にされる程度でしたか? これは意外ですね」
「いえ、そうじゃないのよ。ただ、ね」
ユラウは自分の頬を、口端を指先で撫で、言った。
「私、楽しんでいたんだなあって、そう思ったの」
本当に意外そうに、そしておかしそうに、ユラウは言っていた。
「……いや、今更ですけど。ずっとユラウちゃんは楽しそうでしたよ。私を放って、ジョットさんと楽しそうに……!」
ノアが恨めしそうな目でユラウを見、言った。そう思うならクッキーを食べる手を止めれば良いのに。
「えっ、そうだった? ノアちゃん、何時から私、そうだったのかしら」
「何時からって最初からですよ! 英雄とか言い出してからずっと! 私が全くこれっぽっちも理解できない話を楽しそうに……!」
「そう、そうなんだ。ふふっ。だって、さ。ジョット君」
「私では理解できない知的な会話を繰り広げる後輩とか……! ちょっと悔しくて興奮しましたよ……!」
「これはどうなの、ジョット君」
「知らん」
そんな目で見られても本当に知らん。そして何だか騒がし「おじさんも悔しいよおジョット君!」うわびっくりした!?
突然声を掛けられて、俺は思わず椅子から飛び上がった。声を掛けられた方向、一階に繋がる階段からヌッと顔を出したのはむくつけきおじさんことトールである。
彼は髯面をくしゃくしゃに歪めてにじり寄ってきて叫んだ。
「おじさんさあ! 次はきっと自分の番だと思ったのにさあ! ジョット君がもう新しい子を連れているって聞いてビックリしちゃったよ! なに!? 女の子じゃなきゃ駄目なの!? おじさんじゃ駄目!?」
「これはなに、ジョット君」
「知らん」
「そんな寂しいことを言わないでよ! おじさんだって強いし格好いいんだよ!? もうすぐ金等級にだって上がれそうだしね!」
「えっ、そうなんですか?」
俺は思わずリインを見た。「そりゃあ、それくらいにはなりますよ」と当然のように言っているが、俺はこんな人格の持ち主に金等級を許してしまうギルドにビックリである。
トールは俺の「まあ……おめでとうございます」という言葉にいたく感激したように打ち震えながら、胸を張って言った。
「だから、そうだね! 今度こそ、おじさんの格好いいところを見せてあげるかな。そこの銀髪のお嬢さんよりも、ずっと格好いい所をね! おい、ファット、スレンダー」
「おうよー……」
「ごめん本当にいつもごめん」
「……増えたのだけれど、ジョット君」
「知っておけ」
「ジョット君?」
こればっかりはどうしようもないものである。机上の空論ではなく、今まさに迫り来る現実として。