芸術的で文化的な異世界生活を目指して   作:生しょうゆ

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第49話 死体殺し

 

 

「でもジョット君、少し不思議だとは思わない? どうしてアンデッドには光の魔術や十字架が効果的なのかしら」

 

 ふと、ユラウがそんな事を言った。魔術でミルラルタを脅かしたものの、それにしたってウォルツに防がれてしまったものだから暇になったのだろうか。

 

「何だ雑談か。それを教会で言わなくて良かったな。『そんな事は当然だ』って説教が一時間以上続くだろう」

「そう、当然の常識ね。でも、女神はこの世の全てに祝福を与えたんじゃない。それで女神の十字架がアンデッドを排斥するっておかしくない?」

 

 どっかで聞いたような理屈だった。どこだったか。まあいいや。それに関しての回答はある。

 

「確かに、アンデッド及び吸血鬼、そしてその他邪悪なるもの。それらには十字架が効果的だとされているし、実際に効果がある。詳しい理屈は魔術的には証明されていないが、教会が言うに『神の威光が彼らを平伏させ』云々とくる」

「それは矛盾でしょう。それとも祝福とは平伏という意味なのかしら?」

「俺もその理屈は信じていない。しかし神話に則って考えるのならば、女神は二つの属性を持っていると考えられる」

 

 この世界の神話では神は二柱登場する。北に現れた神と南に現れた神だ。それが一つになったとは意味不明な話だが、実際の現象から考察するに、この二つというのが十字架の意味を示しているのではないだろうか。

 

「即ち、邪に対する聖、聖に対する邪と、女神の属性は二つに分かれている。二柱の合一が聖邪の合一を意味するのならば、一方の力がもう一方を排斥することもあり得るだろう」

「十字架が効果を発揮するのは、それが一方の力でしかないからって? それは教会に対する侮辱ではないのかしら。貴方達の信じている神様は本物じゃないって」

「民族的事情とか色々あったんじゃないか。勇者と魔王が相打ちしたように、それらは本来殺し合う定めにあるのかもしれないのだから」

 

 この辺り歴史が曖昧なので俺も詳しくは言えないが、女神の出生地が北と南に分かれているのは示唆的だろう。本来混ざり合わぬ者達を掻き混ぜて一つにするからこそ、神は神と呼ばれるのではないか。

 

「そう考えると、女神の合一という意味不明な記述にも意味らしきものが見えてくる。『主は言われた。『光ありて闇あり、闇ありて光ある。空ありて土あり、海ありて陸ある。』』云々の通りだ。海から生まれたものに陸のものを祝福することは出来ない。逆もまた然りだ。全てを祝福するためには、別の視点から生まれ出でる必要があったのではないか」

「なら、私達は本当の神様の御姿を知らないということになるわね。アンデッドが邪悪だというのも一方からの視点に過ぎないのかも」

「それはそうだな。そう考えると、今度は北方でのアンデッドの扱いが気になるが……」

「いや一方だけの視点だけで十分ですよ今は!」

 

 リインがそう叫んだ。あっ、まずい。思わず話が盛り上がっていた。そしてその最中にリインは結構苦戦していた。非常に珍しい。

 

 というか、何だか何時もより動きが鈍かった。おじさん達三人組も同じである。デバフでもかけられたか。

 

「いやあのね、貴方達がイチャイチャしている中であの肉女が何やらまじないを唱えたんですよ。それで身体が随分と重くなりましたよ。どうしてくれるんですか。おい」

「そんなつもりはありませんでしたが、誠にごめんなさい。今解除しますね」

「うふふ! なーにを言っているのかしら。この私が掛けた魔術がそう簡単に……」

「解除しました」

「そう簡単に!?」

 

 カンカンとステッキを地面に打ち付ければそれで解除は完了である。この女、死霊術はともかく普通の魔術は下手だな。

 

「いや、十分上手いとは思うけどね」とユラウは言ったが、それだけ死霊術の腕前が特筆して優れているということである。

 

「というかノアは本当にどこに行ったんだ。トイレか?」

「死ぬほど最低な発言ですね。自分死体ですけど」

「うーん、ギャグも備えているとか本当に高性能だな」

「なんで普通に会話しているのよウォルツ……」

「自分死体なんで特に敵対心とかないんで。機能として自動的に動いているだけですよ。というかそう作ったのがマスターでしょう?」

 

 言っている内にぽってりぽってりと馬の蹄の音が聞こえた。

 

 白夜号のそれである。それを引っ張って家屋の物陰からようやくノアが現れた。

 

「ジョットさーん! この子全然言うこと聞かないんですよーっ! 私が急ごうとしても全然急いでくれないんですよ!? 道草食ってばっかりですよー!」

「……まあ、馬を放ってこなかったのは偉いかな」

 

 何をやっていたのかと思えば、ノアはずっと白夜号に引っ張り回されていたらしい。まあ言った通り、こんな土地で馬を放っておかなかったのは偉いっちゃ偉い。

 

 しかし、当の馬は呑気なもので「あら、本当に道草を食べている」というユラウの言葉通り、そこらでむしゃむしゃ草を食んでいる。

 

「慣用句をやっているんじゃないですよ」と呆れたようにリインは言った。

 

「何をやっているのですノア。馬なんてそこらで放り出して余裕があったら回収に行けば良いのです」

「リインさんがそれで良いんですか!? リインさんがこの子の飼い主じゃないんですか!?」

「飼い主じゃなくて相棒ですよ。今や候補にまで落ち込みましたが」

 

 鋭い目を向けられ、ようやく白夜号は姿勢を正した。馬が姿勢を正すというのもおかしな話だが、怯えたように動かなくなったので頭は良いのだろう。

 

「で、ノア。さっさと剣を抜きなさい。こいつらを殺しますよ」

「い、生かすって道はないのかしら……? 私達、本当に何もやってないわよ……?」

「ほう、死霊術が何もやってない判定だとは。寡聞にして存じ上げませんでした。いやいや、私もまだまだ都市の常識に疎いようで」

「いいやリイン。こいつは生きているだけで罪だよ。いや、死んでいるだけで罪か」

 

 皮肉を言ったリインに、トールが真面目くさって答える。それにウォルツが無表情に言った。

 

「自分死体なんで分からないんですけど、死んでいるだけで罪っていうのはちょっと酷いと思いますね」

「言っている場合……?」

 

 言っている場合である。何せ趨勢は決した。

 

 ノアの登場ではなく、解析が完了したという意味である。

 

「皆さん、少し道を」

「ん」

「何やら終わったようですが、物理で押し切るわけにはいかなかったので?」

「こっちの方が楽で安心になりました。理解したくはなかったんですが、仕方がない」

「お優しいことで」

 

 トールが脇に避ける。ファットが数歩下がる。ウォルツは無表情に俺と見つめ合うが、リインの剣が動きを掣肘している。

 

 その間に、俺はウォルツの脳内へ魔術式を叩き込んだ。

 

 ぐらりと揺れる。巨大な体躯が震え出す。

 

「やっぱりイタコじゃないですか」

 

 そうリインが笑った時には、既にウォルツは地面に倒れ伏していた。

 

「……いや、え? ちょ、ウォルツ? ど、どうしたのってなにこれ!? なんで魔術式がこんな風に!?」

 

 慌て出すミルラルタへ、俺は眉間に皺を寄せて言った。

 

「完全には理解できませんでしたが、一部分は理解しましたから。即ち致命的にならない程度に影響する部分です。そこにちょいちょいと意味のない式を挟み込めば、歯車の回転が止まるのは当然ですね」

「な、何を言っているのかしらこの子……いや本気で何を言っているのかしら……」

「これでも結構苦労したんですよ。無意味な式が本当に無意味になるのか、つまり余計な部分を刺激しないかをこの短時間で確認するのは」

 

 しかし確認が終われば後は簡単である。先程も述べたように、一般に魔力を持つ生命には内部への魔術は効きにくいとされているのだが、相手は生命ではない。死体である。

 

 感覚的には物自体に魔術式を書き込むようなもので、その辺りの防壁はガバガバだった。対策しておけば良いのにとは思うが、偶然に出来たものなら中々触れられなかったのだろうか。

 

「いや、そんな事を想定するわけがないでしょ……戦闘中に魔術式を改竄するとか、無法が過ぎない……?」

「無法者は貴方ですよ。さあお縄に付きなさい」

 

 リインがひょいと飛び跳ねてミルラルタを軽く蹴った。

 

「ああんっ!?」

「悩ましい声を出さないで下さいよ肉女」

「あっ痛ぁっ!?」

 

 リインがミルラルタをゲシゲシ蹴っている一方で、トール達の仕事は早かった。悩ましい肉体にも惑わされることなく、寧ろ汚物を見るように顔を顰めて、二人を縄でぐるぐる巻きにする。

 

「チッ……きんもちわりぃ……ぶくぶく膨れて……清楚さってモンを知らねえのかよ……」

「ジョット君の爪の垢を煎じて飲めと言いたいね。いや、やっぱり言わない。おじさんが飲みたいから。おじさんが飲むからね」

「私は普通に仕事に徹しているだけだから勘違いしないでくれよジョット君」

「あ、はい」

 

 まあ一仕事終わったようなので無視しておく。伸びをする。まさかこんな場所でこんな相手に遭遇するとは思ってもみなかった。

 

 で、気落ちしているのがノアである。

 

「あの、もしかして私、今回本当に役立たずでしたか……? 朝寝坊して戦闘にも遅刻して、追放間近って感じですか……!?」

「そうですよノア。貴方はパーティーから追放します。理由は役立たずだからです」

「うわあん! そう言って実はジョットさんを独占したいだけなんでしょう! だけど私は追放された先で真の力に覚醒して、実は私の事が好きだったジョットさんを取り戻してリインさんにざまぁと言うんです! 信じていた師匠に裏切られた私、追放先で最強になる~今更愛馬を返してくれと言ってももう遅い~です!」

「何を白夜号まで持って行こうとしているんですか」

 

 ノアは本当に余計なことばっかり覚えるなあと思った。

 

 まあノアの方はあまり心配が要らないとして、ミルラルタへの尋問はどうだろうか。

 

 見ればユラウもそちらに近付き、様子を窺っている。視線に気が付いたのか、ユラウは「こっち」と手招きをした。

 

 彼女が見ていたのはミルラルタではなく、動かなくなったウォルツの方であった。

 

「死体が動くというのは、こうしてみると、不思議なことね」

 

 物言わず動きもしない死体を見つめながらユラウは言った。「死体は普通、動かないのだから当たり前なのだけれど」と、そう続ける。

 

「でもジョット君、どうして死体は動くのかしら。死霊術士がいなくとも、墓場で死体が起きることがあるでしょう」

「知らんよ。アンデッドに関しては専門外だし、研究そのものだって未熟だ」

 

 俺の専門はそういうところにはないのである。一応は聞きかじっているものの、あくまで聞きかじりに過ぎない。

 

「……ただ、まあ、それは自然法則なんじゃないかとは聞いたがね」

 

 と、俺は聞きかじりを言った。ユラウが俺に眼を向ける。

 

「あら、貴方は、死体は動き出すのが当然だと言うの?」

「その原因は環境的要因によるという話だ。環境によって魔力が関わり、死体が動き出すだろうという話だよ」

 

 というか、そうでもなければ説明が付かん。何せ物理学的に死体は動き出さないのだから。

 

 魔力があり、ドラゴンやスライムが闊歩する世界で物理学なんて言ったら馬鹿にされるかもしれないが、実の所、この世界には物理法則が働いている。それも、元の世界と同じ形で。

 

 そうでなければ、どうして異世界の知識が有用な物と言われるだろうか。リンゴが木から落ちるのは引力の働きによるものである。ハーバー・ボッシュ法が有用なのは世界に酸素と窒素があるからである。後者に関しては最近知ったことだが。

 

 しかし魔力というか、魔術に関してはその限りではない。初歩的な水魔術さえ質量保存の法則を無視し、物理学を簡単に否定する。世界は物理法則によって動いているというのに。

 

 これが、元の世界とこの世界を隔てる最も大きい差の一つだろう。魔力は法則的なこの世界に反法則的な働きを成す。魔術は一見して法則的に見えるが、その燃料足る魔力そのものが反法則的ならば、魔力という良く分からぬ力を引き出すために、人間の想像力の及ぶ範囲で理論立てているだけでしかない。

 

 だから魔力とは何かという話になってくるのだ。物理学を否定する理とは何か。そもそも、それは理なのか。

 

「それが分からないからこんなに困っているんだ。死体が動く理由だって俺には分からん。それを成すであろう魔力そのものが分からないんだから」

「なら、アンデッドに十字架と光が効く理由も分からない訳ね」

 

 そう言って、ユラウは思い出したように俺を見つめた。

 

「でも貴方はさっき、十字架が効くのは神様が違うから、って事を言ったでしょ」

「神話に則って考えるのならば、とも言ったぞ」

「だとしても、だとしたら……吸血鬼は許される存在かしら」

 

 ユラウは命題を投じるように言った。

 

「死霊術士とは違い、吸血鬼は生態として、文化として、死体を操るでしょう。血を吸い取って、死体のままに自分の眷属にする。それは神様に許されたこと?」

「俺の考えが正しいのなら、神話的にはそうなる。死霊術士よりもよっぽどな」

「そう。言うんだ。冒涜的ね。変なひと」

「君はそう思わないのか?」

 

 吸血鬼なのに。なんて言葉は、彼女が言ったように偏見と差別でしかないが、どうにも俺はユラウという人間を掴めないでいた。

 

 彼女は少々、物事を知りすぎている。そして俗世から離れすぎているきらいもある。これは一見矛盾しているようで、そうではない。彼女はこちらの世界に──大陸南側の世界に、そぐわない。

 

 彼女には暖かな日の光よりも、青ざめた月光と雪景色が似合う。それが一番美しいように思う。

 

 だから、そうだな。この光景が今までで一番似合っていた。

 

 死体に傅かれるようにして佇むユラウが一番美しい。

 

「……なによ。じっと見つめて」

「君が一番美しくなるのはどんな時か、そう思ってね」

 

 ユラウは薄く微笑んで言った。

 

「私、そんな言葉で胸をときめかすほど子供じゃないわ」

「はあ? 何を言っている。これが口説き文句なら俺は複数の人に同じ事を言っていることになるぞ」

「……そうじゃないの?」

「断じて違う」

 

 妙に冷たい視線が二つ背中に突き刺さっているが、まあどうでも良いとして。そろそろミルラルタの方が大人しくなってきた。尋問は終わったのだろうか。

 

「爪はもう剥がし終わりました?」

「怖いことを言わないでよジョット君! と言いたいところだけど、おじさん困っちゃったよ。剥がしても何も変わらないんだから。顔色は変わらないのに騒ぎはするって、変だよねえ」

「は、剥がしたんですか。じょ、冗談のつもりだったんですが……」

「あ、ご、ごめんね? じゃあ、あんまり見ないようにね! グロいから!」

 

 グロいんだ。コワッ。

 

 まあそんなちょっとした恐怖も見ない振りをして、ミルラルタの方はドン引きの顔を浮かべていた。

 

「いや……躊躇なく爪を剥がすって……や、野蛮人……! 私じゃなかったらおしっこ漏らしていたわよ……!」

「それで顔色変えねえテメエは何なんだよぉー……テメエがこの村をやったんだろうが……死霊術士ぃ……」

「ち、違うわよ-……私達はただ通りがかっただけー……純粋な被害者だからー……」

「真似してんじゃねえよぉー……じゃあなんで通りがかってんだよぉー……今度は骨行くかぁー……?」

「し、死霊術士は通りがかってもいけないの!?」

「いけないだろ。普通に」

「あ、そ、そう」

 

 スレンダーに言われ、「言い切られちゃった……」とミルラルタは肩を落としている。

 

 さっきから思っているが、この愉快な頭からどうして死霊術の術式が出てくるのだろうか。

 

「しかし、ミルラルタさん。貴方の隠蔽の魔術は素晴らしかったですね。俺の探知でもリインさんの動物的感覚でも察知できないとは、どんな魔法を使ったんですか?」

「ま、魔法だなんて! いやー照れちゃうわね! 実はね、あれも死霊術の応用なのよ」

 

 褒められたのが嬉しかったのか、ミルラルタは快活にそう言った。

 

「おお、流石は一流の死霊術士ですね。どうやったんですか?」

「いやあ一流だなんて困っちゃうわね! 実はね、死霊術っていうのは肉体操作が肝心なのよ。だから体表面のみを仮死状態にして、意識を保ちながら誰にも見つからない状態に出来るってわけ!」

「それは素晴らしい。でも、そんなにして隠れる必要がありますかね? こんなに素晴らしい魔術師なのに」

「あーそれ聞いちゃう!? 実はねー、私も不本意だったのよ。でも依頼主から『自分でやったんだから見落としがないか調べてこい』って言われたものだから! 私も渋々来たのよねー」

「そこで俺達と鉢合わせたというわけですか」

「そうそう!」

「ところで、その依頼主って誰なんでしょ」

「えー? それはちょっとねー。言っちゃおっか? じゃあヒント! うふふ、私ってモテるのよー? だから分かる? 分からないかなー?」

「なるほど」

 

 流石にウザったくなってきたので俺は言った。

 

「だそうですよ、トールさん達」

「……あ゛っ」

 

 俺はじっとこちらを見つめるトール達に言った。ミルラルタの顔が青ざめる。本当に愉快だな。

 

「ではトールさん、後は警察に引き渡すだけですね。馬車に詰め込んでやりましょう」

「そうだねジョット君! ありがとね! さあ、キリキリ歩けよ」

「ちょっ、まっ! だ、騙したのね! そんな可愛い顔をして騙すなんてずるいわ! 卑怯よ! 卑怯!」

「フン。確かにジョット君の可愛さは卑怯というか卑怯というか卑怯だねうん!」

「じゃあ連れて行くからなートールー」

 

 そうしてぎゃあぎゃあ騒ぎながらミルラルタは連れて行かれた。顔を青ざめさせて、こちらに文句を言っている姿は本当に愉快だ。

 

 何が愉快って、顔面に貼り付けた他人の皮膚に、そんな機能を搭載していることだ。

 

 近くで見て分かった。顎先から耳元にかけて抜糸痕がある。"眼"で見ればより明らかだった。この女の顔が手配書と異なるのもそのためだろう。そもそも、本来は十数年間は手配されている女だ。こんな若い顔をしているはずがない。

 

 そんな顔でこんな言動をするということは、率直に言って頭がいかれている。今聞き出した事だって、真実かどうか分からない。

 

「まさしく、肉女ですね」

 

 リインが俺に囁いた。

 

「肉に埋もれ、肉を纏った、悍ましい女。ああいうものは理解しない方が良いですよ」

 

 何時だってリインは世話を焼きたがる。今回も「ありがとうございます」と言っておこう。

 

「だけどまあ、後は警察が頑張ることだろう。うん。もう関わらないだろうから忘れて良いことだな。帰り道は一緒だが」

 

 俺は言った。ノアがぎょっとした顔を浮かべる。

 

「えっ、もしかしてあの死体とも一緒に帰るんですか? 私、ちょっと気色悪いんですけど……」

「役に立たなかったくせに文句だけは一丁前ですねえノア!」

「そ、それは言わないで下さいよ……! 気にしているんですから……!」

「まあまあ、ノアちゃんだってお馬さんを守ってくれたでしょ。偉いわね。お利口よ」

「また子供扱いをしてと怒りたいところですがこの状況で褒めてくれるのはありがたいです……!」

「それで良いのか」

 

 そうして俺達は帰路に就くことになった。

 

 トール達の捜査も順調で、あの村には既に生きているものが居なかったという。手掛かりらしきものもミルラルタ二人だけであり、それも既に捕まえたため、後は帰るだけになった。

 

 馬車は猛スピードで駆けていき、見る間にレクト村は遠ざかっていく。

 

 今は日が昇りきったものの、まだまだ早朝の時間帯である。残念なことだが、翌日の授業には間に合ってしまうだろう。

 

 だが、それでも希望は持っていた。仕方がないから休むという免罪符が、何よりも午睡を豊かなものにするだろう。

 

 しかし馬車の中でノアやユラウ、おじさん達ととりとめのない話をしていても、陽が落ちる速度より馬車の方がずっと速い。来たときより荷物が増えたというのに、帰るときの方がずっと速いとは如何なる事か。

 

「それは私のせいですね」

 

 速度について話していると、馬車の外からリインが言った。同時に馬車の速度が幾らか緩やかなものになる。

 

「この馬を先頭で走らせてみれば、あの子達も必死で付いてこようとする。それで群れの長としての自覚が芽生えるかと思ったのですが、どうにもこの子は呑気をやりっぱなしです。本当はもっと追い込みたいのですがね」

「止めてくれよリイン。無駄に疲れさせてくれるな」

 

 トールが御者台からそう言って「この分だと夕方に到着するぞ」とぼやいた。そんなに。

 

 しかし、そうなるとぐっすり眠る時間が取れてしまう。ひょっとしたら寮の門限にも間に合ってしまうかもしれない。

 

「だが、やっぱり休むと決めたこの心ばかりはどうしても動かせないな。うん。明日は休もう。疲れたから。マルガレーテには、君の領地の地質調査をしてきたとでも言ってやろうかな」

「い、良いんですかそれで……? どうなんですかね、ユラウさん……」

 

 ノアが困ったように言ってユラウを見つめた。段々と懐いてはいるようである。一緒に馬を可愛がっていたのが良かったのだろうか。

 

 しかし、ユラウは呟くように言った。

 

「マルガレーテ」

「ん?」

「それは……領地と言ったわね。このアルケシア領の関係者?」

 

 それまでユラウは、ぼうっと外を眺めていたのだが、不意に振り向いて興味を示した。

 

「そうですよ。お嬢様です! 私も何度かあったことがありますが、あの人は本当にお嬢様でしたよ……!」

 

 憧れを含ませてノアが言う。「そして私はお嬢様の膝枕に……!」陶酔し始めたところで悪いが、ユラウの様子が変である。

 

「なんだい。知り合いか? やっぱり君はどこぞのお貴族様のお嬢様かい?」

「ええっ!? そうだったんですか!? まあでも、気品はありますよねえ……私とリインさんでは比べ物にならないような気品が……特にリインさんとは比べ物にならなあうっ!?」

 

 外から何かが飛んできたと思ったら銅貨だった。それが超高速で弾き出され、見事にノアの額に当たったのである。

 

「口は災いの元」というリインの言葉に恐れ戦くノアを尻目に、ユラウは深く思案するように言った。

 

「知り合いでは、ない。顔も知らないし、それが誰かなんて知らないの」

「そろそろ取り繕いはよしてくれよ。君と彼女に何の関係がある?」

「……本当に、知り合いではないの。でも、名前に聞き覚えがあったから。少し、驚いただけ」

「名前?」

 

 ノアの声に、ユラウは顔を上げて言った。

 

「マルガレーテ、マルグリート、グレートヒェン」

「だ、誰です? 三人?」

 

 ノアの言葉にユラウが首を振った。俺は得心いって頷き言った。

 

「ファウストか」

「私、それが好きなの。だから驚いた。それだけ」

 

 ユラウが言ったのは、異世界からこちらに流れ着き、そして異世界でも有名な戯曲『ファウスト』のことであろう。

 

 主人公ファウストと悪魔メフィストフェレスを主要な登場人物とし、様々な世界を舞台としていく中、ヒロインとして登場するのがマルガレーテという名の少女だった。

 

 グレートヒェンはマルガレーテの愛称だ。そしてマルグリートというのは、オペラでそう呼ばれていた気がする。あれは確か、元はドイツ語の戯曲をフランス語で成立させたものであったはずだから、マルグリートというのもフランス風の呼び方なのだろう。

 

「しかし、君は随分と異世界に詳しいんだな」

 

 言い訳にしても、という言葉を呑み込んで俺は言った。実際、言い訳として用いるには、異世界の知識はあまりに不自然だろう。それに詳しいということ自体が不自然なのだから。

 

「ファウストなんて、そんなに有名でもないだろう。異世界に関するもので有名なのは、農法とか科学とか、つまりは役に立つ技術だ。或いは文化そのものだ。将棋が伝わっていることは有名でも、居飛車に振り飛車に穴熊囲いはまるで有名じゃない。精々その道のプロしか学ばないようなものだろう。ファウストだってそれらと同じだ」

「好きだから知っていたのよ。それとも私の好悪に文句があって?」

「ないね。だが、その前段階には疑問がある」

「それは?」

「好きになるために必要なもの。それが好きだと思えるような環境は、どんな場所だったのか」

 

 ユラウという人間は何者なのか。それがオペラ歌手にせよ舞台監督にせよ、異世界に関して広範な知識を持っていることは確かである。それこそ、その中に好悪や滑稽さを見つけられるほどに。

 

 であれば、その知識を育んだ環境とは何か。あまりに文化的な環境は、何に由来するものなのか。

 

「……実を言うとね、私、結構なお嬢様なの」

 

 ユラウは微笑んで言った。

 

「というか、察してはいたでしょう? 魔術とは貴族的なものだって、貴方はずっと言っていたじゃない。なら知識だって同じ事よ。私はそういう環境で生まれ育ったのよ」

「や、やっぱりお嬢様でしたか……ど、どうしましょうジョットさん。私お嬢様に無礼を働いちゃいましたよ……」

「気にしないで良いわよノアちゃん。私、ここでは、そういうのを抜きでやっていきたいのよ。家名なんて面倒なだけだから、ね?」

「そ、そうですか……! ちなみにお家の資産はどのくらいなんですかね……!」

「うん。気にしないでね」

 

 ユラウはそう言って俺に目を向けた。

 

「勿論、ジョット君も気にしないで構わないから」

 

 そう言って微笑む。暗に詮索を掣肘して。

 

 ……話の持って行き方が上手い、と思ったのはこれで何度目だろうか。

 

 彼女は無言に線を引いている。そこを越えてくるなと、こちらに無言で言っている。

 

 俺にそれを越えるだけの意味があるのなら、ノアのようにずけずけと踏み込んでも良いだろう。

 

 しかし、今はない。彼女はどうにも掴めない。

 

 掴めないということは、掴むだけの意味も見出せないということでもある。元より俺は波風立たず、安穏な快適さを求めている。

 

 そこに不穏があれば踏み込む覚悟もあるだろうが……いや、あるのかな? 自分に問いかけてみたところ、なさそうである。面倒になったら全部放り出すのが俺だろう。

 

「なら、いいさ」と、結局面倒になって俺は会話を投げ捨てた。

 

 この面倒臭さはあれに似ている。あれ、マルガレーテの貴族的な話し方だ。

 

 そうだ。ユラウはマルガレーテに似ているのだ。道理で面倒だと思ったと、俺は一人で納得した。

 

 

 

 

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