「ブレイク君? ブレイクくーん?」
「なんだいマルガレーテ」
「私、怒ってます。何故だかお分かりになって?」
面倒臭い怒り方をするものである。
マルガレーテは腰に手を当てて、あからさまに不満げな顔を浮かべていた。その服装は白を基調としたドレス姿で、しかし派手すぎず動きやすそうなものだ。
長い金髪を羽の付いた帽子の中に入れ、サングラスは付けていない。青色の瞳は半眼にこちらを睨んでいる。
「私、貴方以外に同席者がいるとは聞いていないのだけれど。連れてくるなら最初に言って下さらない? こちらにも用意というものがありますので」
「別に君の家に行くわけじゃなし、別に良いだろう? なあノア? ほらノアが怯えているから睨むのを止めてくれ」
「い、あ、う……! おええ……!」
「うん、吐きそうだから本気で止めてあげて欲しい」
「……そんなに怖いかしら私」
ノアはマルガレーテから隠れるように俺の背中に回っている。その姿はマルガレーテとは対照的に野暮ったく、折角の美少女顔が悪目立ちしてしまう代物であった。
服を買う金はあるだろうに、根が貧乏性なものだから普段使いはこれである。そしてお気に入りの服なるものはどこへ出しても恥ずかしいようなギラギラ輝く派手派手しき代物だ。俺から丁度良いものを買ってやった方が良いのだろうか。
と、そこでユラウがノアの肩を叩き、「わひゃあっ!?」と声を上げさせた。
「大丈夫よ、ノアちゃん。自信を持って? だって銀等級の冒険者と、公爵家の三女。どちらが希少かと言われたら……」
「そ……そうですね、ユラウちゃん! 同じ上から三番目ですから……!」
「……まあ、普通に公爵家のご令嬢の方が希少ね。うん」
「なんで裏切るんですかっ!?」
「言っている途中で、自分でもないなって思ったの……」とユラウは珍しく、困ったように眉根を寄せている。
「何せ、他ならぬお嬢様ご本人がそこに居るのだから」
言ってユラウはマルガレーテを見つめた。マルガレーテもユラウを見つめる。何だか妙な表情を両者共に浮かべている。
「……それで、ジョット君」
「ブレイクくーん?」
「おいおい、二人同時に話そうとすると適当なことしか言えなくなるぞ。これが本当の二枚舌ってな」
「ふんッ!」
「あっ痛ぁっ!?」
マルガレーテが脛を蹴ってきた。すこんと見事に当てられたものだからめちゃくちゃ痛い。
「ぼ、暴力系ヒロインは今日日流行らないぞ……!」
「私は貴方のヒロインではございませんわ。性格を整形してから出直してきてくれます?」
「えっ、御貴族様の力にかかれば性格まで整形できるんですか……怖いですね……」
「じょ、冗談ですわよ、ノアさん。だから青ざめないで……」
マルガレーテは笑みを繕ってノアをビビらせる。帝国劇場前での事であった。
『週末にオペラ鑑賞でも如何かしら?』とマルガレーテが誘ってきたのが金曜日のことである。
月曜に授業をサボったことは口やかましく言われたが、それで殊勝になる俺ではない。右から左へと受け流しての日々だったのだが、何故か急にお誘いが来たのだ。
マルガレーテは食堂にニコニコ笑みを浮かべ、二枚のチケットを揺らしている。『私が招待して差し上げますわ』と、ありがたいことこの上ないが、どうにもその笑みに罠の匂いがする。
しかし無料なのだから行かないという選択肢はない。そこでこれ幸いと、隣で卵かけご飯とマーマレードを錬成した気色の悪いものを飲んでいた(比喩ではない)トレージも誘ったのだが、彼はぎょっとした顔で『いや結構!』とマルガレーテの方を向きつつ言ったのだった。
『あら、そうなの? とても残念ね。私は単にブレイク君が暇そうだから声を掛けただけで、別に誰が来ようと良いのだけれどね?』
『ん? じゃあ僕も……あっやっぱり結構! よく考えれば僕は音楽に全く興味がないんだった!』
『何を言っているんだトレージ。人生の半分は損しているぞ。俺がお前の人生の半分を取り戻してやる』
『熱い言葉をありがとう。しかし本当に良いよ。ありがたいがね』
『そんな事を言わずにさあ……』
『ありがたいが迷惑だね。ありがた迷惑だね』
『そこまで言うか……?』
とまあ、そんなこんなでその翌日、三人娘にこういう話があるから良かったら行かないかと誘ったのだ。
ノアとユラウは快諾したが、リインは以前の経験に学んだのか『お土産だけ買ってきて下さい』と全く興味を示さなかった。この辺り、またオペラの素晴らしさを教える必要がありそうである。
そして今日、何故か不機嫌そうなマルガレーテの顔を目の前にしている。いや、微妙な顔を浮かべているのはユラウもだが。
「というか、何故ブレイク君は制服姿なのかしら? ひょっとしてドレスコードというものをご存じではない? 精々礼節の授業の単位を落とさぬよう、祈って差し上げますわ」
「俺は学生なんだから制服姿は妥当だろう。あと入学前に着ていたようなのよりこっちの方が楽だ。それが一番の理由ではあるな」
「一般席なら学生服でも問題ないでしょうけれど、私が用意した席では見劣りしますわよ」
「そんな席を用意していたとは思わなかった。なんとかまからないか?」
「私に言ってどうしますのよ。……で、ブレイク君」
「なんだい」
「また、増えたのね」
結局それが言いたいことだったのか、随分迂遠にマルガレーテは聞いてきた。
彼女は青色の眼でユラウを見つめる。何かを言おうとして、孔雀の扇で口元を隠した。
「……ちょっと、ねえ、ブレイク君」
「はいはい何時ものお耳拝借。なにか?」
扇で互いの顔を隠す徹底ぶりをこなしながら、マルガレーテは俺の耳に囁いた。
「あの御方、ノアさんやリインさんのような冒険者の御方でよろしくて?」
「三人目だな。魔術も使える。素晴らしい人材だ」
「そう……魔術も……」
そんな事を聞きたいだけなら、わざわざこうやって顔を隠すまでもない。彼女は何時も大事なことを迂遠に話そうとする。
やはりと言うべきか、そんな話を前座にして、彼女は意を決したように言った。
「あまり言いたくないことですけれど、貴方には率直に言いますわ。……あの御方、吸血鬼じゃなくって?」
「へ……ヘイトスピーチ……」
「ま、間違ってもそんな事を言わないで下さいまし! 身体的特徴及び特定の国家民族宗教を差別する気は全くありません! ウルド帝国アルケシア公爵家は差別のない健全な貴族ですわ!」
「何か妙に言い訳染みているな……」
まあ予防線は張ったので良いとしよう。しかしマルガレーテの懸念ももっともである。残念だが、ここは異世界なので差別があるのだ。ここは異世界なので。
「しかし見なさいよ、ユラウは太陽にも燃えないし、今日は銀製の首飾りだって付けている。外套もマントもないドレス姿だから、どうして吸血鬼だって思えるよ」
「赤眼と銀髪、そして青ざめた白い肌が示すものと言えば……ですわよ」
「へ……ヘイトスピーチ……!」
「ウルド帝国アルケシア公爵家は差別のない健全な貴族ですわ!」
「……あの、聞こえてるわよ」
マルガレーテがぎょっとした顔を浮かべた。そりゃあ大声でアピールしているのだから当然である。
「というか差別のない貴族って矛盾だろ」と言えば「おほほほほ……」と笑って脇腹を抓られた。痛い。
「ごめんあそばせ。そもそも、自己紹介がまだでしたわね。私はアルケシア公爵家は三女、マルガレーテ・アルケシアといいます。どうぞよしなに」
「これはご丁寧に。私、ユラウ・ユラクロン。ジョット君のお友達よ。貴方もそう?」
「丁度今、お友達どころか顔見知りも嫌になった所ですが、そうですわ。帝国学院で共に勉強させていただいています」
「ふうん。お嬢様度ではユラウの勝ち、皮肉度ではマルガレーテの圧勝といった所か」
「待って下さいよジョットさん! マルガレーテさんはここからが強いんですよ!」
「貴方達、何?」
まあマルガレーテの懸念に関しては先の通りに誤魔化しが効くとして、問題はユラウの方である。
彼女は戸惑ったようにマルガレーテを見、説明を求めるように俺を見ていた。
「では今度はこちらがお耳を拝借。扇子借りるな」
「扇ですわ」
「同じようなものだろう」
ばっと広げてユラウに囁く。
「観光として見てくれりゃ良い」
彼女は笑って囁いた。
「貴方って、お節介ね」
母親の故郷を見に来たのなら、そこに感傷もあるだろう。しかし、ユラウはアルケシア領にそれを見ることはなかった。
『景色は景色でしかなかった』と、後に彼女はそう言った。
ならばその他の痕跡はどうか。既に見ているだろう。ごく僅かに博物館に飾られた、彫刻という痕跡を、観光という形でユラウは巡っていた。
『それは楽しかった』と彼女は言った。『でも、解説文は気に入らなかった』とも。
「思い出話の一つや二つ、マルガレーテは父親から聞いているだろう。彼女は確か九番目の子供だから、父親の方は五十年前でも分別の付いた年頃だったはずだ」
「わざわざ伝えているかしら。勘当された公爵家の恥を」
「その辺りは心配ない。何せ女神像を……」
「女神像?」
「ああいや、ともかく、そこまで悪くは思っていないはずだぜ」
慌てて誤魔化した。あの女神像に関しては俺だけでなんとか出来る問題ではないし、何より彼女の中の母親像をぶっ壊してしまいそうである。下手に触れない方が良いだろう。
「……内緒話は終わって?」
ユラウと顔を離せば、マルガレーテが言ってきた。
「で、座席はどうします?」と、話はオペラ鑑賞の話題に戻る。
「幸いにしてロイヤルボックス席を予約していましたから、二人増えようとも手狭ということはありませんが、お二方はそれでよろしくて?」
「うわ本当に高い席を用意したな。俺今まで一階席しか座ったことないのに」
ロイヤルボックス席とは、その名の通りロイヤルなボックス席である。
そもそも、帝国劇場は全体として馬蹄型──舞台の前面にオーケストラピットを置き、そこを鑑賞する形で一階席を、更にそれをUの字に取り囲む形で座席が作られている。この二階以上の座席がそれぞれ独立した箱形、ボックス席となっているのだが、ロイヤルと付くものは舞台袖や舞台真正面に作られており、その名の通りに高貴な方々が座るものだ。
野球場で言えば外野席が一階席だろう。バックネット裏がロイヤルボックスだ。下手に騒げば肝心の試合よりも悪目立ちするという意味では同じ事である。
「今から着替えてこようかな……俺って人目を気にする質だから……」
「ブレイク君はもうそれで良いですわ。ノアさんは着替えた方が良いでしょうが。ローベン、ここに!」
「用意しておりますお嬢様」
音もなく巨大な老紳士が現れた。何時ものことだが気配の消し方が尋常ではない。そして既に複数のドレスを抱えているのだからそつがない。
「侍従勝負では大敗だな」
「フィネカさんは専門ではないもの。彼女、お父様の部下なのよ」
言っている内にノアが勧められるままに衣服を手に取る。どうにも気に入っていない様子である。
「中々立派な物だと俺は思うがね。どうだい?」
「私からすればまだ地味すぎるくらいですよ……もっと腕とかにシルバー巻くとか……」
「ノアちゃんの雰囲気には合わないと思うけれど」
結果、なんとか開演時間前に整えて、舞台袖の立派な席に俺達は落ち着いた。
赤ビロードが敷かれた床に、流線型の装飾で彩られた椅子が並んでいる。前面は大きく開けており、そこから幕が垂れ下がった舞台が望めた。
「しかし、念願のロイヤルボックスに座ってみてなんだが、普通に一階席の方が見やすいなこれ」
何せ、横なのである。舞台袖近くの席からでは、どうしても舞台に歪な奥行きを見せてしまう。これはこれで臨場感があるような気もするが、そういう楽しみは劇に飽きてから見つけるものである。ましてや初心者であるノアにとっては、単に見にくいだけだろう。
そうぼやいているとマルガレーテが呆れたように言った。
「まあ、些か鑑賞しているという事実そのものを見せるためのような席ですけれど、その言い方はあまりに身も蓋もなさ過ぎますわよ」
「ジョットさん! 身を乗り出して首を曲げればよく見えますよ! 高い所から人を見下ろすと気分が良いですね!」
「品性があれだから止めなさいノア」
一階席を見下ろして悦に入り始めたノアを引き戻して、代わりにオペラグラスを与える。「私は眼が良いので眼鏡は要りませんよ?」とのことであるが、身を乗り出さないためにも無理矢理持たせておこう。
ノアは宝石をつつくカラスのようにオペラグラスを触ったり持ち上げたりしていたが、不意に顔を上げて「しかし、ジョットさん」と言った。
「私、オペラとか見たことがないのですが、分かりますかね? リインさんから聞いた分では、実に退屈極まりないものであると……」
「リインさんの発言は気にしなくて良い。聞けばすぐに分かるはずだ! 何せ音楽とは万民の心を震わせ……!」
「と言っても、今回のは難しそうだけどね。ウルド語じゃなくて異世界語。それも英語じゃなくてマイナーなフランス語だから」
ユラウはローベンから差し出された冊子を開きながらそう言った。開演前に配られる小冊子である。指揮者や役者の名が記されたそれの題名を見、ユラウは苦笑した。
「ねえ、貴方、マルガレーテちゃん」
「なんでしょうか?」
「お邪魔しちゃって悪いわね。でも貴方の思惑、上手く行かないと思うわよ。これって悲劇だから」
「……え、いや、何のことですわ?」
口調を崩れさせながらマルガレーテが見つめる先、小冊子の題名には『歌劇ファウスト』の文字があった。